第3話 少女との出会い

 俺は、精神科の待合室にいた。そこで自分の名前が呼ばれるのを待っている。 

 テレビでは、最近小学生の女の子が連続して失踪している事件を報道していた。


『ねぇ、つまんないよ。もう帰ろう』

 俺の左隣で、少女が言う。

『こんなとこ来たって無駄だって。ねぇ』

 うるさいなぁ。少し黙っててくれ。そんなことを思ったが、口には出さない。だから、俺は少女を無視する形になる。それが気に食わないのか、一層拗ねた声を出した。


『いいもん! 乾一郎なんか知らない!』

 何度その言葉を聞いたことか……。しかし少女はすぐに何事もなかったかのように戻ってくるんだ。


 ガラリと診察室の戸が開き、中から看護師が出てくる。

「坂田さ~ん。坂田乾一郎さ~ん」

 名前を呼ばれると、俺は診察室に入った。一見そうとは思えないような部屋に入ると、椅子に座ってる人物が見る。

 俺は突然の再会に、思わず目を見開いた。医者のほうも俺を覚えていたらしく、「あぁ」と声を出す。

「この前の君かぁ……」


 チャシャ猫のような笑顔で、その医者は俺を迎える。彼に促されて、俺はテーブルの前にある椅子に座った

「えっと……、坂田乾一郎君っていうんだ。へぇ~」

 少しおどけたように、その医者が言った。胸にあるネームプレートを見ると、倉田葉蔵と書いてあった。


「この前、会ったよね? 救命で」

「はい……」

「あのあとはもう大丈夫だった?」

「はい、おかげさまで」

確かに穏やかだった。この少女に出会うまでは……。


「それで、今日はどうしたのかな? 」

 先生は椅子を回すと、パソコンに向かった。カルテでも読んでるのか?

「えっと……、この前の事故で左耳の鼓膜が破れちゃったんだね。数日前から耳の不調を訴えて、耳鼻科を受診。不調のところに幻聴って書いてあるけど……」

「はい、そうです」

 俺は倉田先生にそう答えた。俺の後ろで少女が心外だというように声を上げる。


『だから、“げんちょー”じゃないんだってば!』


 俺は無視して、先生と話を続けた。少し後ろで、少女が騒ぎ出す。

『乾一郎のばか~! おに~! あくま!』

「それで~、耳鼻科じゃ異常は見つけられなくてウチに来たと」

「はい……」

 ふむふむ、と芝居がかったような動作をする。それからまた椅子を回すと、俺と向き合った。


「幻聴って、どんな? 」

「少女の声がするんです」

「少女……。何かトラウマとかって……」

「ないです」

 俺は即答した。

「じゃぁ、聞こえ始めた時のことを教えてもらえる? 」


 俺は数日前のことをおもいだす。ゆっくりとした口調で話し始めた。


 明らかに暴行事件だったので、警察が事情聴取に来た。しかし正直に言っても信じてもらえないと思ったので、「よく覚えていない」と誤魔化したのだ。


 俺は退院すると、自分のアパートに向かった。母親が迎えに行くという申し出を断って、一人で歩く。

 ここのところ、入院中で散歩も満足にできなかったからな。久しぶりにゆっくりと、一人で歩きたい。


 帰り道に土手があった。河川敷で子供たちが遊んでいる。その土手には、ポツンと桜の木があった。

 もう五分咲きほどに花が開いている。この桜は、毎年狂い咲くので有名だったので、今年もかと思う。


「なんだってこうも毎年狂い咲くんだろうな」

『せっかちなんだって』


 独り言にしては大きすぎたらしく、後ろで少女のような声が答えた。俺は驚いて振り返るが、そこには誰もいない。

 眉をよせて辺りを見回す。だけど隠れられるところなんかない。


「空耳か?」

 そう呟くと、また歩き出そうと視線を戻した。しかし、再び少女の声がする。

『そこのお兄ちゃん、あたしの声が聞こえたの?』

 驚いた様な声を上げて、少女が聞いた。俺はまた後ろを振り返ってみたが、またしても誰もいない。


「誰なんだ? どこにいる?」

『ここだよ。お兄ちゃんの目の前』

 今度は本当に目の前で声がした。思わずそこに目を向ける。

 なんでだ? なんで何もないところから声がする?

