第一章 花が舞い散る幸ある季節
第一話
鮮やかな色彩を生み出す春の午後。普段は静かな空気を醸し出すセスティ皇国のエルドは、貴婦人たちの声で賑わっていた。
今日は祝祭日。人の世を栄えさせた始祖王、ナサの誕生日としてセスティ皇国全体が祝祭日となっている。しかし、エルドだけは別だ。この世の厄・穢れを落とすという意味合いでナサによってこの地に川が作られた。この川は度々氾濫を起こし、エルド全体を呑み込み穢れを洗い落とすとされている。そのため、エルドはセスティ皇国の中でも幸ありし地として有名なのである。
祝祭日とあり、要となる神殿は朝から忙しない。神殿の巫女は集った貴人たちを前に祈祷を行い、神官らは貴婦人たちへ書を読むこととなっている。国の始まり、エルドの仕組み等々、祝祭日とあり質問に答えることとなっているのだ。
そんななか、神殿仕えの司書ミルテ・ファプスもまた、仕事に追われていた。基本、司書とは書の管理を行い、神殿の書を閲覧したい人のため案内を行う____のだが。今日ばかりはそうはいられないらしい。
見知らぬ神殿の人に押し付けられた籠を手に抱え、ミルテはため息を零した。
「エルドはナサによって創造された川により、幸ありし地と言われています。度々氾濫を起こすため悪は清められているといえますが、被害は少ないとは言えない。そのため川に近い範囲に建物はなく、なるべく中心部に密集するよう造られているのです」
神殿付近の庭、人々を見下ろせるよう階段に上がり話す神官を見つけて、ミルテは哀れみを込めた瞳で見つつ近付いた。
集うのは男性が多く、女性の影は見られない。
「川の氾濫はどの範囲まで及ぶのですか」
男性の質問に、髭を生やした神官は答えた。
「近くまで達することもあるため、氾濫が予測される日は、皆中心部へと集います」
大変ですな、と呟いた男性の前を屈んで通り過ぎ、ミルテは神官の隣へ立つ。神官がちらりとミルテを一瞥すると、人々の間から質問の声が上がった。
「隣の方はどのようなお役目を?」
ミルテが着ている服が気になったのだろうか。確かに着ているものは神官の金と白に比べ、些か地味だが。紺色に、上から羽織った薄緑のローブ。首元には、司書を表す銀色の
「彼女は神殿仕えの司書であり、此度は幸の乙女となります。ナサによって人の世が創られた際、人の世に祝福の花びらを舞いた乙女です。幸の乙女から花をお受けください」
正直に答えた神官に促され、ミルテは人々に籠に入っている花を渡していく。渡す花は、祝福の意を持つユヌだ。淡雪とも呼ばれる、白い花弁を持つ祝福の花。集った人々に丁寧に渡していき、配り終える。
どうしたらいいのか困って神官を見ると、小さく頷かれる。それを合図にミルテは一礼してそっと立ち去った。急遽やることとなった幸の乙女は、他の神官の元にも訪れなくてはならない。
こうなったのは、かなり予想外だが。何せ集う人が多いものだから神官も多く繰り出され、その分幸の乙女も必要となる。人手不足となり、ついには司書のミルテにも役目が回ってきたのだ。
「頑張らなきゃ、なあ……」
小さく呟き、ミルテは籠を抱え直した。次の神官の元へ行くのは、かなり嫌だけれど。
思った通り、この神官の元には多くの人____いや、貴婦人が集まっていた。
一段高い位置から書を持ち話す青年。金髪碧眼に整った面。細身で滑らかな白い肌。凡そ神官には似つかわしくない、華やかな雰囲気を持つ男、レイド・ベルティエ。この男を一目見たいがため女性が集う。そのため他の神官のところには女性が少ない。
けれど、性格は腹黒に尽きる。
「____ちょうど良く幸の乙女が訪れてくれました。皆様、乙女から花をお受けください」
良かった、とミルテは内心で息を吐いた。レイドの隣に立ってしまえば注目されること間違いないのだ。人の前に出ることに慣れないミルテにとって、嬉しいことこの上ない。
熱に浮かされた目でレイドを見つめる貴婦人方に花を渡していく。この人たちはレイドに渡されたほうが祝福になるのでは、なんてことを思っていると、突然左腕を掴まれた。
「幸の乙女には、どうすればなれるのでしょう?」
掴んできた相手は年頃の少女。くすくす笑いながら問うのを見るに、幸の乙女になればレイドに近付けるとでも思っているのだろう。
「おや、神殿仕えをご希望ですか? 見習いになるのでも四年はかかりますが。無論、見習いになるのであれば立場は一切関係なくなります」
そのにこやかな笑顔の裏に、黒い色が見える。ミルテは可哀想に、と思いながら件の少女を盗み見た。……何も気付いてないようだ。
「見習いにはなりませんわ。ただ、幸の乙女の役をやってみたいのです。だって花を配るだけでしょう?」
ねえ? と笑われ、ミルテは顔を顰めた。腕を離されたのでするりと集団から抜け、少し離れた場所で待機する。
____話を振られたら、困るんだけど……。
なんせ少女の言っていることは合っているからだ。ミルテの独断だが。重要な役目ならば、裏方の司書ミルテが引き受けることなんてないだろう。
これにレイドはどう返すのかな、と思って顔を上げると、目が合った。
「____それは、彼女への侮辱に当たりますよ」
嫌な予感と言うものは的中するものだ。ミルテはしみじみ実感した。先ほどとは一変変わって凍えるような声を上げたレイドに視線で呼ばれる。直ぐ様逃げてしまいたい! とミルテは心の中で叫んだ。
「彼女は神殿仕えの司書です。幼い頃から勉学に励み、やっと幸の乙女と言う重要な役目を任されました」
その口からスラスラと嘘が零れる。ミルテはレイドの隣で俯きたくなるのを堪えた。
「司書になるのにも多くの年月を費やすのですよ。彼女がどれほど神殿に仕えているか、あなたはご存知ですか?」
いいえ、と件の少女が答えた。可哀想に、さっきまで桃色に染まった頬が青ざめ、泣きそうになっている。言っていることはともかく、その微笑んでいるけれど冷たい顔が怖いのだろう。
「あの、レイド様……もうそこら辺で……」
私、帰りたいので。本音を隠して伝えてみると、何故か手を掴まれた。貴婦人たちからざわめきが漏れる。視線が痛い。
「せっかくですので、ここで司書についてもご説明しましょう。司書を侮辱するような者がなくなることを願って」
向けられた笑顔が凄く黒かった。ミルテはひっそり、心の中でレイドを詰る。私を巻き込まないで! と。
解放されたのは、それから一時間後のことだった。
ぐったりと疲れたミルテは籠の花が無くなった辺りで役目を終わる。伸びでもしたいところだが、人目のないところに行かなくてはいけない。ミルテは自分の聖域であり大好きな場所へ向かうべく、足取り軽く神殿へと入って行った。
広間となる磨かれた床の上を歩いて通り過ぎる。四方に作られたステンドグラスが夕日に煌めき、床に虹色を描く。遠くから聞こえる楽器の音に耳を澄ましながら、ミルテは呟いた。
「父様、今日も頑張るね」
父が管理していた書を綺麗に保つために。司書は天職であり、父の想いを受け継ぐものだとミルテは知っている。
太い柱で支えられた広間を後にしながら、ミルテは階段へと向かって行った。
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