第3話 彼女だけがいない町3

 ■彼女だけがいない町3




朝早くに起き上がった凜紅(りく)はぐぐっと伸びをする。


旅の疲れから昼までは起きないだろうと思っていたのだが、

朝起きると疲労は綺麗に洗い流されているようだった。

気持ちの良い目覚めである。


布団で丸まっている九十九(つくも)をそっと隅に移動して、少し体でも動かそうかと思っていた頃に、

静かに寝室の襖(ふすま)が開けられ、声が掛けられた。


「朝食が出来ましたが、お運びしてもよろしいでしょうか?」


大丈夫です と凜紅は返す。

それを聞いて給仕人の女性は手際よく朝食を部屋に運ぶと、

ごゆっくり召し上がり下さいませと言って静かに立ち去った。


「そうか、宿を取れば自分でご飯を用意しなくても良いのか………」


慣れると旅に出るのが億劫になるな、と呟きながら、

凜紅は運ばれた朝食を見る。


まだ白い湯気がほのかに立っている大きなおにぎりが四つ、

上からはごま塩が少しかけられ、笹の葉の上に綺麗に並べられてある。

隣には二切れの沢庵(たくわん)が置かれてあった。


じゃがいもと大根の葉っぱを入れた味噌汁に、

一尾まるごと焼いて塩を振りかけた大きな焼き魚。

新鮮な水が入った竹筒。


朝ごはんとしてこれ以上ないという品ぞろえだ。

見ているだけでも自然と口の中に唾液が堪ってくる。


「いただきます」


手を合わせ、立派な食事が食べれることに感謝すると、

大きなおにぎりを一口。


「………………美味い」


目をぎゅっとつむり、絶妙な塩加減で握られた米の味を噛み締める。


旅の道中で食べる握り飯は日持ちがしないので初日の一日で食べきってしまう、残りの日にちは干し飯で我慢するので、

道中から計算するとちゃんとした白米を食べるのは、おおよそ一か月ぶりだった。


大きなおにぎりは気が付けばペロリと胃袋の中におさまる。

その後も飽きることなく二つ目のおにぎりへ手を伸ばす。

一口、二口、三口でおにぎりは胃の中へ姿を消した。


気が付けば、四つのおにぎりも残り二つになっていた。

しかし、平均よりも大きなおにぎりを食べたというのに、

飽きることなく残りの二つも平らげてしまえそうである。


このまま、魔性のおにぎりに手を伸ばすのは危険だと、

凜紅は目を逸らし今度は味噌汁を啜る。


「………あぁ、味噌汁を飲むのも久しぶりだな」


味噌の塩気とじゃが芋の甘さが程よく混ざり合い舌に心地いい。

大根の葉っぱのほのかな苦みも味のアクセントとなって嬉しい。


味噌汁をすすった後は焼き魚に手を伸ばし、

がぶりとかじる。


凜紅は思わず、おぉと感嘆の言葉を出す。


旨味が凝縮された身はほろりと口の中で崩れ、

肉汁ならぬ魚の油が口の中ではじける。

その癖、油はくどくない溶けるように喉を通る。


「魚ってこんなに美味しいものなのか………」


感心したように凜紅は半分齧った魚を見下ろす。

道中でも魚は取って食べていたのだが、そのどれもが泥臭い匂いとえぐみから、食べれたものではなかったのだ。

取る場所が悪いのかと色々と場所を変えてみたが、どの魚も似たり寄ったりで、

途中からは魚を取ることを止めていた。


魚の仕込みが違うのか、後で聞いてみようか。


そんな思いを抱きつつ

凜紅が三つ目のおにぎりを食べようとしていたところで、

魚のにおいに鼻をひくひくさせながら、

隅で丸まっていた物体がもぞりと布団の中から姿をあらわした。


ご飯かのぅ?という細長く黄金色の生物に

残していたおにぎり一個と半身になった焼き魚を目の前に置くと

凜紅は窓の外を見ながら沢庵をかじった。


◆◆◆◆◆


「おはようございます、凜紅(りく)様」


凜紅(と一匹)が宿の二階から降りてくると、

猫耳がぴょこんと生えた女性、黒目(くろめ)がぺこりと挨拶をする。


凜紅が挨拶を返し、朝食が美味しかったことを告げると、

満足していただけたようで何よりです と黒目は嬉しそうに言った。


「ところで凜紅様はこの後、何か予定がありますか?」


黒目の言葉に、今日は町を見て回る予定だと告げると、

では、この後、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか。

と黒目が言った。


「何かあったのですか?」

と凜紅は尋ねると


「いえ、昨日頂いた黒虎の皮と牙、そして草鹿の皮の清算をさせていただこうと思いまして」


あぁ、そんなものもあったなと凜紅は思い出す。


