[6]白衣を着たXXX

 僕らは走った。必死で走った。だけどイャーシチェリッツァ村のみんなに危険を知らせることはできなかった。

 僕らは野ブタの軍隊よりも先に村に着いたはずなのに、村はすでに野ブタどもに支配されていた。

 村には野ブタしかいなかった。ただ、道のところどころに緑のウロコが落ちているだけ。

 村のみんなは、どこかに閉じ込められているのか、それとももう野ブタどもの胃袋に収められてしまったのか。少なくとも遺体が道端に転がっていたりはしなかった。

 家に戻っても父さんも母さんも居なくって、父さんと母さんの服を着た野ブタが庭をうろうろしていた。カルルの家も、ツェツィーリアや他の友達の家も同じだった。

 軍隊の野ブタが村に入ってくるのが見えて、僕とカルルは村から逃げ出した。野ブタどもに見つからずに済んだのが唯一の幸いだった。

「ソビエト政府に助けを求めよう」

 カルルが言った。

 僕もそれしかないと思う。

 だけど村には電話がない。

「山を越えて隣の村へ行くんだ!」

 子供がイャーシチェリッツァ村を出ることは、村の掟で禁止されている。

 掟を破るのはドキドキしたけど、生まれて初めて村の外の人間に逢うんだって考えると、こんな状況なのに胸が高鳴った。


 追っ手はすぐにかかった。

 その先頭の野ブタが僕の父さんの服を着ているのが悔しくって悲しくって、涙で前が見えなくなりそうになるのを懸命にこらえた。

 カルルが不意に足を止めて、木に巻きついた蔦を剥がし始めた。

「何してるの?」

「罠を作るんだ。これで野ブタどもを足止めする。おまえは先に行け!」

「でも!」

「いいから行けって! 二人とも捕まったら、もとも子もないんだぞ!」

「でもカルル!」

「ニコライ! 必ず助けを連れて来いよ!」

「……わかった!」

 僕は一人で走り出した。




 途中で吹雪に見舞われながらもどうにか山を降りてたどり着いた見知らぬ村で、僕は夕闇の中で声を殺して泣いた。

 この村にも野ブタしか居なかった。

 建物はイャーシチェリッツァ村のと大して変わらないのに、窓から覗いた食卓にも、雑貨屋のレジにも、まるでずっと昔からそれが当たり前であるかのように野ブタが座ってる。

 僕は自分の姿を見られないように隠れて回るのでせいいっぱい。

 電話なんて借りようがなかった。

「……カルル……」

 助けてよカルル。

 カルルが居ないと何にもできないし、何をすればいいのかもわからないよ。


 叫び声がした。野ブタが僕を見つけたんだ。

 慌てて逃げ出したら背中にチクリと痛みが走った。

 払いのけたら注射器が落ちた。

 そこで僕の意識は途切れた。




 麻酔が覚めると僕は真っ白な部屋に居た。

 僕は仰向けにされて台の上に縛りつけられて、白衣を着た野ブタに取り囲まれていた。

 シッポもしっかり縛られている。

 野ブタどもに抗議しようとしたけれど、僕の舌は麻痺していて、獣の鳴き声みたいな変な音が出ただけだった。

 たぶん野ブタが使った麻酔が僕の体に合わなかったせいだ。

「人間の言葉はしゃべれないようだな」「やはり下等生物か」

 野ブタどもが好き勝手言ってる。

 悔しくって涙がにじんだ。

 おまえらこそ野ブタのくせに、どうしてロシア語を話しているんだ。

「しゃべれるならば拷問をして、どこから来たのか聞き出すのにな」

 どこからだって?

 イャーシチェリッツァ村からだ!

 生まれた時からあの村に居た!

 おまえらこそいったいどこから現れたんだ!

 カルルが言ってたみたいに地底から来た地底人なのか!?


 野ブタどもに注射をされて血を取られた。

 注射は大嫌いなのに!

 野ブタどもが手袋をした手で僕の体中をベタベタ触ってメモを取る。手袋越しでも伝わる野ブタの体温がたまらなく気持ち悪い。ウロコを撫でるな!

 手の長さ、指の長さ、爪の長さと細かく測られて、抵抗しても手かせ足かせはビクともしなくって、それでももがいて、疲れ果てた頃、食事を出された。

 いろんな種類の食べ物をちょっとずつ。これも実験の一環らしい。

 ウサギやカモの肉は村のと同じだったけど、やつらが豚肉と呼ぶモノは、野ブタの肉に似てはいても野ブタほどおいしくなかった。植物の葉っぱを突きつけられたのは意味がわからなかった。こんなイモムシの餌みたいなものを食べろってのか?

 そしてまた注射をされて血を取られる。注射は嫌いだ注射は嫌いだ注射は嫌いだ!

 注射ですら嫌なのに、体中に針を刺されて痛覚の場所を調べられた。人間との違いがどうとか、普通のトカゲはこうだとか。

 そんな実験が何日も続いた。僕の声はまだ戻らない。


 その日は野ブタどもの様子が違った。

 そろって妙にニヤニヤして「待ちかねた」とか「早く始めよう」とか言ってる。

 野ブタのリーダーの右手には、怪しく光るメスが握られていた。

 その先端が、じらすようにゆっくりと、僕の胸に差し伸べられた。

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