賭け事と秘め事(2): 消えた神を追う者

 3年半前、とある温泉街にて宣宮司栞という女優が死亡した。当時、その街には、湯神衆(ユカミシュウ)という宗教集団があった。

 湯神衆は、源泉に宿る湯の神を祀る集団だ。彼らの教義によれば、湯神衆の儀式により、神の加護が水に宿り、人々はその力の恩恵を受けられるという。

 湯神衆は、温泉街から離れた湖――この温泉街の源泉は湖のほとりから涌き出ている――に建てた社及びその周囲で多くの時間を過ごす。そのため、街が生まれた当初から存在し、強い発言力を持つ集団であるにも関わらず、街の人々は湯神衆の正確な顔や姿、そして彼らの活動の実態について驚くほどに疎かった。

 裏を返せば、湯神衆とは街の起こりたる湯の神伝説を守る宗教的権威を持った集団、それだけのの意味しか持たなかったのかもしれない。

 もっとも、仮に湯神衆の実態が公にされても、彼らを理解できたものは少数であっただろうし、彼らの存否が街の盛衰に影響を与えるかといえば、非常に疑わしい。従前と同じようにそういう集団がいる、という以上の意味は持たなかっただろう。

 ただ、少なくとも、外部の人間である私、及川清秋から見る限りは、湯神衆は街を歪ませた大きな要因であるし、彼らが全員死に至ったことは長期的に見て街の健全化に資するものだと思う。

 話をもとに戻そう。湯神衆は社に造り上げた神の寝床にて入浴を繰り返し、観光客の身体をその水場に沈め続けてきた。沈めるというのは文字通りにとってもらって構わない。その目的や意味を理解できるものは一握りもいないだろうから。

 そして、宣宮司栞の人生もまた、湯神衆のこの儀礼によって歪んでしまった。宣宮司が他の観光客と違ったのは、彼女が、「湯の神」に捧げられるのではなく、湯神衆から「湯の神」を奪ったところだろう。宣宮司栞は湯神衆の儀礼を利用し、不完全ではあるが自らに神を降ろした。

 結果、湯神衆は祀っていた湯の神の半身を失い、これを契機に力を失っていく。

 それでも街に残った湯神衆は、宣宮司栞が死んだとされる時点――つまり、彼女が神を降ろした時点――から三年半を経過した現在、全員の死亡が確認されている。死因は全て老衰、衰弱死だ。

 では、数名いたらしい街を出た湯神衆はどうなったのだろうか。

 私が先に述べた湯の神の加護とは、決して宗教的な意味合いのそれではない。湯神衆らは、文字通り超常的な力として湯の神の加護を受けた者たちである。

 定期的に神の寝床に入ることで、彼らは若さを保ち、命を長らえていた。その加護を失った末にあるものは、土地に残った湯神衆が示している。ましてや加護が一切存在しない山の外へと出ていけばどうなるか想像することは容易い。

 それでも彼らは神を降ろした宣宮司栞を捜すため、街を出たのである。

 温泉街に残った湯神衆からはさぞかし愚かに映っただろう。余所者である宣宮司を見つけることなど不可能に等しい。山から出るのはまさしく自殺行為に他ならない。


 だが、私は思う。おそらく、街を出た者たちは、勝機を持っていたのだと。彼らは、訪問者の何割かが、湯の神の加護を強く受けたにも関わらず、街の外で生き延びたことを知っていた。

 自らもまた、彼らのように土地の外で生き延びられる可能性に賭けたのだろう。

 個人的にはその命の賭け方については好感が持てる。

 だから、宣宮司栞の生存を知らせるニュースを聞いたとき、私は友人との約束を果たすと共に、山を出た彼らのその後について少し追いかけたくなった。


*****

 宣宮司栞の生存を知らせるメールが届いたのは、彼女が身元不明の死体と共に現れて2日後の昼だった。

 当時、清秋は、奇妙な河童の伝説が伝わる集落を訪れていたのだが、知らせを聞いて、慌てて集落を離れることにした。

 山を下りる道すがら報道に耳を傾けると、宣宮司栞が現れたのは、3年半前、彼女が最期に暮した街だという。そうだとすれば、その街へ向かうよりも、彼女が「死んだ」とされる温泉街の方が近い。

