第3話 ある日の桜の下
「これより第34回槻島高校入学式を開催する。一同起立、礼!」
壇上に立つ教師の声が響き渡る。
僕達新入生はクラス内での顔合わせもそこそこに体育館に呼び出され、軍隊よろしく整列させられていた。
本日は私立槻島高等学校の入学式。
絶妙な緊張感が館内を漂う中、進行役の教師が再度、声を張り上げる。
「学園長挨拶! 一同礼!」
規則正しく頭を下げて壇上を見上げると、そこには着物姿の美しい女性が立っていた。
黒い髪をアップに結わい、豪奢な簪を挿したその姿は高校の式典にはあまりにも場違いな姿だ。
館内がどよめく。
カリスマ性が半端ない。
でも、壇上の女性は好奇の視線を気にも止めず、備え付けられたマイクの前に立ち、その口を開いた。
「まず初めに、皆様は私の名前を覚える必要がありません」
館内が再度ざわつく。
彼女は一体何を言い出したのだろうか?
今までの流れから彼女が本校の校長である事は間違いない。
その彼女はいま、学校の顔とも言うべき人物の名前を覚える必要がないと口にした。
確かに僕達学生にとって学園長とは身近な存在ではないし、学校生活を送る上で接点がある存在ではない。
だがそれはそうとしても、建前上は知っていなければならない名前のはずだ。
少なくとも、今のは学園長自身が口にして良い言葉ではないと思う。
「皆様にはこれより三年間、多くの汗を流し、多くの涙を流し、多くの血を流してもらいます」
三点目が物騒過ぎだ!
「私は皆さんに『怠惰な生活を送る人間』になって欲しくはありません。夢を持てば其れに向けて全力で走り、夢が無ければ其れを探す為に全力で力の限りを尽くす人間になって欲しいと願っています。――その為に、命を賭けることを推奨します」
(はい……?)
この人は今しがた確かに『命を賭けろ』と口にした。
誰が『たかが高校生活』に命がけで挑むというのだろうか?
館内が再びざわつき始める。
ふと目線を変えると、司会進行役の教師が頭痛を堪えるかのように目頭を押さえていた。
よく見ると他の教師陣も苦虫を噛み潰したかのような顔をして壇上を見ている。
それでも、学園長の言葉は止まらない。
「一度しか訪れない好機に全力を尽くしなさい。己の為に命を賭けなさい」
そして一喝される。
「青春を甘く見るな! お前達が今から駆け抜ける道は茨の道と思え! 傷つく事を躊躇うな! 逃げる事を選択するな! 泰平に過ごしたければ戦いを選べ! 戦いの是非は問わん! 勝敗に意義を持ち、己の道を邁進せよ! 泣け! 喚け! それが君達の価値だ! 願わくばここにいる全ての新入生諸君に栄えある事を願う!」
そこまで言うと彼女は言いたいことは言ったと言わんばかりに壇上から姿を消してしまう。
館内はそのあまりの破天荒ぶりにシンと静まり返ってしまっていた。
でもなるほど、彼女が自分の名前を覚える必要が無いと言った理由は良く解った。
これからの三年間、僕達生徒に彼女の名前を覚える余裕なんて有りはしない。
それが全力で青春を謳歌するという事に他ならない。
(柄じゃないけど、嫌いじゃない考えだ)
式典の後、教室に戻った僕達に待っていたのはお決まりの自己紹介イベントと連絡事項の通達。
そのどれもを無難に終わらせ、僕は今現在、校門前にある大きな桜の木を背にし、帰宅する生徒達を眺めていた。
それというのも、あの学園長の言葉が頭から離れないからであって……まぁ、結局は物足りないと感じてしまっているんだ。
たくさんやりたい事があって、今まさにその舞台に立つ事が出来たのに僕は何を成そうというのだろうか?
「泰平に過ごしたければ戦いを選べ……か」
それは、生まれつき少々非凡な能力を持った僕にも適用されるのだろうか?
「なぁ、キミ? そこ退いてくれないかな?」
そんな事を考えている最中だったから、突然声を掛けられて吃驚してしまった。
いつの間にか僕の目の前には、金属バットを持った女子生徒が立っていた。
あまりのインパクトに僕は少し惚け、彼女の言うとおりその場から退いてしまう。
(何だ、この人?)
彼女は僕に礼を言うことも無く、桜の木の裏側に回り、その手に持った金属バットの握りを何度も確かめている。
すると彼女はおもむろにに金属バットを振りかぶり、何の躊躇も無く桜の木に向けフルスイングした。
脳天を直撃するかのような鈍い音。
あまりにも強烈な一撃に――世界がはじけ飛んだ。
衝撃の勢いで桜の花びらが撒き散らされ、風に乗り降り注ぐ。
踊るように、舞うように、僕達の頭上で荒れ狂う。
(まるで桜の嵐だ)
「うん、思ったよりも上手い具合に飛んだな」
家路を急ぐ生徒、談笑する生徒、校庭に残る全ての生徒が嵐の発生源である彼女に注目している。
彼女はその視線を浴びながら笑っていた。
僕等は等しくその笑顔に目を奪われる。
誤解しないで欲しい。
別にその笑顔に見惚れただとか、可憐だとか言うつもりはない。
彼女の笑顔には邪悪さが滲み出ていたんだ。
戦々恐々と皆が注目する中、舞い散る桜の花びらをその身に浴びながら、彼女は声を張り上げる。
「ようこそ青春の舞台へ! 君達の入学を心から歓迎する! 私からはこの最高の舞台をプレゼントしよう。春の桜の嵐、存分に堪能してくれたまえ!」
彼女は満足そうにそう言い残すと、僕の横を通り過ぎてこの場から立ち去ってしまった。
彼女の言葉通り、今や校庭には大量の桜の花びらが舞い踊っている。
皆が歓声を上げる中、僕だけは腑に落ちない顔をしていた。
これは間違いなく、彼女が金属バットで桜の大木を殴った結果だ。
何の絡繰もなしに、普通の人間にそんな事が可能なんだろうか?
ましてや彼女の様な細身の体でそんな事が出来るはずがない。
――彼女の膂力は人間の限界を超えている。そんな事が可能な人間がもしもいるとするならば、それは……
得体の知れない感覚が体中を駆け巡る。
湧き上がる悪感に身を震わせ、一度深く深呼吸する。
振り返れば、彼女の姿はもう手の届かない場所まで離れていた。
鬱陶しい程の桜の花びらが立ち竦む僕に降り注ぎ、風に流され校庭に舞う。
彼女が槻島高校風紀委員、「
また、その行動が「災厄」と呼ばれ忌避されている事
こんな夜だから素敵な殴り合いを 珈琲 @coffee-murasaki
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