第3話 風信子

アンドロイドが家庭に導入されて、いくつかの法律が整備された。

それらの内容はいまだに特例法として運用されている。


***


隣にいる彼女は、俺が書類を書き終わるのを待っていた。

書かれている文章を目で追いながら、その表情は不安を表している。


「こうしていると、昔を思い出すな」

「昔、ですか?」


ああ、といいながら努めて明るく話しかける。

そうでもしないと俺の緊張が彼女に伝わってしまいそうだから。


「信子と会う少し前も、こうして俺の代理になる人が書類を書いてたんだ。その時に俺はその隣にいて、たぶん隣の部屋に信子がいたんだ」

「ああ……覚えています。私はあの時そう。隣の部屋であなたに会うまで待っていました」


俺はその時12歳だった。当時流行っていた流行性成人感染症により両親を亡くした俺は、頼れる親類も居なかった。施設に入ろうにもすでに満杯になっており、どこに行っても受け入れてくれる場所はなく、しばらく児童相談所で監察員の人にお世話になっていた。その時は俺よりも小さい子ども達も同じ場所にいたが、施設に少しでも空きができれば小さい子どもたちから順に施設へと送られていった。


いつ施設に入れるのか、それとも誰かが引き取ってくれるのかを待ち続ける日々。そんな時にアンドロイドによる児童の保護、育成が国から認可されたという報告があった。

職員の人たちからそのことを聞かされた俺は、すぐに行きたいと言った。

いつ脱却できるかわからない日々に訪れためったにないチャンスだと、そこに乗るしかなかったと思っていたと思う。


「初めて会ったとき、アンドロイドとは思わなかったなぁ。普通の優しいお姉さんって感じだった」

「え、初めて聞きました」

「だろ?初めて言ったからな」


こんにちはと最初にあいさつしたときの彼女の見た目は20歳前後の年若い女性といった風貌だった。見た目は、そう。どこにでもいそうな女性。街中で出会った女性10人を混ぜて10で割ればできそうな顔。けれど、優しそうな笑顔が印象的だった。


「優しそうな雰囲気だったけれど、あれはそういったプログラムなのか?」

「ええ…そうですね。アンドロイドは人にとって最も好印象な笑顔を一応プログラミングされています。それを受けて個々のAIが表現するので、皆同じというわけではないですけど…」


それからの暮らしは、親子というよりは2人の人間が同居しているようなものだったと思う。本当に小さい子どもならともかく、自我が確立しきっている子どもの場合はそうなってしまうのではないだろうか。

俺もなんというか、繊細な年頃だったから、信子は俺を育てるというよりは親を亡くしたことに対するカウンセリング、学校生活等での相談相手をいう立場をとっていた。

当時の俺はがむしゃらに一人で生きていけるとか息巻いていた。信子なんていなくても俺は一人で生きていけて、お前のところに行けば児童相談所からも施設行きからも逃れられるからなんだと言って信子の言うことも跳ねのけていた覚えがある。

けれど信子はそんな俺の考えも理解しようとしてくれて、支えてくれた。


結局俺は両親の死を受け入れられず、誰も聞いてくれないその思いを発散できずに暴れていたんだ。児童相談所にいた頃の俺は大人しかった分、余計戸惑ったんじゃないかと思う。

たぶん、児童相談所にいた頃は現状を受け止めきれなかったし、安心できる環境じゃなかったからなんだ。それから信子と一緒に暮らして、ここが安心できる環境だったとわかったときから、暴れて、それで段々と落ち着いていったと。


「思えば最初の頃俺とっても悪いガキだったよな…」

「ふふ。今思えば男の子の反抗期そのものでしたよ」


書き上げた部分を上から丁寧に見返す。間違っているところはないかと。

隣の信子も同じように確認してくれる。彼女の見た目は換装によって40代ほどになっていた。世間でいうならばすこしお若いお母さんだろうか。


「………ケンちゃんは後悔していないの?」


彼女の顔を見つめていると、視線を感じたのか書類に目を落としたまま信子はそう聞いてきた。


後悔。思えば彼女に俺が掛けた迷惑についてはいろいろ反省していると返すと困ったように笑われた。

高校、そして大学に上がる頃になると俺たちは親子というよりは仲のいい年の離れた姉弟のようになっていった。

どこかへ買い物に行ったり、旅行に行ったり、俺の友達を家に呼んだときは一緒に食事したり、そんな風に。


そして社会人になる頃、管轄が県におりてきたアンドロイド機関から連絡が来た。

アンドロイドによる養育期間の終了と、承認のサインが欲しいという連絡だ。

俺が内定を取った連絡を入れてからそれはすぐに来た。かねてより信子といずれこうなることがわかっていたから、ショックを受けることはなかった。

周りだって、早い人は18歳で就職をしてアンドロイドを返却しているそうだ。それからはデータバンクに行けばデータ復旧して会うこともできるんだから、まぁいいだろうと。そう思っていた。


