あなたを呼ぶ声(13・終):エピローグ

 14

 署内での重要参考人による傷害事件。参考人の取調室内での突然死。

 同日に予定された金剛鬼字の会への捜査は署内のトラブル対応のために先延ばしになった。そして、そのうちに金剛鬼字の会が隠匿していると疑われた権田剛と思われる人物の死体が発見される。発見場所は絹田兎一の自宅庭先。

 権田の死体は佐原の死体と同様の状況にあったが臨場した捜査官がこれに気が付かず、結果、死体の半分以上が崩れ落ちてしまった。そのため、外見から身元を突き止めることは困難とされ、死体は現在DNA鑑定に回されている。

 通報者は絹田邸を訪ねてきた宣宮司栞と名乗る女性だ。三年半前、とある山間部の温泉街で事故死したとされている女性である。

 彼女は死体を発見するまでの期間、記憶を失い、各地を放浪していたと語る。絹田兎一の家を訪れたのは、森山十市という老人に彼の話を聞いたからだという。宣宮司栞は、森山から、絹田と宣宮司は交流があったと聞いたのだという。

 宣宮司の供述した簡易宿泊施設には、森山十市の宿泊履歴が存在していた。だが、肝心の森山十市は既に死亡している。死因は老衰とみられ、死亡した状況に特段不審な点は見られない。

 簡易宿泊施設の管理人は、宣宮司栞のことを覚えており、何度か森山十市と話をしているところを見ていた。初めて宣宮司栞と会った森山は大層取り乱しており、険悪なムードであったが、二回目以降は穏やかな様子で話を続けていたという。

 宣宮司栞は、森山の情報をもとに絹田兎一を探していた。ところが、目撃情報の通りに尋ねた場所では、絹田兎一とは別の行方不明者の話を聞くばかりで、肝心の絹田の行方は掴めていなかったのだという。

 ようやく掴んだ彼の住所を訪ねたところ、発見したのは絹田ではなく、身元のわからない第三者の死体だったというわけだ。

 ところで、絹田兎一は、死体発見日から今日にいたるまでの間、行方をくらませている。職場にも連絡がなく無断欠勤が続いている。自宅の玄関は何者かに荒らされた形跡があるが、行方の手がかりは見つかっていない。佐原正二の件との関連性は不明だが、庭で発見された死体の特徴の一致、失踪前の彼が佐原正二の行方を探す素振りを見せていたことから、捜査本部では絹田兎一を重要参考人として捜索している。

 更に、佐原正二の死体発見直後、御坂心寧警部が本件と関係があると主張していた、失踪者の一人、加藤末勝が三日前に発見された。

 市内のホテルに三日間宿泊しており、宿泊費用を踏み倒して逃げようとしたところを、ホテルの従業員に取り押さえられたという。

 本人は、酷く取り乱しており、自分は誰かに狙われているので、守ってほしいと話すばかりで、失踪していた期間、何をしていたのか、なぜホテルを訪れたのか、詳しい事情は全く聞き取れていない。

 兎にも角にも、佐原正二の死体が発見されてから約3か月。謎ばかりで一向に進まなかった事件の捜査は、この二週間で大幅に進展したといえよう。わからないことは多く、そして、それらが必ずしも解明されないであろうことも、一部の捜査員は予想し、そして受け入れ始めている。事件は早くも過去のものになりつつあるのだ。

「とはいえだね、私は納得がいかないよ。結局私が見せられたのは、気味の悪い筋肉達磨がはじけ飛ぶ瞬間と、身元もわからないグロテスクな死体だけだ」

 白い煙をあげ、縮れていく肉をトングでひっくり返しながら、御坂心音は両頬を膨らませ、遺憾の意を示した。

 湯の神の消滅から二週間。音葉と紅は、突然御坂心音に食事に誘われた。捜査が落ち着いたので、今回の報酬の精算も兼ねて奢らせてほしいという言葉に負けて出向いてみれば、通されたのは思い出深い焼肉屋だ。

「あのさ、御坂警部。どうして肉を焼きながら、死体の話をするの」

 水鏡紅は、権田剛と目される死体――その正体は絹田兎一が力を捧げた結果、死亡した雌神の残骸だ――の写真と解剖所見の丁寧な説明に、今度こそ抗議の声をあげた。

 死体の写真を見せられて以降、彼女の器に乗せられた肉が減る様子はない。

「これくらい刑事にとっては日常茶飯事だ。死体を見たから飯を食えないなんていうんじゃ、仕事にならないんだよ。それに、この店は安くて美味い」

「私たち刑事じゃないし、ただの嫌がらせでしょ」

 御坂はこれには答えず、鼻歌交じりに鉄板の上の肉を浚っていく。音葉は心の中で紅に精いっぱい賛同の意を示した。奢りというから来ているが、さっきから大半の肉は御坂の胃の中に納まっている。

 敢えて、佐原正二の死体発見後に訪れたこの店を選んだのも、肉がほどよく焼けたころに死体の話を持ち出してくるのも嫌がらせでなければ何だというのだ。

「しかしね、私は今回、君たちに嫌がらせが許される働きはしたと思うよ。君たちの無理な願いもたくさん聞いた。おかげで、私と巣守は、爆発した死体の責任を取らされて減俸されるところだったんだぞ」

