第四話

 顔が引き攣る。無理やり上げた口角がぷるぷると震える。だと言うのに、隣のイグラスは平然とした___いや、いつもより数倍鋭い目で前方のお二方を見つめていた。

「神官長、様……あの」

 震える息を吐き、たどたどしく尋ねる。ミルテの目の前に座る神官長は苦笑するように皺を深めて笑った。笑っている場合ではない、とミルテは思う。

「少し落ち着きなさい、書の娘。君らが盗みを働いた悪党だと決めている訳ではない」

 ____だとしても。

 ミルテはこっそり神官長の後ろを盗み見た。けれども目が合いそうになり慌てて逸らす。

「落ち着ける訳がないでしょう。皇国の騎士まで連れて来て」

 イグラスの言葉にミルテは深く頷いて同意を示した。ミルテの思ったことを的確に口に出したイグラスの度胸には舌を巻く。けれど、些か礼儀に欠けているのはどうかと。

「皇国の騎士様までお出ましってことは、相当重要なんですね、聖杖とやらは」

「イグラス。少し口を慎みなさい」

 口角を吊り上げ若干嘲笑うかのような表情にその台詞。ミルテがヒヤリとした感覚は当たり、イグラスは神官長までに注意をされることとなった。

「あの、神官長様は、私たちにあの日何をしていたのか聞きたいんですか? 聞いても聖杖の行方はわかりませんけど……」

 だって寝ちゃってたし……。そう思いちらっとイグラスを盗み見る。

「僕もそう思いますけどね、はい。何せ研究をしてたんですから。聖杖を盗もうなんて益のないこと、この僕がすると思います?」

 ミルテは再び顔を引き攣らせて、肘で軽くイグラスを小突いた。「え? 何で?」みたいな顔をされたが、これ以上失礼なことばかり言わないで欲しい。だって……

 ____神官長様の横に控える、レイド様の顔が怖いんだもの!

 自分には向けられていないだろう絶対零度の眼差しが凄く怖い。視線だけで人を射殺せそうだ。微笑んでいるのも尚恐ろしい。見目が良いのも余計凄みが出る。

 ミルテは強面の神官長と凍てついた眼差しを送るレイドらに冷や汗を流しつつ、話を変えようと身を乗り出した。

 というより、何故神官長様は何も言わないのだろう。

「ところで神官長様、後ろの皇国の騎士様たちをご紹介頂いても……」

 ずっと立ちっぱなしかつ、蚊帳の外状態はお二方にも悪いだろう。そう思って改めて二人に視線を移し、ミルテは身体を強張らせた。

「騎士の方々、こちらに」

 レイドに促され、二人の騎士が神官長の横に立つ。その顔を見て、ミルテは逃げ出したくなった。心底、周りを取り巻く人の性格を呪った。

 ____なんで騎士様も氷の眼差しなの……。

 レイドとは違い、何の感情も含まれていないような冷たい目。失礼な騎士様、と憤慨したミルテはその騎士を睨み返そうとし、衝撃に固まった。


 女の肌を雪に例えることがあるけれど、こんなにもその表現が似合う人がいるだろうか。世の貴婦人の羨望の眼差しを受けるであろう、真白い肌。

「____こいつの長所は見目だけですからね」

 まるで考えを読み取ったかのような声に、ミルテははっとした。見れば、ミルテが見惚れたことを快く思っていないような顔の騎士。

「そんなにこいつが良いですかね……ええ、まあ、確かにこれは美しいですけど。けど、それだけですからね、ほんと! こいつの生意気さを見れば百年の恋も覚めるってもんですよ」

 うんうんと頷き人の良い笑顔を見せた騎士に、ミルテは少しばかり同情した。

 笑顔の素敵な騎士だが、お世辞にも美形とは言えない。特に秀でたところもない、いわば平凡な面。特別何かが優れているとか、性格に特徴があるとか、何らかの才がなければ人の波に埋れてしまうだろう。

 ____イグラス先生はいわゆる平凡顔だけど、性格に難ありっていう点で特徴あるっけ。

「……えー、申し遅れました。俺は皇国騎士団二番隊長グレイル、グレイル・ティシトです。そしてこっちのは……」

 グレイルと名乗った騎士は迷う素振りで隣の騎士を見た。聞くにはグレイルは隊長と言うのだから、もし部下なら命令することができる。けれどしないのを見るに……同等の立場?

