第10話 彼女だけがいない町10
■彼女だけがいない町10
一秒以下の短い戦いを終えた凜紅と九十九はふわりと屋根に着地した。
振り返り血縄編みを見るとその姿は豆粒のように小さい。
光の様な勢いで突っ込んだ勢いは推進力を損なわず、それほどの長距離を移動したのだ。
九十九は凜紅に声を掛けた
「良くやったぞ凜紅!
よくぞ、刀を当てた!」
「九十九が斬れって言ったんじゃないか………」
凜紅の言葉に九十九が、
まぁ、そう言ったが………。とごにょごにょ呟く。
「それよりも九十九、もう少し頑張ってくれ
血縄編みの怪奇を刀に吸わせないといけない」
「あい、分かった。
今少しならこの姿でも大丈夫そうじゃ」
九十九は走り、血縄編みに近づいていく。
凜紅が持っている、「鮮血刀」は相手の血を吸うことができる。
しかし、それにはいくつかの条件が必要だ。
まず一つ目は刀の剣先で突き刺さないといけないこと。
これは刺突技の様なものも条件に入るが、咄嗟には発動が難しい。
二つ目の条件は血を斬る、吸う、消すというイメージをしなければならないこと。
前持って、精神を集中しないと刀の効力は発揮しない。
最初の刺突が血縄編みに弾かれたのもこれが原因だ。
総じて扱いにくい妖刀ではあるが、
血縄編みを斬れたのもこの妖刀のおかげであった。
本来なら血縄編みに流れる血は鉄の様に固く、
普通の刀なら切り傷を付けることすら難しい。
真っ二つに切れたのは鮮血刀であればこそである。
――凜紅と九十九は血縄編みが目に見える位置まで近づいていた。
そして、極限まで集中力を高めた凜紅は違和感に気付く、
それは、空中に存在する血縄編みの姿だ。
空中に浮かんでいる血縄編みの姿を見て凜紅と九十九は同じことを考えた、
「なぜ、地上に落ちて来ない」と。
凜紅達が近づいたことを感じ取ったのか、
血縄編みは顔をゆっくりと凜紅たちのいる方向に向けた。
その姿を見て、凜紅は眉をひそめる。
「血縄編みは確かに死んでいた」
その顔に表情のようなものはない。
しかし、それよりも目に留まったのは、
血縄編みの姿に蠢きながら纏わりつく血縄だ。
いや、血縄と言うべきなのかも怪しい。
それは一つ一つが小さくもぞもぞと蛆の様に血縄編みの姿を覆っていた。
蛆の様なものは凜紅が十字に切り裂いた血縄編みの中から湧き出ては、
血縄編みの姿を見る見る間に覆い尽くす。
全身が赤い縄のようなものに包まれた姿にもはや面影はない。
赤く塗りつぶした藁人形のようだ。
足からはぼとりぼとりと小さな蛆の様に赤い紐のようなものが落ちている。
醜悪な姿に凜紅は吐き気を催しながらも、
柄を握り再度、刀身を抜き放った。
鞘に埋め込めている目玉がぶるりっと震えた気がする。
凜紅が刀を抜いたのを見て、赤い藁人形の口がパカリと三日月に開かれる。
その姿はまさしく怪奇と呼ぶにふさわしい。
この瞬間、血縄編みは本当の怪奇となったのである。
◆◆◆◆◆
――血縄編みがニタリと顔をゆがめると、
血縄編みの背中から血縄が一本飛び出し凜紅たちを襲った。
「この怪奇は死なぬのか!」
九十九が悪態を付きながら、後ろに飛びぬくと、
血縄は一つの意思を持った生き物の様に軌道を変えて、
追うようにこちらに向かってくる。
「相手は怪奇だ!
もう驚かないことにしたよっ!」
と言いながら、凜紅は追ってきた血縄を斬り飛ばし
九十九に声を掛ける
「九十九!まだ大丈夫か!
