Secret track :賭け事と秘め事

賭け事と秘め事(1): 芸術家は賭けが好き

ルール1.

プレイヤーは、10×10のマス目を書いた紙を二枚用意する。マスの各辺にはA~J、1~10の記号を振る。


ルール2.

プレイヤーは一枚目の紙に、自軍の軍艦を配置する。

A)配置するのは、戦艦(4マス)1隻 巡洋艦(3マス)2隻

  駆逐艦(2マス)3隻、潜水艦(1マス)4隻

B)各軍艦を同じマスに重ねて配置してはいけない。

  軍艦同士を隣り合わせで配置することは問題ない。

C)軍艦の向きは縦もしくは横。斜めの設置は不可


ルール3.

先行・後攻はコイントスで決める。攻撃の手番が回ってきたプレイヤーは、相手方のマス目を一か所指定する。指定を受けたプレイヤーは軍艦を配置したマスなら「着弾」、それ以外なら「着水」を宣言する。


ルール4.

「着弾」の場合は、追加で1マス指定ができる。

「着水」の宣言を受けた場合、手番は終了する。


ルール5.

全てのマスに「着弾」した軍艦は「沈没」する。

軍艦を「沈没」させたプレイヤーは「沈没」した軍艦に隣接したマスのうち、2マスに破片を落とす追加攻撃ができる。但し、この攻撃で「着弾」「沈没」が生じても追加攻撃は発生しない。


ルール6.

各人の手番を繰り返し、先に相手方の軍艦を全て「沈没」させたプレイヤーが勝利者となる。

―――戦艦ゲームのルール   


―――――――――――――――――――――

「次、そうだな……Jの8」

 西松崇(ニシマツ‐タカシ)は、彼女の声を聞いて、手元の紙を確認した。10×10のマス目、Jの8と9に並んだ「駆逐」という文字が書かれている。

 どうしてわかる? 彼女の直感が優れているのか。それとも。

 何はともあれ、宣言しなればならない。

「着弾。沈没」

「残るは戦艦1機と駆逐艦1機、潜水艦1機…追加攻撃は、Iの7とIの9」

 彼女は両手を叩き喜びの意を示している。だが、西松の背筋は凍っている。彼女が指定したマス、その結果を宣言する以外に、今の彼に出来ることはない。

「Iの7着弾、Iの9着水」

「なるほどIの7には駆逐艦か戦艦。先ほど駆逐艦を沈没させた攻撃分の追加指定が終わっていないから…もう1マス指定できるわけだ。さて、Iの7の軍艦はどこに続いているのかな」

 彼女は西松のフィールドを示す紙を覗き込んだ。Iの7付近で着水を宣言したのはIの9、Jの6、少し離れてIの4。

「この状況を見ると、Iのラインにが何かがいると期待してしまう。すくなくても、Jの方には艦は延びていないわけだからね。そう、Iの6、Iの5と続いて三マスを占めるように巡洋艦…いや、君の手持ち艦隊に巡洋艦はないから、Iの6とニマスで駆逐艦か。艦は並べて配置ができるのだからそういった配置に問題はない。

 追加攻撃で艦の位置がばれる恐れがあっても、Iの6は選択できないから、一撃では沈まないわけだしね。もっとも、一度着弾してしまえば容易に見つかってしまうわけだから、この考え方はあまり意味がない。

 より重要なのは、今のような考え方ができるからこそ、隣接して通常は艦を設置しないという思い込みかな。西松さん、君は私がそういった思い込みをすることを期待してこのような配置をした。やはり、性格が悪い。

 さて、しかし、私は君よりもさらに性格が悪いんだ。初めに伝えたようにこのゲームで重要なのは潜水艦だ。他の艦が残っていようと、潜水艦が沈めば互いの負けは決まる。君は覚えていないかもしれないがそういうルールだった」

 彼女はそういって、机上に広げられた西松のフィールドを指でなぞる。隣に並べられた、彼女のフィールドと比較すると、西松のフィールドはかなりのマス目が黒く塗りつぶされている。他方で、彼女のフィールドはずいぶんと白い。初めに駆逐艦を沈没させて以降、西松の攻撃は空振りを続けている。そもそも、ゲームはまだ序盤。

