◇27.“R”への道標
「いやあーーーー!」
叫んだ反動で力が抜けた。助けはこない。絶望すると同時に
《くくくっ。ていこうするちからもなくしたか》
「…………けて」
《あ?》
浮かんだのは、優の顔。
「助けて
《そのなをよぶな!》
「うっ」
Dark Rは仁子の首を両手で絞める。防御の術はない。出来ることは目をひん剥いて悶えるだけ。
《しゃざいしろ。いますぐつみをつぐなえ。そうするならば、おかすだけでとどめてやる》
犯されるだけでなく、死をも覚悟せねばならぬのか。いや、ここでこのまま犯されるならばいっそのこと死んでしまったほうがましかもしれない。息の根が狩り取られる窮地で、仁子が極限の思考を浮かべ始めたその時だった。
バン!
奇跡の音に気道は確保される。Dark Rの左肩から流れているのは赤色の血液。その背後に見えた姿に仁子は驚愕した。
「……ねえ、何してくれんの? お兄さん」
Dark Rに向けられている薄青色の銃の持ち主は、ブルーの
「やめてもらえる?」
戦闘能力のなさに甘えるいつもの杏鈴はいない。怯えず堂々と、Dark Rを蔑むように見据えている。
「そんな腐った手で、綺麗な人を
仁子の
「アン、逃げてっ……!」
必死の思いで仁子は杏鈴に訴えかける。しかし杏鈴はピクリとも動かない。
《じゃましやがって!》
Dark Rの右の拳が杏鈴の腹にめり込んだ。想像以上のショックに杏鈴は呼吸を乱す前に意識を飛ばしてしまったようだ。ぐらりと前のめりに倒れかかった杏鈴の身体をDark Rは片手で受け止めると抱え上げた。
「ちょっ……と……」
《らっきーなおんなだな。こいつはきさまのみがわりだ》
Dark Rが漆黒のマントを大きく揺らすと、黒色のスモッグが一面を覆い始めた。煙を吸い込んでしまった仁子は激しく咽返る。目にも沁みる黒い煙は瞼を強制的に閉じさせた。
ようやく瞼を開けることが出来たその時には、灰色の世界にひとりぼっちになっていた。
「うわっ!」
仁子は目線を横に動かす。現れたのは
「いったー。まじもっと優しくっ……ニンちゃん?」
文句を垂れながら顔を上げた真也の目は大きく見開いた。仁子は真也から視線を逸らす。乱れた姿を晒して恥ずかしいより情けなく涙が溢れた。
真也は両腕を縛りつけている紐を槍で切ると、仁子の身体を起こし上げた。真也の胸に顔を埋め仁子は堰を切ったようにしゃくり上げる。追って到着した優、
◆
「……アンが」
落ち着いてきた仁子は真也の胸板から顔を離し、か細い声を漏らした。
「……私の代わりに……連れていかれた」
「アンちゃん、ここに?」
真也の問いに、仁子は鼻をすすりながら頷いた
「Dark Rよ……シンが
「それは間違いなさそうだね」
「……どうしよう……本当にどうしよう……今頃あの子」
「……よせ」
再び涙を流した仁子に鋭く短い言葉を投げたのは翼。泣いたところで何も解決はしない。賢成も無表情で仁子を見つめている。その冷めすぎた顔つきにはっとし、優が制止に入ろうとしたが間に合わなかった。
「Dark Rはテルキさんだよ」
仁子の目の縁に溜まっていた涙が散った。開き切った両目が賢成に向けられる。
「嘘よ、何言ってるの……」
「嘘もなにも事実だけど。ねえ、リーダー」
「ナリ、ちょっと待て」
「ニンちゃんの身体を貪ろうとしたのはテルキさんだよ」
「ナリ!」
優は賢成の胸倉を掴んだ。
「何?」
「お前今のニンの気持ちも考えろよ!」
「考えたところでどうなるの? どうせばれるんだよ。どうせ傷つくんだよ。それにアンちゃんどうしてくれんの。身代わりになってるんですけど。今頃アイツの欲望ぶち込まれてさようならだよ」
「ナリくん気持ちは分かるけど落ち着こう。ユウくんも」
厳しい声色で間に入ったのは誠也だった。
「誰のせいでもない。それに今、テルキさんはテルキさんじゃない。Dark Rに犯されてる。テルキさんも被害者だ。僕達が今やるべきは仲間を救うことだよ」
「でも、どうやって」
航の指摘は最もだ。Dark Rを追う方法の検討はつかない。晴れない顔をし続ける仁子を見つめ、優が眉を潜めた刹那。
「……おい、あれ」
翼が灰色の海洋を指した。
「何だ!?」
バキバキ、といびつな音、固まっている水面がどんどんひび割れていく。
次の瞬間、各々が叫び声を上げた。ひび割れた隙間から羽にブルーの色素を持つ蝶が舞い出てきたのだ。その数は数え切れない。
蝶はMember達を包囲するように飛び回る。羽から散った鱗粉に喉が刺激され息苦しくなる。
「くっそ気色悪りぃ! 何なんだよまじで!」
