5-4


  ◆


「ほんまこんなところ通らなあかんのかいな?」

 断崖絶壁と呼ぶに相応しい渓谷が森を抜けたヒュウ達の前に広がっていた。

 二人として満足に横に並んで歩くことのできない道幅が崖に沿うように続いている。草木一つ見当たらない岩肌の道を一歩足を踏み外せば底の見えない谷底だ。

 四つん這いになりテアは崖底を覗き込んだのちに唾を一つ飲んでから小石を投げ入れる。

 音がゆっくりと遠のいていくのに耳を傾けるが最終的にその音は闇に呑まれて消えてしまう。

「音が返ってこおへんな。こら奈落まで繋がっとるんやないか?」

「まあ落ちたらまず無事ではすまないでござるな」

「どこかの馬鹿が次の目的地まで直線とか言うから、こんな道なき道を通るはめになってるんでしょ」

「馬鹿とは誰のことだよ!?」

「反応するってことは自覚があるんでしょ」

「てめえな!」

 森を抜けることになったのも、このような断崖絶壁の道を通れねばならなくなったのも全てはヒュウが次の目印となる街まで、より安全な街道を無視して直進コースを取ったからだ。

「こんなところで喧嘩はやめえや。ウチが落ちてもうたらどないするんやっちゅうねん。三途の川の渡り賃は三文言うけどな、びた一文払いとうないわ!」

「騒がない、騒がない。もうちょっと行けば小さいけど橋があるはずだから」

 崖に沿うように細い道はただ続いているなかで輪蔵もおもむろに谷底を覗き込む。

 底の見えない光景はまるで何かが闇の奥で手招きしているが如く背筋がふと寒くなる。

「なにかあった際にここでは迂闊にレイ・ドールも出せないでござるな」

「なにかって、こんな場所でなにがあるってんだ? こんな獣だっていない谷によ」

 レイ・ドールを出せばその重みに耐えきれず、間違いなくヒュウ達の立つ頼りない道は崩れてしまうだろう。

「いついかなるときも、緊急の事態に動けるよう備えておくことこそ忍びの極意でござるよ。

 まあヒュウ殿の言葉通り何も起きなければそれが一番でござるが」

「あんさん方、ほんと仲悪いのに、なんで一緒に旅してるんやろうな。ウチ気になってしょうがないわ」

「私はお嬢様のため!」

「拙者はヒュウ殿の悪行を止めるため!」

「僕は自分のため!」

「勝手にこいつらがついてきただけだ」

 全員が全員図ったかのようにテアに言葉を返す。

 目的など何一つとして一致していない集団だけにテアは首を傾げてみせた。

「ほら、橋が見えてきた」

「ほんとでござるなあ……なにかいるでござるよ」

 絶壁と絶壁を繋ぐ一橋。

 遠目に見てもあまりに細いその橋の入口となる場所に豆粒のような影が見える。

 輪蔵にこそ見えるが、ヒュウは幾ら目をこらしてもただの豆の影にしか見えない。

「なにかってなんだよ?」

「なにかでござるよ。拙者が知るわけ無いでござろう。

 ただ人っぽいでござるな。それも三、四、五……それなりの人数がいるでござるよ」

「こんな急ぎの商人すら通らないような道に盗賊なんていないだろうし、一体なんだろうね」

 橋が近づくにつれ豆粒のような影は次第に大きくなっていく。

「あだだ! ウチ、ちいとばかし腹が痛いんやけど、道変えへん?」

「なんで腹が痛くて道を変えなくちゃならねんだ。それこそ次の町にさっさと向かった方が良いに決まってるだろ。

 腹が痛いならここでうずくまってやがれ。もともと俺はお前と一緒は嫌なんだよ」

 うずくまったテアに容赦ない言葉を投げつけるヒュウは鼻息を荒くして大股で見える橋へと向かっていく。

「そんなに体調が優れないでござるか?」

「……しゃあないな。こうなれば野となれ山となれや。

 心配あんがとな。けどもう大丈夫や」

「それなら良かったでござる」

 開き直るように呟き大きくため息を吐いたテアは何事もなかったかのように起き上がり、輪蔵に普段通りの笑みを返す。


「そこのお前ら!」

「ん?」

 今にも途切れてしまいかねない道が急に広くなる。半球状のように広がっている橋の前へと来たヒュウ達を呼び止めたのは酷く威圧的な男の声だ。

「足を止めろ!」

「ったくなんだよ」

 輪蔵の言葉通り、男達は全部で七人。右を見ようと左を見ようと目に入ってくるのは筋骨隆々の男達だ。

 姿こそ統一性のない男たちが各々その手には武器が握られている。

「関所があるなんて聞いちゃいねえぞ」

「違う。俺たちはここらで賞金首を追っているんだ」

 無精髭の目立つ男が一歩前に出る。

 他は橋を遮りかのように立っている。

 無理して通ることは荒事への発展が火を見るより明らかだ。

「賞金首……ってとことはお前ら賞金稼ぎか」

「そうだ」

「………………」

 ヒュウはゆっくりと後ろに立つ屈強な男達の顔ぶれを見たあとに、もう一度目の前の男を見た。

 その顔にはニヤけた面構えが浮かんでいる。

「ろくなこと考えてない顔だ」

「なあなあ」

 リンダラッドの声を無視してヒュウは馴れ馴れしく男の首に手を回す。

「この人数で探してるってことは結構な大物なんだろ。俺にも一枚噛ませろよ」

 こいつらから情報だけ貰って、最後に出し抜いてしまえばそれこそ一攫千金だ。

 ヒュウはそれを考えるだけで顔がだらしない笑みになる。

「お前も賞金稼ぎか?」

「別に賞金稼ぎなんて仕事はしたことはねえけど、実力だったら十分だと思うぜ」

「レイ・カード……ということはお前もライダーか」

 ヒュウが懐から取り出したレイ・カードを見て男は厳かに呟く。

「お前もってことは、そいつらも……」

 全員が懐からレイ・ドールを取り出してみせる。

「俺たちは賞金稼ぎのライダーよ」

「っで、そのライダー達がつるんで何を追っかけてんだよ? せっかくだから俺にも教えてくれよ」

「ちょ、ちょっと! 私たちはさっさと次の町に行くためにこの橋を渡らせてもらわないと──」

「うるせえな! 金の匂いがするんだよ。鼻のきかねえてめえらは黙ってろ」

 あまりの傲慢にして我儘なヒュウの態度に男達も気まずい表情で顔を見合わせる。

「お前が信用に足る人物かわからないから迂闊に仲間に入れることはできない」

「もしかしたらあんたらの知りたい賞金首についてなんか知ってるかもしれないぜ」

 男はおもむろに後ろに構えた男達と視線を合わせる。

 言葉にせずともまるで目で会話するがごとく一分間見つめ合った後にもう一度ヒュウへと向き直る。

「いいだろう。この辺でも有数の貴族の家から金品を盗み出した女を探してる。

 ここまで追ってきたが、この先の森で消息が掴めなくて、別動隊が探してるのが現状だ。俺たちは森から抜けだすこの橋で待ち伏せてるわけだ」

「へえ。賞金がかけられてるところを見ると大層な量の財宝をそいつは盗み出したんだな」

「盗んだものに関して詳しいことは俺たちも知らねえ。ただ、盗まれた間抜けな貴族からそいつの首に多額の賞金がかけられてるってだけの話だ。俺たちはそいつを生け捕りにするだけだ」

 実に賞金稼ぎらしい言葉だ。

 報酬が見合ってるとあれば私怨であろうと果たすところはある意味でヒュウが行っていた便利屋に近いものがある。

 そこには倫理観など薄れ、ただ金銭の多寡だけがある。

「それでそいつはどんな奴なんだ?

 写真や絵なんかはあるのかよ?」

「写真や絵はないが、なんでも特徴的な話し方をする女でな」

「……特徴的な話し方をする女」

 男の言葉をヒュウ達は復唱しながらおもむろに一つのところへと自然と視線が集まる。

 尼僧服に身を包んだテア=フェイラスへと。

「年の頃は二〇いかないくらいの若さで胸が小さい」

「二〇手前で胸が小さい……」

 テアの眼を見ていた視線が一斉に下に下がり胸を見た。体のラインが出づらい尼僧服の上からでも凹凸の少ない薄い体が見える。

「噂だと情報屋だとか……」

「情報屋……」

 男の言葉にヒュウ達が疑うことのない眼差しでテアを見た。

 テアはその視線から逃げるようにおもむろに視線をそらして下手な口笛を吹いてみせた。

「他になにかないのかよ? もっと一目でわかるような目印みたいなもんはよお」

「あとはだなあ……そうだ!」

 ヒュウの言葉に男は声を貼って手を叩いてみせる。

「髪だ!」

「髪?」

「ああ。その女は栗色で癖毛が異様に目立つらしいぞ」

「癖毛……」

 胸から今度は全員の視線が持ち上がりテアの頭髪を覆うウィンプルへと向けられる。

「なにか情報を知ってたら聞かせては貰えないか。ちなみに報酬は二〇万ガルだとよ。女一人にしちゃ破格な額だろ」

「二〇万ガル……そいつはまたずいぶんと法外な価格だな。豪邸が建てられちまうぜ!」

「そう思うだろ」

 ヒュウの驚くような声に男達も頷く。

 人一人にかけられる金額としてはあまりに法外だ。

 ──女一人に二〇万ガル……

 あまりに前例のない金額だけにヒュウとしてはにわかに信じがたい話だが語る男の眼は真摯そのものだ。

「だから俺たちも血眼になって探してるわけよ。それで、あんた達はなんか情報知らねえか?」

「有益な情報があったら俺たちにも多少の取り分くらいくれるのか?」

「まあ、有益な情報ならな」

「……」

 おもむろに全員の集まる視線を前にテアは張り付いた笑みの横に僅かな汗が浮かび上がる。

 欲の塊が人の形をしたようなヒュウがテアの首にかけられている賞金を前に何のアクションも起こさないはずがない。

「うーん……見てのとおりだ、俺たちは旅の途中だし、そんな女とはこれっぽっちも出会っちゃいねえよ。なあ。テア!」

「う、ウチも……やなくて、私もそんな人に会ってないなぁ」

 露骨に口調を変えたテアは冷や汗を浮かべながらヒュウの言葉に頷く。

 普段の話し方を知る者ならば、テアの気の遣った喋り方に違和感を覚える。

「でっ、さっき話してたが、お前は俺たちと一緒に賞金首を探すのか?」

「いや、急ぎの用事が次の町にあるのを思い出したしやめとくぜ。それよりも橋を通しちゃもらいねえか。後ろの男どもが邪魔で通れねえんだよ」

「それはすまない。ほら、行かせてやれ。

「そんじゃ通らせてもらうぜ」

 男の一声で橋への道が開けるとヒュウは左右に分かれた男達の間を闊歩し橋に足をかける。

 造りの古い橋だ。

 長い年月のなかで手入れもされず、雨風に晒され、支える縄も痛み、今にも崩れてしまいそうに不安定に揺れている。

 時折谷底から吹く風が橋を不気味に軋ませる。

「シスターに、娼婦。ガキに珍奇な恰好をした男。何の集団なのやら」

「しょ、娼婦って私のこと!?」

「珍奇とは拙者のことでござるか!?」

「ガキって僕のこと? 心外だなあ」

「なあに。こいつらは俺様の下僕よ。

 どうしてもついてきたいって言うから連れてきてるだけの話よ」

「いつ拙者達がお主の下についたでござるか!」

「そうよ! 適当言わないでよ!」

「ああうるせえな。さっさと行くぜ!」

 ヒュウは喧しい言葉を遮るように綱を掴み橋を怯えることなく橋を進む。

「なんでウチを助けたんや?」

 後ろから早歩きで寄ってきたテアがヒュウに耳打ちするような声で囁く。

「てめえが握った宝ってなんだ? 二〇万ガルもの法外な値がつけられた宝って気になる話しだな」

「脅す気かいな」

「やっぱりタダで助けるような性格はしてないよね」

 二人の会話にリンダラッドが口を挟む。

 口に出すまでもなく輪蔵もリビアもわかっていた。

 ヒュウのなかに良心などと言うものは皆無だ。全てはソロバンの珠を弾き、打算のみで動く男だ。

「そらそうよ。別に話さねえなら、橋を渡って、てめえの身柄を賞金かけてる奴に渡して独り占めよ。せいぜい橋を渡るまでに身の振り方を考えるんだな。

 さもなければ明日は獄中か打ち首獄門よ」

 ──こいつの持ってる宝を奪って、身柄を引き渡せば二〇万ガロも手に入る。一挙両得だぜ。

 手に入れられるものは当然全て手に入れる。

 手に入れられないものでも目に見えるのならば手を伸ばし、無理も無茶で押通るヒュウだ。

 テアにかけられた賞金。そして二〇万ガロの価値のある宝。その全てが手に入ると思うと心が躍り、足がスキップ気味な動きになる。

「見逃して……言うて素直に見逃してくれる奴やない」

 諦観めいた声をこぼしたテアはそっと頭髪を隠すように覆ったウィンプルへと手をかける。

「な、何する気だ──っ!」

「どうせならウチが逃げるために思いっきり協力してもらわなっ!!」

 ヒュウの言葉も待たずに頭髪を覆ったウィンプルを脱ぎ捨てると、毛先の縮れた鮮やかな栗色の髪が太陽の光に晒される。

「栗色の髪に強い癖毛……あのシスター姿の女がっ!! 追うぞっ!」

「うおおぉぉぉーーーっ!!!」

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