Track3:紙魚の告発

紙魚の告発(1):篠崎ソラは誘う

行方不明者:生活の本拠を離れ、その行方が明らかでない者であって、第六条第一項の規定により届出がなされたもの

【行方不明者発見活動に関する規則(平成二十一年十二月十一日国家公安委員会規則第十三号)第2条第1項より】


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 警察庁が毎年取りまとめている統計資料によると、行方不明者の届出は過去10年の間、ほぼ横ばいの件数を維持している。

 行方不明者の届出と同様に、警察庁は、所在確認できた人数についても統計資料を取っている。最新のものから数字を追いかけると、所在確認ができた者の数は毎年の届出数の8割ないし9割に届くことがほとんどである。

 この所在確認者と言うのは、統計の年次内に発見された人のことを指しており、行方不明の届出が出たのは過年度であるケースも含まれている。

 それでも、統計上、極端に所在確認が取れない年がないことを踏まえると、ほとんどの行方不明者は、何らかの形で発見されているはずである。

 なお、行方不明者のうち、約4%は発見時に死亡が確認されている。


*****

 喫茶店マボロシがあるのは、駅前通りのビルの1階だ。道路に面する壁は八割方がガラス張りで、ガラスの前には通りに面するように座席が並べられている。道路と店の間には植え込みがあって、何本か立派な街路樹が生えている。それでも、窓に面した席に座れば通りの様子は良く見えるし、通りからも店の様子が見える。駅前通りは通勤通学などで往来が多く、まるで水族館の巨大水槽の前に座っているかのようだ。

 斜向かいには、駅前通りと交差して作られた商店街がある。市内に大型のショッピングセンターがオープンして久しいが、今でも商店街を訪れる市民は多い。

 市は取り立てて観光業に強くない。観光名所もなく、市外から流入してくるのは市内で勤める者、あるいは近隣の市町村に暮らす者がほとんどだ。それ故に、大型ショッピングセンターの進出は、全国の地方公共団体の事例に漏れず地元の商店街の弱体化を惹き起こすはずだった。

 しかし、おおかたの予想に反し、今日もまた商店街は活気を保って営業しており、往来が絶えることはない。その裏には商工会の語るに尽せない努力があるのだが、それはそれとして、現実は必ずしも予測通りにはならないことを教えてくれる。

 ところで、それだけ人通りが多い場所にありながら、喫茶店マボロシを訪れる客は少ない。三カ月前、駅構内に出店した全国チェーンのコーヒーショップがいつも満席で、客が列をなすのと対照的である。

 それでも不思議なことにマボロシは今年で開店15周年を迎え、昼食と食後のコーヒー代を踏み倒そうとする便利屋が通い詰めていても経営が傾く気配はない。

「この前、不思議と潰れない店っていう特集番組を見たの。街の布団屋とかね」

 少女はカウンターで成人男性でも完食が難しい大盛オムライスをなんなく胃に収め、唐突に昨晩観たテレビ番組の話を始めた。オムライスの皿は向かいのキッチンにたつマスターに回収され、瞬く間にきれいに洗いあげられる。

 水鏡紅(ミカガミ-ベニ)。高校生、あるいは大学生程度にしか見えないこの少女は、マボロシのツケ払い客リストの上位に入る便利屋の片割だ。年齢不詳。少なくても学生ではない。

 便利屋の仕事がないときは、一日中マボロシの店内で本やパソコンに向かっている。便利屋を見つけたければマボロシに顔を出せ。そういうメッセージにつながるし、本やパソコンに向かうのは社会勉強なのだという。だが、マスターの出す食事が美味しいから居ついている。本音はそんな野良猫みたいな理由と私は疑っている。

 最近は便利屋の仕事以外にもレンタルビデオ店でアルバイトを始めたらしい。週に2回。火曜と土曜はマボロシに顔をだしても紅に会うことはできない。これではマボロシに行っても便利屋が見つからないのだ。

「この店がどうして潰れないのか、という話題ならやめてくれよ。ツケを清算できるほど依頼は来ていない」

 紅の隣でマスターの顔色を窺いつつコーヒーを飲む青年は、久住音葉(クズミ-オトハ)。紅の相棒、もう一人の便利屋だ。彼も紅とそれほど年齢が離れたようには見えない。二人が並べば音葉のほうが年上に見えるが、それでも24,5歳。社会人の成り立てくらいの年齢だろう。

 ただ、彼の場合、久住音葉として過ごした時間はたったの8カ月しかない。交差点で水鏡紅に声をかけられたのが、音葉としての始まりで、それ以前、どこで生まれ、何をして過ごしてきたのか。彼は一切の記憶を持っていなかった。

