第2話 ROUND1

 溢れんばかりの啖呵をきった割には、そーっと音を立てずに本校舎の扉を開く。

 大丈夫、事前に調べてあった通り、本校舎の扉については施錠がされていない。

「まったく、無用心さに泣けてくわね」

「いや、そうでもないよ。運営方針がちょっとイカレてるだけで無用心って訳じゃない。あくまでも聞いた話だけれど、これはこの学校が他に類を見ない奇抜なシステムを採用しているからなんだ」

 ココちゃんは珍しく僕の言葉を傾聴してくれる。

「私立槻島高校には機械式セキュリティーロックの類が一切導入されていない。『自主管理自主徹底が本校の教育方針だ』って言えば聞こえはいいけど、噛み砕けば『機械に頼らず自分でやれ』と言うことらしい。機械の使い方ばかりを覚えて、本質的な事を疎かにするなという昨今では極めてまれな考え方だね」

 僕なりに例を挙げると、パソコンで打てる漢字が鉛筆では書けない人間にはなるなと言う事だ。

「まあ、そんな教育方針もあって、本校の施錠および開錠は全て人の手で行われている。もちろん、それだけで昨今のセキュリティー事情に追いつけるはずもなく、防犯対策として特殊な宿直さんを常備しているらしい」

「……嫌な予感しかしないわね」

 ココちゃんの言葉に頷きを返す。

「この学校に常備される宿直さんは仮眠をとる事も許されず、常に校内警備にあたる事が義務付けられ、万が一暴漢等を発見した場合は速やかにそれを武力制圧する義務が課せられているらしい。……まったく、何処の戦争国家を気取るつもりなんだろうね」

 ため息しか出てこない。

 意義しか唱えたくない。

 ここまで説明してやっと最初の話に戻ることが出来るんだけれど、つまり今この校舎内には暴漢等が現れた場合でも武力制圧出来るだけの戦闘力を持った宿直さんが居て、なおかつ、その宿直さんは扉の施錠を怠るほどに自分の腕に自身があると言う事だ。

「まったく、よくよく考えるまでも無いほど巫山戯た学校だよ」

「確かに、こればっかりはあなたの言う通りね。まぁ、取り敢えず難無く本校舎に入ることが出来たのだから良しとしておきましょう」

 ――カリカリカリカリ……

「うん。まずはその邪魔な宿直さんに見つからないことだね。無駄な戦闘は極力避けるべきだ」

 ――カリカリカリカリ……

「同感よ。その宿直さんとやらに出会わないように慎重に先を急ぎましょう」

 ――カリカリカリカリ……

 やっぱり校舎に入ると緊張感が増してくる。

 僕とココちゃんは細心の注意を払いながら、二階への階段を目指していた。

「……ところで、ココちゃんはさっきから何を引きずっているのかな?」

「あら、いよいよ眼球までおかしくなってしまったの? 鉄パイプよ、鉄パイプ。さっきそこで拾ったの」

 あっけらかんと答えるココちゃんに寒気を覚える。

「オッケー、理解した。装備は必要だもんね。備えあれば憂いなし。うん、さすがはココちゃんだ。でもね…………さっきまで引きずってなかったじゃん! なんで慎重さが必要なシーンでカリカリカリカリ廊下に傷つけてんのさ! なんの陽動だよ! テメーの頭には隠密行動の文字がねぇのか?」

