第2話 彼女だけがいない町2
■彼女だけがいない町2
風見鶏(かざみどり)の村は山奥に栄える村である。
交易路も完全には整備されておらず、辿り着くのにも一苦労するこの村だが
不思議と人が集まり、村に住んでいる地元の者よりも外から来た外部の者の方が4倍も5倍も多い。
外部の者は商人や旅芸人、観光客と様々だが彼らの目当ては万能に効くと言われる温泉だろう。
村唯一の旅館は温泉と料理が楽しめ、風見鶏の村にだけ生息すると言われる「ホロホロ鳥」の卵と肉は舌鼓を打つこと間違いなしだ。
そんな、観光にはもってこいと言われるほどの村だとは露知らず、
ボロ雑巾のような身なりをした青年(と一匹)は、
鼻を摘まんだ役人に遠巻きに見られながら、
人知れず村の地面を踏みしめた。
――やっとたどり着いた………!
ボロボロのかぶり傘に、ズタボロの着物を着てこれまたボサボサの髪をした青年。
凜紅(りく)は村の地面を踏みしめながら嬉しさにぶるぶる震えていた。
二週間あれば次の村に着くだろうと思えた旅路は伸びに伸び、気が付けば一か月と少しの時間を山でうろうろと彷徨っていたのだ。
「やっと着いたぞぉぉぉーーーーー!!!」
握り拳を空に突き出し、雄たけびをあげる。
なんだあいつ と道を歩いていた村人や観光客が驚いてこちらを見てきたが、凜紅に気にしたそぶりはない。
いや、本人は感動のあまり辺りの景色が意識に入っていないだけかもしれない。
「なんにせよ、まずは宿じゃな」
凜紅の着物がもぞりと動いたと思うと、
こっそり顔を出した黄金色の生物は凜紅だけに聞こえるよう小声で話しかけた。
黄金色の細長いヤツ………。
通称、狐の九十九(つくも)は人の言葉をしゃべる狐だ。
言葉を話す狐というのはやはり珍しいもので、
村の中を堂々と喋りながら歩くというのは極力避けていた。
用心に越したことはないのである。
「宿に着いたら起こしてくれ」
そう言うと、九十九はもぞりと着物の中で寝返りを打つ。
この狐は目立つのを避けているというよりは
ただ惰眠をむさぼっているだけかもしれないが………。
◆◆◆◆◆
――――凜紅と一匹は村で唯一の旅館である扉の目の前に立っていた。
木の扉には竜と細かな模様が彫り込まれ、高級感あふれる雰囲気が漂っている。
凜紅は慌てて汚れた手を汚れた着物で拭ったが泥と煤だらけの手に何の変化もなかったため、諦めて扉に手を掛け中に入った。
真っ先に凜紅の目に入ってきたのは、受付に立っている女性だ。
ようこそいらっしゃいました と言う彼女はにこやかに笑い
完璧な角度でぺこりと頭を下げお辞儀をする。
絹の様な真っ白な髪がさらりと流れ落ち
頭を上げる際に髪を指で救いあげる仕草も可憐だ。
しかし、凜紅が一番目を引いたのは彼女の美貌でも仕草でもない。
凜紅が一番注意を引かれたのは彼女の頭だった。
正確には彼女の頭頂部に生えている*猫耳*だ。
それはもうぴょこんと生えていた、不自然じゃないくらいに。
「やっぱり、旅の方から見ても珍しいですか?」
凜紅の目が自身の猫耳にいっていることに気付いた。
猫耳の女性は小首を傾げて微笑する。
「あぁ、いえ、すみません
その………立派な耳だったもので」
はっと我に返った凜紅はあたふたと言葉を返す。
「いえ、慣れていますから大丈夫ですよ。
初めてここに立ち寄った方は大体同じ反応をされます」
お客様の反応はずいぶん優しいものです。
と猫耳の彼女は口に手を当てて苦笑する。
その様子を見て、確かに慌てすぎたなと凜紅は一人反省した。
この世界には獣の血を引く者がいる。
しかし、獣の血を引いているといっても、
本来は普通の人間と変わらない。
良くあるのは、臀部にもっさりと毛が生えたり
夜目が少し効くようになったりと
その程度なのだ。
耳そのものが生えるというのはかなり珍しい症状ではあるが、
想像できない例ではなかった。
「すみません、私としたことが自己紹介もまだでした
私は当館の受付役兼女将を務めさせていただいております
黒目(くろめ)猫(ねこ)と申します」
「黒目とお呼びくださいませ」
ネコ耳の女性、黒目さんは再びペコリと挨拶をする。
「藤原(ふじわら)凜紅(りく)です
何拍かしたいのですが………」
凜紅の言葉を聞いた黒目は予想していたようにスラスラと言葉を紡ぐ。
「当館は普通の宿と比べて少し割高になっておりますが
大丈夫でしょうか?」
「毛皮と牙で払いたいけど、良いかな?」
手持ちのお金が心もとない凜紅は不安げに黒目に聞く。
「毛皮と牙をお売りしたいと………
売るのは背中に背負っているものですね?」
凜紅はその通りだとうなずく。
「ちょっと失礼………………………
黒虎の皮と草鹿の皮の二点ですね
この皮の質と量でしたら大丈夫でしょう
十分な代金になると思いますよ」
黒目の言葉にホッと一息付く凜紅。
とりあえず久しぶりに地面の固い感触を味わなくても済みそうだ。
ギシギシと痛んでいる体をゆっくり休めてくれるというだけで、
少し高い料金を払っても良い。
そう思うほど、凜紅の体は限界に近づいていた。
「それじゃ一泊お願いします」
「かしこまりました、個室で良いですね?
