第9話 彼女だけがいない町9

 ■彼女だけがいない町9




凜紅の肌と血を飲み込むと、

九十九の体に急速的な変化が起きた。

内側から黄金色の毛が湧き出るように溢れ

体が盛り上がり見る見る間に大きくなっていく。


最後にするりと新たな尻尾が二本増え合計三本の尾がふわりと舞うと

九十九の体の変化が終わる。


平均的な成人男性よりも頭二つ分大きい。

その姿は巨大な狼を連想させた。

もっともその体は灰色ではなく黄金色だったが………。


「お前………そんなこと出来たのか」


凜紅が噛まれた個所を手で必死に抑えながら言うと、

九十九は、わらわは特別じゃからと胸を張った。


「なぁに、凜紅の血を少し分けてもらっただけよ」


「………血を吸えば良かったのか?」


「今、そう言ったじゃろう?」


巨大な姿でへにゃっと首を曲げる九十九。


「なら、なぜ首を噛んだ………」


凜紅は首を抑えながら九十九を睨む。

幸いなことに頸動脈は無事なようで出血も少なかったが、

下手を打てば九十九に噛み殺されるところだったのだ。


文句を言って当然である。


その言葉に九十九はきょとんとした目で見ると


「なぜって………

 首を噛むと血がいっぱい出るのじゃろう?

 どうせ噛むなら血がいっぱい出るところを噛む方が良いじゃろうが?」


何言ってんだこいつ、と目で見る九十九。

しかし、何言っているんだこいつと言いたいのは凜紅の方だった。


「無駄話はいい、はよう乗れ。

 逃げられてしまうぞ」


九十九はくいっと自分の背を指す。


「空中に居る敵を追えるのか?」


「わらわを誰だと思っておる。

 追うどころか、これで互角……いや、互角以上に戦えるわ!」


得意げにむふーと鼻を鳴らす九十九を見ながら、

背に乗ると、凜紅の足にしゅるりと黄金色の毛が絡み付いた。

毛は強靭な鉄の様に絡み付き、ぐいっと引っ張っても抜ける様子は微塵もない。

どうやら、振り落とされる心配はしなくても済みそうだ。


凜紅が乗ったのを確認すると、九十九は助走をはじめる。

そして、掛け声を上げた。


「行くぞっ凜紅! 振り落とされるなよっ!!」


九十九は、ぽんっと宙を飛ぶ。

瞬時に凜紅は思った。


(速度も飛距離も全然足りてないし駄目だ。

 そもそも相手は翼をもっているのだぞ

 九十九がいくら大きくなろうが追える相手では………)


しかし、この時ばかりは凜紅の考えが間違っていた。

飛距離もタイミングも速度も全然足りていないジャンプは、

九十九にとっては、まだ助走だったのだ。


九十九はそのまま

「宙を足場に力強く蹴った」


九十九の足にゆらりと金色の炎が燃えると、

爆発的な加速を持って、空に飛び出し、

一気に四階、いや、五階建ての家よりも高く飛んだ。

それも瞬きする間にだ。


凜紅は振り落とされないように必死に九十九を掴むことでせいいっぱいだ。

爆発的な加速が収まると、

ふわりと血なまぐさい匂いが遅れて凜紅の脳に情報として入ってきた。


九十九は金色の炎を足に宿したまま、

「宙にふわりと着地すると」

背に乗った凜紅に向けて怒ったように言葉を放った


「なぜ、さっき血縄編みを切らなかった!

 絶好の機会だったじゃろう!!!」


そんなことを言われても凜紅としては何が何やらだ。

こんなに速いとは思わなかったし、

そもそも空を走れるとは思わなかったし、

さっきの加速の際に血縄編みとすれ違った(らしい)こともまるで見えなかったのだ。


「いや、あの………なんていうか」


頭に浮かぶ疑問や質問を必死に抑え込んで、

凜紅は言葉をつむぐ


「………とりあえず

 血縄編みの姿が見えないからどうしようもないのだけど」


「むっ! そうか、お前は夜目が効かないのか

 不便なものじゃのう………

 ほれっ! これでどうじゃ」


というと九十九の三本、それぞれの尻尾の先に、

ぼっ と白い火が付き辺りを照らした。


また、新たな疑問が凜紅の頭に浮かんだが、

必死に抑え込み、目の前の敵を見据える。

目の前には真っ赤な目をこちらに向けている血縄編みが居た。


「………まさか、怪奇がもう一人いるとはな

 ……驚いたぜ」


驚いたのはこっちだよ!

