間章:卜部哲二
疑惑と困惑
ホテルの一室に吊るされた男。彼が相澤恭香との関係者であることはすぐにわかった。相澤恭香が自殺した際、最期に連絡を取っていたのが彼だったからだ。あの時の彼は電話口でも動揺しているのがわかった。声が震え、私が質問を投げ掛けても、どこか上の空のようで、私と彼の間に電話回線以上のタイムラグがあった。
私は気分を変えようと煙草を吸いに現場から席を立った。ロビーの喫煙所で煙草を燻らせ、三田優との短い想い出を馳せる。
「卜部さん、これが彼の遺書になります」
後輩刑事の山代が白い封筒を持って走ってきた。厳しい卜部に付いて回る山代は、大学でラグビーを嗜んだという大柄な体を揺らしながら、肩で息をしている。封筒には『相澤恭香へ』と記載されていた。筆跡鑑定をしてみないとわからないが、彼の字であることは私にはわかった。
「彼がまさかあのストーカーの犯人だったとは」
先に中身を確認したのだろう、山代は興奮気味に話していた。ストーカーの犯人が見つかったことに対してか、その犯人が恋人だと言い張っていた男だったからか。
「山代」
私は少し剣を含めて山代を嗜めた。
「先入観を持って捜査を進めるな。前から注意していることだぞ。本当に自殺なのか、全ての線を洗ってから結論を出す。当たり前の話だ。この遺書だって誰かに書かされた文言かもしれない。それを証明できるか?」
「いえ、それは……」
「そういうことだ。この事件は自殺の線が濃厚だ。だがしかし、濃厚なだけで確定ではない。それに……」
「それに?」
「三田優が、相澤恭香のストーカーであることも全く不確定だからな。無粋な真似はしないように」
「は、はい」
全てを見透かされていた山代は体を小さくして、捜査に戻った。私は、やれやれ、と溜め息を吐く。
渡された封筒に視線を戻し、中身を取り出す。中には五枚ほどの便箋に三田優の想いが綴られていた。
三田優の最期のメッセージを隅々までくまなく読む。読み終えた印象は、彼は非常に落ち着いている、ということだった。厳密に言えば、この遺書を書いている時の話だが、筆跡に乱れは無く、淡々と想いが一文字一文字に籠められている。
これはいつ頃書いたのだろうか。死ぬ直前か、それとももっと前に予め書いておいたのか。この文字を見る限りでは、死に対しての恐怖は感じられない。死を受け入れている文章とも普通なら捉えられてもおかしくはないだろう。
第三者の介入した形跡はおそらくどこを探しても出てくることは無い。相澤恭香のそれと同じだった。しかし、私はそこに違和感を持たずにはいられない。
両方とも自殺に見せかけた他殺だとしたら。
そんなことが可能なのか。ストーカーとストーカー被害者。両方自殺するにふさわしい動機がある。客観的に見れば、簡単に解決する自殺の事件だ。いや、簡単すぎるのだ。もう刑事の勘、といった不確定きわまりないものに頼ってはいるが、どこか確信めいたものが心にある。
遺書には相澤恭香と出会ってからの想い出も綴られていた。しかし、文面にはどこにも彼女を恋人だと謳った表現はされていない。それもその筈だろう。元来、三田優は嘘が吐けない性分なのだ。おそらく相澤恭香が死んだと聞かされ、咄嗟に口にした『相澤恭香の恋人』という悲しい嘘。死人に口なしとは良く言ったものだ。
しかし、本当に悲しいのは吐いた嘘ではない。相澤恭香にはれっきとした高崎陽翔という彼氏が存在したということだ。この時点で彼の悲しい想いであることは大方判断できた。三田優本人には言及できなかったが、悲しいかな、この遺書が証明してしまった。それでも私は彼が相澤恭香を苦しめた直接のストーカーではないと思っている。彼は相澤恭香に好意を抱いていたが、変質的に追い回す行為をするような人物に見えなかった。遺書に書いてある通りの行為をしたとしても、彼女をあの狂気的な自殺を引き起こすきっかけになるとは思えない。彼はただ純粋に相澤恭香を愛していた。それだけの話だ。
「さて……」
私は煙草を灰皿に押し付けた。気付けば二本も吸ってしまったようだ。喫煙所のスペースが煙に覆われ、動く度にゆらゆらと揺れる。
被害者、相澤恭香とそのストーカー、三田優。二人の死によってこの事件は幕を下ろすのか。これが本当に自殺で、事件の当事者がこの二人なら、おそらくそうだろう。しかし、この事件の明星はまだ先のはずだ。
私はエレベーターに乗り、三田優の現場に向かう。機械音がごうごうと鳴り響くなか、揺られる時間が悪戯に永く感じた。
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