一章:三田優

1:ホテルの一室

 人はいつか死ぬ――――。それは不変の事実だ。誰しもが平等に与えられる、自身の結末だといえよう。それなのに、多くの人々はその死に対して余りにも楽観視している。それがこの世の現実だ。死ぬことを言葉の概念でしか理解していない。巷では毎日誰かを偲ぶニュースがひっきりなしに流れている。それでも当事者を憂うことこそあれど、結局は対岸の火事である。人はいつか死ぬ。でもそれは今日明日の話ではない。だから大丈夫。そういった根拠の無い自信で胸を張って生きているのだ。

 三田はホテルの一室でそんなことを考えながら、自分の座っているベッドから、天井に吊るされている一本のロープに目をやった。ロープの縄は大人の男性の掌で丁度包み込めるほど太く、人ひとりを支えるには十分だった。先端には人の頭がちょうど入る程度の輪が頑丈に結ばれている。三田の身長より少し高めに吊るされたそれは、ホテルの部屋には明らかに不釣り合いな代物だった。

 もう一度三田は考える。人はいつか死ぬ。いつか死ぬが、私にとっては、それが今なのだ。私は――――当事者だ。

「覚悟はできたか?」

 急に話しかけられた三田はびくっと身体を強張らせた。声の発せられた方向に目を向ける。

 部屋には三田一人ではなかった。窓際に設置された椅子に一人の男が座っている。黒いジャケットに黒いジーンズ。身に付けているものすべてが沈むような黒。薄暗い部屋の灯りも呑み込んでしまいそうな風貌だった。ボサボサの髪に無精髭がせっかくの精悍な顔立ちをもったいなくしていたが、それでも不潔といった印象はなかった。男はテーブルの上に置かれた三田のタバコをいじりながら、こちらからでもわかるほどに貧乏ゆすりをしていた。

「あの……吸ってもいいですよ」

 男は三田が問いかけると、じゃあ一本だけ、と三田がそう答えるのを待っていたかのように、ジャケットの裏ポケットからライターを取りだし、火を付けた。

「タバコ持ってないんですか?」

「いや、持ってる」

 男はライターを取りだした裏ポケットからタバコを見せた。三田の吸っているものとは銘柄が違ったが、まだ新品に近く、紙製の箱には張りがあった。

「ご自分の吸ったほうがいいんじゃないですか?」

 別にタバコくらいあげてもいいんですけど、と三田は付け加えたが、男は嫌な顔どころか、少しだけ笑みを含ませるだけで、首を振った。

「仕事中は自分のを吸えないんだよ。あくまでも吸うなら、依頼者の吸っているタバコだけだ。どこから足がつくかわからないからな」

 ――足がつく。その一言で現実に勢いよく引き戻された。三田の顔が曇るのを知ってか知らずか、男は三田に構わず愚痴をこぼし始めた。

「いいか。俺はあくまでも見届け人であって、殺し屋ではない。つまり今から自殺をするあんたの部屋から不自然なものが出てきたら、それだけで他殺の線も生まれるわけだ。あんたが持っているタバコじゃない吸い殻があったら、死んだ男の部屋に別の誰かがいた証拠になる。そんな些細なもの一つで全てがおじゃんになることもあるんだって話さ。あくまであんたが自殺するのであって、他殺じゃない。だからこそ、要らぬ疑いは掛けられたくないってのが本心だよ」

 見届け人であって、殺し屋じゃない。その線引きに明確なものがあるのかどうかは三田にはわからなかったが、彼なりの流儀なのだろうと納得した。

 そう、確かに男はこの場において、三田の自殺を見届けてくれる役割を担っている。それは三田自身も理解しており、望んでいることなのだから。

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