人面犬を捕まえて(9):怪談の仕組み-3

 長年税理士として生計を立てていた父は、税理士事務所を引退以降、我が家の裏手にある小さな菜園を手入れしながら生活を始めた。父が農業に興味を持つようになったのは、母と結婚して所帯を持ってからだというので、菜園の管理は、彼にとってかれこれ40年越しの夢への第一歩だった。

 事務所を引退し、税理士の登録を抹消した日のことは私も覚えている。いつもスーツ姿で柔和ながらも外向きに作られた顔で帰ってくる父が、その日はおろしたての作業服を着て、ちょっとスキップ気味で戻ってきたのだ。

 仁助兄さんから事務所での送別会があると聞いていて、母と私は、父が帰宅するのは日付が変わる頃合いだろうかと話していたので、まだ夕飯時にも満たない時間に現れた、いつもと全く異なる姿の父に大変驚いた。

 それほどまでに、父にとって農業への転身は大きなことだったのだろうと思う。


 父、横山与太郎は、非常に社交的な人間で、また旅が好きな人間だった。税理士としての仕事をするのに、全国を飛び回る必要性がどこまであるのかは私にはわからないが、仁助兄さんが引き継いだ事務所の面々が市内あるいは周辺自治体を主な活動領域にしていることからも、地域に根差した活動で十二分に収入を確保できる業種なのだと思う。

 だが、父の仕事は西の端から東の端まで、どんな辺境地にも顧客がいる。そんな印象があった。母は、半分は父の趣味だと話していた。かくいう母も父のそんな遠出癖が功を奏して、旅先で父と出逢ったというのだから、母が父の旅に寛容だったこともわからなくはない。

 そんな父も、菜園の手入れを始めてからは、遠出をすることがめっきりと減った。農業と言うのは、人出がなければ土地を離れることの難しい事業だという父の感想はもっともだが、父は必要以上に家と菜園に付きっ切りであったように思う。娘の目からみれば、旅好きだった父は、遠くの風景よりも、自分が育てた作物の成長に興味を持ったのだ。


 それが半年前、突然、2週間の旅行に出ると言い出した。家族を誘ってではなく、父の古い友人の伊都(イト)と二人きりでの旅行だ。伊都は父と同様、八婆の寄合衆の一人で、彼の家は代々大工をしている。伊都老人はもう5年以上前に大工を引退し、今は息子たちが大手建築会社に勤めているという。

 私は、職人気質の人間は家業を継いでほしいと思うものだと勝手に思っていたものだから、伊都が父の下を尋ね、息子らが建築会社に勤めたことを大層喜んで話していたのを聞いた時、とても意外だと思ったことがある。

 八婆に暮していて大工なんて仕事はやっていられない。それなら、普通に安定した仕事に就いて暮らしてほしい。夢はかなった。それどころか、息子たちが選んだのはこの業界だ。こんなに嬉しいことはないじゃあないか。

 記憶の中の父は、喜ぶ伊都老人に、何度も深くうなずきながら、酌をついでいた。

 息子の話をする以外にも、寄合の中では話があう間柄なのだろう。伊都老人は我が家に頻繁に顔を出す父の友人であった。だが、父とは反対に出不精の気質があり、彼は何処かへ遠出する、旅行というものを一切拒む性質であった。

 だから、家の中で旅の土産話をするのは必ず父で、伊都が話すのは八婆に暮らす人々の変化についての話題だった。

 そんな二人だからこそ、二人で遠出をする。国内旅行とは言え、遥か西まで、いくつもの町村を転々とする計画を聞かされた時には驚いた。父と伊都老人の計画は更に遡ること半年前から始まっており、訪問先は二人の合議により決めたのだという。

 父が話してくれた旅の工程は、国内旅行であるにも関わらず、私も母も、兄の威郎、仁助も知らない土地が多く含まれていた。観光地でもないそれらの土地を巡ることに何の意味があるのかと問うと、父は禊と祈りの旅なのだと話した。


 禊と祈り。伊都と父は一体何を洗い流そうというのだろうか。その時の私には、柔和な顔が崩れて、感情のない硬い顔を見せた父に、その真意を問いただすことはできなかった。私と母が神妙な面持ちで父の話を聞いてしまっていたがゆえに、遊びに来ていた威郎の息子、数智(カズトモ)が、おじいちゃんの話はゲームみたいだと混ぜっ返した。

