あなたを呼ぶ声(4):死んだはずの侵入者

*****

 喫茶マボロシのビルの二階。巣守元弥は、久住音葉の住居兼事務所の扉をたたいた。

 玄関を開けると、応接テーブルに並べられた宅配ピザが目に入る。陽気な音楽が流れ、ピザの前では、巣守の上司が真剣な目をして机を見つめていた。彼女の視線の先にあるのは、ピザとピザの間に置かれたフライドチキンだ。

「おや、思ったより早かったじゃないか。ちょうど次のチキンが焼きあがるころだ」

 チキンを手に取り満足げな表情を浮かべ、御坂心音は巣守を自分の向かいのソファへと案内した。彼女の横では、水鏡紅がソファに腰かけ、真剣な顔でテレビのリモコンを弄っている。水鏡の膝に乗った皿には食べかけのピザとサラダが盛られている。

「あの、捜査会議と聞いてきたのですが?」

 誰に当てるわけでもなく疑問が出た。だが、テレビの音と、事務所の奥でオーブンが焼き上がりを示す音にかき消され、誰も巣守の疑問を取り合ってくれない。

 どうしたらよいかわからない巣守を迎えたのは、事務所の奥から皿に盛りつけたフライドチキンとサーモンマリネをもって現れた久住音葉だ。

「ちょうどよかった。まだ紅がピザを食べつくしていないし、もう二品ほど料理を出すから、食べ物が当たらないことはない」

「いえ、あの」

「まずは食べてからだよ。巣守さん。それに、紅はもう少し時間がかかるんだろう」

 久住からの問いかけに、水鏡紅が耳につけていたヘッドフォンを外し、頷いた。

「もう少し、確か、このあたりで見かけたはずなのだけど…」

 テレビに映るのは、子供向けの特撮ヒーロー番組だ。二倍速で再生されており、画面の中で着ぐるみの怪人が、メタリックなスーツに身を包んだヒーローと対峙している。よく見ると、応接テーブルの端には、事務所の近所にあるレンタルショップの袋が置かれており、そこからDVDディスクと、VHSテープが顔を出しているのが見えた。

「いまどき、VHSなんて扱っている店があるのですね」

「まずそこに目をつけるあたり、やはり君は変わっているね巣守」

 チキンを頬張る御坂に指摘されたところで痛くもかゆくもない。それに水鏡紅が何を探しているのかはよくわからないが、とにかく御坂と巣守が追いかけている事件にはさして関連性がないだろう。

「VHSね、あそこの店長さんの趣味で取り扱っているのだけど、本当に珍しいし、古い作品も残っているからいいよね。でも、まずはこのDVDの山から当たりを探さないと。音葉、今何時?」

「11時を回ったところだね」

「あと12時間しかないよ……怪獣大決戦を見るのに二時間は必要だから、会議の時間も併せるとあと6時間とかそれくらい?」

 いったいいつまで『会議』をやるつもりなのだろうか。そもそも

「あの、これは会議なのですか?」

 もう一度、事務所に入ったときに抱いた問いを全員にぶつけてみる。すると、チキンを頬張る御坂も、リモコンを握る水鏡も、料理を並べ取り分けている久住も、全員が巣守の顔を見た。三人はきょとんとした顔で互いに視線を合わせるが何も答えない。

 もう一度、御坂が巣守の顔を見た。チキンは口元から外すつもりはないようだが、その目はいたって真剣だ。

「巣守君。これは立派な捜査だ。彼らは警察じゃないから、調査だが」

 納得がいかない。巣守の目には、ピザを片手に特撮アニメを見る休日に見える。御坂に異を唱えようとしたが、水鏡紅の大声に、巣守は反論の機会を失った。

「あった! ほら、やっぱり彼女だ!」

 水鏡紅がレンタルショップで借りてきたのは「火炎の勇者 劫火侍」という特撮番組だ。放映されていたのは今から4年ほど前。特撮というから子供向け番組だと思っていたが、彼女の説明によると、地方局の深夜帯でしか放映されなかった、大人に向けて作られた作品なのだという。

「勇者って言っても、劫火侍は、怪人を必ず炎で焼き尽くしてしまうの。常に劫火侍と怪人の戦う場所は火に包まれるから、消防と警察が、必死に被害を食い止めて、劫火侍の行為をもみ消していかないといけなくて、主人公の消防隊員が、劫火侍の行為を受け止めていくまでの心の葛藤がドラマの主軸になっているんだけれど」

 ほうれん草のグラタンをつつきながら進む、水鏡紅の解説を聞けば聞くほど、確かに子供に見せるには内容が難しい作品だ。水鏡は、事務所を開きたての頃で仕事がなかったため、昼間に暇つぶしのように劫火侍を見続けたのだという。