弄ばれている。腹立たしいことの連続で、心で渦巻いている怒りがもはやどれに対するものであるのか判断がつかない。左目に貼りついたままでいる“R”の血文字にふと、優は違和感を覚える。少しずつ透け始めたその血文字の先に見えたある一匹の蝶――優は駆け出した。
「ユウくん!? うわっ!」
他の蝶達ははためきを止める代わりに、爆発音を上げながら真っ黒な“R”のアルファベットへと化した。ぐるぐると回る大量の“R”の文字に眩暈がしそうだ。
「ユウ! 危ない!」
航の声は聞こえていたが、止まらない。優は全力で灰色の海へ向かう。海面は地割れたように裂けており、遠目からでも踏み入るのは非常に危険だと分かる。
「……おい! 止まれ!」
「ユウくん! ダメ!」
翼の制止も聞かない。見かねた真也が砂を蹴り上げ走り出した。
「もしかして、何かが見えてる……?」
誠也の呟きに航と翼の視線は集中する。賢成は黙ったまま笑みを浮かべて海洋を見つめている。
「くそ! 早ぇ!」
たった一匹残っている蝶を捕らえようと優は飛び上がり両手を伸ばしたが、ひらりとかわされた。砂に擦った身体の前面がひりひりと痛むが構っていられない。顔を上げた瞬間息を呑んだ。蝶がひらひらと茶化すように海面のひび割れている隙間に向かって下降し始めたのだ。絶対に取り逃してはいけない。根拠はないが、優は直感的に強くそう感じていた。
追いついてきた真也が腕を引き上げてくれた。蝶の羽が海面へと触れかかる。万事休すか。
「ユウ! 無茶はやめて!」
涙ががっている仁子の声に、ドクン、と心臓が鳴った。優の左目に浮かんだのは真っ赤な灼熱の炎。まだやれる、真也の手を振り払った優はBを纏い、Wのメニューを開いて赤い柄をした剣を握る。
「逃がさねぇ!」
そして、ACに刻まれている“HOT”の名に触れ、剣で宙を激しく斬りつけた。
矛先から放たれた熱く大きな炎。その炎は直進すると爆発し、海面から天に向かって燃え盛り始めた。
「あっつ! ユウくん離れよ!」
海洋と言えどこの空間では石化しているため、炎を鎮静させる効力はない。巨大化していくばかりの炎に危機を感じた真也が肩を引いてきたが、優は微塵も動こうとしない。真剣な眼差しで燃え広がる炎を見つめたまま、祈るように歯の奥を噛み締める。
炎の中にひとつの黒い物体が見える。他のMember達の目には映らぬそれの周囲から少しずつ炎が引き、姿が露わになった。羽の動きを完全に停止しぼんやりと浮かんでいる蝶。その羽に輝くエメラルドの色素は、Dark Rの元へと繋がる道標。
「うわあ!」
「キャアア!」
ドロリと再び炎に呑まれた蝶はちりちりと燃え消えると同時、緑と黒の入り混じった強大な光を放った。その光の先々は砂浜のある一点へと集まると、黒い大きな門を形成した。
迫力のブラックパフォーマンス。優はゆっくりと背後を振り返り、真っ赤な視線をMember達へ向けた。
「いくぞ」
各々が順々にBを纏う中で、優の視線は仁子に向いた。
「ニン、どうする? ここで待っていてもらっても構わねぇ。その場合は護身として、誰かひとりここに残らせる」
乱れた胸元を握り締める仁子に、優は残留を促す視線を返した。対戦相手は仁子を恐怖に陥れた張本人だ。いくら輝紀本人の意思ではなくRの呪いのせいだと理解が出来ても気が進むわけはないし、そのメンタルで戦に出てもいいことはないように思うのだ。
「……怖いわ」
仁子の口元からは、本音が漏れた。
「なら誰か」
「でも残らない」
驚いたのは一瞬だった。いらぬ心配をしたようだ。Bを身に纏い立ち上がった仁子の表情は、いつになく気高く凛としていた。
「もう嘘つきは嫌なの。これ以上自分の勝手で人を傷つけるなんて、あってはならないのよ。テルキさんのことも、アンのことも……二人を助けたい」
「……だって~、リーダー。どうする?」
にやりと意味深に笑んできた賢成に、優は同じ笑みを返した。他のMember達も柔らかい眼差しを仁子に向けている。
「途中で弱音吐くなよ」
優が歯を見せて笑いかけると、仁子の顔は明るくなった。大丈夫だ、戦える。救ってみせる。
「いいか?」
意思の最終確認をし、優はMember達に背を向けると剣を鞘に収め門を見上げた。そして一歩前に出る。
「開けるぜ」
優は扉についている鉄の輪に手をかけた。ギィ、と古びた音が鳴る。周囲の灰色が漆黒に侵食されていくのを感じながら意識はなくなった。
◆Next Start◆八章:
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