 そこで、父も我に返ったのだろう。いつもの笑顔が張り付いたような顔に戻り、すぐに税理士時代のお得意様に挨拶をして回りたいのだと旅の目的を言い繕った。

 昔から、優しい顔をした男だと思っていた。少なくても私たち家族には怒った顔や涙などをみせたことはない。けれども、それは父が何かを我慢し続けた結果なのではないか。ふとよぎった考えに、私は父の旅の目的を詮索したり、旅を引き留めることはするまいと誓った。

 そんなことは気にせずに、父を止めていれば状況は違っただろう。今更ながら、私はこの時から選択を誤っていたのだと思う。

 そして、母もまた、父の我儘に寛容だった。結局、私たちは父と伊都老人の二人旅を家で見送ることに決めた。大荷物をもった高齢の男二人旅。果たして無事に帰ってくるだろうかと心配をしていたが、私たち不安をよそに、父は2週間、毎日のように絵葉書を送ってきた。

 葉書には活き活きと旅先の光景を綴っており、時には絵葉書で足りないのか旅の詳細が書き留められた便せんまで一緒に届いた。携帯電話を持って出かけているし、時間をかけずにすぐに連絡ができるはずなのに、概ね一日遅れで届く父の便りは、何故だか幸福に満ちているように思えて、私と母は父の出立の翌日以降、夕方に届く父の手紙を心待ちにして過ごすことになった。

 特に、母はまるで付き合っていたときを思い出すと感動し、葉書や手紙を保存するためのバインダーを買い足したほどである。両親がそんなやりとりをしていたなどと露も知らない私は、母にせがみ、母が大切に保管していた当時の父の手紙を見せてもらった。

 母は付き合っていたころを思い出すと言っていたが、当時は今よりも連絡を取るのが難しい時代であった。おそらく二人が交わしたのは恋文だったに違いない。私はそんな俗な考えの下、母のバインダーを見た。しかし、そこにあったのは毎日父から送られてくる手紙と同様に、旅先の景色、出会った人、食べた食事、考えたことなどを仔細に書き留めた日記のような手紙ばかりだった。

 母への愛などひとかけらも記載がないが、読んでいるだけで、父がどこで何をしていたのか如実に想像ができる。税理士としての父しか知らなかった私は、父にこれほどの文才があったことに驚き、そして、愛した人に対して日記を送り続けるほんの少しズレた父の感性と、これを嬉しそうに読み、返信をしていた、やはり少しズレている母の感性に当惑するしかなかった。

 娘の私の動揺がいかなるものであったにせよ、父と母は父の手紙により深く繋がっており、第二の人生を歩み始めた今も、同じ行為が二人の心を通じ合わせるというのだから、幸せなことなのだろう。

 父が病で床に伏せって以降も、母は夜になると仏間で父の送ってきた絵葉書を眺めている。父が快復しないと決まったわけでもない。母は祈りながら、手紙の奥にあるべき父の姿を思い描いているのかもしれない。


*****

 父は、宣言通り旅に出てから2週間後の夕方、伊都老人と山ほどの土産を持って家に戻ってきた。日々到着する手紙で父らの旅の内容は知っていたつもりだが、五体満足、健康そのものな父の様子をみて、私は改めて胸をなでおろした。

 土産を配るところから始めるのだろうかと思ったら、最後の手紙は投函する暇がなかったと、最終日の記録をつづった絵葉書と手紙を照れくさそうに母に差しだしていて、土産の荷解きをしていて偶然その場に居合わせた私は、手伝いを申し出てくれた伊都老人と一緒に目のやり場に困るといって笑いあった。

 

 その後、父と伊都老人は二日がかりで土産を仕分け、私たち家族や寄合衆の知人たちに配って歩いた。そうして、三日目の夜、旅の土産の整理が終わったのちに、父は家に伊都老人と、間島正真(マジマ-セイシン)という住職を家に招いた。

 間島は、八婆地区の外れにある常柔寺という寺の住職で、寄合の面子ではないが、寄合に顔を出すことの多い男だった。寄合に出るようになったのは、先代の住職が寄合に場所を貸したのがきっかけらしい。代替わりしても寄合と関係を持つ理由などないように思うが、皆の悩みや生活を間近に感じることができる場であり、土地のことがよくわかるのだという。

