山小屋の一室編(中編)
「私は、底使ちゃん」
底使ちゃんは土間に立ったまま、部屋の中心でうずくまっている男に言った。
「そう」
男は短く答えた。
底使ちゃんは前置きもなく首を小さく傾けて口を開いて訊いた。
「あなた、一人?」
その言葉を聞いた瞬間男はびくりと体を大きく揺らした。
底使ちゃんはずっと答えを待つように傾けた首をそのままにじっと男を見た。
男は一度下を向いて、決心するように顔を上げて答えた。
「ちょっと前まで一緒にいた奴がいた。ここに来る途中で置いてきたけど」
「それはどうして?」
底使ちゃんは続けて抑揚なく尋ねた。
「足を怪我して歩けなくなったんだ」
「そう、かわいそうにね」
底使ちゃんは本当はそう思っていないような口ぶりで言った。
「そういうときは置いていくんだ。そういう山のルールなんだよ」
男は言った。
それが山のルールなのか、二人だけの取り決めなのかはわからない。
そのルールは底使ちゃんは知らなかった。
だけれど、山でなくても他人を置いていく人は多いように思った。
だからそれは山のルールと言わなくてもいいような気がした。
男はまた頭を膝の間に押し込んでガタガタと震えている。
「怖いの?」
底使ちゃんが訊いた。
その声でまた頭を上げた男の顔は、困ったような怯えているような顔だった。
震えている自分を見て、寒いのか、ではなく怖いのかと聞かれたのか。
男はそう考え、底使ちゃんにはすべてを見透されているように思ったのだ。
実際に底使ちゃんはそこまで見通すことはできない。
それができたら底使ちゃんは底使ちゃんをしていない。
「素敵な服ね」
底使ちゃんが言った。自分の黒い外套を一度揺らした。
「これだとスカートがめくれるの」
「恋人が選んでくれたんだ」
「そう」
「今、俺が置いてきた男の、恋人がね」
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