「宿屋の料金にすべて消えたと思っていたのですが

 少々、余りましたか?」


と凜紅が言うと、

くすくすと黒目は笑いながら、

うちはそんなに金にがめつくはないですよと返した。


「それでは応接間にご案内いたしますね。

 受付で金銭のやり取りをするわけにはいかないので」


◆◆◆◆◆


「座ってお待ちくださいませ、

 すぐにお金を持ってきますので」


と言うと黒目は音を立てることなく立ち去る。

手持無沙汰な凜紅(と一匹)は仕方なく椅子に座った。


「ふーむ、猫の耳を生やしている女が居るとは、

 まこと、世の中は不思議なものじゃのう」


黒目の退出を確認した、黄金色の生物は、

もぞりと着物から顔を出しそのまま机に着地する。


「そういえば、九十九は黒目さんを見てなかったっけ?

 しかし、九十九が言うことではないだろう」


九十九には耳が生えているところか尻尾も生えており、

それどころか黄金色の狐だ。


そのことを指摘すると

「わらわはわらわじゃから」

と、良く分からない答えが返ってきた。


怪訝な顔をしつつ凜紅は茶をすする。


出された緑茶は香りが良く

高級な茶葉を使っているのだろう、とても美味しかった。


「それはそうと凜紅よ

 あの、猫娘が帰ってくる前に焼き菓子をわらわにもくれんか」


黄金色の尻尾を振りながら九十九が催促する。

確かに凜紅の前にはお茶と焼き饅頭が二つほど置かれてあった。


「猫娘って………それは黒目さんに失礼だろう」


「些細なことは気にするな!

 今は饅頭じゃ!」


と言うと九十九はあーんと口を大きく開ける。


自分が食べさせるのか………。

と少し憂鬱に思った凜紅はちょっとした悪戯を思いついた。

饅頭を一つ串で刺すと九十九の目の前に持っていく。


「ほら、あーん………」


「あーーーーーーーーー」


饅頭が九十九の口の中に入りかけた所で、

ひょいっと饅頭を自分の口に持っていく。


饅頭の中は黒餡(くろあん)だったようだ。

餡子の甘さが口の中に広がっていく、やはり甘いものは美味しい、

自然と口角も上がってくる。


凜紅が甘さの余韻に浸っていると


「こいつめ!!!」


と怒った九十九が凜紅の胸に弾丸のようにぶつかり

残っていた甘さの余韻は弾け飛んだばかりか、胸骨の強烈な痛みとなって返ってきた。


あまりの勢いに凜紅は椅子から転げ落ちる。


「おまっ………ごほっ!

 何も、本気で、ぶつかってくることは、ないだろう!!!」


「うるさいわいっ!

 ふんっ!乙女から甘いものを奪うことが

 どれだけ怒らすか良い勉強になったじゃろう!!!」


全身が毛むくじゃらの乙女は机の上でツンッと首を知らぬ方へ向けた。


「まぁいいわ!

 もう一つの饅頭はわらわがもらうからなっ!」


あまりに手ひどいしっぺ返しを食らった凜紅はまだ痛みが取れない胸を撫でながら、

椅子に座るとお好きなようにどうぞと、

饅頭が置かれていた皿を九十九の目の前に出す。


しかし、差し出された皿を見て九十九は怒ったように言い放つ。


「おいっ!わらわの饅頭をどこに隠した!

 一度ならず二度までも、今度という今度は許さんぞ!!!」


「いや、今度は何もしてないし早く食べ………」


九十九の言葉に訝しげな目をしながら凜紅は饅頭の皿を見る。

しかし、もう一個、残っていたはずの饅頭は既に存在しなかった。


代わりに唐突に聞こえたのは耳慣れない少女の声



「んー、美味しい!やっぱり私は白餡かなー」



向かいの席には

*「今まで誰も居なかった」*はずの椅子に黒髪の少女が座っている。

それは空白だった空間に歪(いびつ)なものが

無理やり押し込まれたような不気味さを感じた。


咄嗟に、凜紅は震える刀の柄に手を伸ばすと、椅子を蹴飛ばし

淀みのない動作で刀を抜ききり

向かいに座っている少女の首元へ振るうと


「えぇっ!ちょっとまって!切らないで!!!」


黒髪の少女の声にピタリと少女の首に食い込む直前で

刀身の切っ先は止まった。


静止する凜紅とぽかーんと口を開けた黒髪の少女の目と目が合う

少女の口に残っている白餡が見えた。


「えっと、………あなたは私のことが見えてます?」


黒髪の少女の言葉に

机の上で立ち往生していた九十九は交互に二人の顔を見て

「どういうことじゃ?」と呟いた。

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