第8話 彼女だけがいない町8

 ■彼女だけがいない町8




「これだけ、やられたのは何時ぶりだ?」


体を起こしパキパキと確かめるように、左手の関節を鳴らすと血縄編みは言った。

指が自分の思うように動くことを確認すると赤い目を細めて凜紅を睨みつける。


「もう、油断はしねえ、

 お前の息の根を完全に止めることにしたよ」


その言葉と同時に、血縄編みの背から赤い翼が突如現れる。


「逃がすな凜紅!

 空を飛ばれると難儀なことになるぞ!」


「言われなくともッ!!!」


焦ったような九十九の声に合わせて、凜紅は力強く地面を踏み込む。

そして、刀身をカチンッと鞘に納めると右手は刀の柄を握り、左手は鞘を握る。

抜刀術、それが凜紅の持ちうる技で最速の剣技だ。


(一刀の元、切り伏せるっ!!!)


踏み込んだ体制をぐっと前かがみにして、

間合いに入った瞬間、切り伏せようと考えをまとめた所に


「凜紅っ! 左じゃ!!」


九十九の声が聞こえた。


咄嗟に体をひねりながら、納めていた刀身を左方向へ抜刀すると、

左から迫っていた血縄を両断する。


左側から迫る縄はまったく見えていなかった。

左目に流れている血のせいだ。


しかし、危機は脱したものの、立ち止まった凜紅の隙を見て、

血縄編みはふわりと宙に浮かぶ。


「こいつめ!!!」


っと、九十九がぴょんと血縄編みの体に飛び移ろうとするが、

既に相手との距離は離れすぎていた。

重力に引かれてどすんと九十九が地面に落ちる。


(どうする?今のままでは逃げられてしまう………)


凜紅は悩んだ………だが、悩むのは一瞬だった。

凜紅が考えをまとめる前にヒュッと小さな風を切る音が聞こえたからだ。


「なんだこの音………ぐっ!!!」


凜紅の左肩が浅く切り裂かれ、布と血が飛び散っていった。


続けてもう一度、小さく、風切り音が聞こえた。

刀を斜めに構えると、ガキンッ!

っと鉄がぶつかる音が響く。


(どうやら、向こうも逃げる気はないらしい、

 ……それどころか、このまま近づくことなくこちらを仕留める気だ!)


風切り音の正体は血縄である。

それを空中から叩きつけているのだ。


凜紅は空を見上げるが、相手の姿は見えない。

既に夜の帳が落ち辺りは真っ暗だ。

さらに、運の悪いことに本来なら空で光り輝いているはずの月は分厚い雲に覆い隠されていた。


(こちらの攻撃は当たらず、目は見えない。

 相手の攻撃は安全圏内から当たり、こちらの姿が見えてる………)


こりゃ、分が悪い所ではないなと

凜紅は左目に垂れている血を拭う。


拭いながら、思いついた手を実行することにする。


(相手は怪奇。夜目が効くのは分かってる。

 ………それなら、夜目が効くのを利用するまでだ)


見えているなら、油断することなく凜紅の様子をつぶさに見ているはず、

ならば、凜紅はあえて隙を作ることにした。

今のところ、相手の攻撃は左肩、そして左斜めに構えた剣先に当たった。

それは、こちらの左目は血が垂れて見えにくいということを知っているからこその攻撃だ。


凜紅は右手で刀を真横に持ち、自身の顔より高い位置まで上げると、

左手で目に垂れる血を拭う。


その隙を「ちゃんと見ていた」血縄編みが逃すはずもない。


風を切る音が聞こえると、凜紅の刀に血縄が巻き付いた。

油断をしていれば、刀を奪われ、そのままなすすべなくやられていただろう。

しかし、ここまでが凜紅の計算だ。


がっちりと握って刀は離さずに、

絡み付いた血縄を左手で掴みとると凜紅は渾身の力で手繰り寄せる。


「空中を飛ばれちゃ、どうしようもないんでね!

 地面に叩き付けさせてもらうっ!!!」


思い切って右手で持っていた刀も地面に落とし、

両手で血縄を掴みとると、全力で縄を引っ張る。


「おっりゃあぁぁぁぁっ!!!」


掛け声と共に渾身の力を入れると、

ぶちりと縄が裂けるような音が聞こえ、


ぼとりと血縄だけが落ちてきた。


「………………なにっ?

 ………うぐっ!!!」


続けて凜紅の背中に血縄の一撃が叩き込まれ。

地面に膝をついてしまう。


激しい痛みと共に凜紅の頭に一つの言葉が浮かぶ


(………読まれていた!)


血縄編みにはこちらの行動が読まれていたのだ。

血縄を切り離せるという、こちらは知っていない情報を武器に、

完全に掌の上で転がされた。


痛みに呻く凜紅の耳に、またもや風切り音が聞こえてくる。

小さく悪態を付いた後、地面を転がりながら刀を回収し、

その攻撃を躱し屋根の下に潜る。


策が効かないどころか、相手の方が上。

このままではジリ貧どころかなぶり殺しだ。


ガチリと奥歯を噛み締める。


逃げるか?

と凜紅は思う、勝てない相手なら逃げれば良い。

それは決して悪いことではないと剣を教えてくれた師もそう言っていた。

相手が空を飛んでいるなら、家を盾に逃げれば相手も戦いづらいに違いない。

こちらの方が有利だ。


それなら………と考えて、

………………凜紅は首を振った。


逃げた時に犠牲になるものに気付いたからだ。

自制心だとかそういうものではない。


(翡翠が居る………翡翠が真っ先に犠牲になる)


凜紅と九十九だけなら逃げ切ることは可能だろう。

しかし、そんなことをした場合、犠牲になる人が居る。

それだけは許されない。


それに………と


凜紅は、ふっと笑った。


(怪奇殺しが怪奇から尻を向けて逃げたと言われたら

 合わせる顔がないな)


そんな話を師匠に聞かれれば、怪奇と出会うことよりも

酷いことをされる可能性は十分にある。


そこまで考え、凜紅の迷いは吹っ切れた。


とりあえず、最後まで戦ってからだ。

最後………の後は、その時に考えればいい。


刀を握りなおし、凜紅が前に出ようとしたところで、

九十九が凜紅の肩に登った。


「あぁ、九十九………謝らないといけないことがある」


「む、奇遇じゃな、わらわも謝らないといけないことがある」


「えっ? 旅をしている間ずっと寝ていたこと?」


「なぜ、謝らなければならんのじゃ?

 えぇい、手早く済ますぞ!少し痛いが泣くなよっ!!」


はい? と疑問を浮かべた凜紅よりも早く、

九十九は凜紅の首に噛みつくと、肌を噛み切った。

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