 流石の僕もこれには怒らざるを得ない……っていうか、キレるだろ。

 ココちゃんはそんな僕を一瞥すると、

「手首を絞って、振り抜く!」

 予備動作なしのフルスイング。

 僕は自前の反射神経で何とかその攻撃をかわすが、あと一瞬でも動作が遅れていたら僕の頭はチューリップみたいに真っ赤になっていただろう。

「うぉぉ! なんで僕に攻撃するのさ! 頭カチ割れるだろうがコラ! 上等だ……そっちがその気ならここで白黒つけてやるよ! 僕にだって我慢の限界が……」

「あなたが落としたのはこのナイフですか? それとも、今時珍しいガマグチ(笑)ですか?」

「両方とも僕のだよ!」

 どうやら気付かないあいだに盗られていたらしい。

 新たに僕の背中に寒気が走る。

「ココちゃんは僕に何か恨みでも……」

「たくさんあるわ。数え切れないほどあるわ。殺したいほどありますもの」

 絶句するしかない。

 いまさらながらに、どうして僕はココちゃんを相棒にしてしまったんだろうか。

 彼女は僕のことが嫌いすぎる。

「さて、あなたで遊ぶのはこれくらいにしておきましょうか。――おいでなさったわよ」

「はあ?」

 ココちゃんの視線は廊下の奥へと向けられている。

 そこからは確かに、こちらに向かってくるだろう人の気配が感じ取れた。

 ――ああ、なるほどね 

 ここに至ってようやく理解出来た。

 ココちゃんは校内の何処に居るとも知れぬ宿直さんを誘き寄せたかったんだ。

 さっきまでのバカ騒ぎはその為のエサ。

「わたし、一歩一歩を慎重になんて性に合わないの。進むのなら正々堂々真っ直ぐに進みたいじゃない?」

 隣に立つ暴君の言葉を僕はあえて聞かなかったふりをする。

 まともに相手をしていたら、心労で頭がハゲそうだ。

 ともあれ、いまは目の前の…… 


「こいつぁめでたい! 本校に侵入せし不届き千万の輩。あっ、万難を以って是を排除してくれようぞう!」


 目の前の……


「こいつぁめでたい! 死して屍拾う者無し。遇いや覚悟なされい!」


 ……濃いなあ。

 おそらく宿直さんだろう彼は、はちきれんばかりの筋肉を水色のジャージに包み、僕たちの前へと立ち塞がっていた。

 手を伸ばすだけで天井にタッチできてしまいそうなほどの巨漢。

 顔全体を埋め尽くしている赤い隈取り。

「歌舞伎役者さんですかー……」

「なるほど、これが宿直さんとやらなのね。確かに特殊と言われるだけはあるわ。あなた、随分と歌舞いた顔をしているようだけど、それは何か意味があっての事なのかしら?」

 思わず敬語が飛び出してしまった僕とは違い、ココちゃんは勇敢にも宿直さんに向かって問い掛ける。

「こいつぁめでたい! 赤き隈取は正義の証。吾こそは本校の万難を排除する為に遣わされた宿直なあり。本来の御担当に病むに病まれぬ事情が出来た為、急遽馳せ参じた次第で有る」

「いちいち決めポーズを取るのがムカツクけれど、ようは急遽助っ人として呼ばれただけって訳なのね」

 持って回った言い方をしたわりには普通だった。

 まぁ、それなら僕が今までの学校生活で見たことが無いのも頷ける。

「つくづくこの学校の多彩さには呆れるばかりよ。生徒だけならまだしも、教師のお連れ様までこんな濃いキャラだなんて……」

 ココちゃんが溜息混じりに呟く。

「そもそも、宿直に代役を置く辺りからして怪しからん事だよね」

「こいつぁめでたい! ゴチャゴチャと何を申し立てておる。嘆かわしくも吾の前で乳繰り合うか。下賎の輩よ、我が拳を槌とし粉砕してくれようぞ」

「……何もめでたくねぇですよ」

 もう相手をするのも面倒くさい。

「この人の相手は僕がするよ」

 溜息一つ、体を解す意味も兼ねて手首を回し、意識を戦闘モードに切替える。

「あら、わたしではこの巨体に勝てないと判断したと言う訳ね? なるほど、わたしはあなたに守られなくちゃいけない程度の人間だと評価されていると受け取って良いのかしら?」

 言葉の端々に絶妙な棘を含んだ質問を投げ掛けられる。

 ここまできたら、もう一種のイチャモンじゃね?

 理不尽に思いながらも、戦闘モードから通常モードに再度意識を戻す。

「別にココちゃんの実力を疑っている訳じゃないよ。確かにコイツはなかなか強そうだけれど、ココちゃんがコイツに負けるとは一切思ってない。でも、初戦から女の子に任せているようじゃ僕の立つ瀬が無い。少しくらいはカッコいいところを見せたいのが男ってもんだよ」

「あら、それならそうと先に言いなさいな」

 ココちゃんは僕の意思を汲み取ってくれたようで、三歩ほど後退していく。

 ここまで聞き分けが良いのも珍しい。

 普段ならあらんばかりの罵詈雑言を浴びせてきそうなものを、変な病気にでも…………!!!