 この町では放映されなかったため、レンタルショップの店長が取り寄せていた録画を追いかけていたらしい。彼女曰く、便利屋の人脈作りの一環だ。

「それで、この番組と、例の死体はどのような関わりを持つのですか」

 劫火侍にかける水鏡の情熱を無理やり脇に置いて、話を元に戻すと、彼女はテーブルの上に数枚の写真を置いた。いずれも失踪者のマンションで目撃された、作業服の女性の画像だ。

「ここからは、私が説明しよう。巣守君にいくつか頼みごとをした足で、彼らにこの作業服の女について話を聞いてみたんだ。金剛鬼字の会のことも聞きたかったからね。

 そうしたら、水鏡君が、彼女のことを見たことがあると言いだしてね」

 意外な目撃証言が取れたと、御坂はその場で飛び上がったらしい。佐原正二のマンションの防犯カメラを精査した後、御坂と巣守は久住達が見つけた他の失踪者たちのマンションにも立ち寄り、防犯カメラの映像を可能な限り確認した。

 すると、失踪したと思われる時期の映像が残っていた3名の部屋に、失踪の前後、同じ作業服の女が侵入していることがわかった。しかも、全ての部屋において、彼女は部屋に侵入した後、部屋から出てくることがなかった。

 この奇妙な侵入者について、当初、御坂と巣守は、金剛鬼字の会の勧誘員と言われていた女だと考えていた。しかし、3件目の防犯カメラに映った女性の顔は、勧誘員の写真とは似ても似つかないものだった。

 結局、侵入者の存在は突き止めたもののその正体がわからないまま、巣守たちは手持ちの情報を持て余したのだ。

「それで、その女性は誰なんです?」

「宣宮司栞(セングウジ‐シオリ)。劫火侍に出演していたヒロイン役の若手女優だよ」

 水鏡の答えを聞いて、巣守は思わず変な声を出してしまいそうになった。彼女はテレビで見たことのある人間と、写真の人物が同一だと、そう言っているのか。

「あまり驚くなよ、巣守。芸能人だって、作品の外に出れば一般人だ。防犯カメラに映っていたっておかしくはないだろう」

「御坂警部、でも彼女は、殺人事件の重要参考人ですよ」

「俳優や女優は、殺人を犯さないというルールはあるかい」

 ない。どんな人間であっても、犯罪者になる可能性はあるのだ。だが、思いもよらない方向に話が進んでおり、巣守は少しついていけなくなっている。

「問題の、宣宮司栞が出てくるのは、劫火侍25話目から。劫火侍の存在をスクープした雑誌記者の、煙堂消子(エンドウ‐ショウコ)役で出てくるの。ここから、最終話である50話までの間、煙堂は話に大きく絡むヒロインとして毎回出演している」

 水鏡が『彼女』を見つけた後、食事の間に再生された三話分の劫火侍には確かに煙堂消子という登場人物が出ていた。しかし、顔まで注意しては見ていなかった。

 現在も再生が続いているテレビ画面と、防犯カメラの画像に映る、作業服の女の顔を見比べると、確かによく似ている。長い髪に、両目元のほくろ、少し切れ長の目と、細めの顔の輪郭。カメラと同じように、斜め上のアングルで映る煙道消子は確かに、作業服の女と瓜二つだ。

「それじゃあ、この宣宮司栞、いや、おそらくは芸名だからまずプロダクションに」

「気が早いよ巣守。それで済む話なら、もうとっくに捜査の手配をしている。問題はここからだ」

 食後のコーヒーをすすりながら、御坂心音は久住音葉に物憂げな視線を投げかけた。どうやら、ここからは彼が説明を引き継ぐようだ。

「宣宮司栞、本名金沢栞(カナザワ‐シオリ)という女優は、劫火侍の撮影終了から半年、3年半前に、死亡しているんです」

 死亡? だが、防犯カメラに映りこんでいる女性は確かに宣宮司栞に見える。

「実は、紅が彼女のことに気が付いた時点で、一度プロダクションに連絡を取ってみたんです。ネットワーク検索をしても、事務所のページに彼女の名前がなかったものですから。そうしたら、彼女は劫火侍の撮影直後に、プライベートで長期旅行に出かけ、そのまま旅先の事故で死亡したと言われてしまって」

「裏は」

「一応とれています。プロダクションの人間が話してくれた事件は、確かに存在しました。山あいの温泉街で起きた事件で、地方紙にしか掲載されていませんが、宣宮司栞こと、金沢栞と思われる死体が発見されている」

