あなたを呼ぶ声(10):彼女の物語
11
宣宮司栞。彼女の過去について分かったことは酷く少ない。
御坂心音は、事務所のソファに腰かけると、堂々と調査結果を述べた。
「プロダクションに残っている資料によると、女優として売れ始める前の彼女の人生は、どこにでもあるような平凡な人生のように語られている。演劇で生計を立てることを夢見て、大学進学とともに田舎から町へと出てきた。大学では演劇サークルに所属、このころはあまり舞台には上がっていなかったようだが、いくつかのオーディションを経て、例のプロダクションに在籍、小さな仕事をこなしつつ、初めてレギュラー出演にこぎつけたのが劫火侍」
「大学進学前の情報は集まったのですか?」
音葉の質問に答える前に、御坂はティーカップに注いだ紅茶を飲み干した。
「流石に一か月で、調べられる情報は少ない。分かったことといえば、本籍地と、旧姓、家族構成程度だ。しかも、血縁者で連絡がつく人間はいない。ただね、彼女とは全く違うところから彼女について得られた情報がある。
君たちに協力してもらった金剛鬼字の会の調査に絡んでいるんだがね、権田剛という名前を覚えているか」
権田。確か、金剛鬼字の会の女性会員を何人も足抜けさせて姿を消したという男だ。御坂たちが彼の自宅を捜索した結果、連続婦女暴行犯の可能性が出てきたと聞いていたが、宣宮司栞の話と直接つながるような情報はなかったはずだ。
「そう。むしろ彼について疑うべきは宣宮司栞の事故を捜査していた森本智美巡査とのつながりだ。何しろ、森本巡査と同じ風貌の女性が、権田剛と接触していたことは、捜査本部の撮影した写真からわかっているのだからね。
ところが、森本智美よりも先に宣宮司栞と繋がったんだよ。
権田剛の行方については、別途、担当になった捜査員たちが捜査を続けている。彼の部屋にあった様々な証拠は彼に強姦、強制わいせつ罪の疑いを抱かせるに十分なものだったからね。ただまあ、件の写真っていうのが厄介でね。あの男は写真に顔を写さなかったんだ。どの写真も、首から下しか写っていないため、身元がわからない。
それでも撮影場所のいくつかが市内のラブホテルであることまで突き止めてね、防犯カメラの映像から被害者の身元を探っているところだ」
「その話と宣宮司栞との間にはつながりがあるようには見えませんが」
「ああ。彼の犯罪と宣宮司とのつながりはほぼない。それでも、私は彼が大量に張り付けた証拠写真の中に、一枚だけ宣宮司栞の写真を貼った意味が気になっているんだが、巣守からはあまりに突飛な推測だと言われてしまってね。私の優秀な部下いわく、私が気にしている写真の意味なんかよりも、あの写真はプロダクションが公開している宣材写真ではないことのほうが重要らしい。
まあ、あの写真が宣宮司栞がどこかで個人的に撮影した写真であることは、確かに重要な事実ではあったのだが」
「それは、権田剛と、宣宮司栞の間には何らかの繋がりがあったということですか」
「まあね。ただ何しろ、権田剛がこの街にきたのは三年前だ。仮に彼が宣宮司栞の所属するプロダクションを見つけたとしても、そのころには宣宮司は死亡している。二人が出会う可能性はなかった。少なくてもこの街ではね」
「宣宮司栞がこの街にやってくる前なら?」
「君は察しがいいね。私は巣守からその事実を聞いたとき、思いもよらず驚いたよ」
御坂心音は鞄から一つのファイルを取り出して、音葉に手渡した。
「彼女たちの接点はこの街に来る前なんてものじゃない。何しろ宣宮司栞と権田剛は血縁者なんだからね」
*****
権田剛は、北陸地方の小さな町で生まれた。権田の生家はすでに廃屋になっており、近隣の住人に尋ねても、権田一家が最終的にどうなったのかを知る者はいない。
不思議なことに権田の痕跡で遡ることができるのは高校の入学時までだ。彼は、生まれた町から離れた県庁所在地の高校で高校生活を過ごしていた。
高校の担任曰く、権田は家庭の事情で町から離れて市へと出てきたようなのだが、その事情は全く知らなかった。当時、権田剛は親元から離れて一人暮らしをしていた。成績は至って良好。いくつかアルバイトをしていたようだが、どのアルバイト先でも素行に問題はない。
交友関係は狭く、彼のプライベートを知る者はほとんどいない。高校卒業後は進学せず、バイト先の一つだった運送会社に就職。長距離トラックの運転手として働く傍ら、不動産の取り扱いについて学んだらしい。
