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  ◆


「ぐおおぉぉ──んごんご」

 リビアの回顧話に割って入ったのは獣のような鳴き声をあげたヒュウ=ロイマンは一度寝がえりをうつ。

 豪快に口端から涎を垂れしている姿は不細工極まりない。

 人と言うのはかくも見事に不細工な寝顔をできるものだと、リンダラッドは腕組みながらしみじみ思う。

「しっかし彼って、いっつも楽しそうに寝るよね」

 おもむろにリンダラッドはヒュウの顔を覗き込む。

 どんな夢を見ているのかわからないが実に楽しそうだ。杞憂の一つも感じられない。

「お嬢様と大事な出会いの話をしてるときに寝るなんて! えいっ」

「んがっ! ぐおおぉぉぉ──」

 寝ているヒュウにリビアは小石を投げつける。

 額に当たり、一時的にいびきは消えたもののそれも束の間。再び獣のようにけたたましいいびきあげる。

「しかし、肝心のリンダラッド殿がまだ出てきてないでござるな」

「これからこれから。そう慌てないで。こっからが良い話だから」

 リビアは、夜空に浮かぶ星を眺めながら、ゆっくりと記憶はあの日へと戻っていく。


  ◆


 ──大国の王が来る。

 その一つだけをとっても町は蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。

 これだけの規模の騒ぎを見るのはこの町で生まれ育ったリビアからしても初めてのことだ。

 改めてヒース国と言う大国が与える影響と言うものを実感できる。

 町は連日祭りの様相を呈している。

「また今日も騒がしいわね」

 大通りの賑やかさは過去に比肩するものはない。

 大国の王が訪れると聞けば、この町の者たちだけでなく、一目謁見を願おうとしたたかな野望を秘めた者たちが集まってくる。

 見世物小屋で剣を振るい力自慢をする者や、珍しい商品を取り扱う行商。更には遠い町の官僚までいる。

「そこっ! そこの美しいお嬢さん!」

「んっ……私のこと?」

 この町でオリビアのことを知らぬ者はいないが、他所の町となれば名を知らない者も少なくない。今日一日だけでもリビアの名を知らぬ者に何度呼び止められたか。

 オリビアを呼び止めたのは決して綺麗とは言い難い男だ。笑うと、欠けた歯が覗く。

「そうだよ。ここらへんじゃとびきり綺麗だけど、あんたももしかして王様に見初めてもらおうと思って遠くから来たのかい?」

「おあいにくさま。私は生まれも育ちもこのディエロよ。そういうあんたは……奴隷商?」

 簡易的に作られた小屋のなかには男も女も並べられている。

 どこか血色が悪く覇気のない顔つきを一様にしている。

 単純な労働力として。慰み者として。稀有だが語らいの相手として、人々が金で人を買う。その欲望が入り混じった商売だ。

「御名答。うちの商品は自信ありだ」

 小屋のなかで横一列に並べられた男女たちは逃げられないように互いに互いを鎖で繋がれている。

 ──奴隷商も増えたわね。

 連日の祭り騒ぎで増えた店のなかには男のように奴隷を売っている者も少なくない。

「ふーん」

 オリビア並べられた男女を見た。

 どれも他の奴隷商同様に珍しいものなんてない。

「月並みね」

 鼻で笑うようなオリビアの言葉に対して男も意地汚い笑みを浮かべてみせた。

「俺は奴隷商だからな。金のない客の冷やかしにゃ本命は見せないもんだけど、あんたは金を持ってそうな匂いがするから見せてやろう。八番、こっちに来い!」

 男の呼びかけに対して並べられた男と女の間に割って入るように一人の男が奥から出てきた。

 身なりこそ他の者同様に汚いが、青い髪の奥で輝く黒い眼は、並べられ諦観めいた雰囲気の奴隷とは違い強い力が秘められている。

 すっと整った鼻梁に、戦士としても申し分のない体つき。しかし、オリビエは男のその黒い眼から視線を外すことができない。

 これまでに体を重ねてきた男たちの宿した、欲望に満たされた瞳とはまるで別種の力がある。

「こいつはなあ、先の戦場で記憶を失ってたところを俺が拾ったんだ。とんだ拾いものだぜ」

 商人の男は汚い顔を破顔させて青年の肩を叩く。

 何を語るでもなく、力に満たされた男の双眸はただ一点をオリビアを睨み返したまま動かない。

