◇33.終わりを告げる銃声


 杏鈴あんずひとみはたったひとり、薄水色の銃を手に持つつばさへ向けられた。


「もう撃って! わたしを殺して!」


 ところどころ声が翻っても、杏鈴は叫び止まらない。


「命の重みが平等なんて綺麗ごと! わたしなんかよりテルキさんの命のほうが何倍も重いに決まってる! だから殺して! 今すぐその銃で撃ち抜いてよ!」


 杏鈴の開いた瞳孔を見れば分かる、錯乱状態だ。堪えている糸は突然千切れてしまうもの。


「未来なんていらない! 人間なんて生まれた時からどうせ死に向かって命削ってるんだよ! どう足掻いたっていずれは死ぬ! もう穴だらけの脳みそと心臓持って生きるのは疲れた! だったらせめて痛みも感じず何も分からず一瞬で弾けたい! それで第二の物語が終わってみんなの未来が確立されるのなら本望だよ!」


「バカ! ふざけないで! あんた自分が何言ってんのか分かってんの!」


 悲痛な叫びを遮ったのは仁子ひとこの怒号だった。杏鈴へ向かって身を乗り出した仁子の両腕を掴みつつ、ゆうはこの状況を黙って傍観し続けているDark Rダークアールを窺う。


「ヨクを人殺しに仕立てるつもり!? この期にまで及んで甘えてんじゃないわよ! そんなの絶対に許さない! 全世界の全人類が許してやれって言ったとしても私だけは絶対に許さない! 生きなさいよ! あんたにここで死なれたらたまったもんじゃないわ!」


 優が掴んでいる両腕のうち片方を馬鹿力で逃れた仁子は、杏鈴を鋭く指差した。


「私はあんたに謝りたいのよ! こんな遠いところからじゃなくて面と向かって! 謝らせなさいよ! だからこんなとこであんたのことを絶対に死なせてやらないんだから! って、キャ!」


 優が突如腕を掴んでいた力を緩めたせいで、仁子は前のめりになり海水へ倒れ込んでしまった。そうしてしまったのには理由がある。望んでいた左目の異変。Dark Rを映し続けた左目に黒いもやがかかり始めたのだ。仁子が文句を言っている声が遠のいていく。


【ぼくは、ころされてしまうの?】


 替わって耳に届いてきたのは、Dark Rのホントウの声。


 左目に入り込んできた血文字ではないブラックカラーの“R”。


【たのむ、ユウ。たすけて……】


“R”はカタカタと音を立てて震動し出す。まるで救いを求める輝紀の訴えを示すかのように。正解だったのは杏鈴だ。Dark Rに侵食の全てを許さず輝紀てるきはまだ存在している。


「ユウ、もしかして見えそうなの!?」


 身体を海に浸からせたまま顔を上げた仁子に、優は言葉を返さず頷く。左目をDark Rの全身に集中させる。心は分かった。あとは呪いのアルファベットがどこに刻みこまれているかさえ分かれば――しかし。


「ちょっ……」


 仁子が声を喉に詰まらせる。集中が削がれる出来事は目の前で起こった。両手で構えた銃の狙いを杏鈴に定めた翼に、Dark Rの背後から賢成まさなりが強い視線を送っている。


「ヨクてめぇ何考えてんだ!」

「ユウ!」


 左目に“R”を映したまま、優は翼と杏鈴の間に立ち両手を広げた。


「……どけ」

「ざけんな」


 冷静を超えた冷酷な表情で視界の先を開けるよう促してくる翼に、優は断固として首を横に振る。


「……聞こえなかったのか、どけと言ったんだ。貴様を撃つしかなくなるぞ」

「撃つっつー選択肢を今すぐ脳内から捨てろ。リーダー命令だ」

「……こんな時に都合よくリーダーの称号を使うのか……申しわけないが従いかねる」

「こんな状況でてめぇも悪ノリぶっこんでくんじゃねぇよ」

「……悪ノリなどではない」


 翼の瞳は優を越え、体力の限界を迎えぐったりとしている杏鈴の姿を捉えた。


「……俺はただ、アンが所望している願いを叶えてやりたいだけだ」


 優は返す言葉を失う。他のMemberメンバーには分からない、翼にしか分からない杏鈴のキモチは、ないとは絶対に言い切れない。


「……こいつがこんなに叫ぶほど感情を剥き出しにしているんだ。それに物語の終結のために自ら一役買うと申し出ている。それで俺達も助かる上に、こいつが救われるなら俺さえも本望だ。それに恐らく……そのために俺は今この銃を手にしているのかもしれぬと、そう思う」

