第5話 覚えていること

「さて、花」

 間宮が俺の足元を見て呼ぶ。

「お前は自分の名前がわからないと言ったな。では、何を覚えている?」

『桜……。すごく早く咲いた桜の木』

「早咲きの、桜の木?」


「……。それって、土手の狂い桜のこと?」

 間宮の疑問を倉田先生が答える。

 しかしまだ分からないらしく、間宮の眉が更に寄った。

「けっこう有名だよ。毎年面白いように狂うって。幹一郎君も知ってるよねぇ?」

「え? えぇ、多分。古い商店が近くにある」

「そうそう」

『あれが咲くと、もうすぐ春だってぇ気になるよな』

 間宮以外全員が、狂い桜の事を知っている。 


『出不精だからな、おめぇは』

「そんなこと、知らなくても生きていける」

「鈴音、風流って言葉知ってる?」

 倉田先生が嘆くような口調で言った。それに動じた様子はなく、間宮は涼しい顔をする。


『さしあたっては、まず桜に話を聞かなくっちゃあいけねぇわけだ。どうする、おめぇが出るか?』

「そうだな」

そう言って、間宮は立ち上がった。

「珍しいね。いつもは骸に行かせるのに」


 にやにやと笑いながら倉田先生が言う。それを間宮は軽く睨み付けた。かと思うと、座敷の奥へと入っていく。 


『ありゃ、狂い桜が見たくなったんだろうよ。まったく、素直じゃねぇんだから』


 耳元で骸がクスクス笑った。

「多分着替えに行ったんだよ。ここじゃ何だから、座敷にあがって」

 勝手知ったるなんとやら。倉田先生は靴を脱いで座敷に上がった。

 俺もしぶしぶそれに続く。その後にもう一つ、靴の音がした。


 倉田先生が、奥に見える台所で何か作業をしている。俺は所在なさげに、そのまま畳に腰を下ろした。

『おい。あいつ、俺達の話が聞こえるんか?』

『骸さんの声が聞こえたんだから、あたし等の声も聞こえてんだろ?』

『あの兄ちゃん、耳聞こえへんのか?』

『馬鹿お言いよ、そんなわけないだろう。さっきまで普通にしゃべってたじゃないのさ』


 また店の方で声がした。俺は店内をみたが、やはり誰もいない。

「はい、お茶。それとお茶菓子ね」

 先生がお盆を持って座敷に入ってきた。湯呑と皿に乗った桜餅が乗っている。


「あの……、この店に幽霊は骸以外にいるんですか?」

「幽霊ではないね。付喪神ならいるらしいよ」

「付喪神?」

 なんだ、この店は。幽霊だけじゃなく、付喪神まで飼ってるのか? いや、曲がりなりにも神だ。飼っているという表現は正しくないな。


『へぇ、私全然気づかなかった』

 花はそういうと、店の方に行ったのかバタバタと足音がした。しかしすぐにしゃべり声は止んでしまう。

『あれ、もうおしゃべりしないの?』

 花が残念そうな声を出した。そのすぐ後に、畳を移動する音がする。俺のすぐそばで、ピタリと音が止んだ。


『お姉さんって、桜餅好きなのかな?』

「さあな」

 俺がそういうと先生が、どうかしたのかというように小首をかしげる。

「いや、間宮は桜餅が好きなのかって」

「あぁ、好きだよ。特にあんこ系が」

「そうなんですか」

 茶を一口飲むと、俺は少し驚いたように言った。桜餅に手を伸ばす


 はっきり言って、鈴音は好きだとか嫌いだとかの概念、つまりこだわりがないのかと思っていた。まるで、感情のない人形のように。


『お姉ちゃんとあんこ。何か似合うね』

 それを先生に伝えると、先生は「確かに」と笑った。

「間宮は、いつも何をしてるんです?」

 俺は話の折を見て、先生にそう問いかけた。

 先生は口に含んだ桜餅を嚥下すると、少し考えるような声を出す。


「そうだなぁ。まぁ、店自体は暇だからね。なんせ、骸が普通に掃除できるくらいだし」

 困ったように笑って、先生が言う。

「もう、ほとんど寝てるね。後は本を読んだり……、付喪神たちの噂話を聞いたり……」

「店も店なら店主も店主ですね」

 少し意地悪く言ってみる。先生はまた「確かに」と言って笑った。


「大体、食っていけるんですか? 客が来ないなら商売は成り立たないでしょうに」

「骨董屋の仕事だけじゃね。どっちかっていうと、僕が持ってくる依頼の方が多いかも」

「この前のあれもですか?」

「あぁ、あれ? そうだよ、あれも僕が紹介した仕事」

『どんな仕事だったの?』

 お花が聞く。それにサラリと先生は答えた。


「僕の診察室、つまり精神科にある男の子が来たんだよ。オカ研かなんだか忘れたけどね、肝試しであのトンネルに行ってから様子がおかしくなったんだって」

 あの時の恐怖が甦ってきた。唇を湿らすために湯呑を持ったが、その手が震えて零しそうになる。


「いつもあんな危険な依頼ばかり?」

「それなりにね。大体が地縛霊だとか、祟りだとか、そんなのばっかり。まぁ、骸がいるから大丈夫だと思うけど」

『骸のおじちゃんって、強いの?』

「あぁ、強いよ」 

 自慢げに先生が答えた。その目は少し懐かしいような色だった。


「鈴音は、そういうのを引き付ける体質なのかもね。一つ片がついたらまた一つ依頼の種が出る。まぁ、その種を育ててるのは僕なんだけどね」


 特に自嘲した様子もなく、先生が言った。それからしばらく沈黙が続いて、耐えられなくなった俺は話しかける。

「そう言えば、倉田先生って人の死に際の光景が見えるんですよね。それっていつからなんですか? やっぱり俺みたいに怪我してとか?」

「ううん、生まれつき。最初に見たのはお母さんだったな……。

 鈴音のも見たことあるんだよ」

「そうなんですか」


「人の死に際なんか見て楽しいものじゃないけど、鈴音の最後は見てきた誰よりも美しかった」


「それはどんな……」

 俺の言葉は、誰かが降りてくる音で遮られた。間宮が降りてきたんだろう。

 案の定、間宮が顔を座敷に出した。俺の顔を見ると、冷ややかな目を向ける。

「人の死に様なんぞ聞いて楽しいか?」

「……」

 俺は思わず黙った。確かに先生の言う通り、あまり気持ちのいいものではない。

 しかし、知りたいと思うのはなぜだろう。自分でもよくわからない。

 これだけは言っておくが、決して好奇心から聞いたわけじゃない。


「葉蔵も、あまり余計なことを吹き込むな」

「ごめんごめん」

 悪びれた様子もなく、先生が返事をした。頭の後ろで見えないが、やれやれという顔が目に浮かぶ。

 間宮は一度目をそらしたが、何かに目を留めて勢いよく振り返る。

 少し身を乗り出し気味に座敷を見ると、憤慨した声で言った。


「葉蔵! 私の桜餅をこいつに出したな! かなり並んだんだぞ!」

 俺は驚いて、思わず目を見開いた。

 なんだ、こんな顔もできるんじゃないか。が「こいつ」はないだろう? まぁ、それが間宮らしいといえば間宮らしいのだが。


「なにニヤニヤ笑ってるんだ?」

 怒気の含んだ間宮の目を、少し顔をひきつらせながら見つめ返した。

「それじゃぁ、行こうか」

 先生は間宮をよそに言うと、立ち上がった。最初に間宮が座敷を下りる。履物をはくと、一人で歩いていった。

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