人面犬を捕まえて(12・終):探偵には不向きな仕事

 横山邸でのダイヤの4封印から10日。

 あの夜、間島正真に殴られたダメージは思った以上に深刻で、横山邸から出てきた鍵師オガミこと遠上にそのまま病院へと運ばれ、今日まで入院する羽目になった。

 身元は定かでないうえに、間島正真が消滅したために、怪我の理由についても説明できない。そんな不審な患者を病院が受け入れたのは、遠上と鷲家口眠の協力によるものらしい。

 音葉自身は病院に着くころには気絶していて、気づいた時には病院のベッドで二日ほど眠ったあとだった。

 数日たってやってきた見舞客は、意外なことに木曽尾道だった。

「どうも相当面倒な相談ごとに巻き込んでしまったみたいだね」

 木曽は、あの日、音葉の急な依頼に応じて、八婆地区の寄合衆の家を訪問して歩いた。彼が矢又千恵美を見つけたのは、音葉たちがダイヤの4を封印したのとほぼ同時刻だったという。地下室のことを問い詰めたせいで、寄合衆からあらぬ嫌疑をかけられて暴行を加えられそうになっていたところを、木曽が止めに入ったのだという。

「その寄合衆って誰だったんです」

「君たちは八婆の実情に詳しいわけではない。私も今回の件でほんの少し話を聞き及んだだけですが……伊都庫一(イト-コイチ)という名前の老人だ。彼の家にはまだ善ノ工務店の施工が入っていなかったらしくてね。地下室を見せてほしいと詰め寄っていた。伊都という老人もかなり強情で、私が訪れた時には取っ組み合いだった」

 伊都という名前には聞き覚えがあった。確か、横山与太郎の旧友だったはずだ。

「よく覚えているね。遠上先生も、伊都の名前を聞いて、何か思い当ることがあったらしい。彼が手掛けていた事件とも関わるらしく、君の調査に協力してよかったと話していたよ。もちろん、横山与太郎氏の安否確認も終わったし、私も感謝している」

 横山与太郎。ダイヤの4を封じるまで、彼は横山邸二階の自室で療養していた。ダイヤの4の消滅と共に、人面犬は消滅し、療養していた与太郎氏は快復した。

 音葉への依頼の発端となった年金の不正受給疑惑は誤報ということで処理されたが、代わりに、住民課の職員、矢又千恵美による大量の個人情報漏えいが発覚し、問題となっているのだという。

 掘り出された事件は大ごとだが、依頼が完遂されたことは間違いない。木曽はそう言って、音葉と紅に予定通りの報酬を支払った。金には誠実だという主張通りの振る舞いだった。


 ところで、与太郎氏は木曽に真実を話していないようだが、頭空尊が蔵に封じられた日から、人面犬と入れ替わっていた。横山邸のベッドで長期間寝ていたのは、正真正銘、横山邸に迷い込んだ迷い犬だったというわけだ。

 ダイヤの4が封印された直後、同室にいた与太郎と迷い犬は無事に身体と精神を元に戻し、遠上の車に運ばれる音葉に顔をみせた。犬ではなく人間の身体をもったポチもとい横山与太郎氏は、周囲の評判の通り優しそうな印象の老人だった。

 与太郎氏に会ったことはなかったが、音葉と紅のことを知っていたし、ペットホテルの話を持ち出したので、音葉たちは彼が数日間一緒にいた人面犬ポチなのだとすぐにわかった。

 それではポチはどうなったのか。紅の疑問に、与太郎氏は微笑んだ。

「儂の代わりを務めてくれていたからね。疲れて部屋で眠ってしまったよ。大丈夫、元気になったら姿を見せにいこう」

 紅からのメールによると、音葉の入院中に喫茶店マボロシに与太郎氏とポチがやってきているらしい。こちらもまた律儀な人だったらしい。


*****

 入院中の日々はあっという間に過ぎていき、あっという間に退院の日を迎えた。遠上から、事件の後始末について整理しておきたいと言われ、音葉は病院からまっすぐ、喫茶マボロシへと足を運んだ。

 マスターが久しぶりだねと声をかけてくれたので、音葉はちょっとくすぐったい気持ちになった。音葉以前の記憶はないが、少しずつ、久住音葉としての生活は生まれている。

 ボックス席には既に紅と遠上則武がいた。紅がコーヒーを飲んでいて、遠上はパフェとケーキを頬張っている。

「おお。久住。すっかり良くなったみたいじゃないか。腹と腕、ちゃんと動くか?」

「大丈夫ですよ。若干痛みますが」

「坊主との立ち回りは見ていないが、病院に運んだときは酷かったぞ」

「今回は遠上さんに色々と助けられました」

 頭空尊が横山邸にあると当たりをつけたとき、困ったのは横山邸への侵入だった。封印するべきノイズは頭空尊であるため、最低限、紅は横山邸に入る必要があった。他方、問題は訪問者への対処である。音葉と紅、二人で横山邸に侵入した場合、外部からの攻撃に対応できるか自信がなかった。とはいえ、どんな役を演じようとも紅一人で横山邸を訪問して、彼らが紅を信用する可能性は低い。