 知らせをくれた友人から宣宮司の死後の概況を聞いた今、清秋の最たる興味は宣宮司を追って山を下った湯神衆にあった。2週間、長くても3週間程度ではあるが、約束の期限までには猶予がある。そういうわけで、清秋は、情報収集と銘打ち、温泉街のある山の麓の町を訪れることにした。

 そして、温泉街の東西に位置する町が、余所者に対する態度が固い。来るものを拒み、去る者を罵る。そういう土地であることを、3年半ぶりに思い知らされた。

 道端にキャンピングカーを停めて、畑仕事中の住人に声をかけても、あの時と変わらず、いぶかしげな表情と、むき出しにしたよそ者への警戒心で迎えられる。

 商店に立ち寄れば、すれ違う客の視線が刺さり、どこの者だと声が聞こえる。これでは取材のしようがない。当時もキャンピングカーに籠り、駅前の駐車場で途方にくれたことを思い出す。

 流石に駅前は人の出入りがあるため、商店やホテルの人々とは交流が取れる。だが、清秋が知りたい、山の伝説を知る者は、大抵が町の高齢者、あるいは古くから町に根付いた家の者なのだ。駅前で働く若者や流入者では情報は集まらない。


 仕方なく、しばらくの間、清秋は山の麓に近い24時間運営の簡易宿泊施設付き銭湯に滞在することにした。

 24時間運営の宿泊施設付き銭湯。こういった施設に訪れる顔ぶれは、出張中のサラリーマンであったり、宣宮司と同じような旅行者、そして、近所の常連客が占めることが多い。

 女性客や家族連れの割合が少ないのはおそらく宿泊施設、しかもカプセルタイプの寝室と関係があるというのが、清秋の持論だ。

 ともあれ、こうした施設に長期滞在する女性客は目立つ。数日もすれば常連の目に留まり、遊技場や休憩室で雑談に加われば、あっという間に場に打ち解けられる。

 今回も、滞在を初めて4日。清秋は、常連客の老人2人に卓球に誘われた。野際(ノギワ)と馬屋(マヤ)と名乗る老人たちと、二試合を終えると、野際が休憩を申し出た。

「ところで、及川さん。芸術家、なんだろう」

 額の汗をぬぐいながら、野際老人は改めて清秋の職を尋ねた。

「ええ。各地を歩いて作品を売って日銭を稼いでいるんです」

「私は毎日来ているが、及川さんが作品を作っているところはみたことがないねぇ」

「それを指摘されると痛い。今週は休もうと思っていまして」

「自由というのは、あなたみたいな生活をいうのかな」

 そうだろうか。清秋には、毎日銭湯に来ている老人と、自分に差が感じられない。

 もっとも、野際に清秋の疑問が伝わることはない。彼は清秋を見て『自由』に想いをはせ、何かを思い出して馬屋に声をかけた。

「おい、マヤさん。この前見ていた記事。山で死んだ」

 山で死んだ。その言葉に馬屋の眉がピクリと動いた。馬屋は、清秋に視線をやり、顎を手でさすると部屋の端の荷物から、タブレットを取り出した。

「ノギさんが言っているのは宣宮司栞のことだろう。山で死んだ、駆け出しの女優。宣宮司栞は三年半も死んだことになっていたが、ニュースによれば生きている。確かに彼女は自由かもしれない」