その姿が解けるなら勝ち目はないぞ!」
「まだ大丈夫じゃ
気合で持ちこたえて見せるわっ!」
さらに二本、こちらに向かってきた血縄を避けながら九十九が叫ぶ。
しかし、凜紅にはその言葉が強がりだと分かる。
この姿がもう数分と持たないことは自然と分かっていた。
左右上下から四本の血縄が迫ってきた。
九十九は空中を蹴り、斜めに飛び避けるが、
二本の血縄が追うように飛びかかってくる。
凜紅は意識は集中させ、追ってきた血縄を文字通り空気にほどけるように消し去った。
だが、新たに六本、合計八本の血縄が包み込むように凜紅たちに向かってくる。
九十九は左、下、右とジグザグに空中を駆け抜けると、
それを追って四本の血縄が追ってきたので、凜紅が刀を振るいそれを消し去る。
次は十六本、合計二十本の血縄が前後上下左右と襲い掛かってきた。
九十九は黄金色の炎を一際強く足に宿すと、斜め右に駆け抜ける。
進路を邪魔する血縄は凜紅が高速の剣技で切り飛ばし消し去る。
それを追って、もはや数えるのもばかばかしいほどの血縄が襲い掛かってきた。
視界は赤く蠢く百足の様な何か、しかいない世界から逃げるように、
九十九の足が黄金色に輝くと上下左右、斜めと宙を駆け抜け駆け上がり、
空を飛び旋回し血縄を避ける、凜紅も必死に九十九にしがみ付きながら、
渾身の力と集中力で刀を振るい一人と一匹は赤い世界から逃げきった。
血縄編みから、かなりの距離を離すと、
九十九は胃の中のものを嘔吐した。
息をするのも苦しそうだ。
もはや限界が近いことを悟った凜紅は九十九に最後の手段を提案する。
「………九十九「奥の手」を使おうと思う」
九十九は凜紅の言葉を聞くと首を振り、
切れ切れと言葉を紡ぐ
「………だめ、じゃ
あれ、は………人が、扱うもの……ではない」
「だけど!もう、それしか手はないぞ!!!」
凜紅には奥の手………禁じ手とも言われる技が一つだけ残っていた。
その技は師匠にも絶対に使うなと釘を刺されているばかりか、
凜紅自身の命が危険にさらされるという危ないモノだった。
だが………と凜紅は歯噛みする。
この状況、その手しか残っていないのであれば使うしかないだろう。
九十九の速さと凜紅の奥の手が合わされば、どんな相手でも倒せるはずだ。
しかし、九十九は首を振る
「………使っては………ならん
あれ、は、人の限界を………越えるものじゃ
それに………まだ、策は残って、おる
凜紅、右手を、差し出せ………」
凜紅が右手を差し出すと、九十九は右手に噛みついた。
右手の皮が裂け、九十九の口から血が流れ落ちる。
血を吸っているのだ。
しばらくすると、九十九が口を離した。
「ふぅ、これで、少しは戦える………
あと、もう一つのお願いじゃ、凜紅、刀を貸してくれ」
「刀を………?」
「あぁ、わらわが刀を咥えて血縄編みを突き刺してくれる。
突き刺すだけなら、わらわの方が目が効く。
それに血縄の数は多くなったが本体は動かなくなったしのう」
いいから、早く寄こせと九十九が急かす………が
凜紅は険しい表情をして刀を握っていた。
確かに刀を突き刺すだけなら九十九の速さに慣れていない自分よりも
成功確率は高いだろう、しかしそれは、
暗に凜紅は力不足だと言っているのと変わらないのだ。
だが、それは良い、凜紅自身自分が歴戦の猛者だと思ったことなど一回もない
それは良いのだ。
九十九が口を開く
「凜紅、刀を渡したらお前は翡翠と一緒に………」
九十九が言い終わる前に凜紅が口を挟む
「九十九、僕はお前の背に乗るぞ
何もできないが最後まで戦いを見届けさせてくれ
………相棒なんだろう?」
九十九は何か反論しようとしたが、
凜紅が九十九の目を真っ直ぐに見ながら言うと
何を言っても無駄だと悟ったのか、九十九はふいっと顔を逸らした。
「………………我儘な相棒じゃのう」
と呟いて、背に乗るよう仕草をした。
◆◆◆◆◆
――凜紅と九十九が見上げる先には、巨大な球体となった血縄編みの姿が見える。
あれ全部が血縄だとは、にわかには信じられないが本当のことなのだ。
巨大になった分だけ動きは遅くなったのか、こちらの方角にゆっくりと動いているが
凜紅たちが居なくなれば町を襲い始めるだろう、逃がすわけにはいかない。
九十九はガッチリと横向きに刀を咥えている。
背には凜紅が乗っており凜紅の足には九十九の毛が絡まっていた。
そろそろ行くぞ と目で訴える九十九を見て、
凜紅は静かに深呼吸する。
今は遠くに見える、あの赤い球体も九十九の速さなら一瞬で飛び込める距離だろう。
しかし、飛び込んだ瞬間に無数の血縄が四方八方から襲い掛かってくるに違いない。
ぶるりっと凜紅の体が震えた。
「いつでも、良いぞ九十九
僕のことは気にせずに飛び込んでくれ」
凜紅の目を見て九十九はこくんと頷く。
――九十九は助走を十分に付け宙に跳躍する。
足には黄金色の炎をまとわせ、宙を二度三度と踏み抜いた。
………が、その方向は血縄編みの場所ではない。
大きく迂回して地上に接触するかしないかの超低空飛行(歩行)だ。
(なんだ?