 人の悩みを聞き、解決策を探る。税理士の仕事も実は似たような側面があるのだと父は話しており、大工もそういうものだと主張する伊都老人と父は、間島のことを仕事に関する考え方がよく似ている人間だと評していた。

 寄合以外でたまに三人で会うことがあるのも、それが理由だったのだろう。

 この日も、父は二階の書斎に二人を招き、夜更けまで旅のことを語り合っていた。よほど印象的な旅路だったのだろうか。私は、父の口から旅の内容を聞くことができる、父の友人たち、特に間島正真のことを少しうらやましく思った。

 

 この時まで、私は旅が父に良い影響を与えたのだと思っていた。そして、それが思い違いだと気が付くまでに、随分と時間がかかってしまった。


 旅から4日目の夜。父は、私と母に対して、旅先で出会った物事についてしばらくの間整理を進めたい。我儘を言っているのは分かるが、もうしばらく菜園の作業を休みたいのだと打ち明けた。

 父が旅先で見聞きしたものは、ほとんど全て手紙に書きこまれていると思っていた私は、父の旅がまだ整理しきれていないという告白に当惑した。仕事を辞めて以来、自ら遠出を控えてでも付き添っていた菜園の様子よりも優先すべき事柄とは何だろうか。興味はそそられたが、最もそれを聞く権利がある母が、深く理由を聞くこともせず父の申し出を受けたため、私は父への問いを胸の奥にしまい込んだ。

 それから3か月。私と母は以前と変わらず菜園の手入れを続ける毎日を過ごしており、対照的に父は一日中家に籠り、書斎での作業に明け暮れていた。

 菜園の仕事を二人に任せる代わりに、家のなかのことは私がやる。そう宣言しただけあり、書斎に籠りがちなくせに、家内のことは全て取り仕切った。元々段取りを組むのが上手い性質なのだ。父は無難に家事をこなしながら、毎日着実に旅の整理を続けていった。

 但し、買い物や来客対応など、家の外と関わることだけは、不思議なほどに避ける傾向があった。午前中に訪問した客への対応は行うが、午後、特に夕暮れに近づくにつれて、父は来客の訪問を無視することが多くなった。門扉を叩いても、インターホンを押しても返答すらしない。父がいるはずなのに、不在者確認票がポストに突っ込まれていたことも多い。

 今までは近所の人たちとも交流をしていたのに、旅の整理を始めた途端、外に出なくなったため、2カ月もすると、父は病に伏せたのではないかという噂まで経ったほどだ。私たちはそれを否定して歩いたが、ある夜、父がその話を知ると、ウワサはウワサだから放っておきなさいと私たちに強く言い含めた。

 むしろ病に伏せたと噂が広まることを望むような素振りに、私は違和感を覚えた。だが、兄たちから、父に思うところがあるのだろうからそっとしておくようにという何度も強い説得を受けた。

 けれども、私も母も父と共に暮らしているのだ。旅から戻ってくるまでの父と、その後の父の様子の変化に戸惑いを隠せず、私たちは家の中にいる男が、本当に父なのだろうか? という荒唐無稽な疑問までも持つようになっていた。


 そんな私たちの不穏な様子を見かねて、手を差し伸べたのは威郎兄さんだった。その日、父は珍しく午前中から寄合衆の集会に出かけた。夕方までには戻ってくるといい、数カ月ぶりに外出した父を見て、向かいに住む威郎が家を訪ねてきたのだ。

「父さんは旅行を禊と祈りの旅だと言ったんだろう。数智から聞いたよ。伊都さんと二人で旅をしたというのなら、父さんは頭空尊のことを追いかけたんだと思う」

 ズクウソン。聴き馴染みがない言葉だった。

「八婆に住んでいて、しかも寄合の家に生まれて頭空尊を知らないのは母さんと光里くらいだよ。知らないのが悪いって言いたいわけじゃあない。むしろ、それは幸せなことだよ。父さんに感謝して、もうしばらくの間、父さんのことを見守ってやるのがいいんじゃないかと俺は思うよ」

 威郎は、言葉の端々から、父が私と母に何かを隠している、ズクウソンという単語が父の変化に関わりがあることを匂わせた。同時に威郎、おそらく仁助もズクウソンが何かを知っており、父が旅の後に変わった理由も検討がついているのだ。