 遠上が紅と共に横山邸への侵入役を演じてくれたことで、音葉は横山邸に集まる訪問者たちを迎え撃てたのだ。

「でも、よくあのタイミングで鍵師なんて話になりましたね。霊媒師で押し切ろうかと思っていたんですが」

「それは遠上さんのアイディア」

「晩入から、善ノ工務店の名前がでた時点で仕事と繋がったんだ。偶然だな」

 音葉が矢又千恵美の部屋を訪問している間、遠上は善ノ工務店の現状の情報を手に入れた。遠上が勤める法律事務所は、以前からリフォーム詐欺の被害者から相談を受けており、善ノ工務店の内情については詳しく知っていたのだという。

「善田水甲は、善ノ工務店の前代表者で現在の経理部長。工務店の後ろ暗い仕事を一手に引き受けていたんだ。八婆での仕事は、伊都庫一から誘われて善田が持ってきたんだそうだよ。どうも、初めは寄合衆の家にある後ろ暗いモノの処分を頼まれたって話らしい」

 後ろ暗いというのは、頭空尊の被害者たちの骨のことだろう。

「善田は初め、地下室に何があったかは詮索しなかったらしい。だが、どの依頼も地下室の封鎖が絡むので興味が出たんだろうな。客の一人に尋ねたら揉めたんだそうだ。そう、二人の予想通り、揉めた客というのが伊都庫一だ。善田はそれで今まで手掛けたリフォームも含めて、八婆の家には何か隠し事があると踏んだ。

 そんな折に、間島からリフォーム詐欺のネタ、要するに強請る方法として地下室と頭空尊の話を聞かされた。善田がどこまで信じていたかはわからないが、それが善ノ工務店がリフォーム詐欺に走ったきっかけだよ」

 紅が与太郎から聴いた話によれば、伊都庫一は純粋に寄合衆に伝わる負の遺産を処理しようと考えていたらしい。初めは伊都と仲のよい何名かの家の地下室を埋めていたが、骨の処分方法に難儀した者がでたことから、伊都は与太郎に相談に来た。

 与太郎が頼られたのは、寄合衆のなかで、横山家が一番結界の仕組みに精通していたからだ。横山光里もクラブの1の姿を捉えていた。横山家はいわゆる霊感の強い家系なのだろう。

 相談を受けた与太郎は、結界の仕組との関係について疑問は残るものの、地下室、蔵を埋めるのであれば、骨の供養、先祖の禊は済ませたいと申し出た。与太郎が伊都と巡ったのは、かつて寄合衆が頭空尊の実験の犠牲者、八婆で化け物にされた人々の子孫の家なのだという。

「でもさ、その伊都さんはなんでいきなり地下を埋めるなんて話を始めたの。訪問者が出てくるようになったのは神域の社が破壊されたからでしょ。たぶん、それまでは神域の結界は今までと同じように機能していたはず。まあ、あの蔵の様子をみると怖いけれど、一方で誰も困ってなかったと思うんだよね」

 紅の疑問はもっともだった。音葉たちが訪問者に追い回される羽目になったのは、結局のところ、善ノ工務店の人間が神域に入り、社を破壊したからだ。

「伊都老人に話を聞いてみたんだが、どうやら地下を埋めるべきという話自体は間島が提案したことらしい。当の間島が消えちまった以上、真意は確かめられないが、間島はお前らが気にしていた結界の崩壊を確実にしたかったんじゃないか?

 社を壊しても、八婆地区の寄合衆の家が結界の役割を果たす可能性があるんじゃ、結界を崩壊させる目的は達成できないだろう」

 遠上の発想は頷ける。だが、そうだとするともう一つの疑問が生じる。

「ただ、それなら横山邸の地下室もリフォームした後に社を壊すべきだったな」

 遠上の疑問には一応の回答がある。計画完遂前に、与太郎が正真の意図に気付いたのだ。おそらく、子孫の下を訪ねるうちに、頭空尊と結界の関係と、正真が結界成立当時から生き続けている事実にたどり着いたのではないか。旅を終えた後、彼が横山邸から出なかったのは、頭空尊の正体とその封印方法を改めて調べていたからだ。

