どこでもないここで(6/8)

まさかと思ってメールを開くと、紛れもなくカンバラ麗本人からで、返信が遅れた非礼を詫び、ぜひ一度会い、悩みを聞かせてほしいと書かれていた。

忘れかけていた送信済メールを急いで確認する。

[カンバラ麗さま雫石天声さま わたしはサイトを通じた相談では事足らない悩みを抱えていて、お金は用意できるのですが、直接会って鑑定いただける方にお願いしたいと思っています。 追伸 毎週のメールメッセージは誰に対してでも同じ内容なんですね(笑)。会員仲間と確認しました。牧枝典子]

もう1ヵ月近く前のもので、彼女たちの返信や面会など期待せず、[追伸]部分の嫌味で相手を懲らしめたつもりだった。

それが……いまさら、まさか。

送信元は、カンバラ麗個人のPCアドレスで、フォーマットに文章を当て込んだものではなく、明らかにわたしのメールに返信した文面だった。

「お金は用意できる」「直接会って鑑定いただける方にお願いしたい」というわたしの……いや、牧枝典子の嘘をどう受け止めたのだろう。

窓ガラスに無数の細い雨がぶつかり、何かの生き物みたいに階下へつたっていく。忍び寄る不穏な出来事の暗示みたいに。

カンバラ麗は「お会いできるなら、メールをいただきたい」と記していた。

無視したところで、おそらくまたメールを送ってくるだろう。わたしの個人アドレスを知った以上、簡単には諦めないんじゃないか? 追伸部分に腹を立て、何らかの方法で自分の力を誇示しようとするんじゃないか?

でも、こっちも相手のアドレスを知り得たから、力関係はイーブンなはず。だったら、相手が望むとおり、正々堂々と対面してやろう――わたしは奥歯と下腹に力を入れて、そう決意した。


自宅に帰り、スウェットの上下に着替えて、駅前のコンビニで買った缶チューハイを開ける。ニュース番組を漠然とテレビに映し、一日の疲れを程好いアルコールで解きほぐしていく。

そして、画面がスポーツコーナーに切り替わったところで、カンバラ麗のメールをもう一度読んだ。

ビジネスのアポイントなら、こちらから2、3のスケジュールを渡して相手に選択させるのが礼儀だけど、主導権はわたしが……ニセ牧枝典子が持つべきだ。

ひとりで思案を重ね、ちょうど2週間後の火曜日をピンポイント指定することにした。わたしの勤め先から一駅だけ離れた場所で、午後8時に。仕事が終わらなければ、オフィスに戻ればいい。ありきたりなカフェの、できるだけ街中の場所にしよう。

酔いの少し回った頭で文章をチェックし、「えいっ!」と気合いを込めて宣戦布告のメールを送った。



朝から降り続く雨がランチタイムには路面に水たまりを作り、気分をブルーにした。秋雨前線・偏頭痛・過密スケジュール……心の色を等深線で表せば、限りなく黒に近い青だ。

スクリーンセーバーの時刻表示を見て、あと数時間後に[牧枝典子]を演じる自分に嘆息する。

カンバラ麗はわたしが提示した接見条件に快諾し、「牧枝さまにお会いできることを心待ちにしています」と返してきた。「私が貴女の迷いを正しい方向に導きます」と。

仕事に忙殺され、あっという間の二週間だった。

今日、わたしが就職活動みたいなスーツを着ているのは、カンバラ麗に会うためではない。コンペ用の企画書にクライアントがヘソを曲げ、上司と二人で陳謝に出向くからだ。わたしと先方担当者の間でコンセンサスが取れていたのに、クライアントの上役は「オレは何も聞いていない」と突っぱね、「経緯説明しろ」と言ってきた。ありがちなコミュニケーション・エラーだった。

カタチだけの謝罪と考えば諦めもつくけど、そのカタチだけのために、よりによってカンバラ麗に会う日にこんな格好になってしまうなんて。


事務職のOLがとっくに退社した頃、トロフィーや記念盾が飾られた応接室で、上司とわたしは安定の悪いソファで背筋を伸ばし、上役がゴルフ焼けした顔をザクロみたいに紅潮させるのに付き合った。

頭を下げ続け、耐震補強中のビルを出て、上司はわたしの直帰を承諾し、「たまには早く家に帰って休みなさい」と言った。そして、「アナログな人間関係の中ではこういうミスも起こり得る。あまり、前のめりにならないことだ」と加え、ホームの雑踏に姿を消した。

わたしは「ボーナスの査定に響くかな」なんて思いながら、会社のひとつ手前の駅で電車を降りる。


約束の時間まで15分。

長いエスカレーターを上がって改札口を抜け、待ち合わせの場所へ。

そこは、これまで何度か利用したカフェで、店の広さにマッチしない客の少なさを知っていたので、席の予約など頭になかったが、入店するや否や、「牧枝さんですか? お連れの方が予約テーブルでお待ちです」と、ウェイターが歩み寄ってきた。



(7/8へ続く)

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