 そして、私と母に、そのことを教えるつもりはなかった。黙って父のことを見守っていれば良い。この兄は私にそう告げたのだ。

 兄なりのやさしさだったに違いないが、私は兄の言葉を受けて、自分の頭に血が上っていくのがわかった。威郎、仁助は私よりも4,5歳年上だが、彼ら家を出て既に10年近く経過している。父と最も長く暮らしている子は私だ。それなのに尚、二人の兄は、父のことを理解しているのは私ではなく自分たちだと主張しているのだ。

「そう怖い顔をするな。わかったよ。父さんの気持ちを裏切ることになるんじゃないかって思うと気が引けるんだが……」

「兄さんは父さんじゃないでしょ」

「父さんは俺や仁助にも頭空尊の話をしたことはないんだ。うちは恵まれていたんだ。古くから寄合衆に参加している家は、どうしたって頭空尊の話を耳にする」

「知らないわよ。とにかく、威郎兄さんは父さんがあんなふうになった理由をしっているんでしょ。私は、父さんのことが心配なの。旅行から帰ってきた時は随分と元気だったのに、今の父さんは少しおかしい」

 私の訴えに、威郎は表情を硬くし、頭空尊の話をする前に見せたいものがあると言った。彼が私を連れて行ったのは、家の端、トイレの横にある地下への階段だ。その先には蔵があるが、うちの家族は父を除いて誰も滅多に近寄ることがない。

「光里にはどう見えたのかわからないが、父さんは、旅行の後は頭空尊が怖くて家から出なかったんだよ。禊と祈りの旅と言っていたんだ、たぶん、父さんと伊都さんは頭空尊を何とかするための方策を探しに歩いたんだ。けれども、方法は見つからなかった。そして、覗き込んでしまったがゆえに、しばらくの間、身を潜めなくてはならなくなった。そういうことだと思う」

「それと、蔵がどうつながるの」

「見ればわかるさ。けどな、蔵のなかを見る前にこれだけは伝えておく。光里。父さんは、蔵のなかを家族の誰にも見せたくなかった。それは、俺たち家族をこの蔵と関わる全ての物事から遠ざけたかったからだと思う。

 俺と仁助は、父さんの想いに反してしまった。そして、蔵を見たから、この家にはいられなくなった。個人的には、妹に同じ思いをさせたくはないんだ。特に、お前は母さんや父さんを残して外に出ていくという選択をとれない性質だろうから。

 それでも、いやわかったよ。そんな怖い顔をするな。ただ、選択する前にきちんと伝えておかないと、俺が嫌なんだ」

 威郎は蔵の前に立ってもったいぶった言い回しで、私の意思を確認した。頭に血が上り切った私を止めることなどできないと知っていて、それでも兄として、私に選択する機会をくれていたのだと思う。

 けれども、あの日の私は、それを慮る余裕なんてなかった。だから、兄の言葉を碌に聞くことなく、蔵の鍵を開けるように求めたのだ。

 家に蔵があることはもちろん知っている。けれども、私自身は蔵を開けたことはなかったし、蔵に何が貯蔵されているのかも知らない。年に一度、父が二日ほどかけて蔵を整理していることは知っていたが、祖父の代からの骨董品が収められているだけで、財産になるようなものも害を及ぼすようなものも何一つ存在しないと聞かされていた。

「そんな説明を聞いたのは、光里と母さんだけだよ」

「何よ。それ」

「後で仁助にも聞いてみなよ。この蔵に骨董品なんて入っていない。中を見ればわかるさ。見なきゃよかったと思う。そういう場所なんだ。ここは」

 もし、この日よりも以前、兄たちが家を出る前に、一度でも蔵の中を見たならば、私は兄たちより早く家を出ようと決心していたことであろう。けれども、今はもう遅い。兄の言う通り両親だけを残して、この家を去るという選択は、私にはなかった。

 だから、兄が開いた蔵の光景を見ても、私はただそこに立ち竦む以外の選択を取ることができなかった。


*****

 蔵の正体を知った日から、私は今まで以上に菜園の手入れに精を出すようになった。蔵を意識するだけで、家にいるのが怖くなったからだ。

 あの蔵は、特段後ろめたいものではないのだろう。父や曽祖父が何を思って蔵を護ってきたのか、事情は明確ではないが、不道徳な動機があったわけではない。それだけはわかった。

 彼らはただ、引き受けざるを得なかったのだ。そもそも、あの蔵は私たちの家と関係が深いものでもない。だが、それでも蔵の様子を思い出すと、背筋が凍るような感触に襲われる。

 蔵をみせた後、威郎は私を自分の家に招き、頭空尊と呼ばれる怪談の話を聞かせ、彼と仁助がかつて見つけた先祖の記録を引き渡した。数冊のノートに綴られるのは、頭空尊という怪談と、八婆地区の歴史、そして横山家の地下にある蔵の役割だ。

 威郎はそう言ったが、読み始めてみても中身は入ってこない。ただ、威郎が私に話して聞かせた頭空尊なる怪談の中身と、父の行動には整合性があり、私たちの家に限らず、八婆地区の寄合の家が軒並み敷地を塀に囲まれている理由もわかった。

 威郎曰く、父は頭空尊を気にしている。八婆に伝わるその怪談の対処法を探るため、八婆の外に手がかりを探しに行った。どうにもすっきりしないが、それが事実だと話す。

「父さんは頭空尊のルーツを探しに行ったんだ。あれは、昔からここにあったものじゃない。流れ着いてここで封じられたんだ」

 おそらく、威郎や私よりも頭空尊について詳しい。それは、私の手元のノートをより深くまで読み込んでいるからなのかもしれないし、それ以外の理由があるのかもしれない。

 けれども、威郎は頭空尊のことを深く語ろうとはしない。口にすること自体が禁忌的なのだという。それでも、ノートを見れば何が起きているかがわかって、何をすればいいのかがわかる。威郎の説明を信じ、私は仕事の合間に自身の先祖が記した記録を読み進めることにした。父に直接訪ねることを意識的に回避したのだ。


 そして、父が倒れたあの日。私は不安を引きずるままで兄や父を問いたださなかったことを後悔することになった。哀しいことに、いくら後悔しても、事実が覆ることはない。


*****

 父が伏せた日は、長雨が終わり、数日ぶりに朝陽が庭に差し込んでいた。庭の地面は湿っており、父は朝から、勝手口がぬかるみで歪んでいることを気にしていた。

 勝手口なんて何年も使っていないし、歪んだところで施錠しているので防犯上も問題がない。母の判断は理にかなっていた。

 勝手口は父が税理士事務所を辞めるまでは、菜園への行き来のために使われていた。正面玄関を使わなかったのは、菜園から帰ってくると靴に土がつくから、縁側で服をきれいにしたいという母の考えだ。 

 ところが、父は事務所をやめて家に戻ってきて、初めに勝手口を施錠した。税理士を辞めたんだ。もう正門を綺麗に保つ必要はない。そう言って、母にも正門を使うように諭した。躊躇っていたのは母の方だったが、父も一緒に菜園にでるようになり、3か月もすれば母も勝手口のことは忘れていた。

 だからこそ、その日、父が勝手口を気にしたことに母は首を傾げたのだ。


 あの時は私も母と同じで、朝から父が勝手口の施錠を確認していた理由がわからなかった。けれども、今はわかる。施錠が壊れるということは、正門以外にも敷地への出入口があるということだ。それは、あの訪問者に対する隙につながる。現に、父が伏せたのは訪問者が現れたからだろう。


 その日、勝手口の施錠具合を不安がる以外、父の様子におかしなところはなかった。事の重大性に気づいていなかった私は母と共に、いつものように菜園に向かった。家の周りにも特にいつもと違うところはなかった。

 ビニールハウスで育てている為、雨で菜園がダメになることはない。それでも、ハウスの周りはぬかるみ、到着した私と母の気を揉ませた。その日の作業はいつも以上に時間がかかり、家に戻ってきたのは陽が傾き始めたころだった。

 父は、私と母の呼びかけに答えることはなく、縁側で横たわっていた。母は父の様子に驚き、声をあげ、私は母の呼びかけに応じない父の姿に戸惑っていた。

 視界に映る父の姿。それ以上に、庭についた縁側と勝手口を繋ぐ足跡が私の心に警戒音を響かせた。

 施錠されていたはずの勝手口から、何者かが敷地に侵入している。勝手口からやってきた足跡は、父の靴跡でも、私や母の靴跡でもない。この家には、庭についた足跡と同じ文様をした靴はない。靴のあとは勝手口から一直線に縁側へ向かってきており、足跡の先には父が横たわっている。父の上にも、父を跨いだ先にも土の汚れはない。

 誰かが履き替えて部屋を物色し、金目の物を盗んでいった? それもおかしい。部屋は理路整然と揃えられていて物色された気配はないのだから。ならば、初めから侵入者は欲しいものがあった。脳裏をよぎる部屋の記憶。私は頭を振って、その記憶を外に追い出した。

 問題は靴跡の主だ。どこに消えてしまったのか。威郎から聴いた、頭空尊は招き入れられることを待っているという話を思い出し、背筋に冷たいものが走った。

「お母さん、お父さんのこと見ていて、救急車、呼ぶから」

 慌てふためく母の肩を抱き、落ち着かせて、私は携帯を片手にリビングを出た。そのまま通話画面を開き、一階の端、トイレの横の下り階段を目指す。119番通報をするつもりが、自然と威郎の携帯番号を押していた。耳に当てた携帯電話は軽快な呼び出し音を告げている。

 早く。早く繋がって。

 急く気持ちと身体は噛みあわず、私の足は一段ずつ着実に地下への階段を下りていく。姿の見えない侵入者がいるとして、家を荒らすことなく向かうべき場所。思い当るのは一か所しかなかった。

――もしもし、光里。どうした?

「威郎兄さん。すぐに来て。頭空尊が出たよ」

 私の目の前で、厳重に封じられていたはずの蔵が口を開けていた。中になにがいるのかは暗くて見えなかったが、蔵はどこまでも暗く、私の不安どころか横山家そのものを呑みこもうとしているように見えた。

――何を言っているんだ。頭空尊がでたって?

「そう。蔵が開いて。父さんが倒れたの」

 一階で犬の遠吠えが響いたのと、目の前で蔵が閉じたのは同時だった。私は扉に触れていない。私の他に扉に触れた者はいない。ここにいたのは、私と、蔵の中の侵入者だけなのに、蔵の扉はゆっくりとしまっていく。

 まるで侵入者を閉じ込めるかのように。


*****

 その日から、父は二階の寝室で伏せたままである。犬の遠吠えのように聞こえた声は父のものだった。

 誰も触れることもなく、蔵が閉まり、施錠される様子を見せつけられ、私は腰を抜かしてしまった。電話口でまともな受け答えができない様子に、ただならぬ状況だと理解たのだろう、すぐに向かいの家から威郎がかけつけた。

 しかし、かけつけた威郎を待っていたのは、リビングで母を押し倒し、犬のように激しく吠え続ける父の姿だった。腰を抜かして電話口で妄言を吐いている妹と、最愛の妻に手をかけ犬のように振る舞う父。どちらを止めるべきかは疑うまでもない。

 威郎は、父を取り押さえ、吠え続ける彼の口を無理やり押えた。すると、父は吠えるのをやめ、深い眠りに落ちたという。そのまま、母を落ち着かせ、私の代わりに救急車を呼ぶと、威郎は蔵まで私を探しに来てくれた。

 気絶していた私を起こし、威郎は蔵の様子を慎重に検分した。それはそうだろう。私の目の前で開き、そして閉じた蔵の扉は、以前威郎が閉めた時と寸分たがわぬ様子でそこに鎮座しており、何より肝心の蔵の鍵が消えていたのだから。

 蔵の鍵をどこにやったのか? 威郎に尋ねられても私は答えることができなかった。気を失う直前、ぼんやりとした記憶の中では、扉が閉まるのと一緒に鍵も蔵の中へと呑みこまれていった。

 だが、床に落ちていた鍵が何の仕掛けもなく蔵の中に呑まれていくわけがないし、中に鍵があるのなら、施錠されている今の状況は不自然なのだ。この蔵に内側から鍵をかけることはできない。

 いずれにせよ、私たちは蔵の中身を改めることができなくなった。怪現象の正体が頭空尊だと訴えようにも、私がみたものが真実だと証明してくれるものがいない。蔵の件に止まらない。威郎に連れられて地上に戻った時、勝手口から縁側に続く足跡はすっかり消えてしまったのである。雨が降ったわけでも誰かが庭を踏み荒らしたわけでもない。初めからそこには足跡がないのが正しいと言わんばかりの庭だった。

