どこでもないここで(5/8)

成り行きにドキドキしながら、新しく受信したメールを開く。

[牧枝典子さんは会員登録されました]

どうやら、データが上書きされ、わたしのスマホのアドレスとノリコの情報が紐づいたようだ。

[牧枝典子さんはこんな性格です]の欄に記された言葉は、やはり彼女の特徴を言い当て、1ヵ月の全体運には、心がけ程度の無難な未来予想が並んでいたけど、最後の文章に目が止まった。

[交通事故に遭う可能性が高いので注意してください]

知ってはいけないこと、聞いてはいけないものに触れた後味の悪さ。しかし、同時に誰かに肩をポンと叩かれた気がして失笑する。

絶交モードのノリコ……いっそ、事故にでも遭えばいい。それに、いくら当たると言っても、所詮はただの占い。「可能性が高い」なんて表現自体が曖昧で……交通事故だったら、たったの1%だって、いや、0.1%だって「可能性が高い」と言えるだろう。逆に考えれば、事故に遭わない確率が99%、99.9%なわけで、なんだか急に[カンバラ麗]自体が萎(しぼ)んだ風船になって、スマホを待受画面に戻した。



陳腐なテレビドラマや映画だったら、ノリコが自動車事故に遭い、わたしが病院に駆けつけて……みたいな展開になるだろう。でも、1ヵ月以上経ち、季節が移り変わっても何も起こらなかった。いや、ノリコは実際に事故に巻き込まれたかもしれないけど、音信不通状態だから、わたしが知る術もない。「どうしてる?」ってメールを送るほど、わたしはイイ子ちゃんじゃないし、電話なんかしたら、占いのことをうっかりしゃべってしまいそうだ。

結局、秋になって変わったことと言えば、商社マンの長谷川さんが海外赴任で朗読会のメンバーから卒業することになり、「僕の替わりに」と連れてきたOLが、わたしより6つも年下で……わたし自身が朗読会の雰囲気に何となく馴染めなくなったことくらい。

ヒライ珈琲館は帰るべき場所であり、平井さん夫婦やマユミさんとはずっと一緒にいたいけど、そろそろ[家]を出る時期かなと思った。平井さんたちの存在に甘え過ぎているし、正直、結婚適齢期を過ぎた[佐々木寛子]が、若くて元気なOLと仕事以外で一緒の時間を過ごすのはきつかった。

他に日常のアクセントとしては、今日もまた、カンバラ麗のサイトからメールが来たこと……。

[牧枝典子さん、お変わりありませんか? カンバラ麗のアシスタントの雫石天声(しずくいしてんせい)です。水晶を使って、あなたを霊視し、その鑑定をお伝えしたくてメールしました。私がこうして牧枝典子さんにお声がけ出来たのは運命です。牧枝典子さんは素晴らしい星の下に生まれていますが、まだご自身で気づいていないようなので……]

占いサイト[光の部屋]では、わたしは牧枝典子のままだった。

[カンバラ麗の導き]というタイトルで届く勧誘メールは、新興宗教レベルのしつこさで、会員全員に送っているものにちがいない。

[あなたの迷いを正しい方向にお導きしますので、一度覗いてみてください]と、どうにかして課金させようとしている。

わたしは全部お見通し。

それにしても、[牧枝典子さんは素晴らしい星の下に生まれています]って? このスマホの持ち主は、わたし佐々木寛子。勘違いも甚(はなは)だしい。

ずっと、インチキメールを無視してきたけど、このカンバラ麗のアシスタントなる人物に社会の冷たさを教えたくなった。

だいたい、彼女がユーザーの評判どおり「当たる・凄い・ホンモノ」なら、熱心に勧誘する必要はないし、アシスタントの雫石天声なる第三者がメールを送りつけてくるのは、個人情報の悪用じゃないか?

わたしの中の正義感がフツフツと沸き上がり、仕事のストレスを発散するように抗議のメールを送りつけた。



[光の部屋]からの勧誘メールがパタリと止み、十一月になると、わたしの仕事は怒涛の高波を迎えた。行政主導のコンペに入札が決まり、資料作りや関係者との打ち合わせで連日遅くまでの残業が続いている。

金曜の深夜まで働き、翌日に外出する気力もなく、平井さんに電話を入れて、とりあえず十一月は朗読会を休ませてもらうことにした。

「体だけは壊さないようにね。ヒロコちゃんの誕生会を店でやるから、来られそうな日を教えてよ」

電話越しに平井さんは訥々と言った。物静かな口調がいっそう心に沁みてくる。

そう、あと一ヵ月足らずで、わたしはついに30歳。誕生日は日曜日だけど、「来られそうな日を教えて」と言うのが平井さんの思いやりだ。その日を祝ってくれる男もなく、仕事に追われ、朗読会をフェードアウトしようとする気持ちを申し訳なく思った。

……そう、ノリコとは相変わらずの音信不通状態で、それでも、ソゲさんはわたしの夢にたびたび出てきた。


そして、勤労感謝の日を翌日にした火曜日。

パソコンで仕事のメールチェックていると、デスクに置いたスマホに受信があった。

発信者の名前を見て、わたしはキーボードから指を離す。



(6/8へ続く)

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