「くくっ……く、ははははははははははは」


 高みの見物を続けていたDark Rは遂に嘲笑うかのようだがどこか愉快さを含んだ黒い声を上げ始めた。腹を抱えるそのさまは、良心が残っていると理解してさえ腹立たしく感じる。


「あーあ、こんなに愉しいことってあるのかな。俺が手を下さずとも勝手に身内で自滅してくれるなんて、最高クオリティの茶番だよ」


 最中、賢成が動く。この隙に杏鈴を十字架に縛りつけている縄を解くのかと思いきやそうではない。杏鈴の背後を過ぎ、水音を極力あげぬよう注意を払いながら、少しずつ仁子のいる浅瀬のほうへと向かっていく。


「これこそ“生と死”のgameゲームだ、気に入った! ソーバー殺せ! このとんだアバズレを! 心ゆくまでその銃で撃ちのめしてやるがいい! そうさ、今こそお前がする絶好の時だ!」


 Dark Rの卑しい笑いを受けながらも、優はその場を動かない。


 翼の引き金にかかっている指に力が入ったのを感じ取ったらしい仁子が駆け出そうとしたのに何故かすぐに止まった。視線は遥か向こうを見つめている。一瞬、優が振り向くと、Dark R。再び仁子に視線を戻すと、彼女の口元は半開きになっている。


 読み取った聞いた


「ヨク! やめてぇ!」

「ワタルっ!?」

 

 仁子に問う間もなく、聞き慣れた鈍い声に思考は切られた。海岸には、ぜえぜえと荒々しい呼吸を繰り返している汗だくのわたるの姿。その航の元へ賢成がひらりと駆け寄った。


「絶対に撃ったらダメだ! 撃ったら……撃ったら……」


 口籠る航の様子から、言葉を選ぼうとしているのが伝わってくる。銃口は前に向けたままだが、翼が後ろを振り向いた。


「撃ったらぁっ……俺達の未来は過去の因果をっ……!」


 伝えたい言葉を航が呑んでしまった刹那、翼の指元が狂った。引き金にかかった指に強い力が入り込み、銃口から火が噴いたのだ。


「ユウ!」


 仁子が横から優の身体に飛びかかる。銃弾は海に倒れ込む二人の頭上を抜け、逃げようのない杏鈴目がけて直進する。


 叫ぶことさえ忘れた。

 空気が凍った気がした。

 杏鈴が翼に向け、憂いを帯びた笑みを浮かべるのが分かった。

 終わりだ。


 悔しさが込み上げる中、思わず両目を瞑った。


「うっ……!」


 小さな呻き声。しかしそれは透き通った高い音ではない。両目を開くとその声の主が判明する。杏鈴を庇い銃弾を右肩に受け蹲ったDark R。歯を食いしばり手先をブルブルと震わせているその姿は、間違いなく僅かに残る自制心を引っ張り出し、身体を侵食するDark Rのエキスと戦う輝紀だ。


「テルキさん!」


 輝紀の元へ向かおうと優は立ち上がる。だが、そこへ到着するのは賢成のほうが速かった。賢成は痛みを堪える輝紀の右肩を引くと躊躇なく腹を蹴った。大きく呻き上げ、仰向けに倒れた輝紀のを掴み上げると、賢成は黄色の柄をした槍で、その脹脛ふくらはぎを容赦なくぶっ刺した。噴き上がった真っ赤なに、仁子の悲鳴が上がった。


 その光景を見た途端、優の左目を襲った激痛。同時に映り続けていたブラックの“R”が弾け、そこから赤色の血液が噴き出す演出が始まった。


「殺せ!」


 賢成が叫び上げると共に響いた銃声。翼を見たが銃を持つ手は下げられている。銃弾は瞬く間に、賢成が槍の切っ先を刺し込んだ箇所へと命中した。視線は海岸へ移り、青色の銃を構え硝煙させている航の姿を捉えた。言わずとも分かる、この攻撃青色の銃を航に命じた渡したのは賢成だ。