 拘束時に爆発物がないか確認を怠ったのではないか、そもそも危険人物を応接室に通したのはなぜか。署長室で散々と絞られたのだそうだ。

「結局は爆発物も見つからない。死因もまだわかっていない。署長も私たちの責任を問えないという話になったからいいものの」

 肉人形。絹田兎一がそう呼んだ、雌神の食べ残しについては音葉にも予想外だった。

 絹田邸に向かう前日、街へ戻るための電車で見かけた楠木智之は確かに人間だった。ところが、駅で姿を見失い、気が付けば雌神の器として取り込まれていた。一晩の間に楠木が雌神と遭遇したのは、運が悪かったとしかいいようがない。

「その件については迷惑をかけましたが、結果として、打ち合わせた通りのモノは提供したでしょう」

「死亡したはずの女性、宣宮司栞の確保。佐原正二と関わりのあると思われる失踪者、加藤末勝の発見。権田剛は死体で見つかったとはいえ約束した人物は現れた。

 誰もが直接的な繋がりがないが、時間をかければ筋が見えてもくるだろう。幸いなことに宣宮司も加藤末勝も権田剛と関係があることはわかっているからな」

 そこまでわかっていれば、御坂の下で何らかの形で事件の決着はつけられるだろう。

文句はないはずだ。

「ならそこまで文句を言われる筋合いは」

「何を言うか。私は別に事件の落としどころを見つけたくて君たちを使っているわけじゃない。君たちが接している非常識な現象を実際に見たいというのは常日頃伝えているつもりだったのだが」

「それなら、爆発が見れたんだからいいじゃない」

 ぼそりと呟いた紅の言葉を御坂は見逃さない。先ほど鞄にひっこめた解剖所見を取り出して、紅の前にちらつかせる。もう片方の手ではしっかりと次の肉を鉄板に並べ始めているのだから性質が悪い。

「確かにね、爆発する死体なんていうのは私の知らない見世物ではあったよ。しかも捜査本部はまだ知らないが、あの死体、複数人のDNAが検出されているらしい。検査ミスなんじゃないかって話で、まだ報告書にも載ってない」

 複数人。もしかすると雌神は取り込んだ人間を正確に復元できなかったのだろうか。

「なんだ、その顔は。久住君。君だけが何だか納得したような顔だな。そういうところだよ、今回の仕事が割に合わないと私が思っているのは。

 だが、まあいい。水鏡君の食が進まない様子が見れただけで良しとしよう。どのみち、佐原の件も、権田の件ももうしばらくは捜査が続く。わかることもあるだろう」

 ほら、奢りは本当なんだから、肉はたっぷり楽しみなよ。どうやら気がすんだらしく、御坂は資料を鞄に戻し、席を立った。

「散々言われたあとで肉を残されてもね」

 隣に座る紅は、やはり箸が進まないらしい。しかし、焼けていく肉には罪はない。音葉は焼けていく肉を皿に乗せた。

「そういえばさ、音葉」

「何だ。肉食べる気になったか」

「違う。あの時の雌神の顔、覚えている? 御坂警部には権田剛だと話したけれど、あれは」

「権田剛じゃない。写真と顔が違った。だが、絹田、宣宮司栞はあの顔を知っていたし、あいつは最後に宣宮司の名前を呼んでいた」

「それってさ、あの顔は」

 紅はそこまで言いかけて、下を向いた。音葉もできればその名前は口にしたくない。宣宮司栞の名前を知っている、雌神に呑まれた可能性のある男。顔が現れた瞬間、絹田は崩れかけていた雌神の顔を更に何度か顔を殴りつけた。

 おそらく、あの顔は金沢史郎。温泉街の事故によって死亡した宣宮司栞の夫だ。最期に宣宮司栞の名前を呼んだのは、雌神か、権田剛それとも金沢史郎か。

 絹田が何を思って雌神にとどめを刺したのか、それを知る方法はもうない。

「結局、何だったんだろうね。湯の神って」

「さあね。雄神も雌神ももういない。彼らが何であったのかを知る術はもうない」

 音葉たちが御坂心音にノイズの存在を教えたくないように、それは音葉たちが知るべきことではないのかもしれない。

「ところでさ、音葉。この店、肉以外のメニューはないのかな」

 やはり、肉は食べられないらしい。何か追加注文をしようと店員に声をかけると、威勢の良い声が返ってきた。

 席に歩いてくる店員は、片手に大きな平皿を抱えている。

「あの、肉以外を」

「お待たせしました。警部から注文受けてて手間取ってね。捜査が一段落したから今日はたっぷり食べるんだって。ほら、ホルモンの盛り合わせだ」

 平皿に乗ったホルモンの盛り合わせに、顔を青くした紅が席を立った。店内を見まわしても御坂心音はどこにもいない。

「これ、もしかして1人で食べるの……」

 嫌がらせにもほどがあるぞ、御坂心音。

 音葉のため息は、焼肉屋の賑やかな声と音にかき消された。


Track3:あなたを呼ぶ声 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る