第16話『藤村と牡丹』
その日の昼休み、鶯原は教室に来なかった。
もう来る必要もないのか‥
既に勝敗は決まったんだから‥
桐山は一人自分の席でお弁当を食べていた。
椅子に座ってお弁当を食べている桐山は相変わらず涼しげな顔をしている‥
桐山は言っていた‥
今日の帰りに返事をするって‥
桐山はもうすぐ他の女の彼氏なってしまうんだ‥明日からは鶯原梅香の彼氏だ。
もう特別な感情を持って見てはいけないんだな‥
わたしは昨日で桐山のことは諦めたんだ‥
クラスメイトか‥
仲が良いが取れて本当にただのクラスメイトになるんだな‥
「桜、どうしたの?お昼食べないの?」
菊乃に優しい笑顔で話し掛けられた。
「うん‥何を食べるか考え中‥」
「桜がそう言うと思ってね、さっき鶴松と猪野萩にこれ買ってきてもらったから‥」
そう言って菊乃は白い紙袋をわたしに差し出した。
「これは‥」
「購買のコロッケパン、桜、好きでしょ?」
「うん‥ありがとう、菊乃」
「出会った頃、桜はこれをよく食べてたよね」
「そうだね‥」
「わたしと桜って何で仲良くなったのかな?」
「何でかな‥性格似てるし、とにかく話が合ったよね、でも、わたしは菊乃みたいに購買へパシリしてくれる舎弟なんかいないよ‥」
「フフフ、そうだね‥桜は今までわたしが出会った友達の中でナンバーワンだよ、間違いなくね‥誰も代わりにはなれない‥」
「ありがとう、わたしもそうだよ、菊乃には感謝してるよ」
菊乃の目が少し潤んでいるように見えた。
「どうしたの菊乃?何か変だよ?」
「桜こそ変だったよ?」
「はあ?何それ?」
「コロッケパン食べてね、何も食べないのはよくないよ‥ちょっと席外すね、行きたいとこあるから、また帰りにね‥」
「菊乃‥」
菊乃はそう言うと、わたしの前から離れて教室を出て行った。
菊乃‥どこ行ったんだろう?
菊乃にもとうとう愛想つかされちゃったかな?
わたしは袋に入っていたコロッケパンとオレンジジュースを取り出して食べ始めた。
ありがとう菊乃‥
コロッケパンを食べていると机の前に人の気配を感じて顔を上げた。
わたしの前には藤村が立っていた。
「幕ノ内桜、ちょっと顔を貸せ」
「藤村‥何だよ?」
「いいから顔を貸せ」
仕方ないな‥
わたしはコロッケパンを頬張ってオレンジジュースで流し込むと、藤村に付いて教室を出て行った。
行き先は例の屋上へ上がる階段室だった。
「藤村、何の用だよ?鹿内とケンカして、もう愛想つかされたのか?そんなこと言われても、わたしには手に負えないからな」
「そうじゃない、鹿内‥紅葉とは何の問題もない、心配するな」
「じゃあ何だよ?今日のわたしは、ものすごく機嫌が悪いんだけど!」
「お前に会わせたい奴がいる」
「会わせたい奴?」
そう言うと藤村は階段の下を見た。
「蝶野‥牡丹」
蝶野が階段を昇ってくるのがわかった。
「どういうつもりだよ藤村?」
「蝶野がお前に話があるそうだ」
「幕ノ内さん‥」
「何だよ?蝶野、わたしを笑いに来たのか?それとも鶯原から様子を見て来いとでも言われたのか?」
「そんなんじゃない、わたしは自分の意思でここに来たの、どうしても幕ノ内さんに一言だけ言いたいことがあってね」
「言いたいこと?何だよ蝶野‥」
「幕ノ内さん、あなたは本当にこれでいいの?」
「いいも悪いもないよ、桐山が選んだことだから‥」
「あなたが大好きな桐山君を梅香に取られちゃうんだよ?」
「取るとか取らないとか、桐山は物じゃない‥」
「あんなに梅香に対抗心を持ってたじゃない?どうしたのよあの元気は?」
「まあ、空元気だったってことかな‥わたしは鶯原梅香を甘く見てたんだよ」
「桐山君を諦められるの?」
「今のわたしじゃ、鶯原梅香には敵わないよ」
率直な気持ちを蝶野に答えた。
「幕ノ内桜‥お前ほど桐山のことを想っている奴はいないぞ、今朝の黒板の件もそうだが、梅香なんか比べ物にならないくらい、お前の方が桐山に相応しいと俺は思うぞ」
「藤村‥そりゃどうも、でもどうかな?桐山はわたしなんか何とも思ってないよ」
「桐山君がどう思うかも大事だけど、幕ノ内さんの気持ちを伝えることも大事なことじゃないの?」
蝶野が言った。
「蝶野、お前はどっちの味方なんだよ?鶯原を裏切るのか?」
「蝶野牡丹は鶯原梅香の親友だよ、だけどね、わたしは幕ノ内桜を放っておけないんだよ!」
「蝶野‥どうして?」
「幕ノ内さん、わたしはあなたと友達にはなれない、梅香を裏切るつもりもない、けどね、わたしはあなたを気に入ってしまった。わたしはあなたの生き方が好きなんだよね」
「そう言ってもらえるだけで充分だよ」
「幕ノ内さん‥あなたは梅香に負けてなかったよ、わたしはあなたの考え方が正しいと思う、だから‥桐山君に想いを伝えて最後まで勝負をして欲しい」
「‥」
「幕ノ内桜、あの時、紅葉に言ったよな、ここからの一歩は自分で踏み出せって‥紅葉は勇気を持ってちゃんとその一歩を踏み出すことが出来たんだ、幕ノ内桜に出来ない筈がないだろう?」
「そうだな‥蝶野、藤村、ありがとう、だけどもういいんだよ‥桐山のことはわたしの中では昨日でもう決着したんだ」
わたしはそう言うと、階段を下りてその場を離れた。
教室に戻って自分の席に座って目を閉じた。
藤村と蝶野の気持ちは素直に嬉しかった。
けど‥もうどうすることも出来ない。
わたしが桐山に相応しいかどうかを別にしたって、菊乃や他の周りの連中を気にして言えなかったわたしが悪いんだ‥
今までだって桐山に告白するチャンスはいくらでもあったんだ。
それに桐山がわたしのことを好きじゃなければ、鶯原梅香がいてもいなくても同じことだ。
わたしは負けたんだ‥鶯原梅香に、いや違う‥自分に負けたんだ。
梅が咲いて桜は咲かなかったんだよ‥
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