 賢成が蔑んだ視線を落としながら掴んでいた輝紀の左足を手放すと、どしゃっ、と輝紀の身体は小さな白い砂浜の上に転がった。


「テルキさんっ!」

「“R”!」


 動きかけた仁子の腕を優は掴んでいた。目の痛みに耐えながら、懸命にアルファベットの音を発する。


「“e”」


 賢成が淡々と杏鈴を十字架に縛りつけている縄を槍で切り刻んでいく。


「“g”」


 倒れた輝紀から銃を構えたまま目を逸らせずにいる航。


「“r”」


 銃を手に立ち尽くしたまま、優の声に耳だけを傾けている翼。


「“e”」


 十字架から解放された杏鈴は、生気のない顔でよたよたと数歩前に進むと、倒れている輝紀の傍にしゃがんだ。


「“t”」


 張り詰める空気の中、仁子が優の真っ赤な左目に向け口を開いた。


「“Regretリグレット”……“後悔”」


 感じたのは光。輝紀の身体を包むサファイアブルーは、杏鈴のポケットから煌々と溢れ出している。徐に杏鈴がそこから取り出した物はネックレス。それを両手で包むように持ち、杏鈴は輝紀の身体に纏わす光の量を増やす。抉れた傷口が奇跡のように塞がっていく中、輝紀の身体からは次第にDarkの毒素が抜け落ち、左腕のACアダプトクロックも本来の透き通った色味を取り戻した。


 そのACと輝紀の左胸から、柔らかだが力強さを感じさせる緑色の光がサファイアブルーの光の隙間を潜り、空へと抜け上がっていく。浮かび上がった全面が翡翠色に染まっているCrystalクリスタルの真下に羅列されたアルファベットは――。










 ◆◆◇



 誠也せいや真也しんやは窓を割って入り込んできた青と緑の光線に声を上げた。その衝撃音にさえも梨紗りさは目を覚まさない。


 誠也の左手首がざわめく。飛び出てきたブックを手に取り広げると、変わらずブルブルと身体を震わせ苦しそうにしているフォールンが現れた。


 二つの光線はダイヤモンド型に形状を変える。紺碧色の冷静な心、そして。


「“Wisdomウィズダム Heartハート Crystalクリスタル、知恵の心……?」


 翡翠色のCrystalの意味を読み解く誠也に、フォールンは必死に肯定の意を込めた頷きをすると、第一の物語と同様、二つのCrystalをブックの中へと回収した。


「フォールンまじでやばくない? どうしちゃったの?」


 そう問いかけた真也の顔が強張る。誠也も同じだ。開いた扉の辺りに嫌な気配を感じる。


『に……げ、ましょ……』

「え? 何て?」

「セイ後ろ!」

「ふっ、うわ!」


 フォールンの言っていることが聞き取れず耳を近づけた誠也に、真也の緊迫した叫びが飛ぶ。振り向いた誠也に飛びかかろうとする得体の知れない黒い影。間一髪、真也が槍でその影を貫いた。


「っ、えっ……」


 真也の驚く声に、誠也は影へと視線をやる。黄色の槍が貫いたのは影だけではなかった。その中に透けて見えている絵画もろとも突き刺していたのだ。描かれているのは人であるように思えるが、こちらが認識するのを拒むように、絵画と共に黒い影は溶けるように消失した。


 フォールンが頭を抱えページの上を転がり始める。宮殿がぐらぐらと再び激しく揺れ出す。足元がおぼつかなくなる中、真也はベッドに横たわっている梨紗を背負った。


「出よう! セイ!」

「シン待って! うっ!」


 突発的に溢れ始めた黄金の光。眩しさから誠也はブックを落としてしまった。


『ブックがっ……ブックが乱されています! ぎゃっ!』

「なっ!」


 操られているかのようにブックのページがバラバラと捲り上がり、フォールンの姿が見えなくなる。さらさらと真っ白なページに描かれていく第二の物語。


「何これ、どう言うこと!?」


 這いつくばり手放してしまったブックに手を伸ばした誠也は目を見張った。ページに【Episodeエピソード threeスリー】の文字が刻まれている。


「うっ!」

「ギャッ!」


 宮殿の揺れは収まらない。収納棚がけたたましい音を立てて倒れると、中からモップとバケツが飛び出した。真也も梨紗をおぶったままで立ち続けることは出来ず、倒れ込んでしまった。


「シン見て!」


 ACの時計針が反時計回りに回転している。この動作はあの時にしか起こらない。そう、新しい物語がAdaptアダプトされる瞬間だ。黄金の光に包まれ、視界は遂に真っ白になってしまった。そしてそのまま、誠也と真也は意識を失った。

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