 彼女の手番は3回しかまわっていない。なのに、どうしてここまで差がつくのか。西松には現状が理解できない。

「よし、決めた」

 彼女の指が、再び西松の隠した軍艦に迫ってくる。

 

*****

 その日、西松崇は、何気ない顔で記者クラブに顔を出した。

 すれ違った記者の怪訝な視線が西松に突き刺さる。自分の記憶にあう男の顔を捜しているのであろう。出入りの記者の中に見知った顔はない。どこかの新聞社が新しい記者を入れたという話も聞いていない。通り過ぎた人間は不審者ではないのか?

 だが、頭をよぎった様々な疑問は、西松が胸元にかけた入館証によって打ち消される。

 訪問者であれば考える必要はない。記者はそう思ってクラブの外へとでかけていく。ここの人間は、人の顔を見ているようで見ていない。

「お、西松ちゃんじゃない。また、金欠?」

 新保日報の部屋を覗くと、禿げ頭のでっぷりとした男が西松を迎えた。安本満(ヤスモト‐ミツル)、新保日報社会部の記者だ。元々は芸能雑誌の記者であったが、定期的に公務員の汚職などを撃ちぬいた経歴が目に留まり新聞記者へと転職した。

「何か良い仕事、転がっていないかなと」

 西松はフリーカメラマンとして生計を立てている。知人に仕事のことを話せば、良い写真をとるのだろうと言われるが、実際には写真に良い、悪いはない。重要なのは金になる事実を確実に押さえた写真が撮れるかどうか、その一点だけだ。

 そして、カメラを片手に走り回るよりも、こうやってネタを欲しがる人間を捜して回る方が、金になる題材は見つかるのだ。

 安本は、西松のそうした考えを知っている。だから、顔を合わせる度に、ネタの無心に来ているのかと、西松をからかう。

「良い仕事ね。今は特に欲しいネタはないかなぁ」

 脂肪の詰まった両手で、小さな手帳を器用にめくる。手帳にあるのは安本が追いかけている事件に関する情報だ。彼の欲しがる写真や情報を集めてくれば、彼は西松に謝礼を払ってくれる。西松にとっても安本の手帳は貴重な飯のタネの一つである。

「そりゃあ残念だ。来月の仕事、本腰入れて探さないと」

「あら、やっぱり金欠だったんじゃないの。それにその言い回し、何かネタを持ってるんでしょ」

 そういって、安本は厚い唇をにぃと広げた。本人は笑顔のつもりらしいが、口元以外は一切笑わないので気味が悪い。

「安本さんも、追いかけているんでしょう。例の事件」

「例の、というと?」

「泥人間の死体がでたってやつさ」

「泥人間…ああ、宣宮司の」

 宣宮司。安本が口にしたのは、数年前に死亡したとされる女優の名前だ。

 死んだはずの女優が、奇妙な死体と共に戻ってきた。ここ二週間、街はそんな奇妙な事件の噂で持ちきりだ。

「あれねぇ。あれはまだ警察も情報を出してくれないんだよね。宣宮司の身元も警察が押さえているみたいだし…肝心の仏さんの情報も入ってこない」

 そう、この事件の噂は、女優の蘇りが目を惹いているだけではない。彼女が発見した死体の状況こそが、街の噂好きたちの興味を惹きつけている。

 泥状の死体。宣宮司栞が発見したというその死体は、肉体が泥のように溶けており、姿かたちはおろか、性別すらわからない状態で発見された。事件性は明らかだが、この死体が何なのか、死体発見から二週間、警察は口を閉ざし続けている。

 どうやら、その状況は、安本たち記者クラブの面々に対しても変わらないらしい。新聞や雑誌が事件のことを書きたてないのは、警察側の情報統制の結果ということか。

「でも、いつもなら安本さんたちだって独自に取材に回っているじゃないですか。クラブに落ちてくる公式情報だけ記事にしてたんじゃ、記者の本文を忘れてしまう。安本さんの口癖でしょう」