「確かに顔は良いけど、ただの男を奥の手扱いするなんて奴隷商の看板に傷をつけるんじゃないの?」

「この男はすげえぞ。ほれ見せてみな」

「……」

 無口になにも答えない男はただ、奴隷商の指示に従うように鉄球に結び付けられた手をすっと持ち上げオリビアの前に出す。

「……レイ」

 男の突き出した手の先にぼんやりとした青白い光が灯る。

 薄暗い奴隷小屋のなかを照らすその儚き輝きにオリビアは目を奪われる。

「この男、自在にレイを操ることができるんだよ」

 奴隷商の男が鼻を高くして語るが、オリビアの眼にはその輝きしか映らない。

 人の体に宿る魂の力『レイ』。それを自在に具現できるほどの手練れなどオリビアの人生のなかで拝んだことはない。

 レイの扱いには先天的なものが大きいとオリビアは聞いていた。ゆえに扱うことのできない者は生涯を賭けたところでできないだろう。

 ──魂の力──

 男の揺らぐことのない黒目勝ちな瞳を覗いたオリビアは小さく息を吐く。

「幾らなの?」

「おや。お買いになりますかい?」

「ええ」


「ずいぶんと高い買い物だったわ」

 奴隷一人。それも法外な価格の買い物だった。

 価格から言えば、成人男性の奴隷五人分に相当するものだ。

「……」

「さてと……」

 ただただ無言でついてくる男に対してオリビアは詰め寄った。

 ──ガチャリ

 重々しい音だけが鳴り響き男の手錠が地面へと転がる。

「次は脚と……」

 立て続けにオリビアは足首に架せられた錠を外す。

「なんの真似だ?」

 男は黒目勝ちの瞳でオリビアを見た。真赤な瞳と長髪の女性が自分の枷を外すた理由がまるでわからず、怪訝な表情を浮かべることしかできない。

「使うあてのない金で重くなっていく財布を軽くしたかっただけよ。要は気まぐれ。

 あんたはこれで自由だし、どこでへでも好きなところに行きなさいよ」

「それは情けをかけたつもりか?」

「変な勘違いしないで。どこの誰とも知らない男を憐れみだけで救う趣味なんて私はこれっぽっちも持ち合わせていないんだから」

 奴隷商から買われ娼館で働かされる少女もいれば、一家の財政難を救うために身売りまがいの労働を志願する若者もいる。

 その類の人間をオリビアはごまんと見てきた。そして落ちていく人々に対して一度として手を差し伸べたことなどない。

 落ちていく運命にある人間に対して救いの手を差し伸べるなどとそんな御奇特な趣味などオリビエにあるはずもない。

「ではなぜ私を助けた」

「気紛れよ。気紛れ。私だって人だからね。たまには普段と違う行動を取りたくなる日もあるってこと」

「そんな気紛れで値の張る奴隷を買うなど……ふっ、よほどの金持ちだな」

 買われた側の態度とは思えないほど男は気障に笑ってみせた。

「私が文字通り身一つで稼いだ金よ。何に使おうと私の勝手でしょ」

「それもそうだな」

「そんなことよりもいつまでも奴隷と一緒になんていたくないわ。この町を出て行くでも働くでも良いからどっかいきなさいよ」

「御主人となるあなたがそう言うならば、買われた私はその言葉に従うまでだ」

 いちいち鼻に突く男の仕草にオリビアは苦い顔をしながら煙たがるように指で払う。


 ──なぜ助けたのか?

 お祭り騒ぎに包まれたディエロの町のなかへと姿を消した男の言葉をオリビエは思い出す。

 とっさにオリビエは『気紛れ』とだけ応えたが、我ながら釈然としない返事だ。

 なにか別の理由があった気がする。

「なんだったかしら……」

 思い出す気なんて大してない。

 ただあえて再び理由を言葉にするならば、『眼』だ。

 オリビアが見てきた男たちとはまるで異質な眼。欲望とは違う何か強い意志を持ったあの男の眼が、奴隷のなかに並んでいてひどく異質なものに思えた。

「無駄な奴隷を買うなんて私の気紛れも大したものだわ。祭りのせいかしら?」

 祭りの騒がしさにオリビアの独り言は解けて消える。

 いまだ感じたことのない祭りの空気。それがオリビアの『気紛れ』の原因かもしれない。

 ──なんか良いことがあったりして。

 不意にそんなことを考えてしまうオリビアは笑みが浮かぶ。

 祭り一つでこんな気分になるなんて思いもしなかった。

 

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