 そう話す馬屋は試合中のすがすがしい顔から、眉間にしわがより、どことなく不機嫌だ。自由と宣宮司栞を結びつけることが、彼の機嫌を損ねたのだろうか。

「自由というのはよくわからないですね。死んだはずが死んでいなかったというだけで、宣宮司さんというのは面倒に巻き込まれていくように思いますが」

「それは、余所者の意見だよ。この土地にいるものからすれば、彼女は山の祟りから逃れたんだ。自由人に他ならないさ」

 山の祟り。ついに欲しい言葉が出てきた。

「祟り、ですか」

「そうだよ。その感じ、芸術家さんも興味があるのかい」

「ええ。私は、そういった不思議な話をテーマに作品を作ることが多くて。山で死んだのに生き返ったというのが、宣宮司栞という女優なのですよね。それを、馬屋さんは祟りから逃れたという」

 馬屋は清秋に近づくと声を潜めて話を始めた。

「地元じゃ有名な話でな。彼女が死んだ山は昔から人の出入りが禁じられているんだ。あの山は独占欲の強い山神が守っているからな。山のものをとって戻ってくると祟られる。だから、本来は山に入ってはいけない」

 3年前、町に降りて聞いて回った話と大枠は変わらない。独占欲が強い山神というのは馬屋の解釈なのだろう。

 この土地では、山自体と山神が混同される傾向がある。しかし、山自体あるいは山神が、総じて山からの持ち出しを禁ずる性質を持つことは山を挟んで東西に分かれている集落において共通する認識だ。

 信仰が山を中心に広がったと解釈もできるが、話はもっと単純だ。現実に山中のあらゆる作物、動物は山の外では生存することができなかったのだ。

 彼らにとって、その事象を説明する言葉が山の祟りしかなかったに過ぎない。

「でも、今は温泉街があるのでしょう。温泉街に住む人たちは祟られていないのですか?」 

「あの町は楠木(クスノキ)という余所者が勝手に開拓したんだ。儂らの祖父母らは楠木のやり方に反対していた。それでも、楠木は、外から人を流入させて開拓を進た。だがな、初めのころは行方不明者や死者が多く出たという」

「そんな状態じゃ、温泉なんて到底始められない。湯に浸かろうと行った場所が死体にまみれているんじゃあ気味が悪い」

 町の老人に尋ねると、大抵この行方不明者の下りを聞かされる。しかし、馬屋の話に合致する新聞記事や警察の記録は存在しない。裏付けがないため、楠木を巡るこの疑惑は、単なるやっかみ、噂話として扱われるのが常だ。少なくても、町の外では。

 だが、おそらく、馬屋たちの話は概ね事実である。開拓者たちは、山に潜む「湯の神」の力を受け、山から出られない身体になったのだから。山から出た者は、湯の神のいない環境に耐えられず、多くが命を落とし、姿を消した。

 馬屋たちは、行方不明者たちが死んだことは知らない。それでもこれを山の祟りだと伝えているのは、偶然に過ぎない。

「そこが、楠木の気味の悪いところさ。確かに行方が分からない奴は大勢いたはずなのに、警察は動かなかった。そして、そのうちに山は開拓が進み、街ができた」

「今もその街は観光地として栄えているんですよね」

「栄えているかは知らんよ。ただ、確かにあの街には多くの人が住むようになり、定期的に観光客が来るような状態にある。

 どうやら、山神を抑え込むための祈祷師みたいなのがいるらしい。それで神を抑えているのだと」

「祈祷師とは、また現代では珍しい」

「田舎にいけばいまだに活動している祈祷師を見ることはできるさ。あの山にいたのは、たしかユカミとかいう名前だった。そうだ。ついこの間も、山からユカミが降りてきていたな」