 俺が固まっていると、少女は一人、合点が言ったように言う。


『あぁ、お兄ちゃんは「視え」ないけど「聴こえ」るんだね』


「はぁ? それはどういうことだ? なんだ見えるって、聞こえるって」

 俺は混乱気味に問い返す。それに対して、少女は予想の範囲を大きく逸脱した回答をした。


『なにって、幽霊だよ』

「幽霊?」


 混乱が最高潮になって、眩暈を感じた。

 踏鞴を踏むと、桜の木に手をついて体を支える。少女は心配そうな声を上げた。

『お兄ちゃん、具合悪いの?』

 少女には悪いが、今は答えるような力がない。結果的に無視するような形になったが、気を悪くした様子はない。


 深呼吸をすると少し落ち着いた。そこでやっと、少女に返事をする。

「大丈夫だ。それより……、幽霊って……」

『そのままの意味だよ。あたし、死んじゃったの』 


 俺はその場に固まり、また深呼吸する。

 これは幻聴だ。そうに違いない。そう自分に言い聞かせて、桜の前を通り過ぎようとした。だが、少女がついてくるような気配がする。


『まってよ、お兄ちゃん』

 俺は耳をふさぎ、足を早める。それでも少女はついてくる。まるで、これを逃したら後はないとでもいうように。


『いいもん。お兄ちゃんがその気なら、いつまでも付きまとってやるんだから!』


 そう宣言した後、本当に付きまとってきた。

 人がいようがお構いなし。家の中はどこにでもついてくる。風呂やトイレにまでもだ。

そのうち収まるだろうと思っていたが、幻聴が消える様子がないのでとうとう病院の世話になることにしたのだ。


「それで。その女の子はなんで君に憑きまとってるのか分かる? 」

「なんでも、自分の遺体を探して欲しいそうです」

「ほぅ、自分の遺体ねぇ……」

 少し思案げに顎に手を添えると、じっと俺の方を見る。


「それ幻聴じゃないかもしれないよ?」

「へ?」


 思わず変な声を出す。それに構わず、倉田先生は続けた。

「僕の知り合いにね、そういうのに詳しいのがいるんだ」

「そういうのって……」

「もちろん、人ではないもの。つまり幽霊とかの類だね」

 先生はサラリと言った。俺はまたしても眩暈を起こしそうになる。それに引き換え、少女は嬉しそうな声を上げた。


『ねぇ、その人の所に行ってみようよ! そしたら、あたしが“げんちょー”じゃないって証明してくれるよ』

 その声を振り払うように、俺は頭を振った。

 俺の周りで一体何が起こった? 何で突然幽霊に遭遇するんだ?


「ふふ。胡散臭いって顔してるね」

 見透かしたように、倉田先生が言った。

「まぁ、信じないのも無理はないよね? 科学主義のこのご時世。幽霊なんか非科学的なものは信じないって人もいっぱいいるよ」

 両肩をすくめて、先生は苦笑いする。


「よく言うじゃない。信じるかどうかはあなた次第って」

 人差し指を立てて、倉田先生が言った。とりあえず、強制ではないらしい。断ることもできる。しかしそうなると……。


「先生、この幻聴は病院じゃ治らないんですか?」

「さぁ。まだ一回目だから何もわからないよ。でも、たまに君みたいな人が精神科にくるから。

 精神疾患かと思ったら、幽霊に取り憑かれてましたって人。

 もしかしてと思って薦めてるんだ」


 俺みたいな人、つまり幽霊に憑かれた人たちが精神科に来る。それほどに幽霊がいるのか、それともただの妄想なのか……。


「さて、今日はこの辺にしようか。次回も予約しておくからね。でも来たくなかったら来なくてもいいよ。まぁ、医者がこんなこと言っちゃダメなんだけど」

 困ったように笑って先生が言った。メモをちぎると、言葉を付け足す。


「もし僕の知り合いに会いたくなったら、いつでも連絡して」

 メモには電話番号が書いてあった。おそら倉田先生のだろう。

「あ、ありがとうございます」

 とりあえず礼を言うと、俺は立ち上がって診察室を出ていく。それを倉田先生は目を細めて見送った。


 家に帰ると、俺は布団にダイブした。枕に顔を埋め、倉田先生の言葉を反芻する。

 この少女が幽霊で、お祓いしてもらう必要がある。そのためには、胡散臭い先生の知り合いに会わなくちゃいけない。


『お兄ちゃん。何であの先生に頼まなかったの?』

 不思議そうに少女が言った。当たり前のように俺は答える。

「胡散臭すぎるだろう。幽霊なんて……」

『だって、ホントだもん』

 少女があどけなく言った。それを聞くまいと左耳をふさぐ。そうすると少しだけ声がくぐもった。


『あの先生に連絡したら?』

「どの程度かもわからないのにか? どうせ高い金積まされて、適当にお祓いされるのがオチだ。お前も成仏しないまま」

『あれ? お兄ちゃん、あたしが幽霊だって認めたんだ?』

 からかうように少女が言った。俺は呻いて、肯定の意を表す。


 この前のトンネルでの事件は、病院で見た夢だということで片づけた。

 だがそれ以降にも、認めたくはないが確かに「人ではないもの」の声が聞こえてくる。その度に空耳だと誤魔化してきたが、ここまで来ると認めざるを得なくなってくる。


 どうするかなぁ……。

 いつまでもこのままじゃ困る。少女にも成仏してもらいたい。だが、それには少女の願いを叶えなくちゃいけない。

 願いを叶えようにも、自分の名前さえわからないんじゃ探しようもない。


 俺は思わずため息をついた。少女は半ば反射的に声をかける。

『ため息つくと幸せが逃げるよ』

 その子供っぽいセリフに、俺は顔を上げた。迷ったときは運で決める。


 声の方向を目分量で測り、顔を向けた。

「なぁ、賭けをしないか? 」

『賭け? あの、かっこよくコイン投げるやつ?』

 不思議そうに少女が聞き返す。

「そうだ。残念ながら、俺は不器用だからコインは投げられないがな」

 俺は文字盤を見ないように腕時計を外すと、賭けの条件を決める。


「いいか。秒数が偶数だったら連絡。奇数だったら他の方法を考える」

『いいよ』

 俺は深呼吸をすると、文字盤に重ねていた手をどけた。数字を確認すると、カバンの中から携帯を取り出す。

 同時にメモを取り出すと、倉田先生の番号にかけた。

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