「よく覚えてるね、西松ちゃん。後輩たちですら覚えていないのに。それはそれとして、宣宮司栞については触れるなと本社からお達しが出ていてねぇ」

「本社から? それは興味深い」

「厳密には宣宮司というより、あの死体。泥人間のことね。実はさ、件の死体、今回が初めてじゃないらしいんだ。少し前にもう一つ似たようなのが見つかっているそうでね。そっちは身元も死亡推定時刻もわかっているが、問題は死因だ」

「つまり、警察は死因の特定が事件の解決だと思っている」

「本社が口を出すなという話をしているのはそういう理由だよ」

「なるほど。今の話だと、安本さんは一人目の死体の身元くらいは調べがついているんでしょう」

 西松の問いに、安本は顎に手をやり、ゆっくりと首を左右に傾けた。おそらく知っているのだろう。

「安本さん。その情報、もう少し集めませんか」

 その代わり、西松は安本の伝手を使わせてもらうのだ。

*****


「このホテルにこんな部屋があったとは知らなかった」

 西松は、及川清秋(オイカワ‐セイシュウ)に招かれた部屋の様子をみて驚いた。

 ビジネスホテルのロビーにて、及川清秋と名乗る女性芸術家に出会ったのは三日前だ。安本の伝手を使っての調査に行き詰っていた西松にとって、目の前を通った人物が及川清秋であると気が付けたことは幸運だった。

 及川清秋は、泥状死体の発見者、宣宮司栞が死亡したとされる3年半前、彼女が死亡した温泉街にて個展を開いていたのである。個展のテーマは温泉街に伝わる伝説の再解釈という風変わりなものだ。パンフレットを見る限り、およそ地元住民には受けそうにない。だが、初めて土地を訪れた観光客ならどうだろうか、ひょっとしたら、温泉街のパンフレットよりもわかりやすいと足を運んでいたかもしれない。

 宣宮司の死亡は彼女の個展の開催期間中に起きている。もし、個展に足を運んでいたのだとすれば、死亡した来客である宣宮司栞のことを記憶にとどめていてもおかしくない。当時の宣宮司の話を聞くことができれば、彼女の人となりや人間関係をつかむ手がかりになる。そうすれば、調査の打開策にはなるかもしれない。

 なにより、及川清秋は、芸術家という肩書を除いてみれば、容姿端麗であり、西松が好む見た目の女性だった。パンフレットで見たことがあるだけの彼女のことに気が付いたのは、彼女に惹かれる部分があったからでもある。

 二日間かけて、何とかディナーに誘うことに成功したのだが、ディナーの席では、彼女は有益な話をもたらすことはなかった。もっとも、彼女も西松に興味を持ったらしく、西松は彼女に招かれるまま、ここ、駅前のビジネスホテルの一室に足を踏み入れることになった。

 西松自身、このホテルには被写体を捜してロビーに潜むくらいしか使ったことがなかったが、所詮はビジネスホテル。1人部屋と2人部屋が規則正しく並んでいるものだと思っていた。見たところ及川は独りでホテルを利用しているようだから、泊まっているのは1人部屋だと勝手に思い込んでいた。

 そのうえで、1人部屋に男女で二人。狭い空間でどのように話を進めればよいかと考えあぐねていたこともあり、西松は通された部屋のサイズの違いにただただ驚きの声を上げるしかなかった。

「最上階だけは少し広めの部屋を用意しているそうだよ。会合などで使いたいという要望があるらしい。

 ここも、4,5人での会合ができるだけの広さという話だ。ああ、ただ、このビリヤード台とかは長期滞在する代わりに、頼み込んで私が入れさせてもらった」

 リビングルームと寝室、脱衣所が別に分かれている。おそらく向かいのホテルのスイートルームと同等の広さだろう。違いがあるとすれば、リビングルームに鎮座する、清秋が自慢気に撫でるビリヤード台。壁に張られたダーツの的、机に重ねられたボードゲームの山だ。

「これは全てあなたが仕入れた物なのですか? これじゃ芸術家というより」

「賭博狂いのようにでも見えるかい」

 清秋はビリヤード台を離れると、棚に近づき、棚上のボードゲームの箱を指でなぞった。

「放浪暮らしが続いているとね、人との付き合いが薄くなるんだ。作品ができたら別の地に移ってしまうからね。けれど、ゲームはそうした短い滞在期間でも人との付き合いを深めてくれる。