それでは………お部屋へご案内するまえに………」
黒目は満面の笑みをしながら言い放った。
「お風呂場へご案内しますね
真っ黒な足でお部屋を汚されては堪りませんので」
◆◆◆◆◆
――旅館の風呂場も立派な作りであった。
凜紅たちは未だに知らないことだが、
温泉が名物の一つである村なのである。
立派な作りでないと逆におかしいとも言える。
案内されたのは、個室の風呂場だ。
開かれた空間は竹柵で仕切られており完全な貸し切りとなっている。
流石に大人数で同時に利用する大欲場ほどの大きさはないものの、
一人で使うには十分すぎる広さと言えた。
凜紅は既に衣服を脱いでタオルを腰に巻いている。
さて、あとは体を洗い風呂に入るだけというところなのだが
ここで一つの問題が発生していた。
「嫌じゃーーーーー!!!
絶対にわらわは風呂には入らんぞーーー!!!」
床にへばり付いた黄金色の物体。
通称、狐の九十九(つくも)の必死の抵抗である。
「風呂には入らなくてもいいよ
体を洗うだけだから………」
「どちらも同じことじゃ!
なんでじゃ!わらわはいつも自分の体は綺麗に舐めておる!
別に体を洗わなくても良かろうにっ!!!」
嫌じゃ、嫌じゃと床のカーペットに必死にしがみ付いて、
抵抗を見せる九十九。
確かに彼女の言うとおり彼女の毛はさほど汚れておらず
手触りだけで考えるなら洗わなくても良いように思える。
しかし、慣れてしまった九十九には分からないが、
九十九の体には長旅で染み込んだ嫌な匂いがへばり付いているのだ。
ボロ雑巾のようになっていた着物の中で眠っていたのだから、嫌な匂いが付くのは当然とも言えた。
「我儘言わずにほら、さっさと済ませるぞ、
一二の三ッと!」
「ぐわー! この人でなし!」
渾身の力で九十九を引きはがした凜紅は、
逃げられないように九十九の前足を片手で掴むと、
風呂場へ足を踏み入れる。
凜紅としてもこの不毛な戦いをさっさと終わらせて自分だけ湯船に浸かりたかった。
「ほら、さっさと洗うぞ」
と言うと、手際よく石鹸でごしごしと九十九の毛を泡立ててゆく。
「うぅ、わらわの毛が泡だらけに………」
「前も洗うよ、足を開いて」
「そ、そんな場所も洗うのか
や、やめんか!この助兵衛がッ!!!」
そんなことを言われても、九十九はどこから見ても黄金色の狐だ。
別にやましいことなどしていない。
お構いなしにごしごしと洗っていく。
九十九の悲鳴が弱弱しくなる頃には、
すっかり綺麗になった、びしょびしょの毛玉の様な物体が出来上がった。
あんなところまで洗われた………
もうお嫁に行けない………………
と丸まって鳴いている九十九を無視して
凜紅はせっせと旅で付いた自分の手垢をこすり落としていく。
猫耳の黒目さんからとにかく体を丁寧に洗ってから入るように
念に念を押されたので、いつもの倍以上の時間を掛けて体を洗い流すと
ざぶんと風呂の湯船に身を沈めた。
少し熱いくらいに感じる湯は体をぽかぽかと温めていき
疲労が溜まり悲鳴を上げていた筋肉が徐々にほぐれていくのが分かる。
湯から立ち上る何とも言えない香りは気分を静め心までも洗われていくようだ。
ふいー と自然と口から出てきた吐息を楽しみながら、
誰に言うものでもなく呟く。
「いやぁ、極楽極楽
これだけで旅に出た苦労は報われるね」
なにが極楽じゃ………
と不満を言う九十九を無視して
凜紅はその日、温泉とふかふかの布団の極楽浄土を存分に味わった。
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