4-5


  ◆


「はあ」

 オリビアは椅子に座り小さくため息を吐いたのちに目の前にいる二人を見た。

「なぜ私たちは正座させられてるのだろうか?」

「なんでだろうね?」

 状況がよくわからない青年の問いかけに対して少年も笑って首を傾げることしかできない。

 大国からレイ・ドールを盗み出した少年と、その少年への追手を有無言わせずに気絶させた青年。

 その二人を家に匿ったオリビア。

 共犯者としてこれ以上ない功績だ。

「これで完全に共犯者ね……」

 しみじみと呟いた言葉は嫌でも自分の置かれた状況を実感せざるを得ない。

 ──一層のこと、この二人を大国へと突き出して罪を軽くできないか嘆願してみようかしら。

 入口となる扉の前に正座した二人の顔をオリビアはもう一度見比べた。

「なんであたし達を助けたわけ?」

「ん? 私か?」

「そうよ」

 オリビアは青年の眼をじっと見た。

 あの奴隷商の露店で見たとき同様にその黒い眼にはまるで動じない力が満ちている。

 オリビアはこの眼が興味こそ惹かれるが、どちらかと言えば苦手だ。

「奴隷として買われて、自由になったから私のすべきことをしたまでだ」

「すべきことって……追手を倒す事なの?」

「私を自由にしてくれた者が襲われていたからな。恩は返さないままと言うのは私の信条に反する」

「……その信条自体は大事にすべきことだと思うけどね、とんだありがた迷惑よ」

 オリビアは椅子から立ち上がると、真赤なドレスの揺らし男の前に立ち、その鼻頭を指で突く。

 予想もしていなかったのだろう。鼻頭を突かれた男はきょとんとした顔でオリビアの顔を見た。

「おかげで罪は重くなるわ、あんたらを匿ったせいで共犯者は確定だわで、私の人生お先真っ暗よ」

「それはすまないことをした。良かれと思い助けたことが君には迷惑だったようだ」

 青年は律儀に頭を下げて謝ってみせた。そう素直に謝られるとオリビアも言葉に詰まる。

 青年が助ける助けないに関わらず少年を連れて逃げた時点で共犯者だ。

 男を責めるのはただの八つ当たりなことはオリビア自身わかっている。

「それで、元凶のあんたはどうする気なの?」

「僕?」

「そう。コースは三つ。今すぐレイ・ドールを返して謝ることか、今すぐこの町を出て人里離れた地で暮らすか。さまなくば捕まって処刑されるか。この三つのどれがお望み?」

「ふふふ……それには四つ目の選択肢がないね」

「四つ目?」

 少年はオリビアの問いかけに対して腕を組んで笑みを浮かべた。

 少年のその笑顔は年相応ではなく政を司る宰相の悪だくみをするに相応しい笑みだ。

「じつは、何を隠そう、罪に問われない方法があるんだよね」

「……どんな?」

「あっ! その目、全く信じてないな!」

 オリビアの細められた眼からは『聞くだけ無駄だけど、聞いてあげるわ』と言う感情がただただ漏れている。

「そりゃあこんな状況で罪に問われない方法があるなら奇跡みたいなもんでしょ」

「ところがあるんだよね。

 ただそれには、君の協力が必要なんだ。それともう一つ青色のレイを自在に操る人を探さないと」

「青色のレイ……それがあればこの状況から脱せるの?」

「もちろん。ただ、顔が知られた僕たちが町を練り歩いて探すわけにいかないし、どうやって探すか。それだけが一番の問題だね。

 そもそもレイを自在に操るって言うのはそう簡単な話なじゃないのに、そのうえ青のレイの持ち主だなんて……この町にそんな人がいるかどうかも怪しいし、さしもの僕もこれには妙案なんて思いつかないよ」

「……」

 おもむろにオリビアはいまだ律儀に正座を続けたままの男を見た。会話の内容を聞いてないのか、はたまた理解しているのか、男の顔は凛然とした様子からまるで変わらない。

「迷惑かけた分くらいは協力してくれるでしょ?」

「非人道的なことでなければ喜んでこの身命賭そう」

「いちいち暑苦しいわね」

 ──わかった! 私、こいつが苦手だわ。

 まるで動じず、全ての物事に対して全力であたる男の姿にオリビアは心のなかで一つ頷いてみせた。

「と言うわけで、はい」

「ん? 彼がどうかしたの?」

「あんたが御所望の青いレイを持った奴よ」

「……ふへっ!」

 ──ふへっ?