 初めは交流のきっかけと思って始めたんだけれどね、次第にゲーム自体が好きになってしまった。今ではこうして様々なゲームを集めては、遊び相手を捜している」

 そして、今日の遊び相手に選ばれたのが西松というわけだ。思えば、彼女の姿を見つけてディナーに誘ったときから、彼女は西松をこの部屋に連れてくる算段だったのだろう。

「それで、先ほどの約束は」

「変える気はないよ。西松崇さん、君と私でゲームをしよう。ゲームに勝てば相手の欲しいものを差し出す。そういうルールでね。君は知りたいんだろう。宣宮司栞のことが」

 清秋はそういって、西松に笑いかけた。


*****

 安本満から得た情報によると、宣宮司栞が発見した泥状死体には前例がある。第1の死体は佐原正二(サハラーショウジ)。建築事務所に勤める独身の男だ。

 死体が発見されたのは勤め先の建築事務所の前。近隣の防犯カメラに死体を運んできたような不審車両は無い。佐原がどこで死亡したのか、どうして泥状になっていたのか、警察は一切の情報を明かしていない。

 おそらく警察でもその謎について解決の糸口を持っていないのだろう。

 試しに事務所の周りで聞き込みをしてみたが、誰もが事件のことは覚えているが、当日不審なものをみたという情報は出てこない。

 それどころか、中には当日朝方に佐原らしき人物をみたという者までいたため、西松は早々に聞き込みを切り上げた。安本たちがやけに素直に取材をやめたも思っていたが、おそらくこれが原因なのだろう。費用対効果が悪そうだ。


 西松も効率の悪い聞き込みはやめて、安本の情報を基に事件を整理していくと、この泥状死体には宣宮司栞以外にも別の要素が絡みついていることがわかってきた。

 佐原正二は、死体として発見される数日前から会社を欠勤し、行方をくらませていたという。

 職場やプライベートでの付き合いも少ない男だ。会社と連絡が取れなければ行方がわからなくなるのは納得がいく。行方不明となっていた数日間に何かがあって、彼は泥状になってしまったわけだが、佐原の行方だけを追いかけても、調査は早々に暗礁に乗り上げる。

 むしろ、注目すべきは彼の知人の幾人かが、時期は異なれど、共に行方不明になっている点だろう。ところが、ふたを開いてみればこちらも難問だ。

 彼らは近所の居酒屋で定期的に酒を飲みかわす仲だということまではわかったが、それ以上の情報がない。各自共にがその飲み屋以外の接点を持たないのである。

 ならば失踪の原因はその飲み屋にあるのかといえば、その線は見込みが薄い。飲み屋自体は至って普通の店ーー反社会的な組織の関わりはないーーであったし、店主に彼らのことを話すと快く情報提供をしてくれる。どちらかというと噂好きのでばがめ根性なのかも知れないが。

 店主の話によると、行方不明者たちは必ず店の奥の個室を予約し、定期的に宴会をしていたのだという。確かに徐々に参加者は減っていたように見えるが、その事について本人たちは全く口にしなかったし、騒ぐ様子も見られなかったので店としては常連客の一組としか見ていなかったという。

 警察が来るようになって初めて行方不明になっていると知ったと話す店主の顔に嘘はないように見えた。

 こうして、西松は安本たちと同様に取材源を失い、彼らと同様に調査は暗礁に乗り上げた。西松も安本たちがぶつかった壁に到達したともいえる。


 西松は、自らの調査結果を振り返り、安本から手に入れた資料を、自室の机に放り投げた。安本の前では訳知り顔で話したものの、結局はほとんど何もわからない。

 安本から話を聞くまでに西松が知っていたのは、報道された情報だけ。そして、安本たちの調査に追い付いた今、西松だけが持つ新情報はひとつだけ。行方不明になった佐原正二の知人、工藤祐介(クドウーユウスケ)という人物のことだ。

 佐原正二が失踪したとされる時期から遡って2カ月ほど前だったろうか。工藤とは金剛鬼字の会(コンゴウオニジノカイ)と呼ばれる風俗街からの身請け組織を取材していて知り合った。