「不思議なものだよなぁ」


だが、それがいざ決まったある日から俺の中の感情が変化していたことに気づいたのだ。

数年暮らし、信頼していた彼女ともっと一緒にいたい。別れたくない。彼女とこの先どこかに出かけたり、話したりしたいと。そう思っていることに。

その考えを信子に伝えると、彼女は驚いた顔をしてからそれから泣きそうな顔をした。

どうしてそんな顔をしているかと尋ねると、彼女もわからないらしい。


『あなたはやがて私から離れて、そして素敵なお嬢さんと出会って、恋をして。結婚して、子どもを授かって、そしてあなたみたいな思いをさせないように育てて』

『私はそれを夢見ていた。……できるならば私もあなたとずっと一緒にいたいと思ってるけれど、それではあなたは不幸になってしまう。』



アンドロイドが養育した子どもを世間ではAndroid Childrenと呼んでいる。

流行性成人感染症を忘れないため、そのために犠牲になった人たち――これは亡くなった人たちと、同時に遺された子ども達もさす――も忘れないため。

そしてアンドロイドによって養育されたことによる社会変容を指摘する学者によって名付けられたものだ。


今のところ普通の子どもとの有意差は指摘されていないが、もし俺が彼女と一緒に居たいと言えば世間から好奇の視線を受けることになるだろうと心配していたのだ。

お互いに似通ったこの感情に名前を付けなかったのは、認めたくなかったのだと今は思う。


「信子」

「はい?」


呼ばれてこちらに視線をあげた彼女を愛しく思う。誰よりも大切な存在だ。


「これからも大切にするから、俺のことを支えてくれるか?」

「………」


視線を一心に受け止めながらも、彼女は何も言わない。

だけど瞳には悲しいような、切ないような表情が見えている。


「あの時も言ったけれど、俺は後悔しない。お前に逆らうようで悪いが、『俺の幸せは俺が決める』」


サインに偽りなし、記入漏れなしを確認し、手のひらでポンと叩いた。

その音に驚いて信子の肩が揺れる。


「お前の返事が無ければこの書類は提出できないんだが、さて、どうだろう?」

「あの……」

「…………」

「………………………うん。支える」


その言葉をきちんと耳で受け取ってから、目の前にいた職員へ書類の提出をする。

少し怖いから隣の彼女の手を握りながら。信子はやっぱり不安な表情をしていたけれど、握り返すその手は温かく、優しかった。


***

アンドロイド法は特例で設けられたもので、誰が考えたのかアンドロイドとの結婚についても記載されていた。

1. 子どもが社会的に問題ない立場であること

2. アンドロイドが同意していること

3. 届け出を出してから3年以内に養子をとり、子どもを養育すること


以下省略。まぁ大事な部分はここだ。


***

アンドロイドと養育した子どもの関係において誰かが予想していたのかもしれない。

そして、もしそうなった人のためにこんな抜け穴を用意した。というのは俺の考えすぎかもしれない。

最悪の結果として捉えて、養子をとることでAndroid Childrenのような子どもを増やさない対策だったのかもしれない。だが、所定の手続きをすることで俺は信子と離れ離れにならずに済むならば、ためらわなかった。


「婚姻届けは受理されました。……おめでとうございます」


そう言って微笑む職員に礼をしてから、俺たちは市役所を出た。

汗ばんだ手をつないだまま、家路につく。傾いた夕日が道の先に沈んでいく。


「すごく緊張した」

「……してたね」


息を吐くと、隣の信子も同じようにふぅっと息を吐いた。


「俺としては、国に信子を返したくなかったからこうしたけど、お前こそ後悔してないのか?もう書類出しちまったけど」

「うん。私は、後悔してない。私だって、ケンちゃんが好きだもの。離れ離れにはなりたくない」


そう言って俺を見上げた信子の顔は、夕日に照らされて綺麗で思わず見惚れた。

最初に会った時よりもずっと人間らしくなった、信子そのものと言っていいその表情、顔貌。


もし俺が国に返却してしまえば彼女はまた別人として他の人のところへ行ってしまうかと思うと、耐えられなかった。

執着?嫉妬?……ああ。そんな感じの感情だ。もっと言うなら恋慕に起点を置き、そこから生まれる感情。


「………」


彼女がアンドロイドだから好きになったわけじゃない。もし彼女が人間で、同じように俺と関わってくれていたらその人を好きになっていただろう。


「ケンちゃん。あの、」

「?」


視線を前に戻してから信子は口を開く。


「こんな年甲斐もなく、とかいうと変なんだけど。一緒に居たいとか、好きだとか言ってもらったのだけど、その、つまり、私はケンちゃんの何だろう?」


なんとなく答えを待っているような言い方は一応年上として、養育者としての立場上言いにくいからだろう。


「昨日までは一応の養育者。そして今日からは俺にとってのお嫁さん」


夕日にあてられ、感傷的またはロマンチストになれそうな気分の俺は何も考えずそう口にすると、すさまじい勢いで信子はこちらを向いた。


「!!………っ!?」

「そんな顔するなよ。前向け前」


ゆっくりと顔を正面に直す。

夕日で顔が赤い。そう。夕日で顔が赤い。


「そしたら…換装をケンちゃんと同世代に直してくるね。その、お嫁さんって行っても変に思われないようにしたいって言われたら、研究所の人もわかってくれると思う」

「信子がいいなら別に」

信号で立ち止まる。確かに今の状態だと年の差カップルに見えるかもしれない。

「また、ずっと一緒にいられるんだね」


そう言って微笑む信子の横顔を見ながら、俺はうんと頷いた。



おわり


信子―ヒヤシンス、風信子(ヒアシンス)

花言葉は「悲しみ」「悲哀」「初恋のひたむきさ」

英語では”I am sorry””sorrow””please forgive me”

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