 結局、横山邸の蔵は閉じられず、正真は結界を完全に壊す契機を失いつつあった。

「社を壊すように誘導したのは、苦肉の策だったんだと思います。本当は、寄合衆の家を全てリフォームさせてから、体の良い言い訳で社を壊させるつもりだったんでしょう。そうすれば、あとは頭空尊を現実に呼び込むだけで結界は壊せたんですから」

「しかし、あんな気味の悪い場所に立ち入って、古ぼけた社を壊すなんて、よくやる気になったよな」

「それは、与太郎さんの懐柔のためと説明したんだと思いますよ」

 頭空尊がどうして横山邸に現れたのか。紅が持っていた疑問は、音葉の入院中にマボロシを訪れた与太郎によって明かされた。

 頭空尊を持ってきたのはやはり、善ノ工務店の従業員だった。但し、その従業員は既に頭空尊により品種改良され、正常な思考回路を持っていなかったのではあるが。その日、長雨が終わり、与太郎が勝手口の扉が歪んでいることを気にしていたのは一種の虫のしらせだったともいえる。

 その男は、勝手口の扉を壊して庭先に入ってきた。腕が極端に大きくて、目が四つある怪人だったという。だが、見た目に比して意識はある程度しっかりしており、彼は与太郎に頭空尊を渡し、それを壊せば禊は済むのだと訴えたのだ。

「それで失神しなかったあのじいさん、肝が据わってるにもほどがある」

「いえ。与太郎さんは失神したんです。遠上さんと同じようにね。ただ、遠上さんと違って、怪人と共に迷い込んだ犬と与太郎さんの間で入替が起きた。遠上さんは頭空尊によって犬に入れ替えられ、本尊を壊そうとする脅威から逃れるための手伝いをさせられた」

 蔵に頭空尊を持ち込んだのは犬と入れ替えられ、意識が朦朧としていた与太郎氏自身だったというわけだ。頭空尊は蔵にたどり着き、神域と同等の封印で自身の身を護ることを選択した。蔵は社の代わりとなり、与太郎の前に現れた従業員は結界の中に引き戻された。

 横山光里が家に戻ったのは、結界の再構築の最中だった。だから、彼女は結界に引き戻された従業員の姿をみることなく、犬の精神が宿った父の姿のみを見た。

「ややこしい話だな。それに、半分くらいは到底信じがたい」

「遠上さんは、怖い話も不思議な話も苦手ですもんね」

 紅の指摘に遠上が露骨に眉をひそめた。だが、失神した姿を見せている以上、反論の説得力はない。

「とにかくだ。全てを計画した間島正真という住職は行方不明。だが、善ノ工務店の従業員も見つかったし、善田の悪事も突き止められた。お前らのおかげでうちの事務所の仕事も片付いたってわけだ。

 もっとも、相談に来ていた家は軒並み、地下室のことは隠したいと言い出してな。被害届は出さずに、過剰リフォームに関する代金を返金するということで話が落ち着きそうだ。それでも金はたりなくて善ノ工務店は廃業らしいが、廃業程度で済んで良かったともいえる。

 何はともあれ、これで今回の仕事は終わりだ」

 遠上は無理やり話に区切りをつけて席を立とうとした。

「待ってください。遠上さん」

 2カ月前の音葉ならこの男を止めようとは思わなかった。でも、今回のことでいくつか教訓を得た。

「なんだよ、まだ何か話があるのか?」

「ええ。いくつか。まず、身分取得の件、正式に対応をお願いします。それと、今後も便利屋を続けようと思うので、とりあえずその報告を」

「へぇ。意外だな。身分取得手続は、時間がかかるのが面倒だと思っていたんじゃないのか。それに、探偵業のほうが探し物に向いているんじゃなかったのか」

 遠上の指摘はその通りだ。だが、数日間調査をしてみてやはり身分がないのは結構と面倒くさいということがわかった。車一つ自力で動かせない。

 やはり、記憶喪失者にとって身分があることは最重要だ。そして、身分証はなるべく正式なものがいい。ちょっとした違法でも飛んだトラブルに巻き込まれかねない。

「今回みたいな仕事は、探偵にはむかないと思ったんですよ。街の便利屋、トラブルシューター。それくらい曖昧な方が、ノイズに関する仕事はやってくる。それに、身分取得までは正式な探偵業はできないって、遠上さんが言ったんじゃないですか」

 俺のことを少しは信頼するようになったのか。と遠上が自信ありげに鼻を鳴らした。おだてるつもりではなかったが、今回は助けてもらった恩もあるのでそういうことにしておこう。

「そういう話なら、久住。一件、俺の仕事を手伝わないか。報酬は弾む」

 遠上が座りなおしてバッグを開く。彼が取り出したのは全く面妖な写真であったのだが、それはまた別の話だ。

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