 ほんの少し僕が意識を逸らしたその瞬間、凄まじい風圧を伴った拳が僕の顔面に叩き込まれた。

 あまりの威力に廊下の壁に体全体が叩きつけられ「一発もらった」と頭が理解した瞬間、追撃が叩き込まれる。

「ぐはっ……」

「こいつぁめでたい! 主の男気には天晴れと評価するが、如何せん実力が伴っておらん。敵を前にして無駄話をする余裕が有ると思うてかあ?」

「……不意打ちでヤッテくれた癖によくそんなデカイ口が叩ける」

「所詮は小童。吾に叶う術も無く、排除されるのみの愚か者」

 よっぽどご自身の力量に自信がおありのようだ。

 確かに、そこいらの人間じゃあ太刀打ち出来ないレベルの猛者かもしれない。

 力だけなら並みのプロレスラーよりも強いんじゃないか?

「浅はかな考えで本校に這入った事を魘されるが如く後悔しやれい」

 そう言うと、今度は首を絞めに手を伸ばしかけてくるが……

 残念――その言葉は頂けないな

 打ち身有り、切傷有り、骨折無し、内蔵異常無し、結論、累積ダメージ無し。

 ゆっくりと体を起こし、まずはその手を弾き飛ばす。

「何と!」

 宿直さんは目を見開いて驚いているが、安心してくれていい。

 あんたには何の落ち度も無い。

 あんたの拳は本物だったし、あんたの力量も疑いようは無い。



 ただ、ほんの少し僕が異常だっただけの話だ。


全壊ぜんかい

 その言葉をもってタガを外す。

 左脚に力を込めてアスファルトを蹴り込む。

 ズムッ!!!

 肘が突き刺さり、鈍く重く汚い音が耳に届いた。

「あ……が……が……」

 僕の倍はあろうかという巨体が白目を向いて地に堕ちる。

 その一部始終を観察していたココちゃんは僕に歩み寄り、

「見事なものね。あなたは本当に規格外。その力で人を傷付ける事に何の躊躇もしないあたり、壊れているといっても過言じゃない。普通の人ならストッパーが掛かりそうなものなのに、あなたはそうじゃない。そう簡単に割り切れるものじゃない。けれどあなたは違う。最初からリミッターが外れている。普段は情けなくてボッチでたれ目でカッコつけで身長も低いくせに、そのくせ大食らいなくせに燃費が悪くて……」

「……あははっ、僕は寛容さを試されているのかな?」

 途中からは明らかに罵詈雑言の類だ。

「まぁ、確かに異常なのは認めるけどね。でも、この程度じゃ……」

 自然とあの顔が頭に思い浮かぶ。

「気持ち悪いわね。何をひとりでぶつぶつ言っているのかしら」

「Extra Roundだね! ぶっ殺してや……」

 トンっといきなり肩を押される。

 それだけで、たったそれだけの衝撃で、僕の体は後ろ向きに倒れてしまった。

「そんな状態で粋がらない事ね」

 僕はきっと今、苦虫を噛み潰した様な顔をしているだろう。

 女の子の細腕程度の力で、今の僕は体勢を崩してしまう。

「目的を履き違えないでちょうだい。私達はこんな愉快なオッサンを始末する為にわざわざここまで来たわけじゃないでしょう?」

 急激に頭が冷えていく。

 僕ともあろうものが、宿直さんとのバトルで少々熱くなってしまっていたようだ。

 素直に反省。今日ここに来た目的を忘れちゃいけない。

 それに比べればこのステージなんて羽毛のように軽いものだ。

 僕は立ち上がりながら謝罪の言葉を口にする。

「ふぅ、まったく世話のかかる人。次は確か音楽室ね。とっとと行きましょう。このウスノロ……」

 やっぱり、僕には怒る権利があると思う。

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