おしゃべりな箱(中編)

 それを聞いた箱の中の青年は底使ちゃんについて長々と質問をした。彼女はそのだらだらと続く言葉を無視し、息をついて、呆れるように言った。

「あなた、おしゃべりだって言われない? その箱の中はもう言葉で埋まってるんじゃないかしら」

 箱の中で青年はまた何か言った。そのぐだぐだと連綿に続く言葉の内容の主旨が自分の状態を外から説明を乞うものだったので、底使ちゃんは途中から彼の言葉を制するように少し声を大きくして説明を始めた。 

「あなた入れられているのは鉄の長細い箱だわ。縦に立っていて、上下左右を大きな工業用のプレス機で挟まれている。そして今、向こうのほうからこのプレス機を動かそうと男が来てるわ」

 彼女の言う通り、真ん中のプレス機の操作盤が少し離れたところにあって男がそこに向かって歩いている。

「え、そんなこと聞いてどうするの? わかった、言うわ。五分刈りで辛子色のセーターと黄土色のスラックスを履いてる。壊滅的なファッションセンスのなさだわ。どこにでもいそうなおじさんだけど、なんだか怖い感じの目をしてるわね。今、機械のパネルの前に立ったわ。え? ありがとう私の心配をしてくれるのね。でも、大丈夫よ。あの男は私のことは見えないし、私の声も聞こえないわ。ええ、底使ちゃんってそういうものなの」

 そう言った直後プレス機から遠く離れたパネルの前に立った男がエンジンをかけた。

 夜の工事現場にゴウン、と鈍く低い大きな音が響く。ゴウンゴウンとエンジンが温まっていくと比例して音の大きさが上がっていく。しばらくして、パネル前の男が感情なく、なにか操作した後にレバーを少し奥に押した。箱の頭にあったプレス機が下がっていく。

 ガコッと大きな音がして、鉄の箱の頭の部分がへしゃげた。

 青年は言った。


  おおっと、頭の上から音が聞こえたぞ。これ

  はまずいね。でも僕は後悔していないよ。君

  に何か言ってもしょうがないし、君に助けを

  求めて助かるとも思えない。なぜなら団体の

  力は大きいからね。でも僕の言葉を聞いてく

  れるぐらいのことはきっとできるはずだ、そ

  れくらいは頼むよ。返事を聞くのが怖いから

  続けて喋らせてもらうね。僕は僕のやるべき

  ことをやったと自覚している。僕は彼らの秘

  密を広めることはできなかったけれど、ほう

  ぼうでは伝えたんだ。いや近所のおばさんや

  後輩なんか矮小な個人なんだけどね。でも僕

  の言葉を聞いたその誰かがきっと真実をもっ

  と大勢に広めてあの悪行を止めてくれるだろ

  う。異議を唱える一人目としては十分な働き

  をしたはずだ。ああでもそのことに後悔はな

  いけれど、やりたいことはたくさんあった。

  この歳で死ぬつもりはなかったから、もっと

  何かできたような気がする。これから何かで

  きたはずなんだ。いや、はっきり言おう。僕

  にはきっとできる。この死に直面したからこ

  そもっと日々を真剣に熱心に生きることがで

  きるはずだ。僕は他の人間よりも正しいこと

  をし続けてきた。胸を張れると言っても、誇

  りに思っていると言っても過言ではないよ。


 そこまで青年が言ったところで、プレス機を操作をしている男がレバーを握りなおしてさらに奥に押した。低く唸るような音が大きくなる。

 鉄の箱が女の悲鳴のような甲高い音を上げてさらに凹みを大きくしていく。箱のつなぎ目などは見えない。隙間にも鉛でも流し込んだのだろうか。底使ちゃんはそう思いながら、ただ鉄の箱が畳まれていくように形を変えていくのを見ていた。

 青年は言った。


    なんとかしゃがむことができる広さ

    があって助かったよ。快適とは言え

    ないけどね。ああ、こんなことにな

    るならあの子に話しかけておくべき

    だった。コンビニにいる可愛い子な

    んだ。小さいのに目が大きくてね、

    笑顔がとてもいいんだ。ああやって

    人にもっと笑いかけていればよかっ

    たな。そうだ旅行にも行きたかった

    んだ。いつか行こうと思って結局そ

    のままにしてしまっていた場所があ

    るんだ。景色が良くてね、そこのラ

    ーメンがまた絶品だそうだよ。あい

    つの飯を食べるときのくせも注意し

    ておくんだった。いつも気になって

    いたけど、なんとなく注意をするこ

    とができずそのままだった。まだ読

    みかけの本もある。せっかくだから

    その本を箱に一緒にいれてくれれば

    よかったのに。くそ、いつかやろう

    としてたことがどんどん出てくるよ


「そういうものらしいわね」

 彼女は今まで死にゆく人間を見てきた経験上から相槌を打った。

 多くの人間がそうだった。死を目の前に突きつけられると途端に湧き上がってくるものらしい。絶対に死ぬことは決まっていたはずなのにな。

 底使ちゃんはいつものようにどうしてだろうと思ったが、口にはしなかった。

 言われたら、あたりまえのことだと思うだろうから。

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