 ミルテは息を潜めて件の騎士を見た。はっきりと冷たい瞳とかちあってしまい、ミルテは逸らすことができなくなる。今や神官長まで待っていると言うのに、何故何も言わないのか。星のような銀色に絡め取られて、ミルテは見つめ返すしかできない。

「なぜ____」

 綺麗な声だな、と思った瞬間、素早くグレイルの手が伸びた。

「いやあ、すいませんねほんと!! こいつ過度な上がり性でして! 人前に出ると緊張して無口無表情になると言う特殊な体性を持っていましてねえ!」

 あははは、と乾いた笑い声を立てたグレイルにミルテはこっそり息を吐いた。グレイルのおかげで視線を切ることができてホッとしたのだ。あの瞳には魔術でも何かかかっているのだろうか。容易く魅入られそうになる。

 ____もしや古の冥魔とか?

 まるで歴書に記される冥魔のようだとミルテは思う。冥魔は冥府の王のしもべとされ、人の形に化けるとされている。人は美醜を強く意識することから、冥魔は残酷なまでに美しい人型を取るようになったのだと。意図も簡単にほだされた人は、その冥魔に魂までも食い尽くされる。

 そこでミルテは、繰り広げられる会話を他所に、あらぬ方向を見つめるあの騎士に目を止めた。今だグレイルに口を塞がれたままだが良いのだろうか。

「____で、司書の___」

 綺麗な髪だなあ、とミルテはこっそり感嘆する。深い青色は海の底のよう。そして銀色の双眸は星だ。冷たく凍てついた星。そしてこの……なんとも威丈高な目と合間い、騎士の筈が傲然とした王のように見える。だいだい、その騎士服が豪奢すぎるのがいけない。紺の布地に金のボタン、羽織るものは真紅で、胸元には太陽を現した紋章。

 ____やっぱり、皇国のある中央はこんなにも華やかなのかな。

 羨ましい、と思っているわけではない。わけではないが____

「ファプス」

「はいっ?」

 突然呼びかけられ、考えていた事が霧散する。素っ頓狂な声を出したことに対しグレイルと言う騎士が微苦笑するのが目に入った。

「話を聞いていました?」

 レイドの質問に身体を強張らせる。

 恐れ多くも神官長の前で失態を犯してしまった。これはもしや、懺悔室行き、とか……? 嫌な予感。

「聞けるわけがないでしょう。こんな硬くてつまらぬ話」

「…イグラス先生!」

 思わず批判の声を上げかけると、イグラスはこちらを見ずに口角を釣り上げた。

 ____なんて不敵な笑みなんだろう。

「どうせミルテは書のことを考えていたのでしょう。まあ僕は研究についてこの先何をしたらいいのか予定を立ててたんですけど」

「イグラス」

「本題に入ると言うのなら、まあ聞いてあげないこともないかと」

 神官長の重々しい声にも動じず、イグラスはにこやかに言い募った。机の下で握り込まれた拳を、ミルテはぷるぷると震わせる。

 ____失礼すぎるのはどうかと思うけど、先生の気持ちはわかる。

 はあ、とため息を付きたくなるのを堪え、ミルテも同意を示そうと口を開きかけた。


「長いです」

 は? とグレイルの声。ミルテは二三度瞬き、声を発した主に視線を止めた。____あの、青い騎士だ。

 その騎士は、レイド冷たい眼差しも、神官長の眉間の皺も、ミルテらのほうけた顔もどうでもいいとばかりに、淡々と言った。

「くだらぬ話を続けると言うのなら出て行きたいです。というより、ここにいる全員を殺しても良い」

 ミルテは唖然として目を丸くする。

「つまり、殺したいほどこの時間が嫌、ということです」

 そう言うと、その騎士は静かに背を向けた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鍵守りの君 糸田朋 @ikumin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