そして、おおよそ半年前、森本智美と同じ姿をした金剛鬼字の会構成員と接触、その後、ぱたりと行方が分からなくなった。
初期の身元調査で明らかになった権田剛の経歴は以上だ。
不思議なことに生家で生まれてから高校に入学するまでの間、どのような生活をしている子供だったのか、資料がまったく手に入らない。いいや、久住君が気にしているような事情はないよ。彼の生家が位置している地区では小中学校の統廃合は行われていない。小学校・中学校についても確かに卒業しているはずなんだ。
だが、どちらの学校でも彼の卒業年度の卒業アルバムは紛失していてね、学校に問い合わせてもたいした情報は出てこなかったんだ。私の部下たちが他の捜査と並行して彼の同窓生を当たっている。そこで少しでも情報が出てくれば、行方を探す手掛かりになるかもしれない。
学校の教員にとっては非常に影が薄い生徒だったようだね。どちらの学校の担任に聞いてもエピソードの一つも出てこない生徒だ。記録上は高校と同様に成績良好で素行にも問題が見られなかった。
おそらく、平凡で目立つところのない生徒だったのだろう。
小学校入学より以前のことになると家族と連絡がつかないこともあって、もう皆目わからないが、そのころの事情が現在の彼の行方を探す手掛かりになるかといえば、望みは薄いだろう。
結局のところ、権田剛の行方を突き止めるためには高校進学前までの彼の生活と、彼がいつから件の写真の撮影を始めるようになったかの二点を探るしかないというのが現時点での私の意見だ。
「君たちから頼まれている調査も、捜査本部の捜査の進展も気になるところではあったのだがね、私にはどうしても権田の部屋で見た宣宮司の写真が気にかかっていてね。君たちが温泉街に行っている間に、私自身の足で権田の生家を訪ねてみたんだ。
報告書にあった通り、彼の生家とされる場所には廃屋があった。木造二階建ての日本家屋でね。まあ、人が住まなくなって何年も経っているからだろう。度重なる積雪もあって、ほとんど家としての形を保っていなかった。
だから、権田剛が隠した事実を知ることができた。彼の生家には地下室があってね、その中には三人の白骨死体があった」
権田の生家から発見された白骨死体。地下室に残されていたいくつかの証拠と合わせた結果、それらは、権田剛の両親と弟ということがわかった。
「話す順序が前後して悪かったが権田剛には戸籍上、姉が一人、弟が一人いた。どちらも連絡先がつかめないままだったが、一人は地下室で両親とともに骨になっていたというわけだ。三名とも、死因は縊死。首の骨が折れるほどの力で絞め殺された。
さて、残り一名。姉の名前は権田栞という。そう、宣宮司栞の旧姓だ。
間違いないさ、権田栞という名前を見つけてから、彼女の戸籍を追いかけたんだからね。権田栞は5年前、金沢史郎と入籍。金沢姓に改姓し、3年半前に死亡した金沢栞と同一人物だ」
話を元に戻そう。旧姓権田栞が生家から姿を消したのはおおむね10年前と思われる。旧権田家から人の気配が消えたのが概ねそのころで、それまでは両親、兄弟ともに近所で姿を見かけることがあったという。
「そう。そして、時を前後して、権田剛は県庁所在地にて高校に入学。権田一家に何が起きたのかについては、不明点が多いが、少なくても一家全員が姿を消したこのころ、権田剛の両親と弟は何者かによって地下室で殺されたのだろう。
もっとも、権田剛が高校入学時、宣宮司栞は大学生。両名とも生家を離れているし、何しろ、私が権田家を訪れるまで死体は地下室に隠れていたんだ。権田一家の殺害に関する捜査はまだ始まったばかりで何もわからないというのが実態さ。
そして、奇妙なことに血縁者であったことを除いて、権田剛と宣宮司栞の間は直接的な接点が見つからない。この二人に至っては、少なくても10年前、自分の家族の行方が分からなくなったことについて何か知っていてもおかしくなさそうなのに、双方で連絡を取り合っているような事実が出てこないんだ。
その代わりといっちゃなんだが、権田剛が、宣宮司栞の夫、金沢史郎に接触した形跡が出てきた」
金沢史郎は宣宮司栞の大学生時代の同窓生だ。彼が権田剛と接触したのは、大学卒業後、宣宮司栞と籍を入れた直後。金沢史郎が勤める会社の不動産売却に携わった。