 奇妙な鳴き声をこぼした少年にオリビアは首を傾げる。

「ほんとにほんとなの!?」

「あ、ああ……」

 涎をこぼしそうなほど破顔した少年は青年に詰め寄る。

「こ、これで良いのか?」

 さしもの青年も詰め寄ってきた少年の異常な熱意のまえにたじろぎながらその手に青い光を宿す。

 少年が探していた青いレイ。そしてそれを自在に操る者。

「こ、これだ!」

 その手をぎゅっと握りしめた少年は青年の顔を見上げた。

「さて、これで条件は揃ったわけだし早速罪に問われない方法を教えてもらおうかし──きゃっ!?」

「こっち!」

 喋りかけのオリビアと青年の手を引っ張り少年はドアを蹴破るような勢いで外へと跳びだす。


  ◆


「オリビア=ディエロ! 盗んだレイ・ドールを返してもらおう!」

 ドアは派手に壊され、高圧的な声と共に部屋へと入ってきた鎧を纏った男達だ。

 部屋は既に蛻の殻だ。

 人一人の気配もない。

「居ないではないか。ほんとうにここがあの赤いドレスの女の家なのか?」

「まま、間違いありません! こ、ここがオリビアの家です!」

 険のある男達の視線と問いかけに対してバクスターは樽のような体を委縮させ応える。普段の図太い声も、大国の兵士達を前には上擦ってしまう。

「まずいなあ。一刻もはやく取り戻さないと……夜が明けるまでには王が到着してしまうぞ」

 鎧の男達は気まずい声をこぼしなが兜で見えない互いの顔を見合わせる。

「ほ、ほんとうにオリビアの奴が御国からレイ・ドールを盗んだんですか?」

「間違いない。盗んだ者を匿い逃げたところまで目撃されているからな。更に正体は確認できていないが、手練れが一人仲間にいるはずだ。

 我々の仲間が顔も知らぬ三人目に倒されている。

 ここを中心にこの町で探索を続けるが、何か情報があればすぐに伝えろ」

「わわ、わかりました!」

 鎧の男達は再び裏路地に散るようにその姿を消す。

 残されたバクスターは空を見上げた祭りの喧騒に耳を傾けた。

「オリビアが大国にとって重要なレイ・ドールを持っているのか。と言うことはだ……ひょっとして俺がそれを見つけて王へと返上すれば……うまい話が転がり込んできた」

 オリビアの体を抱くときと同様にバクスターの顔に野心が満ちる。


「いや~。こりゃ見事に出歩けないね」

 裏路地からそっと顔だけだした少年は表通りの光景を見て笑みを浮かべた。

 祭りのなかに溶け込むことのない鎧姿の兵士達が明らかに何かを探している動きで混じりこんでいる。

「探しているのは少年と女性と言ったところか」

 鎧姿の兵達の視線の動きを見ながら青年が呟く。祭りの空気のなかを笑顔で歩く女子供に対しての首の動きが明らかに鋭いものがある。

「っで、これからどうすれば罪に問われなくなるのかしら?」

 まるで解決方法が見えないオリビアはどこか苛立った声で少年を睨む。

 幾ら考えたところで少年が言う、罪に問われない方法などオリビアには皆目見当がつかない。少年が口からでたらめをこぼしているとしか思えない。

「ふふふ」

 少年は不気味な笑みを浮かべる。

「それじゃあさっき君に預けたレイ・ドールあるでしょ」

「……これのこと?」

 少年の言葉で胸の谷間からすっと取り出したのは、大国から盗んだと言われるレイ・カードだ。

 抜き出したそれはオリビアが握ると、枠が薄っすら白桃色の光を灯す。

「そのレイ・ドールを君に使って欲しいんだ」

「使うって言ってもどうやって?」

「う~ん……僕自身使ったことないからそんなこと知らないよ」

 返ってきたのはなんとも投げやりな回答だ。それを言ったらオリビアもレイ・ドールなど触ったこともない。

「なんかこう引っ張り出す感じで良いんじゃないかな?」

「引っ張り出す感じ……ねえ」

 少年のまるで信じられない言葉に怪訝な表情を浮かべたオリビアはカードのなかにいる、まるで箱のようなレイ・ドールを睨んだのちに、脳内でそれを引っ張り出すイメージをする。