 当時、西松は金剛鬼字の会が新興の売春組織であるという噂の真偽を探っていた。

 工藤祐介を知ったのは、彼が会員と頻繁に接触をしているところを見かけたからだ。他にも数名、会との接触がある人間をみかけた――安本の資料にあった佐原正二の写真をみて、西松は彼も当時会員と接触していた人間だと気付いた――が、西松崇からの接触にもっとも好意的に反応してくれたのが工藤だった。

 金剛鬼字の会が売春組織ではなく、身請けを目的とした団体であるという説明も、工藤を通して聞いたものだ。しばらくの間、定期的に取材をさせてもらっていたが、やがて工藤との連絡は取れなくなった。おそらく、そのころには工藤も行方不明になっていたのだろう。

 取材の結果、金剛鬼字の会の情報は金にならないと判断したため、西松は今の今まで工藤の行方を捜そうとも思っていなかった。

 とにかく、重要なのは工藤祐介との取材の結果ではなく、彼が行方不明者の一人だったということだ。

 西松の読みが正しければ、十中八九、工藤祐介は佐原正二と同様の何かに巻き込まれ、行方を消した。おそらく、彼もまたどこかで泥状の死体になっているはずだ。

 そして、その繋がりの先に泥状死体の答えがある。

 彼らを繋いでいるのは金剛鬼字の会か? いや、結局のところ、工藤は会に入らないと話していたし、佐原正二が接触を持っていた金剛鬼字の会の会員と工藤のそれは別人だ。ならば、飲み屋でであった行方不明者たちだけで何かを計画していたとでもいうのだろうか。

 接触できる事件の関係者が少なすぎるせいで、どうにも情報が足りない。そんな印象ばかりが膨らんでいく。


*****


 ゲーム。及川清秋は、ディナーの席でそう口にした。

「君が私に声をかけたのは、端に私の容姿が整っていたとか、好みだったという理由ではないのだろう。

 君は、私が及川清秋という名の芸術家だということを知って、

興味を持った。先ほど現れた宣宮司栞の情報が欲しくてね」

 彼女は卓上に立てたコインを回転させながら、西松の考えを口にした。

「おや、違ったかな。もし、私自身に興味があって声をかけてくれたのだとしたら、それはとても申し訳ない」

 そう否定されると、こちらも気まずい。

「いえ、その、女優の宣宮司栞、彼女が発見したという奇妙な死体の話はご存知ですか」

「ああ、知っているよ。ニュースでは身元不明と言われているが、噂じゃ人の形を保っていない泥のような死体だったとか」

「私は、その事件を調べていたんです」

「泥状死体の謎が解ければ特ダネ、か」

「よくわかっているじゃないですか。でも、警察も溶けない泥状死体の謎を解くのは正直難しい。だから、第一発見者の宣宮司栞さんから手がかりがつかめないかと思ったのです」

 清秋の考えに合わせてなんとか話をつないでみると、彼女は満足げに頷いた。

 そして、彼女は私に対してとあるゲームを持ち掛けた。


 ゲームの種類はなんでもいい。部屋にあるものなら何を使ってもいいし、試技も自由にできる。これが初めに清秋が提示した条件だ。

 だが、清秋に招かれた部屋にあるゲームは全て彼女が集めたものであり、当然、彼女は幾度も遊んだことがある。楽しむためには自身がルールを熟知していないといけない。彼女は室内のゲームについて尋ねた時、そう答えた。

 室内のゲームで彼女と戦うのは非常に分が悪い。西松は室内にあるゲームの類にほとんど触れたことがないことも気がかりだ。

「なるほど。まあ、ここに無いゲームでも調達してこられるのであれば構わないよ。ああ、ただ純粋な運任せのゲームは楽しくない。さっきディナーの席でやったようなコイントスは互いの意図が介在しない。君も、運だけで情報を手に入れるのはつまらないだろう」