飛び込む場所を探しているのか?
でも、それならもっと空中を飛びまわればいいものを………)
九十九の行動に凜紅が小さな疑問を覚えると同時だった。
九十九の足の黄金色の炎が大きく光輝くと急加速する、
そして、重力をたっぷり乗せて急速な旋回をした時………。
「凜紅の足からするりと九十九の毛がほどけた」
「………なっ!」
凜紅が宙に投げされたと知った時には
九十九の体は既に手の届かない場所に合った。
黄金色の体に手を伸ばすが、それはもはや空高く
いくら望んでも届かない場所に居た。
続いて、凜紅の地面と体が激突し、全身に衝撃が走ると、
地面を転げまわる。
全身に痛みが走るが、
空高くから落ちればこの程度では済まなかっただろう。
地上ぎりぎりを走っていたからこそ軽傷で済んだのだ。
凜紅は悟った。
九十九がわざと自分を振るい落としたことを。
地面から立ち上がると空に光る黄金色の光を見て凜紅は叫んだ
「バカ野郎おぉおぉぉぉぉぉぉっッ!!!!!
一人で死ぬつもりかっッ!!!!!!」
ギリッと口を噛み、唇から血が流れた。
凜紅は痛む体を抑えながら、
必死に黄金色の光を追いかける。
もはや、到底追いつけない距離なのは走りながらも分かっていた。
それでも走らずにはいられなかった。
走っている最中に色々な記憶がぱっと浮かんでは消えるを繰り返した。
相棒だと言っただろう、あの言葉は何だったんだ。
旅の道中お前が働いてくれればもっと楽に旅を出来たんだぞ。
だとか、色々な思いが走っている最中駆け巡った。
◆◆◆◆◆
――凜紅は赤く巨大な球体の真下まで駆けつけた。
頭上の赤い球体を見上げる。
赤い球体は………既に動きを止めていた。
もう終わってしまったのだろうかと凜紅が呆然と頭上を見上げると
ぼとりと真っ赤な百足の様なものが落ちる。血縄だ。
真っ赤な血縄はぼとりぼとりと落ちる数を増やし、
やがて血の雨となった。
凜紅は己の体が濡れるのも構わずに頭上を見上げる。
鮮血の雨が降り注ぐ中、
汚れた黄金色の物体が落ちてくるのを見つけた。
「九十九っ!」
急いで落下地点に向かい、
凜紅は腕を広げて両腕に収まるほどの小さな狐を受け止めた。
「九十九、生きているかッ!!!」
赤く染まった見た目だけでは生きているかどうかは分からない。
口元に手を当て息をしているか確認するが、吐息は感じられない。
喉に手を当て脈を測ってみるが、何も感じられない。
凜紅に医学の知識はほとんどないが、それはもはや手遅れだと認識させる。
「起きろよ九十九ッ!!!
こんなところで死ぬわけにはいかないだろう!!!」
凜紅の手から九十九の血が滴っていく、
九十九の体は信じられないくらい冷たかった。
「バカやろう………ッ!」
凜紅は九十九の体をそっと屋根の下に置いた。
後ずさる様に後ろに一歩二歩と離れると、
………逃げるようにその場を離れた。
◆◆◆◆◆
――酷く、喉が渇いている
頭の中は空っぽだ。
だが、凜紅の足は何かを探すように血だまりの中を歩いていく。
何かを探していた、何かは分からないが何かを求めていた。
ぴちゃりぴちゃりと赤い水たまりを歩いていくと目当てのものを見つけた。
九十九が咥えていた刀だ。空から落ちてきたのだろう。
凜紅は地面に突き刺さっていた刀を抜くと、べちゃりべちゃりと音を立ててまた歩く。
むせる様な血の匂いの中を突き進み、歩いていくと、
血だまりの中でズルリッと何かが動いているのを見つけた。
あぁ、やっと見つけたと凜紅は微笑んだ。
アレを探していたのだ、アレは斬らなければならない。
だが、普通に斬ってはだめだ、アレは細切れにしてもまだ足りない。
この手で一滴残らずこの世から消さないと………。
もはや、迷いはない。
凜紅はくるりと刀を逆手持ちに変えると、
白銀に光る刀身を勢い良く振り下ろし、
自身の心臓に突き刺した。
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