 久住音葉という名前でさえ、紅が呼んだから名乗っているに過ぎない。その名前を記憶を失う以前の音葉から聞いたのか、紅が勝手に名付けたのか。紅は、音葉が音葉である前に結んだ約束を理由に、当時のことについて口を噤む。


 充分変わった経歴の二人だが、興味深いのはそこだけではない。記憶喪失、その語彙は、漠然と失われた自分の過去を求め、アイデンティティの喪失に悩むイメージを与えるが、音葉が最も怯えていたのは社会的身分が存在しないことだった。彼は、自分が久住音葉だと示すことができないがゆえに、居を構えることも、銀行口座を持つことも、職に就くことすら難しかったという。

 社会生活を送るために必要な基盤の一つが社会的身分だったというわけだ。現実には、出生を隠し、身分を偽り、過去と決別して生活している人間もいるし、そうした者たちを受け入れる場も存在する。だが、音葉という青年は、あくまで自身の社会的身分が保証されることにこだわった。


 そして、二か月前、6カ月にわたる音葉の拘りが実り、記憶が戻らないまま正式な戸籍を手にした。彼の戸籍取得に尽力したのが、遠上則武(トオガミ-ノリタケ)。ふくよかな体形に無精ひげがトレードマークの、占い師や霊能者を顧客とした風変りな弁護士だ。

 彼らのもう一つの興味深い点。それは、彼と紅が超常的な現象――怪異により起きたとしか説明のできない事件を追い求めていることだ。

 私、篠崎ソラ(シノザキ-)も、とある港町に伝わる動く硝子細工について調査を依頼したのが、音葉らと付き合うようになったきっかけだ。調査の結果、動く硝子細工というのは、港町の伝統工芸を曲解したウワサに過ぎなかったのだが、以来、私は風変りな事件、オカルトじみたウワサを聞きつける度に、以前よりも頻繁にマボロシに顔を出すようになった。


「まだ精算は頼みませんよ。音葉君がたまにウチの仕事も引き受けてくれるおかげで、多少は楽ができているのも事実ですからね」

 マスターの言葉に、音葉は照れたように微笑み、頭を下げる。店の繁盛ぶりからすると、マスター一人でも充分に回せるだろうに、音葉が担当する仕事があるのか。

「声に出てますよ、篠崎さん」

「あら。それは申し訳ない。でも、昔からマスター独りで切り盛りしているじゃないですか。彼に頼むことなんてあるんですか」

「こう見えて、音葉君は良い目を持っているし、値切りも上手なんですよ」

 どうやら、マスターは、コーヒー以外の食材の仕入れを定期的に依頼しているらしい。聞けば、野菜や卵などは農協が営む直売所などを訪れて選んでいるそうだ。

「そういえば、マボロシのメニューがまた美味しくなったって、編集部で話題になっていましたね」

「とってつけたような話だけど本気でそう思ってます?」

「人を無駄に疑うものじゃないよ、編集長はマスターのコーヒーとホットサンドが大好物なんだから。でも、最近は新メニューの野菜カレーが美味しいって絶賛で、メニューの秘密聞いてきたら記事の枠一つとってやるって話をしてたんだから」

「それはありがたいですね。でも、レシピは秘密です。ただ、野菜カレーをはじめられたのは、音葉君が直売所で良い野菜を見つけてきてくれるようになってからですよ。少し拘りたい材料があったんです」

「……役に立ってるんだね、音葉君」

「一体僕らのことを何だと思っているんですか篠崎さん」

「そりゃあ、開業したての便利屋さんだね」

 2か月前、戸籍の取得と合わせて、久住音葉はマボロシの入っているビルの二階に便利屋の事務所を構えた。それまでは、知人の口利きでマンションの一室に暮らしていたというが、事務所開設と合わせてマンションを引き払い、音葉と紅は生活の拠点を事務所に移した。

 もっとも、音葉の強い拘りにより事務所には「OFFICE」とかかれた小さな表札と、犬探しに関する小さな掲示板が掲げられただけで、未だにマボロシのカウンターに置かれた小さな宣伝カード以外に便利屋音葉を知る術はない。

「それで、今日は何の用ですか。コーヒーしか頼んでないし、先週会ったときは取材で忙しいって話していたじゃないですか。息抜きにきたわけでもないでしょう」

 雑談に飽きたのか、音葉が本題に切り込んでくる。そう、彼の言う通り、私は別に暇つぶしにきたわけでもないし、今日はマスターに用があったわけでもない。


「もちろん、便利屋久住音葉への依頼だよ。本泥棒を見つけてほしい」


*****

「本泥棒……ですか」

 篠崎ソラ。普段は雑誌記者として街の美味しい飲食店や市内で起きた小さな事件を追いかけているこの女性は、趣味で“本物”のオカルト話を探している。いつもビジネススーツに身を包み、凛々しい顔でマボロシを訪れるがその口から出るのは突飛な噂話が多い。