 つまらない、と言われると首をかしげるが、可能な限り確実に情報を引き出したいという想いはある。

 運の要素が小さく、調達する時間が少なくて済む、そして室内にあるゲーム以外――及川清秋に利がないゲーム――は何か。

 西松は、ふと、ホテルの廊下に貼られていた映画のポスターを思い出した。確か、あの映画はテーブルゲームを基に作られたのではなかったか。

「そういえば、及川さんは、戦艦ゲームというゲームを知っていますか?」

 そうして、西松は及川清秋にそのゲームの対戦を申し込んだ


*****

 携帯電話でルールを一通り確認し、紙に書き写すと、清秋はメモ帳とスケッチブックを取り出してきた。

 スケッチブックには縦横10マスずつの方眼が書き込まれており、それぞれ、及川清秋と西松崇の名前が書かれている。

「互いの宣言したマスがわかるようにしたほうが、ゲームの進行がわかりやすいだろうと思ってね。お互いの戦艦の配置は、こちらのメモに書いて手元に置くことにしよう」

 彼女から渡されたのは、ホテルの部屋に備え付けられたメモ帳だ。彼女も同じメモ帳を持っている。

「さて、ここに戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、を配置するのだったね。一度決めた戦艦の位置を変えられないように、確定したらメモ帳とペンは机上に置こう。互いの宣言と状況については逐次このスケッチブックに書き込んでいけばよい。

 基本のルールはさきほどお互いに確認したルールとしよう。配置方法と、戦艦撃墜時のボーナスについてはローカルルールが色々あるようだけれど、初めに読んだルールが一番混乱しないだろうし、面白そうだ」

 ゲームの内容が決まってからというもの、清秋の表情は周知輝いている。本当にゲームを楽しみにしていたのだろう。だが。

「さて、お互いに戦艦の位置を決めながら、重要なことを話し合おう。このゲームに賭けるモノとレートの話だ」

「賭けるもの、僕が勝ったら及川さんが知っている宣宮司栞の情報を教えてもらえる、そういう話ですよね」

「そこは変えるつもりはないよ。ただ、私も君が勝った場合の報酬がほしい。ただね、残念ながら金銭的なやり取りでは、釣り合いがとれない」

「釣り合い? それは、宣宮司栞の情報は僕が支払えない金額の価値がある、そういうことでしょうか」

「それは違う。私が渡せる情報じゃあ、金銭のほうが価値が高すぎるという話だよ。

 そうだね、情報を渡すのだから、私も情報をもらうというのはどうだろうか」

 どうだろうか。と言われても判断に困る。そもそも声をかけたのは西松からだ。西松自身はフリーのカメラマンであり、特段変わった情報網を持っているわけでもない。彼女が何を求めているのかは知らないが、西松が彼女に有益なものを与えられるとは到底思えなかった。

「そんなことはないよ。例えば、君の想いで、記憶と私の宣宮司栞に関する記憶、それなら釣り合いが取れるだろうというだけさ。手にした情報の使い道は手に入れてから考えるよ」

 記憶。ようするに何らかの出来事について彼女に話す。ただそれだけのことだとすれば、西松にとってはリスクゼロにも等しい。その条件で承諾しない理由がなかった。

 承諾の意を示すと、清秋は何度か手を叩き、喜んだ。

「素晴らしい。それじゃあ、賭ける物は互いの記憶だ。さて、レートなのだが、戦艦を配置しながら、思いついたことがある。このゲーム、最終的な局面においては運の強いほうが勝つことになりかねない」

 清秋は、机上においたスケッチブックに書かれたマス目を指でなぞる。

「戦場は互いに10×10のマス目で構築されている。この中に隠れた、戦艦や巡洋艦についてはある程度あたりをつけて潰しあうことができる。それらの長さと、艦を配置するための制約、艦同士を重ねられない等のルールがあるからね。

 問題は互いに4つ与えられている潜水艦だ。こいつは1マスしか占有しない上に、私たちは艦同士を隣接しても良いというルールで艦を配置している。そうなると、潜水艦が配置される可能性がある場所は、戦艦。巡洋艦、駆逐艦が存在しないすべてのマスということになる。