と喉まで出かかった言葉を飲み込み。

刀を構え………ついでに気持ちも引き締めたあと言葉を返す


「これで二対一だ

 降参するなら今のうちだぞ」


「はっ! 誰がするかよおぉっ!!!」


という血縄編みの言葉と共に血みどろの戦いは再開される。


左から血縄が来る。

いや、右からも! 時間差の攻撃だ!


「九十九っ!」

「任せろっ!!」


凜紅の声に反応するよりも先に九十九はすでに動き出している。

血縄の攻撃が届かない所まで瞬時に距離を離していた。


「ちぃっ!」


攻撃が躱された、血縄編みは翼を広げ距離を詰めると真上から血縄を叩き付ける。

………が、すでにその場所には黄金色の光の残像が見えるだけだ。

凜紅たちはすでにその場所には居ない。


空を駆け抜ける、九十九の速さは圧倒的だった。

地上にいた時はあれほど、手の届かない位置にいた血縄編みが間近に感じられる。

九十九の言葉通り互角以上の戦いが出来ていた。


血縄編みの攻撃を避けた九十九は尻尾の火を消し、

屋根の上に飛び乗ると凜紅にささやいた。


「すまんな、思ったよりも力を消費するのが激しいようじゃ

 わらわが元に戻るのも近い………次で決めるぞ」


「あぁ、分かった………

 けど、もう少し遅く走ってくれよ

 正直付いていくので精一杯だ」


注文が多い、面倒なヤツじゃのう

と九十九がため息を付くと、凜紅の目を見つめて言った。


「わらわは二回跳躍する。

 一回目は屋根を蹴り、二回目は宙を蹴る。

 お前はわらわが宙を蹴った瞬間に斬れ」


ぶっつけ本番の無茶な注文に、

今度は凜紅がため息を付くと、刀身をカチンッと鞘に納め、

右手は刀の柄を握り、左手は鞘を握った。


「………分かったよ、九十九のタイミングで飛び出してくれ

 こっちはいつでも良い」


カチリッと刀を鳴らすと、

九十九は嬉しそうに流石わらわの相棒じゃと鼻を鳴らした。




◆◆◆◆◆




血縄編みは九十九を探していた。

そうだ、探していたのだ。

探さないといけないほどに速さの質が違う相手にギリギリと歯ぎしりする。


まさか、自分の土俵だと思っていた空の上でもこんなことになるとは思わなかった。

こんなことになるとはさっさと逃げるべきだったかもしれない………。


一瞬芽生えた弱気な態度に、

血縄編みはくそっ! と内心で悪態を付く。

さっさと逃げれば良かったと認めるのは自分が間違っていたと証明することだ。


血縄編みは頭を振ると自分が間違っているはずがないと思い直す。


冷静に考えてみろ 怪奇が三人だぞ。

相手になりそうなのは刀を持った小僧が一人だけだ、

もう一人は小指だけでも勝てる少女だあの場で逃げる方がどうかしている。


血縄編みは笑った。


確かにあのキツネのような怪奇は早いがそれだけだ、

見たところ、常時あの速さを出せるわけじゃねぇ、

少しずつ追い詰めていけばいい。


背に乗っている青臭いガキは敵じゃねぇ、

そもそも、あのキツネの速さについていけてない様子だ。

相手をするのは速いだけのキツネだけで良い、

どちらの怪奇もギタギタに嬲りその後は、「食べる」のだ。

そうすれば、俺はもっと強くなれる。


そこまで考えると血縄編みは口を歪めて笑った。

最後のお楽しみを考え、唾液が垂れてくる。


高ぶる感情を抑えながら、

速いだけのキツネを探す。


油断することなく、血縄は両手に垂らしてある。


血縄の先端は細かく避けており少しでも当たりやすく改良してあった。

焦らなくても良い、少しずつ追い詰めていけばいいのだ。


血縄編みが油断することなく姿を探していると、

どこからかキツネの鳴き声が聞こえた。


はっとして鳴き声が聞こえた方向を見ると、

町で一番高い屋根の上に、

ぼっと白銀の光が付いた、あのキツネが出す光だろう。


闇から襲いかかれば手傷の一つも負わせたものを、

自分から場所をばらすとは馬鹿な奴め。


と血縄編みは背中の赤い翼をぶわっと羽ばたかせ、

キツネの方向へ一直線に襲いかかった。


そして、限界まで距離を伸ばした血縄を真上から叩き付ける!

