山小屋の一室編(前編)

底使ちゃんは地の底からやってくる。

ロープウェイを使ってやってくる。

絹のように真っ白なおかっぱに、夜の森の向こうのように黒い外套に身を包んでやってくる。


周りは底使ちゃんの頭のように真っ白な景色に覆われている。

窓の外に見える雪一面の景色を底使ちゃんは一人しか乗っていないロープウェイの椅子から見ていた。

ぴょんぴょんと椅子のバネを確かめるように底使ちゃんは上下している。

それに合わせて景色が上下しているが、その景色の中に人がまったくいない。

スキーのシーズンだというのにどうしたというのだろうか。

それもそのはず、白すぎるのだ。

横殴りに吹雪いている。

一寸先は白だというやつだ。

ロープウェイが上の停車場に着いた。

もちろん、そこに係員もいなかった。

山の天気は変わりやすい、ということで昨日までは雪山登山には絶好の天気だったが、今日になって急激に悪くなったのだ。

前例のない吹雪だということで、山はすでに閉じ、係員は今頃自宅でゆっくりとしているだろう。

ロープウェイから降りると凄まじい風が底使ちゃんの黒い外套を激しく揺らした。

停留所から出た底使ちゃんは一度左右を確認すると、右に向かってゆっくりと歩き出す。

雪の上には不思議なことに足跡は残っていない。

底使ちゃんだって雪は冷たいことは知っているのだ。

だから足をつけずに進んでいる。

だけれど、すでに気温は氷点下をゆうに下回っていて、普通の人間が底使ちゃんの格好なら凍え死んでいるところだったが、底使ちゃんには関係なかった。

ずいぶんと進んだ先、山の中腹に一軒の山小屋があった。底使ちゃんはノックもしないでそこに入った。

中は暗い、木造のその建物の中に雪は入ってこなかったが容赦なく冷気は入り込んでいた。

底使ちゃんが扉を閉めても中の寒さに大した差はないように思えた。

風が吹くたびにギシギシと小屋全体が唸るように鳴る。

ずいぶんと昔に作られたもののようだ。

すでにこの小屋は使用されることを想定されていない。忘れられた小屋であることは入った瞬間にわかった。

きっと、どこかに新しいきちんと暖かく、隙間から冷気が入ってこないようなちゃんとした造りの建物があるのだろう。

八畳ほどの小さな小屋に土間があり、上がった先には囲炉裏のようなものとそれを囲うように四つの丸い座布団がある。

他にはなにもない。

いや一つだけあった。

ブルブルと小刻みに震えている、緑の塊だ。

底使ちゃんにはそれが、目の覚めるような緑色のダウンを着て膝を抱えている男だとわかった。

扉が開いたことにも気がつかなかったのだろう。ずっと頭を膝と膝の間に深く押し込んで俯いたままだった。

「ねえ」

底使ちゃんが声をかけると驚いたように顔を上げた。

男は若くもなく、年をとっているわけでもなく、ある程度の人生を知っていて、ある程度の人生を知らないくらいといった年代だった。

きっと三十路というやつぐらいだわ。と底使ちゃんは思った。

底使ちゃんだって少し難しい漢字の使い方だってちょっとは知っているのだ。

膝から上がった顔で潤んでいた瞳を一度輝かせて、山小屋の中を見渡した。

助けがきたのではなく、状況が変わっていないことを理解すると、男は口を一文字に結んだ。

底使ちゃんが普通の人間でないことは見た人間はなんとなく理解出来るのだ。

「君は?」

男が力なく、小さな声で尋ねた。

まるで、口を開いたらもっと寒くなると信じているようだった。

「私は、底使ちゃん」

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