第二話

 星瞬く夜。ゆっくりと広がる黒い色に包み込まれ、ミルテの居る書の間もまた、暗闇に呑み込まれていた。

「独裁的な指導者、暴力による政治の謳歌を支持する人々」

 温かいとは言えない不穏な言葉を紡ぎ、ミルテは手に取った紙を見つめた。借りた本を返す際、自身が書いた紙を忘れ挟んだまま去ったようだ。けれど、他国の政治に関して興味を示す人などそう見ない。ミルテは不思議に思い、文をもっとよく見ようと手元のランプを翳した。

「斧の周りに短杖を束ねたものは権威の象徴____神の膝元で罪を告白させようと、体罰もやむ終えない」

 綴られた文を読み終わり、ミルテはくるりと目を回した。

 ____思い出した。こんなことを調べるの、あの人しかいない。

 ミルテが神殿見習いの頃。教官たちに学を叩き込まれ、その際に強烈な印象を残した人がいた。歴史を主とし、度々書の間へ訪れる男性。

「あの先生、まだ調べてたんだ……」

 自身が年若い頃から研究を行い、今でも探究を続けていると言う。苦手なことは全く手に付かないのに、好きなことには命を注がんばかりの熱情を持つ。その熱心さはミルテが好む部分だ。ミルテも興味を持ったものはとことん調べ尽くす質で、書の間に泊まり込んでしまうことも多い。

「そうと分かったら届けてあげないと。でも、起きてるのかな」

 呟きながらランプを片手にミルテは歩き出した。手には数冊の本を抱え、しっかりと紙を掴んで。

 ランプの揺れる明かりだけでは足元が心許ない。出口まで壁に指を這わせつつ、ミルテは書の間を出た。書の間の管理を行っているのは司書であるミルテなので、鍵を掛けなければならない。

 ローブのポケットを探る。奥の方に目当てのものを見つけ、ミルテは暗がりに目を凝らして鍵穴に差し込んだ。

「____あ、待った!」

「っ!」

 背後からの突然の声にミルテは飛び上がった。どさどさと書物が落下し、鍵が床に落ちて甲高い音を立てる。咄嗟に振り向くと、可笑しな格好で立つその人がそこに居た。

「……イグラス先生」

 右手を前に突き出し、左手で何冊かの書物を引っ掴んだままの走り掛けの格好。鋭い碧眼をこちらに向け、件のイグラスは格好を正した。ん、と書物を差し出して微笑んだのは良いが、残念なことに、いつもは艶のある黒髪がぼさぼさだ。

 ____またかあ。

 ミルテはため息を尽きそうになるのを堪えた。イグラスは非常に慌ただしい。開錠時間の朝早くか、錠を掛けた後の夜遅くにこうしてやって来る。ミルテとしては普通の時間に来て欲しいと思う。でないと心臓に悪いのだ。

「ほい、本返しに来た。いつも悪いね」

 絶対に悪いと思ってないですよね、とミルテは思う。

「……そんなことより、紙忘れてましたよ」

「紙?」

 聞き返したイグラスに例の紙を手渡し、ランプを目の位置に掲げる。ミルテとイグラスの身長はほぼ同じくらいなので、腕を上げなくて済む。

 ____もちろん、イグラス先生の背が低いことは言わないよ。

「ああ、これね。……はいはい、うん。 忘れてたわ、ありがとう」

 こんな感じだったなあ、いつも。なんて思いながら、本を戻して来ます、と言ってミルテは落ちた鍵を拾おうと屈む。

「ミルテ」

「はい」

 書物も拾い上げて腕に納めながら、ミルテは振り向いた。

「神殿とは言えど、夜の刻は危険だよね。早めに戻れよ」

「……はい」

 少し沈黙してしまったのは驚いたからだ。イグラスはそんなミルテをおかしそうに笑いながら、暗闇の階段を登って行く。

 が、残されたミルテは思うのだ。

「心配するなら、本を戻すのを手伝ってくれても良いんじゃ……」

 研究をし過ぎて性格が悪くなった、と言うのは強ち間違いではないらしい。





 ごとっと何かが落ちた音に、ミルテは重い瞼を開けた。

「ん……」

 身動ぎして右腕を横に伸ばすと、再びどさどさっと何かが落下する。その音に意識がはっきりしたミルテは飛び起きた。

「書物が!」

 どうやら自分は書物を戻した後、書の間の机で眠ってしまったらしい。どうりで身体があちこち痛いわけだ、と呻きながら、大切な書物を拾おうと手を伸ばした。

「よっ……!」

 すると、ずるりと身体が椅子から滑り落ちる。あっと思う間も無く、床に膝が激突した。

「痛っ!」

 あまりの痛みに身体を丸めて悶絶する。じんじんと痛む膝頭を摩り、ミルテは涙目で床に手を付いた。

「痛い……凄く痛い。朝から痛いなんて……今日は厄日なのかな……」

 ____これは全て、きっと、イグラス先生のせい!

 イグラス先生が本を持って来なければ私はちゃんと寝台で寝たはず。ただの言い訳とわかっても思わずには居られない。そんなことを思い痛みが引いていくのを待って、ミルテは立ち上がろうとした。

「きゃっ!?」

 いきなり響く大きな音に、ミルテは咄嗟に耳を抑えた。鼓膜を突き破らんばかりの轟音に、ハッとする。

 これは、神殿の中心部に存在する鐘の音だ。喜ばしいこと、緊急のことが起こったときのみになる鐘の音。けれどその音が凄まじいので、皆鐘が鳴るのを恐れている。

「うるさい……今度はいったい何!」

 若干怒りながら、ミルテは広間に移動しようと本をそのままに駆け出した。


 鐘の音は、召集の意味もある。


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