相手に飛び道具がないことは確認済みだ。

向こうからの攻撃はない。


あとはじわじわと………


おかしい、体が動かない


いや、なんで………「世界がズレてるんだ?」


最後にそう考えて

血縄編みの視界はそこで途切れた。


◆◆◆◆◆


――少し時間は巻き戻る


凜紅と九十九は町で一番高い屋根の上に立っていた。


手には刀の柄を持ち、今から生死を賭けた戦いをしなければならない。

しかし、そんな状況でも凜紅は風見鶏の町を見下ろして、

あぁ、綺麗な町だな。とのんきな感想を胸に抱いていた。


「行くぞ凜紅、準備は良いか?」


九十九の声に凜紅は前を向く。

いつでもいいよ、と自然と声が出た。


「そら、血縄編みがきたぞ、

 ちょっと脅かしてやろう」


と九十九が言うと、

首を上に向け九十九は遠吠えをした。

狼のように雄々しい遠吠えではなく、どこか愛嬌のある甲高い鳴き声だ。

その声を聴いて、くすりっと凜紅は笑う。


「………何を笑っておる。

 血縄編みがこちらに気付いたぞ、尻尾に光を灯す、

 そこから仕掛けるぞ」


と言うと、九十九の尻尾の先に白い炎が燃え、

辺りの景色が良く見えるようになった。


こんなに辺りを照らす強い光なのに凜紅の目は全然痛くない。

直視しても大丈夫だ。


不思議な光だな、と凜紅は思った。


「行くぞ凜紅っ!!!」


と言って、九十九が走り出した。

屋根を下り、助走を付けると、ぽんっと飛距離も速さもない跳躍をして見せる。


そして、宙を踏みしめ九十九の足に黄金色の光が燃えると、

ぐぐっと足に力を入れ、九十九は文字通り黄金色の光になった。

光のような速さで駆け抜ける!


だが、凜紅は刀を抜かなかった。

いや、抜けなかった。


そもそもである、相手が右から来るのか左に来るのか分からないのである。


右から来るなら右に切らないといけないし。

左に来るなら左に切らないといけない。

上かもしれないし、下かもしれない。


というか、それ以前の話。

抜刀の構えをしているのだから相手の方向を見て、

咄嗟に変えることなんてできるはずがない。


右から来るなら右側で抜刀の構えを取らないといけないのだ。


というか、それ以前のそれまた以前の話。

タイミングが合わないと使えない抜刀術を、

こんなところで使うべきではなかったのである。


初めて乗る九十九の背に、異次元の速さの中、相手を斬れ!

と言われること自体が無茶だ。

へそで茶を沸かせと言われた方がまだましだ。



だが この時 凜紅は


不思議と「斬れる」と思った。



構えは抜刀術、一番得意な左側の構え。

左手は鞘を持ち、利き腕の右手は刀の柄を持つ。


相手は左側に来るだろう、なぜかは知らないがそんな確信があった。


九十九が宙を蹴って、*どれくらい経っただろう*


ゆっくりと血縄編みの姿が近づいてきた。

血縄を真上から叩き付けようとしているが、タイミングはまったく合ってない。

九十九が速すぎるのだ。


血縄編みの顔が良く見える位置まで来た。

戦いの最中で良く見てなかったが、粘土細工を乱暴な手で捏ねた様な顔だ。

これこそ怪奇というのにふさわしい顔なのかもしれない。


ゆっくりと凜紅は刀を抜刀する。

すっとなぞる様に下から上へと白く光る刀身を振り上げた。


振り上げた刀は空中で逆手持ちに変えると、

そのまま淀みなく鞘に納めようとする、


刀身を収めるとき、この抜刀術はなんて言ってたっけ?と

なぜだか急に疑問に思う。


確か………………………。


「抜刀術:先之先絶葬ノ刻(せんのせんぜっそうのこく)」


カチンッと刀身に鞘を収めると、

真一文字に切られた血縄編みが命を絶たれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る