 本人の話によると、小さなときから河童を探している。記者になったのも、取材で方々を旅すれば河童に会える確率が上がると考えたかららしい。もっとも、あと数年で30歳を迎えようとしている彼女が河童に巡りあったという話は聞かない。

 音葉の記憶では、篠崎はマスターと同じ程度に付き合いが古い。音葉が、音葉と紅が探している怪異――現実に紛れ込んでいる“雑音”、ノイズの情報を集めるために便利屋の仕事を選んだきっかけは彼女の依頼にある。

 本人が意識しているかはさておき、ノイズにつながる情報を持ってきてくれるのは有益な協力者だ。彼女の依頼は断りにくい。ただ、それでも。

「窃盗犯の確保は便利屋を頼るより、警察に相談なさる方が確実ではありませんか」

 表情に出ていたのだろうか。口にしづらい疑問を、マスターが先に尋ねてくれる。

「そうだよ。音葉は確かに窃盗や空き巣を捕まえちゃう才能があるけれど」

 それは才能というより、音葉と紅が有する力、技術の副産物だ。だが、篠崎の前で話すことでもなく、紅の指摘に音葉は肩をすくめた。紅は頬杖をついて目を細める。どうやら、話を膨らませなかったことが気に入らないらしい。この依頼は断りたい。暗にそういう圧力を感じる。

「たまたま。偶然にも窃盗犯に会うことはありますが、マスターの言う通り、犯罪捜査なら僕たちが出る幕はないと思いますよ」

 仕方なく断りを入れると、篠崎がため息をついた。

「そうじゃないの。見つけてほしいのは本泥棒なんだけれど、いわゆる万引き犯とかじゃなくてね」

「盗作?」

「ある意味作品は盗まれているんだけれども……説明がしにくいから現物を持ってきました」

 現物を持ってきた。本泥棒を見つけてほしいという依頼と噛みあわない発言だ。篠崎は鞄から二冊の雑誌と一冊の文庫本を取り出してカウンターに並べる。

 一つは篠崎が勤める出版社が出しているタウン誌。篠崎が駅裏に新しくできたハンバーガーショップの記事を書いた号だ。発売日は先週で、アボカドバーガーがイチオシだという記事が載っていた。篠崎の薦める通りアボカドバーガーは美味しかったが、紅はジビエセットという鹿肉・ぼたん肉・馬肉のハンバーガーセットを気に入っていた。店側はお遊び程度で用意したメニューらしく、店長が目を丸くしていた。

 もう一つは地域の観光ガイド。旅行に行く機会がないため手に取ったことはないが本屋でよく見かける。2ヶ月に1度程度のペースで刊行されているものだ。表紙を見ると3日前に発売されたばかりの最新号である。

 最後の一冊、文庫本は古典文学を多く出版している出版社からのものである。古いSF小説などでは独自の言語体系を有する異星人との交流などが描かれていたりするので、タイトルの文字が崩れていて読めないのは意図的だろうか。それにしても、作者の名前すら文字がうねって消えかかっているのはデザインとして失敗している。

「現物って、泥棒なのに現物が出てくるのおかしくない? 篠崎さんが犯人なの?」

「本泥棒という表現が悪かったかな……別に、書店から本を盗む輩を捕まえてほしいという話ではないの。これら三冊は被害品。本泥棒っていうのはこれ」

 篠崎はそういってまずタウン誌を開いた。彼女が開いて見せたのは、件のハンバーガーショップの紹介記事が載っているページだ。

「篠崎さん、ちゃんと記事書いていたでしょ。アボカドバーガーが逸品だって」

 率先して覗き込んだ紅が目を丸くしている。音葉とマスターもそのページを見て顔を見合わせた。確かに、言葉では説明しにくいが、本泥棒と形容するのもわかる。

 目に入るのは店主とハンバーガー、店内を映した写真だ。だが、写真以外の部分はほとんど判読ができない。まるで紙の上に並べた文字を息を吹いて散らばしたようにページの外周に文字が散らばり文字と文字が重なっているところはもはや黒く塗りつぶされていて文字なのか黒く塗ったのかを識別することすら難しい。

「これは、印刷ミスでしょうか」

 マスターの疑問に篠崎は首を横に振る。雑誌の印刷がどのように行われているのか、音葉は知らないが、印刷ミスと呼ぶには奇妙な紙面なのは確かだった。他のページを捲ってみると、問題がないページと篠崎の記事が書かれたページのように文字だけが崩れて消えたページが入り乱れている。