金沢史郎は、権田剛が関わった売買契約の会社側の担当者。二人はここで接触を持った。権田は、その後も、金沢史郎を訪ねて会社に来ることが多く、二人で夜の街に出かける姿をみた同僚もいる。
「なにからなにまで奇妙な話だ。ミンチ死体の謎を追っているはずなのに、次から次に奇妙な事件が掘り出されてきて、巣守なんかはもう始終渋い顔をしているし、私も捜査をかく乱していると捜査本部からどやされるばかりで非常に歯がゆい。
ん? 私の直感? そうだね、私にはまるで権田剛が宣宮司栞を追い回しているように見える。何をもって、と言われるとなんとも言えないが、そう、権田は宣宮司に執着していたんじゃないか、そんな気がするんだよ」
*****
絹田兎一は、音葉の説明を何度も反芻し、ベッドの周りをうろうろと歩き回っていた。おそらくその動きは彼、あるいは彼女が考える、悩める人間の素振りなのだろう。
「なるほど。つまり、君は、その刑事の話と、私の能力、社の祭儀の仕組みを踏まえて、宣宮司栞が死体を偽装したのは権田剛の追跡をかわすためだと考えたわけか。面白い考え方をするね。
君の考えの通り、宣宮司栞は権田剛に追われていた。彼女は私に身体を渡す代わりに、宣宮司栞という存在を消すように願ったのだ。まあ、偽装した死体については元々用意するつもりはなかったのだけれども。
宣宮司栞が社の中に入るためには、湯神衆が必要でね。あの社は私という存在を隠すための檻だ。湯神衆以外の人間が入ることができない作りになっていた。だから、彼女が私と接触するためには、湯神衆と共に社に入る必要があった。
そこで、宣宮司栞と及川清秋は湯神衆たちを利用したんだ」
「祭儀の贄ですか。湯神衆たちが行っていた祭儀には、楠木芹にも伝えられていない部分があった。そもそも、芹が伝え聞いた一連の祭儀の流れであれば、祭儀を完全に秘匿する理由はない。
祭儀において最も重要な部分は湯神衆の入浴ではない。その後にあるのだろう。温泉街に流れ着いた人間たちを生贄として湯の神に捧げていた」
「しかし、それだとそれまでの祭儀の内容と矛盾しているのではないですか。それに湯神衆は入浴しても死んでいない」
「それは、安全な方に入浴しているからだろう。雄神衆は女性、雌神衆は男性で構成されている。性別を与えられたそれぞれの神と接触するだけなら、過復元は発生しない。逆に、贄として捧げられる人間たちは性別が同じ神の座に沈められる。そうすることで、過復元現象と引き換えに、貴方たちは性別に関する情報を強く持つようになる。楠木源之助が実験の結果手に入れた神を抑えるための手段。
それが三年半前、社が崩れる時まで続いていた。宣宮司栞は自らがその贄に選ばれるように湯神衆を誘導し」
「社に侵入した。そして、彼女は雌神ではなく、雄神である私と契約して体を捧げたのだ。死体はその際に、彼女を連れてきた雄神衆さ。宣宮司の意図に気が付いた彼女は、儀式が始まる前に雌神に宣宮司を捧げようとして、返り討ちにあい、雌神の座に落ちた。常日頃私たちと接触している時間が長いとはいえ、湯神衆でも同性の神との長時間の接触には耐えられない。
それでも、彼女は過復元により壊れた身体を水の外へと引っ張り出したんだ。だがそこまでだった。そのまま放置しておいてもよかったんだが、丁度良いから宣宮司栞の形に変えて死体を捨てることにした。
おかげで、宣宮司栞は社に潰されて死んだことになり、宣宮司の痕跡はあの町で消えたのだ」
それが事の真相というわけだよ。聞きたかったことはこれで全てだろう。
絹田兎一は、窓辺に立つと右手でカーテンを避けてちらりと外を覗き込んだ。夜明けにはまだ早い。外は暗く、窓の外には何も見えないはずだ。
「まだ、時間には猶予がある。それに、最も重要なのはこの後だ。事の顛末がこれで終わりなら、佐原正二は死なずに済んだし、他の失踪者たちが出現する必要もなかった。宣宮司栞の身体を手に入れた後、あなたは平穏に暮らしていればよかったはずだ。それなのに、あなたは森本智美の姿をもって権田剛に接触し、宣宮司栞の姿で失踪者の部屋に侵入し、絹田兎一として僕たちに依頼を持ち込んだ」
今までの話は、事件のきっかけに過ぎない物語だ。この事件にはまだ続きがある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます