第17話『菊乃と盃』

午後の授業が終わっても、自分の席に座ってボンヤリとしていた。


さてと、帰るか‥

気を取り直して帰る支度をしていると、


「桜‥帰ろっか?」


菊乃に促されたので、


「そうだね、鶴松と猪野萩も帰ろうよ」


と二人にも声を掛けた。


「おう、今日はモスバーガーかな?」


猪野萩が言った。


「いいね!行こうよみんなで」


わたしは猪野萩の提案に頷いて返事をした。


「‥鶴松、猪野萩、悪いけど今日は先に帰ってよ」


菊乃が二人に言った。


「えっ?どうしてだよ?」


猪野萩が怪訝そうな顔をして菊乃に質問した。


「桜と二人にしてくれ、お前らがいると話が出来ないから‥」


「二人で話?いつも四人じゃん!話しなら俺らも聞いてやるよ!なあ鶴松?」


猪野萩が鶴松に同意を求めると、


「そうだよ、モスバーガー食いがら何でも聞いてやるぜ!」


鶴松も猪野萩に同調して言った。


それを聞いた菊乃の表情が一変した。


「つべこべ言わずに今日は帰れって!そう言ってんだろ!いいから早く帰れよ!」


菊乃の大きな怒鳴り声が教室に響いた。


あまりの菊乃の迫力に二人は目を丸くして驚いていた。


「菊乃、そんなふうに言わなくたって‥」


わたしは菊乃をなだめようとした。


「桜、今日だけは二人にして、頼むよ‥」


「菊乃‥わかったよ、鶴松、猪野萩、誘っておいて悪い、モスバーガーは明日にしよう」


「仕方ないな‥高杯、幕ノ内じゃあな!」


鶴松はそう言って首をかしげながら猪野萩と一緒に教室を出ていった。


「菊乃‥どうしたの?」


「さてと‥桜、ちょっとしたら帰ろうよ」


わたしと菊乃はしばらく教室で黙ったまま二人でいた。


菊乃はどうしたんだ?

こんな菊乃は見たことがない‥


菊乃とわたしは教室を出ると、仙川駅に向かって歩き始めた。


冷たい北風が吹く寒い夕暮れだった。

菊乃はただ黙って歩いていた。


「菊乃‥」


「桜、覚えてる?」


菊乃がやっと口を開いた。


「何を?」


「わたしと桜が初めて会った時のこと」


「うん、覚えてるよ、忘れる筈ないよ‥」


あれは入学式の日のことだった‥

その日はあいにくの空模様で、式が終わった頃には雨が降り出していた。


わたしは母から言われて傘を持っていたので、昇降口で靴に履き替えて帰ろうとしていた時の出来事だった。


菊乃は一人で昇降口の外の軒下に立って落ちてくる雨をただ黙って見ていた。


不思議と誰も菊乃に一緒に帰ろうと声を掛ける子がいなかった。


わたしが菊乃に声を掛けようとすると‥


「幕ノ内さん、あの子には関わらない方がいいよ」


振り返ると同じクラスになった女子が数人立っていた。


「どうして?」


「あの高杯って子と同じ中学の子から聞いたんだけど、中学では素行が悪くて有名だったんだってさ」


「素行が悪い?」


「そう、今時スケ番って言われたみたい‥補導暦とかあるらしいよ」


「ふ〜ん」


「同じクラスにあの子の仲間の男子も二人いるんだよね‥そいつらもガラ悪いしさ、入学早々あんなのと同じクラスなんて、最悪だよね、みんなで無視してやろうよ!」


同じクラスになった女子が、顔をしかめてわたしに同意を求めるように言った。


「それが何なの?」


「それがって‥幕ノ内さん、あんなガラ悪い奴らと一緒で嫌じゃないの?」


「嫌?て言うかさ、むしろそんなこと言うあんた達に嫌悪感を抱くね」


「それ、どういう意味よ?」


「他人から聞いた話を真に受けて自分の目で確かめもしないでさ、バカみたい」


「バカみたい?」


「いや、みたいじゃなくて、バカだね!」


「何ですって、もう一回言ってみなさいよ!」


「ああ、何度でも言ってあげるよ、わたしは見た目も大事だけど中身はもっと大事だって思うんだよね、だから外見や噂で人を判断することはしないんだ、例えそうであっても、そんなこと口に出して他の人に言っちゃいけないんだよ!人の悪口言う奴にろくな奴はいないからね、覚えておきなよね!」


「‥」


「わたしはあんた達と友達になる気になれないな」


クラスの子達にそう言うと、靴に履き替えて昇降口から外へ出て菊乃に声を掛けた。


「傘ないんでしょ?駅まで一緒に行く?」


菊乃は小さく笑みを浮かべて言った。


「いいの?」


「いいけど、彼氏が傘持って迎えに来るの待ってんなら遠慮するけど?」


「彼氏?‥フッ、そんなのいないよ」


菊乃はクスッと笑いながら答えた。


「じゃあ、入っていきなよ」


それが菊乃との出会いだった。


実際、菊乃は中学ではあまり素行は良くなかったようだけど、さすがに補導暦はなかった。


人の噂は参考にしても信用しちゃいけないんだ。


「あの時さ、桜達の会話、全部聞こえてたんだよね」


「ふ~ん、そうなんだ」


「こいつ只者じゃないって思ったよ」


「ごめんね、只の人でさ」


「わたし、桜と出会えて良かったよ」


「そう?わたしも菊乃に出会えて良かったよ」


「‥だから、どうしても今日は二人で話がしたかったんだ」


「そうなんだ、まあ、たまにはいいかもね」


「さてと、桜‥ファミレスでも行こっか?」


「うん、いいよ」



わたしと菊乃は仙川駅からほど近いファミレスに入ってドリンクバーを注文した。


「で‥菊乃、話ってのは何?」


わたしが菊乃に質問すると、菊乃は真剣な顔をして、


「桜‥ごめん‥本当にごめんね」


そう言っていきなり頭を下げた。


「何?唐突に謝ったりなんかして、何か謝らないといけないことしたの?」


「したよ‥一番やってはいけないこと‥」


「一番やってはいけないこと?」


「桜の気持ちに気づいてあげられなかった‥わたしは誰よりも桜を理解している親友だと思っていたのに‥本当にごめん」


「菊乃は掛け替えのない親友だよ!何言ってんの?」


菊乃は何が言いたいんだ?

さっきの出会いの時の話といい、わたしは菊乃の考えていることがわからなかった。


「もっと早く気づいてあげなきゃいけなかった‥桜があんなに悩んでいたのに、わたしはバカだよ‥大バカだよ」


「菊乃‥何の話よ?さっぱりわかんないよ」


「わからない?桜がずっと大切に胸に秘めてた想いだよ‥」


「は~っ?大切な想い?」


「そうだよ‥桐山を想う一途で純粋な想いだよ‥」


菊乃!!!‥

気付かれた‥

とうとう菊乃に気付かれてしまった。


「菊乃、何言ってるの、桐山?そんな訳ないじゃん‥」


「桜‥もう隠さないでよ、わたしは揶揄ったりしないから‥今更だけど、もっと早く気づかなくちゃいけなかったんだ‥年明け早々に桐山が鶯原梅香に告白された時から桜は変だったんだ。桜の気持ちも知らないで、わたしは桐山と鶯原梅香を高みの見物でもするように笑ってたんだ‥」


菊乃の言葉に、桐山への想いを素直に認めるしかなかった。


「菊乃‥どうしてわかったの?わたしが桐山を想ってるって」


「今朝、クラスの男子が桐山を揶揄ったよね、鶯原梅香と一緒に帰ってるって‥」


「そうだね‥」


「桜、激怒したよね?『桐山は誰よりも真面目にバスケに取り組んでる、誰よりも練習だってしてる、鶯原梅香は桐山のことが好きなんだから、一緒に帰りたいのは当たり前だろ!誰だって好きな奴がいたら一緒に帰りたいって思うに決まってるだろ!』って‥」


「人の色恋沙汰を揶揄うのは許せないよ‥」


「今朝の桜、すごくカッコよかったよ‥あの時わかったんだ‥桜の気持ちが、桜は桐山のことが好きなんだって」


「‥」


「そうじゃなかったら、あんなこと言えないよ‥桜の本心、桐山と一緒に帰りたいのは桜なんだってね」


「菊乃‥」


「わたしはそんなことも知らないで‥今まで桐山をバカにしてたよね、それは桜をバカにしてたってことなんだよ‥桜が一番嫌いなこと、人を外見や噂で判断して‥わたしは最低だよ」


「菊乃、そんなことないよ‥」


「桜‥わたしは勘違いしてた、桐山は‥桐山は地味なんかじゃない、真面目で優しくて、思いやりがあって、努力家で、とっても素敵な男なんだね」


「菊乃‥褒め過ぎだよ」


「褒め過ぎなんかじゃないよ、わかったんだ、何で桜が桐山を好きになったのか‥」


「どうしてわかったの?」


「昼休みにバスケ部の雁野に桐山のこと聞いたんだ‥雁野は言ってたよ、あいつほどバスケが好きな奴はいないって、誰よりも遅くまで残って練習して、裏方の片付けや掃除、みんなが嫌がることまで陰で黙ってやってるって‥レギュラーじゃないけど、あいつが一番だって、あいつのこと悪く言う奴がいたら絶対に許さないって‥桜は知ってたんだよね?桐山の本当の姿を‥」


「菊乃‥そうだね、わたしも最初はね、桐山は眼中になかったんだ。でもね‥あいつは本当にすごいんだ‥誰も真似なんか出来ないんだよ」


「桜‥だから、だから言うよ、桐山を諦めるな!絶対に諦めるな!桐山は桜にこそ相応しい!わたしや他のやつ、周りの目なんか気にするな、桐山を必ず物にしろ!」


「菊乃‥」


「約束だよ、ほら約束のさかずきだよ!」


そう言って菊乃はコーヒーカップを手に持った。


わたしもコーヒーカップを手にして菊乃のコーヒーカップにカチッと音させて合わせた。


「ありがとう、菊乃はわたしの一番の親友だよ‥本当にありがとう、そしてこれからもずっと親友だからね」


「もちろんだよ‥わたしは桜の一番の理解者なんだからね!」


わたしと菊乃は久しぶりに女同志でファミレスで長話をして、とても楽しい時間を過ごした。

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