第X話 記憶 2

 どたどたとあわただしい病院関係者の足音が後ろから聞こえ始めたとき、突然それはやってきた。


 独特な汽笛と共に線路を走る列車のような音が聞こえてきた。かと思うと猛スピードで列車が病院内に突っ込んできたのだ。轟音に私は咄嗟に身構え、牛はすぐそばを走った列車から飛び退き、女性は動くことなく口を開いて呆気に取られていた。


 突っ込んできた列車は少しずつ速度を落とし、停車した。すごく長い列車だった。先頭車両は病院を貫いてどこか外へ行ってしまって、よくよく考えるとあのスピードで突っ込んできて数秒かけて止まったので、十、いや、二十以上の車列だ。


 そして列車は病院に突っ込んできたというよりは病院を通り抜けてきたのだとわかった。病院はガラスも割れず、壁にひびも入ってない。通過する時に突風も吹かず、埃すら舞い上がっていない。壁を透過した車両は私たちの目の前で止まって、“十七号車 特急 幽霊警察署行”とかかれた車両のドアが開いた。


 中から鉄道の制服を着た男が二人降りてくる。鉄道の社員の制服ってことはわかったけど見覚えのある制服ではなかった。どこの駅の人たちだろう、と考えて、そもそもこんな列車が止まる駅なんてないんだと気付いた。余計にこの人たちが何なのかわからなくなった。


「うわあ、こりゃひどい」


 と制服の男の一人が呟いた。


「だけど二人だけっスか……っていうか牛!?」

「誰が牛だ。俺か」


 列車から降りてきた二人に警戒している牛。少しずつ牛は牛であることに落ち着きを取り戻しているようだった。


「狐や犬ならたまーにいますけど牛は珍しいっスね」

「いやあ俺も長く車掌やってるけど初めてだわ」


 と制服の二人は談笑しながらこちらに近づいてくる。こんな惨状なのに笑えるとはいったいどんな心境なのか。いや、さっき私も笑ったな。何でだっけ、そう、牛が面白おかしかったからだ。牛にはどこか人を安心させる力があるような気がする。


 牛は両手を、両足を? いや手でいいか。両手でファイティングポーズをとって二人に臨戦態勢をとっていた。女性は腕を組んで二人を睨みつけていた。私は立ち上がりもせずに全員を眺めていた。


「ああ、そんな怪しいものじゃないっスよ。俺たちは幽霊列車の車掌です。死んだ人たちを乗せていくのが仕事なんスよ。この列車は生活安全部行きになってて」

「そんな言い方で理解できるわけないだろうが」


 年上の方の車掌が若い方の頭を小突いた。叩かれた方は頭をさすりながら不機嫌な顔をする。


「なんスかまじで」

「死んだばかりの人間は死んだことを理解していないんだから、こちらの説明だけしても意味ないっていってるんだ。何でも言ってるだろ、つか、マニュアルちゃんと覚えろ」


 年上の車掌は若い方に諭した。若い方はへいへいといいながら年上に場所を譲る。


「お二人に言っておかねばならないことがあります。二人は既に亡くなられています」

「お二人って、牛と私ってことかしら」

「ええ、そうです。お二人は幽霊になられています」

「なんだと!」


 牛は驚愕して大きい目をさらに大きく見開いた。黒い瞳で一杯だった目に白目がちらりと見えた。女性は腕を組んだ姿勢のまま特に反応することなく話を聞いている。


「死んでいる……だと」

「はい。何となくお気づきでしょうが」

「もしかしてあなた方も幽霊なのかしら? それとも死神とか?」


 女性が年を取った車掌の方を睨みつけながら言った。


「死神ではありませんよ。我々も幽霊なのです。そしてこれは幽霊だけが乗れる幽霊列車です」


 どこか半透明でゆらゆらと蜃気楼のように揺らめいているのは、列車も幽霊のためなのか。


「……少しだけ感じてはいたがそう言うこと、ですか。それにしても、私は何故牛の姿なのです?」


 牛は丁寧な言葉遣いに直して車掌に訊いた。


「稀にあるんですよ。狐に憑かれて死んだと思い込んだ方が狐の姿の霊になったり、愛犬を残して逝くことに大きく未練があると犬になったり。あなたの場合は、何らかの理由で死ぬ間際に牛を思い浮かべていたのではないでしょうか」