「ひゃっ!?」

 白桃色の光は僅かに強まるとオリビアは驚きから咄嗟にカードを手放す。

「……これ?」

「これ」

 裏路地の少し広い場所に生まれたのは人が四、五人入れる程度の箱だ。

 レイ・カードのなかに映っていた姿同様に二対の脚で自分の体を支えている。レイ・ドールと言えば人型と言う世間一般のイメージからかけ離れた形だ。

「ささ、入った、入った」

 少年に背中を押されたオリビアは箱のようなレイ・ドールに入る。

 内面は凹凸が一切ない無機質な材質で囲まれている。

「君はこっちね」

 少年は青年だけを外に出すとオリビアの横にちょこんと立つ。

「それじゃあカードに戻して」

「戻すって、こんな状況で──」

「とにかく戻せば大丈夫!」

「……わかったわよ」

 このまま先に進めず止まっていてもいつかは捕まる未来しかない。ならば今は、このまるで信用できない少年の言葉通りに動くしかない。

「幸いなことに君の顔は知られてないし、僕たちの運送よろしくね」

「任せろ」

 箱のなかから少年は青年に向けて微笑む。中性的な笑顔を前に青年は厳かに頷いてみせた。

 ──カードカードカードカードカードカードカードカードカードカードカードカード……

 箱の外面が白桃色の光を放つと同時にカードへと戻る。


「これが……このレイ・ドールの力……」

 箱のなかにいた二人の視界は形容し難い世界にいる。

 入ってきた入口からは見下ろすかのような青年の股下から顔までが映っている。

「そっ。この箱のなかに収まるもの全てをレイ・カード内に収めちゃう凄いやつ」

「……なんか地味な能力ね」

 オリビアからすればなんとも地味な能力だ。

 戦闘用レイ・ドールのなかでも特別な力を持ったものは少なくない。レイの操作に長けたものならばその能力を自在に使い戦場を駆け巡ると聞くが、それに比べればオリビアのレイ・ドールは倉庫の代替品に過ぎない。

「まだ今はこんな小さいけど、いずれ幾百もの軍勢すらも入れられる箱が目標だからね。もしそうなれば、運送でも戦術の上でも欠かせない存在になるんだから」

 少年が熱の入った言葉で語る。

 言っていることはもちろんオリビアもわかっている。汎用性の高さも言われるまでもない。が、それでも地味なものは地味だ。

「名前でもつけてあげると良いと思うよ。どうせ君しか使えないんだし」

「名前ねえ……」

 これがまた考えてみたところで何も思い浮かばない。こんな箱のようなレイ・ドールが人生で初めてのレイ・ドールになるなど、オリビアにはまるで想像できなかった。


 ──それでどこへと運べば良いんだ?


「うわっ!?」

 青年の黒目勝ちな瞳がカードのなかを覗き込んでくる。凛として整った顔立ちがこれ以上ないほどにアップで入口に迫ってくる。

 向こうの声もしっかりと中へと響いてくる。

「って、聞いてきてるけど、どこに行けば良いわけ?」

「最近発掘された遺跡だね」

「……となると、この時間だと月の浮いてる方角に行って。町外れに石造りの遺跡があるはずだから」

「わかった」

 レイ・カードを持ち上げた青年は祭りでざわめく大通りを駆け抜け、この町の外れで発掘された遺跡まで走り抜ける。

 町を包む祭りの華やかな明かりで誰一人気が付かなかった。青年の纏った蒼の光が線となって人と人の間に生まれた僅かな隙間をなんら逡巡もなく駆けて行ったことを。


「あんたのなんでそんなに楽しそうなわけ?」

「僕?」

 少年の根拠のない笑みは美しくこそあるが全く信用できない。

「そりゃ楽しいよ」

「罪人で追いかけられてんのに? あんた状況理解してる?

 大国に追われるってことはこの先一生、日陰者の生活しか待ってないのよ」

 罪人として人生。日の当たるところを歩くことのできない人生などオリビアにとってろくでもないものだ。

「別にそんなことどうでもいいじゃん」

「なっ──!」

 オリビアの心配をよそに少年は笑みを濃くして一蹴してみせた。

「自分の知りたいことを知りたいがままに知るほうがずっと楽しいし、それを罪や規約に怯えて調べられないのは勿体ないでしょ」

 純粋な知識欲と好奇心。それだけが少年を突き動かしている。

 この先の人生など全く考えずに、今、この瞬間だけを少年は欲望のまま生き、その碧眼の双眸で見ている。

「罪やルールなんて全部後ろに置き去りにしてでもしたいってこと、君にはないの?」

 ──したいことが無い。

 その考えが有り得ない、と言わんばかりの疑いのない眼差しがオリビアを見つめてくる。

 そんなこと欠片も考えたことがない。当然答えなど持ちようはずがない。

「したいこと……ねえ……」

 生きるために体を売り今日まで何の目的もなく生活してきた。それも決して悪くはない。

 人が思うほど辛いものではないし、世間で裕福と呼ばれる生活水準には居る。

 ただ一つ、なにか抜け落ちたような生活は日々のなかでどこか感じていた。

 その抜け落ちたものはきっと少年の言うところのものだろう。

 ──着いたぞ

 不意に青年が声響く。

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