 思われる? 久住の言い方に、巣守は引っ掛かりを覚えた。彼がテーブルに持ってきた地方紙のプリントアウトを攫うが、そこには明確に金沢栞の名前が明記されている。

「記事をよく読む限りだと金沢栞は、夫、金沢史郎(-シロウ)と共に自家用車で湖に侵入、そのまま溺死したらしい。」

「心中ということですか」

「そうなるね。他方で、私たちが確認した防犯カメラには、金沢栞と瓜二つの人間が映りこんでいる。しかも、彼女は連続失踪事件、佐原正二殺人事件の重要参考人の疑いがあり、そして、人間をミンチにして職場の前まで運ぶ技術まであると来た」

 全く、不可解にもほどがある。御坂はようやく食べ終えた皿を机に戻し、ぱちりと指を鳴らした。優秀な捜査官としての御坂ではなく、オカルト事件に目を輝かせる彼女の顔がそこにはあった。署内の多くの先輩が、御坂班に配属された巣守にかけた言葉がよぎる。

 御坂心音のねじが外れ始めたら危険信号だ。本線に戻せ。

 それは、無関係な出来事を紐づけて暴走していく女刑事を諌めようとする諸先輩の声に聞こえる。だが、数か月彼女の下で働いてみて、巣守は、先輩の言葉に疑問を持つようになった。

「謎はミンチ死体だけだと思っていたが、調べてみれば色々出てくるものじゃないか。男たちの集会に、精力剤を売ると噂される団体、団体の構成員は集会の出席者と繋がり、佐原正二と失踪者たちはその集会で繋がっている。失踪者の家には女の侵入者、部屋から出た方法はいずれも謎で、ましてや死人と瓜二つ。さて、どこから片を付ければ事件は片付くのだろうね、久住君」

 署内の人間は、御坂心音という人物に備わった妙な嗅覚を知らない。そして、巣守と同様に、彼女が使っている便利屋たちの情報網を知らない。

「捜査協力というなら、ある程度報酬がないとやる気にならないですね」

「そこは、君の期待に沿えるように頑張ろう。美味しい料理も振る舞ってもらえたのだから。それで、久住君、水鏡君。君たちは、何かこの件を紐解くカギを持っているのだろう。だから、私から情報を引き出したい。こちらから開示できる情報はこれが全てだ」

 教えてくれよ。君たちは、私に何をしてほしい。

 御坂は、隣に座る水鏡に、向かいに座る久住に対して囁いた。囁き声なのに、離れて座っていた巣守にもはっきりと聞こえる。彼女の声はとても異質だ。久住と水鏡は何秒かアイコンタクトを取った。御坂の申し出に乗るか確認をしているのだろう。

 久住音葉が姿勢を正して、御坂の前に座りなおす。

「わかりました。警部の提案に乗りましょう。そのうえで、僕の意見を言います。

 僕たちはまず互いに今回の登場人物を明確にするべきだと思います。

 ひとつ。宣宮司栞とは何者か。彼女が死んだ事件はどのような事件か。

 ふたつ。権田剛とは何者か。みっつ。楠木智之は何処へ行ったのか。

 よっつ。失踪者たちは何者か。そして、いつつ。絹田兎一は何を知っているのか」

 彼の言葉には、抜けがある。

「あの、よろしいですか。佐原正二殺人事件に絡む謎というと、彼の殺害方法や、作業服の女の身元に関する点も解決するべき謎ではないのですか。彼女はその映像に映っている女優と非常によく似ている。でも、その女優、宣宮司栞と決まったわけではない」

「だから、まずは宣宮司栞を調べるべきだと言っているんです。どのみち、作業服の女の行方は掴めない。正体不明の女を探したところで、時間を浪費するだけだ。それなら、少なくても、誰なのかわかっている彼女から調べたほうが早い。

 それに、作業服の女も、死体の謎も、僕らが調べなくたって、有能な警察が調べてくれるでしょう」

 久住の言葉に、御坂が頷いた。もっとも、当の本人は死体の死因や作業服の女を探るつもりなど毛頭ないのだろう。彼女と久住音葉のいう有能な警察とは、署に設置された捜査本部のことだ。

 同じ物事の調査に時間を費やすくらいなら、便利屋と御坂、巣守だけが注目していることを調べたほうが良い。久住音葉の言い分は、理屈としては理解ができる。

「わかった。それなら、私と巣守は、権田剛と失踪者のことについて調べよう。あと、絹田兎一については署内の人間を張り付かせておくよ。今のところ、例の集会の参加者で身柄を捕まえられている唯一の人物だ。警察にとっても貴重な手掛かりであることには違いがない

 さて、今日の会合が有意義なものであることを祈って、各自捜査に励もうじゃないか」

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