「……そうなんですか」


 若い車掌は、えっ、とつい口から声を漏らすと、


「そうなのか、って覚えてないんスか? ほら、死ぬ間際に牛肉食いたかったわーとか思ったんじゃないッスか」

「いや、わからない。覚えていないんだ。どうやって死んだのかさえ……」

「え、まじスか」

「私もよ」


 女性も牛に合わせて言うと、若い車掌は困惑の表情で年上の方を見つめた。


「先輩、生前のこと覚えてないとかあるんスか?」

「いや、初めてだな。もしかすると今、頭が混乱しているだけなのかもしれないが。とにかく、お二人にはこの列車に乗っていただくことになります」

「え、私は?」


 話が牛と女性でだけで進んでいるのでつい口に出してしまった。若い方の車掌が一歩後ずさる。


「わっ! この子死んでないのに俺らのこと見えてるっスよ」


 私は異常者みたいな反応をされたことにむっと来た。それを察したのか若い方の車掌は、あ、すんません、と手を後ろ頭にあてながら謝った。


「……これもまた珍しい。稀にいるんだ、死にかけることで霊が見えるようになる人間が」


 死にかけた……?


「私死にかけたの?」

「おそらく。もしかして、君も記憶がない?」

「うん、だから何がなんだかわかんなくて」


 年上の車掌は帽子を取って頭を掻くと、一度大きくため息をついた。


「普通は生きている人間に教えたりはしないんだが……」


 ポケットから手帳を取り出すと何かを書き込んで、ページを破って私に渡した。そこには、どこかの住所とその周辺の簡単な地図が書かれていた。幽霊なのに持っている手帳は本物なのか、と思ったけど、破れた切れ端の部分が震えるように脈打っているのを見ると、これも幽霊の一部のようだった。


「退院したらそこを訪ねてみるといい。力になってくれる人たちがいる――」

「これはひどい……斉藤! トリアージして! ストレッチャー足らないだろうから、倉庫から担架出してきて!」

「君、大丈夫!?」


 私は後ろから声をかけられてびくっと肩を揺らし、渡されたメモを握り締めた。


「は、はい、でも……」


 どうしてこの列車や牛なんかに誰も反応しないのか。本当にあの人たちは幽霊なのか。本当に? 私はまだ本気で信じてはいなかった。もしかして盛大などっきりならいいと思っていた。だから、言った。


「牛が! 牛がいます!」

「……この子錯乱してます」

「こんなことになっては仕方がないだろう、すぐに処置室に連れて行くぞ」

「牛と女の人が! それに電車が……」

「早く運べ! 緊急で頭部CTいれろ! それとちゃんと警察に連絡したか!?」

「い、いまからします」

「遅い! 他の病院にも応援を頼め! 医師が足りんだろ! ロビーも封鎖しろ、他の患者を入れるな!」

「は、はい!」

「あの、ちょっと」


 私は数人の医者と看護師によって手馴れた手付きでストレッチャーに寝かせられると、ガラガラと音を立てながらどこかへ運ばれていく。


 ●


「う、うおっ」

「どうされました」

「なんだか体が引っ張られているような感覚がしまして」

「もしかしてあの少女に引っ張られてるのかもしれないですね。守護霊になるとそうなるんですよ」


 初老の車掌は当たり前のように霊という言葉を使った。彼らにとってすれば幽霊というものは当たり前に存在すると言う認識であったが、牛と女性からすれば、突如幽霊であるなどといわれても狼狽するばかりだった。


「守護、霊?」


 牛は不可視の引力に対してその場で踏ん張り、耐えながら車掌に質問を返した。


「守護霊はそのままですね。誰かを守りたいと思って死ぬとそうなるんですよ。守りたい対象から一定距離は離れられなくなっちゃうんです。おそらく、あの子がその対象なのかと」


 牛は、ストレッチャーで運ばれていく少女のほうを見やる。彼女を乗せたストレッチャーは通路の角を曲がっていって見えなくなった。


「ど、どうすれば」

「あの子の傍にいてあげてください。この列車に乗らなくても大丈夫です」

「わ、わかりました」


 そう言って少女の方に向かおうとした途端、引っ張られていたゴムが戻るように牛は吹っ飛んだ。少女のたどった道をなぞるようにして空中を飛行して行き、角を曲がって姿を消した。その途中途中で頭を壁にぶつけながら。


「……」

「お乗りになられますか?」


 一人残された女性は組んでいた腕を解いて、苦笑いした。


「一人だけってのもね。これも何かの縁だから、二人についていくことにするわ」

「そうですか。わかりました。あの子に持たせたメモに幽霊警察生活安全部への住所が書いてあります。落ち着いたらそこに来ていただければ色々と説明を受けられますので」

「はい。それではまた」


 女性も小走りで牛の通った道を駆けていく。


「ウィッス。またのご利用を、お待ちしてまース」


 車掌たちは他に幽霊がいないことを確認すると、列車に乗ってどこかへ走り去っていった。

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