 馬屋は、思い出したユカミのことについて、野際に尋ねた。野際は馬屋の質問に首を傾げ、しばらくそのまま止まった後で、ううふと笑いを漏らした。

「マヤさんや、この間っていうにはそれは昔すぎる。ちょうど、宣宮司栞が死んだとニュースが流れた直後のことだろ。ユカミの、確か……モリヤマとトリグチという男女だよ」

 思わぬ収穫だ。馬屋たちは山を下りた湯神衆を知っている。

「馬屋さん、野際さん。その、ユカミという人たちのことをもう少し教えてくれませんか。なんだか、創作意欲がわいてきそうな話だ」

*****


 森山十市(モリヤマートイチ)と、鶏口水江(トリグチ‐ミズエ)。馬屋と野際が二人の湯神衆に出会ったのは宣宮司栞の死亡が伝えられて半年後だという。

「あの女優さんのニュースのあとはね、温泉街はぱたりと静かになった。初めのうちは警察も山に入って捜査したみたいだけどさ、事故って話に落ち着いたらしくてね」

「彼女が死んだのは、表向き交通事故となっているが、実際には違う。知り合いに山に入った駐在がいるんだが、事故現場は湖に建てられたユカミの社なんだ」

「社、つまりマヤさんがいう祈祷師はその社で山神を祀っていたのですか?」

「私は一度も山に入ったことがないからよくわからん。ただ、駐在がいうには湖のほとりに社の残骸があったらしい。ぺしゃんこに潰れていたんだと。宣宮司栞が見つかったのはその社の中さ」

 宣宮司栞が社の倒壊に巻き込まれた事は、事件当時から入念に伏せられていたが、どうやら情報流出が見られたらしい。事件のあと、温泉街を去る際には、麓の町に立ち寄らなかったため、こういった後日談を耳にするのは初めてだ。

「山が静かになったのはユカミの社が崩れたから」

「おそらくな。ユカミが儀式ができなくなったから、山神がおとなしくなった。結局、ユカミは神を押さえつけなんざできてなかったんだ。ただな、そこから半年後だ、東に抜ける山道で事故が起きた。

 道路脇のガードレールを破壊して飛び出した車がいてな。まあ、単なる交通事故だが、あの山道で事故っていうのも物珍しい話でよく覚えている。ユカミの二人に会ったのは丁度その頃だよ」

 おそらく、その事故は宣宮司栞の夫、金沢史郎(カナザワ‐シロウ)が起こしたものだろう。湯神衆は、この事故を契機に、街に残された湯の神の半身をも失った。温泉街から湯の神の加護が消滅したのだ。

 湯神衆が下りてくるタイミングとしてしっくりくる。

「でも、さっきからお話を聞いていると、皆さん山の人と交流がないんでしょう。よくユカミだとわかりましたね」

「ああ、そりゃ、マヤさんの家が民宿だからだよ。二人は民宿に泊まったんだ。40代前後の男と若い女でな、初めは不倫旅行かと思ったが、漏れ聞こえてくる話から、温泉街のユカミだってわかった。

 何やら、神様を追いかけるとか話をしていてな。わしがマヤさんに、如何わしい宗教じゃねぇかって話をしたんだ」

 森山と鶏口は、完全に加護を失った山を見捨たのだろう。神を追う、だとすれば、宣宮司栞を追いかけるという話だろう。当時の街の様子からすれば、この時点で、湯神衆が金沢史郎の事故と残った半身の消失を結びつけられたとは思えない。

 あの事故は、温泉街の側でも、物珍しい事故があったという話が聞こえてきたにすぎないし、事故現場は湖からも街からも離れた地点だったのだから。

 そして、湯神衆のことを知らない馬屋と野際の眼から見れば、年齢は見た目からしか想像ができないし、話の内容からしたら怪しげな宗教に聞こえるのはよくわかる。彼らの話は概ね事実だろう。

「そしたら、マヤさんが、ユカミっていうのは山の祈祷師のことだっていうから、なんでお前知っているんだって聞いてね」

「ユカミは定期的に山から下りてきてるんだ。こそこそと外に出て行っては、何かを山ほど調達して戻ってくる。うちは山の麓だろう。うちの裏には何本か山道があるからな、山への出入りが自然と見えるんだよ。東の集落にぬけるなら、町外れの国道から山に入るのが普通だ。町の人間は今でもほとんど山にゃはいらねぇ。なら山道を出入りしているのは温泉街のもんだけさ。そいつらの口からユカミという言葉は何回か聞いたことがある」

 これは面白い。以前、調査をした時には、湯の神伝説の検証を主目的としたため、湯神衆、ひいては温泉街の暮らしについて深い聞き取りをしなかった。

 湯神衆のほとんどは温泉街の人々にも顔を知られないように振る舞い、日頃は湯神衆と無関係を装って街中に溶け込んでいた。明確に湯神衆を名乗っていたのは楠木家だけだろうし、湯神衆の面子を知っていたのもまた楠木家の周辺一握りにすぎない。

 それは、彼らの容姿が湯の神の加護により変化しないからであり、また、湯の神に捧げる供物の物色には身分を隠した方が都合がよいからという面もある。

 おそらく、山の外に出て歩くのも、人間以外の物資調達のためなのだろう。もしかすると程よい人間がいないために調達に出ていたのかもしれない。

 このあたりの話は、湯神衆本人から話を聞くのが一番だろう。つまり、次に必要な情報は、山を下りた二人、森山と鶏口の行方だ。もし、まだ生きていれば、貴重な情報源になる。

「ところで、彼らは神を捜しにいったわけですよね。どこに向かったのかわかりませんか?」


*****

 湯神衆が信奉する湯の神とは、古来、性別を持たない雌雄同体の1柱だった。

 神と書くから、形而上の存在を想起しがちだが、湯の神に関しては一つの怪異、実態を持った生物だ。本来的な見た目は、おそらく水に近い。おそらく、というのは湯の神が本来の姿で存在しているところを私も見たことがないからだ。

 湯の神が持つ、強力な再生能力と、触れた生物の情報を取り入れる能力。その二つを最大限に利用するなら、水という形をとるのが効果的なのだろう。ほとんどすべての生物は水を摂取せずには生きられない。水の代わりに湯の神を摂取し、身体の情報を湯の神に渡す。湯の神は生物に対して自らの再生能力を差し出す。

 そして、再生能力に頼れば頼るほど、湯の神を摂取する量は増えていく。次第に生物の体内は湯の神に入れ替わる。湯の神の力に耐えきれなかった生物は、再生が過ぎて、過復元を起こし朽ちていく。朽ちた生物の身体からは湯の神の力が漏れ出し、還ってくる。これが、湯の神の生存と繁殖の戦略である。

 山の動植物は、持ち出すと湯の神の力を失い死に至る。その事実の積み重ねにより、麓の人間は湯の神の存在と、その性質を理論ではなく感覚として理解していた。だから、彼らは山へ入ることを拒んだのだ。

 だが、楠木と名乗る実業家は違った。彼は麓に伝わる禁忌を無視して山に分け入り、湯の神自身に遭遇し、その性質を理論として理解した。

 そのうえで、彼は湯の神のこの性質を、湯の神が雌雄同体であるが故のものと仮定し、神を雄と雌に切り分けることにより剥がしとることで、生物が湯の神にとってかわれる、湯の神の影響下から抜けられなくなるという制約を破ろうとした。

 そのために作られたのが温泉街という実験場であり、実験の趣旨を知りつつも、力を得るために体を差し出していたのが湯神衆だ。湯神衆は湯の神との交感を繰り返し、神に性別を与え、雄神(オガミ)と雌神(メガミ)を切り分けることに成功した。

 そして、性別を与えたことにより、湯の神の力を抑制することに成功し、性別の異なる神と交わる限りにおいては、湯の神による体を支配や、過復元現象を避けることに成功した。

 楠木が死んだ後も、湯神衆は、雄神につくのは雄神衆と呼ばれる女性、雌神につくのは雌神衆と呼ばれる男性に分かれ、湯の神の力を抑え、彼らにとって都合のよい再生能力を求めて儀式の運営を続けていくこととなった。

 そんな湯神衆のうち、森山と鶏口という男女が山を出たということは、山から失われたのは雄神、雌神の両柱であることを示している。少なくとも、この二人においては、雌神が金沢史郎の肉体を利用して山を去ったことに気付いたのだ。


 野際老人と馬屋老人の情報を基に、森山十市と鶏口水江の消息を追いかけていくと、彼らは徐々に宣宮司栞が発見された町へと近づいていたことがわかった。

 山から離れた影響を最小限にするためなのか、一回の移動距離は小さかったが、そのことがかえって彼らの足取りを追いやすくした。

 かくして、山のふもとから足取りを追うこと一週間。宣宮司栞の生存を示す報道からちょうど3日。及川清秋は、宣宮司が現れた街へとたどり着いた。

 私は、この街で、湯神衆の二人と、宣宮司栞の足取りを追うことに決めた。


*****

「なるほど。それが貴方がこの街に来た経緯というわけだ」

 男は首を下げたまま、勝ち誇ったようにつぶやいた。

「宣宮司栞とのつながりがあると思って、声をかけたんですが、あなたも彼女の行方を捜している段階だった。もしかして、僕から情報が取れたら、と思ってゲームを持ち掛けたのですか?」

 問いかけから、さきほどまでの憔悴と混乱が消えている。清秋の仕掛けに気が付いたからにしても、適応が早い。常人なら何が起きているのか理解できないはずだ。

「しかし、種が割れてみればこういう仕掛けだったとは。欲しい記憶一つだけではなく、複数の記憶を賭ける意味はこういうところにあったのですね」

 やはり。清秋は、男が指定したマス。Dの8に配置された清秋の潜水艦に目をやった。一隻目に賭けていたのは「及川清秋が街を訪れた経緯」。つまり、男は、清秋が町に来るまでの記憶の断片を受けとったということだ。

「潜水艦を沈めたんだ。続いても僕の攻撃だ。でも悔しいな、記憶を賭けるというのが、文字通りの意味だと知っていれば、僕も艦の配置がわかる記憶をはじめに賭けさせるべきだった。そうすれば、ここから先、僕は確実に勝てたんだ。Fの2」

「着水。残念だが私の手番だな」

 残る潜水艦は1隻にも拘わらず眼前の男、西松崇から余裕は消えない。なぜならフィールドにはまだ多くの空きがある。そして

「判断に迷いがでていますよ及川さん。さっきの攻撃が外れた理由がわからないんでしょう。あなたは既に西松崇のゲーム開始前の記憶を手にしている。その記憶にある配置の通りに攻撃を宣言したにも関わらず、そこに潜水艦はなかったのだから」

 そう。前回の手番、清秋は、西松崇の記憶にある通り、最後の潜水艦があるFの5を選択した。だが、結果は着水。清秋の攻撃が外れたと知るや、西松は突然笑い声をあげ、続いて清秋の潜水艦を見事に沈没させた。

 清秋自身はこの男と過去に接触したことがない。それに、清秋の行うゲームの性質、「賭けたモノは必ず回収できる」という言葉を文字通りに捉えられる人間は少ない。そういった考えができる人間は、妄想癖か、あるいは常人の範疇から少し外に出ている人間だけだ。

 日銭が欲しくてネタを捜しまわるような生活をしているカメラマンである西松崇が、そのどちらかに当てはまるとは考え難いし、仮にそうであったとしても、彼が自分の記憶を出し抜ける道理はない。清秋は、本当に対戦相手の記憶そのものを覗きみているのだから。つまり、可能性があるとすれば。

「別段迷いが出ているわけじゃあない。予想していた展開と現状のすり合わせをしていただけだよ。まさかとは思っていたが、ここまで予想通りとは思わなくてね」

「予想通り、だって? 強がりは止めなよ。ここから先は、僕とあんた、どっちが運が強いかを純粋に図ることになる。そして、俺は悪運だけなら自信がある」

「そうだろうね。でも、あまり自信過剰なのはよくないな。それともう一つ。現段階においても優位なのは私、及川清秋だよ。西松崇、君の全てをはぎ取るゲームはここからだ。Iの6」

「着弾。沈没。駆逐艦だ」

「そう、それじゃあ、私の手番は続行だね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る