 母もまた、父の伏せていた時に勝手口から縁側に伝う足跡を見たはずだ。私がそう問いかけても覚えていないの一点張りだった。実際に、母は伏せた父の様子に驚き、戸惑っていたのだから、それ以外の様子を正しく認識できていなかったとしてもおかしな話ではない。

 結局、私がみた侵入者の形跡は全て消え失せてしまい、私は父が伏せた理由を確かめる術を失った。


 父は三日間病院で休んだ後、家に戻ってきたが正気に戻ることはなかった。目が覚めると犬のように四足で歩き回り、くうんと鳴くかと思えば、突然家族に向かって吠えて回る。

 獣に変じてしまった父を病院から出すように進言したのは、意外なことに仁助だ。

 私と威郎は、突如として行われた仁助の勝手なふるまいに憤慨し、その日の夜、税理士事務所の裏に構えた仁助の自宅を訪ねた。

 仁助に詰め寄ると、これは病院で解決できることではない。父は頭空尊を招いてしまったのだと言う。また、頭空尊か。何もわからないのに、その怪談が私たちの家をおかしくしている。

 招いてしまったという言葉だけで済ませてよいものでは決してない。父の異変を放置しておくわけにはいかない。私の訴えに、仁助は寄合衆の伝手を辿って、こういう事態に詳しい霊媒を手配すると言い始めた。

 家と八婆から距離を置いていた仁助が、八婆の寄合衆を頼るとは思わなかったが、私も既に正常な判断をすることは難しくなっていた。仁助の話を頭ごなしに否定できないまま、私は彼の家から戻った。


 そして、その夜から、陽が落ちると家に何者かが訪問してくるようになった。

 正面玄関の前に立ち、門扉につけたインターホンを一晩中鳴らし続ける。来客確認用のカメラには映らないが、玄関に近づくと、何か大きなものが門扉の前で息を潜める気配がする。良くないモノであることは明らかで、私と母、父の看病の為に詰めてくれている威郎の妻、実乃(ミノ)、そして数智の四人は、夜ごと現れる訪問者に怯え続けることになった。

 門扉を開かなかったのは、頭空尊の話が頭をよぎったからだ。招いてしまうと累を及ぼすが、招かなければ累は避けられる。頭空尊は時間をおけば飽きて別の家を訪問するようになる。それまでは決して門を開けてはならない。

 父の異変を目の当たりにした以上、他の家族も同じ目に遭わせるわけにはいかない。私は、訪問者に応じようとする母らを抑え、そして、その状況を威郎と仁助に伝えた。結局、一晩も経たぬうちに、私は仁助の霊媒探しの提案を受け入れ、一刻も早く探し当てるように兄に懇願したのだった。


 そうして、状況に変化が起きたのは父が倒れて2週間が経過した夕暮れ時だ。

 仁助が善田(ヨシダ)となのる初老の男性を連れてきた。仁助は、善田のことを伝手を辿って見つけた霊媒師であり、頭空尊のことを良く知っていると紹介した。

 仁助の紹介に見合うように、善田は私たちに父の異変が頭空尊に遭遇したために起きていること、家の近くに父と同様に異変に巻き込まれた犬がいると主張した。

 善田の説明によれば、頭空尊とは人に招きいれられることで累を及ぼす怪異であり、招きいれた際に近くにいた生き物の魂を交換してしまうのだという。父が伏せて以降、犬のような様子になったのは頭空尊がやってきたときに近くに犬がいたからなのだという。

 威郎から渡された記録のどこにもそんな記述はなかったが、嘘だとは言い切れなかった。善田は犬を見つけ出し、そのうえでこの家のどこかにつけられた頭空尊の跡を見つけて父と犬を並べれば全てが解決すると言った。

 そしてそこから1週間。善田は昼から夕暮れにかけて毎日のように家に来ては、跡を見つけると言い、あらゆる場所の家探しを始めた。

 縋る伝手のない私たちは善田に言われた通り、家財の一つ一つを彼に改めさせたが、彼が探している頭空尊の跡は見つからなかった。

 彼は夜になる前にこの家を出ていく。家の外の人間がいるとわかれば、頭空尊がこれに乗じて室内に入ってきてしまうというのだが、招いているのはあくまで善田のみであり、彼自身の説明と噛みあわない。