 もし互いが潜水艦のみ残す状態になったら、始まるのは絨毯爆撃だ。あとは爆撃が運よく当たった側の勝利になるが、これは途方もなくつまらない」

 確かに、そこまでくると駆け引きの要素は減るかもしれない。互いの表情や配置の癖などの読み合いの要素は残るが、最終的にはどのマスから塗りつぶすかという選択に過ぎない。

「そこでだ。我々の記憶はこの潜水艦に乗せることにしよう」

「記憶を乗せる?」

「そう、4つの潜水艦にそれぞれ4つの賭ける記憶を乗せる。お互いに潰した潜水艦に乗っている記憶を得ることができる。無論、本命の記憶は宣宮司栞のそれだと思うが、そのほかにも3つ。私の記憶を賭けよう。だから、君も4つ、私が求める記憶を賭けるんだ」

 なるほど。少々風変りだが、そのルールであれば極端な話、互いの潜水艦をすべて潰さなくても済む場合がある。

「理解が早いのは助かるね。そのとおり、君は私の宣宮司栞の記憶さえ手に入れてしまえばその先のゲームに参加しなくてもよい。

 まあ、私のほうは4つの記憶すべてを手に入れるまでゲームの進行をやめるつもりはないがね。どうだ、これならつまらない局面を避ける可能性が出てくる。楽しくゲームができそうじゃな

 西松としては、賭け方に興味はない。清秋が楽しくゲームをするという名目で、この情報収集の場に上ってくれるのなら、どんなルールでもよいというのが本音だった。

 だからこそ、このとき、西松は彼女の言葉の意味を考えることなく、彼女の提案に野ってしまった。


*****

「本当に、こんなのが賭けの対象でいいのか」

 西松崇と名前が書かれたスケッチブックには、彼の潜水艦を沈没させた際に及川清秋が求める記憶が書きこまれていた。

 ・ゲーム開始前10分間の記憶

 ・及川清秋を初めて見た時の記憶

 ・ゲーム開始後の記憶

 ・西松崇の記憶の全て

「この最後の記憶すべてというのは」

「言葉の通りさ。全滅したら全てを失う。それくらいのほうが真剣に潜水艦を捜すだろう。私だって同条件だ」

 及川清秋のスケッチブックに書かれた記憶の一覧を見る。清秋の記載をまねて西松が選んだものと、書ききれなかった場所に清秋が書き込んだものが混ざっている。宣宮司栞の記憶は3つ目、そして4つ目には及川清秋の記憶の全て。

 西松が求めているのは3つ目の記憶だ。

「つまり、君は私の潜水艦を3つ潰せばいいわけだ。

さて、初めは私の手番だったね。Aの1」

 手元の控えで清秋の指定マスを確認する。Aの1は空欄だ。

「着水」

「ううん、残念。やはり角に戦艦を配置するのは気が引けるか。潜水艦なら沈没だし、巡洋艦クラス以上でも、次の選択肢は2つに絞られるから沈没のリスクは高い。なかなかそこは選べないな。さて、君の手番だよ。西松さん」

「Jの10」

 西松の宣言に、清秋は目を丸くした。

「着水。君、案外と性格が悪そうだね。それじゃあ、Aの、いやBの1」

「着水。Aの1」

「ほら、本当に嫌なところを狙ってくる。着水。Aの5」

「着弾」

 思った以上に早い。当てられたのは巡洋艦。残りニマスを当てられると艦は沈む。

「沈没しないところをみると、潜水艦ではないか。残念。では、もう1マス。下か、横か…いや、ここだ。Bの8」

 彼女が選んだのは上下と全く関係のない1マス。そして、西松にとっては痛い1マスだ。

「着弾。沈没」

 西松の宣言に、及川清秋の顔がぐにゃりと歪んだように見えた。

「潜水艦1隻目だ。それではいただくよ。1つ目の記憶」

 彼女の言葉がうまく呑み込めない。目がかすみ、眼前の女性の顔からすべてのパーツが抜け落ちていくような感覚。

 彼女は、及川清秋とはいったい何なのだ。

 疑問に対する答えを聞く前に、西松は落ちていく。

「さあ、続いての選択だ」

 すべてが曖昧に、何かが抜け落ちていく感覚の中、ゲーム続行を宣言する及川清秋の声だけが、鮮明に届いた。

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