 観光ガイドも文庫本も似たり寄ったりの状況だ。観光ガイドの一ページでは風光明媚な写真を横切るように文字が整列しており、ページの端で渋滞を起こした文字が溢れかえっていた。文章となるはずだったものが無作為に並んでしまっているので、意味がとれる箇所はほとんどない。

 文庫に至っては白紙のページか、文字が端に寄って黒い帯を作っているページしかなくておよそ物語を把握することができない。


立派な不良品だ。

「印刷所から出てきた段階でこうってわけじゃないですよね。僕も紅も篠崎さんの記事は読みましたし」

「私も気になって、ほかの店で売っている同じものは確認したし、印刷所にも連絡を入れてみたけれど、こんな状態の本は見つからなかった」

「ほかの店? もしかして、これ全部一つの本屋で見つかった異常なんですか?」

 篠崎は頷く。だから、彼女は本泥棒という呼称をしたのだ。だが、店舗の生鮮品が腐ったような話と違って、特定の店舗の本だけが異常をみせるなんて話は聞かない。何より、紙面の文字だけを崩す品質異常は想像がつかない。

「警察に見せたところで、印刷時に変な本が混ざっていたで済まされてしまうの。でも、こんな文字の歪み方、印刷機の異常なわけないじゃない。印刷の異常なら、特定の本屋の商品だけがこうなるわけがないし、なにより写真や背景が歪まないのは変でしょ」

「でも、印刷後にこういう変化をするのもおかしい。なら、ありうるとすれば、本物に似せた贋作。本を買って1ページも狂わずに複製し、製本する。おかしなページを混ぜ込んだ本物そっくりの贋物。それを本屋において楽しんでいる奴がいる。

 本泥棒と言うよりは、迷惑ないたずら、嫌がらせの類なんじゃないですか」

「そうだとしてもよ、音葉君。警察は動いてくれなくて、本屋に勤める友人は困っているの。私だって、こんな気味の悪い現物をみせられたら、なんでこんなことが起きたのかを知りたい。でも、調べる手段がない。

 そこで、便利屋の出番ってわけ。事務所開きの記念に報酬は弾むからこの通り!」

 篠崎は鞄から封筒を取り出して、音葉ではなく紅の前に置いた。紅が封筒の中を確認してため息をつく。

「まずは、篠崎さんじゃなくて、篠崎さんのお友達から話を聞くところから始めるべきなんじゃない。篠崎さんの話だけでは何が起きたのか、よくわからないんだもの」

「おや、ツケの精算ができるくらいには弾まれた報酬だったのですか?」

「少なくても、今日のお昼代くらいはなんなく払える程度には」

 封筒から紙幣を取り出し、マスターに差し出す。どうやら、紅が依頼を受けるよう翻意する程度には報酬が弾んでいるらしい。

 もっとも、奇妙な本のページを見たときから、彼女もノイズの仕業と感じていたのかもしれないが。


*****

 あの本屋のウワサ知ってる?

 閉店間際になると出るっていう幽霊の話。

 知らないの? なら少し教えてあげる。あの本屋、このあたりではすごい広いじゃない。監視カメラとかもたくさんあるけれど、実は店員からもカメラからも死角の棚が結構あるんだって。

 万引き防止になってない。そう、なってないよね。でも、本につけたタグのおかげでそのまま持ち去ろうとすると入口でブザーが鳴るから、それで大丈夫らしいよ。ってそうじゃなくて、今は幽霊の話。その幽霊ってやつは、カメラとか店員が見ていない棚の前に現れるんだって。

 真っ黒で、背丈はすごく小さいの。平置きの棚よりは高いけど、手を伸ばしても2段目の棚の本を取るのがやっとくらいだって。あ、そうだね。小学校入学前の子供みたいな感じだと思う。でも、顔も体も何もかもが真っ黒でよくわかんないんだって。

 そうそう。そう思うじゃん。黒くて小さな影みたいな幽霊。でも、近づいてみると黒いのは影なんかじゃないの。小さな虫みたいなものが大量に表面を覆っているから真っ黒なんだって。それで、そいつの身体にうっかり触れちゃうとね、頭の中にすごい音量の声が響いてきて気を失っちゃうんだって。

 何て言っているのか? そんなのわかんないらしいよ。とにかく五月蠅くて立っていられないんだって。それで気が付いたら幽霊はいなくなるんだけど、手には黒いインクみたいなものがべっとり付いているんだってさ。

 なんでそんなことまで知ってるかって? ほら、カナコの彼氏。そいつが本当に幽霊に会って、倒れちゃったらしいのよ。カナコから聴いたわけじゃないし、絶対に内緒だよ。誰にも言っちゃだめだからね。 

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noise 若草八雲 @yakumo_p

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