 私たちは、父に起きた異変に乗じて更なる何かに陥れられようとしているのではないか。一度鎌首をもたげた疑いは、日を追うごとに膨らんでいく。けれども、善田と共に家を訪れ必死に部屋を検分する仁助が、兄が嘘をついているとは思いたくない。


 だから、私は今日もまた、素性の知れない霊媒師を自宅に招き、そして、最後に残った蔵の前にこの老人を連れていくことになった。

「探すべき場所は本当にもうここだけなのか」

 善田という老人は、この一週間、常に不遜な態度を崩さず、断定的に頭空尊を語り、私たちに家探しを強いてきた。賢明な仁助の姿に加えて、この老人のある種の自身に満ちた態度が、胸の内に膨らむ疑いを、すんでのところで押さえつけていたのだと思う。

 ところが、今日に限り、蔵の前に立った瞬間から、老人の様子が変容した。両手は震え、噛みしめた奥歯がカチカチと音を立てている。初めから青白い顔をした老人だと思っていたが、蔵を見つめる顔は、青白い血管が見えるほどに血の気が引いていた。

「ええ。他の場所は全て探しつくしたと思います。午前中にご覧になったように、父の書斎にも手がかりはありませんでした」

「そうか。そうだな」

 善田老人の目は忙しなく蔵のあちらこちらを検分していて、一点に落ち着く様子を見せない。それほどまでに、この蔵は不気味だというのか。私や威郎、仁助、蔵の中身を知る人間以外が見たところで、単なる地下室の入口にしか見えないものだと思っていたが、意外な展開だった。

「それで」

「それで?」

「どうやって開くのだ。この蔵は」

 どうやって。善田に問われて、私は蔵の鍵が見つからないことを思い出した。あの日みた光景が真実かはわからないが、頭空尊の跡を探して家じゅうをひっくり返した今なら断言できる。この家に、蔵を開けるための鍵はない。

「施錠されているのに、鍵がないだと。いつから開けていない」

「数か月まえだと思います。父が不在の時に威郎兄さんが」

 階段の隅で、私と善田のやりとりを窺っていた威郎が肩をすくめた。善田は目を見開き、威郎を睨みつける。

「お前は鍵を持っていないのか!」

 怒鳴ったところで結論は変わらない。威郎は、鍵は使った後に居間に戻したと説明する。そう、私も兄が鍵を戻すところをみている。そういえば、にも拘わらず、あの日、地下には鍵が転がっていた。現に蔵は開いていたのだし、誰かが私よりも先に蔵を開けようとしたことは確かだった。あの日、私たちが帰るまでの間に家の中にいた人物と言えば、父か謎の訪問者だけだ。

「父が、使ったのでしょうか」

「使ったとは奇妙な言い方だな。一度使ったくらいで鍵はなくならない。開け閉めした経験があるのなら、鍵が消えていることこそ疑わしいではないか」

 善田の震えは止まらないが、話していることは合理的だった。だが、合理性のある答えを示されたところで状況は改善しない。

 もし、善田の言う通り、この家に頭空尊の跡があり、それが訪問者を呼び寄せ、父をおかしくしているのなら、一刻も早く、その原因を取り除くのが家族の使命だ。

「それじゃあ、鍵を開ける方法さえあればいいんですよね」

 扉につけられた錠は、蔵以外で見たことがない。それでも、大人数人で力ずくでかかれば、十分少々で扉は壊れるだろう。中身を改めることも容易だ。

「いいや、それはならない。蔵の中身を検分した後、どうやって蔵を閉める気だ。鍵はきちんと開けて、閉められなければだめなのだ。仕方がない。儂の伝手で、鍵師を呼ぶ。今日中には片づけるぞ」

 善田老人はうんざりしたといった様子で肩を降ろし、震える身体を抑えながら地下室から逃げるように飛び出ていった。その動揺ぶりは不安だが、彼の言い分はもっともだろう。


 だが、果たしてこの扉は開けることができるのだろうか。

 そもそも、自ら閉まった扉を開けることで、本当に全てが解決するのだろうか。


 私は、正しいものに縋っているのだろうか。

 何もわからないまま、今日もまた、夕暮れが近づいてくる。何よりもそれが怖い。

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