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  ◆


 この大国、ヒース国を護るべきジール=ストロイは大量の書簡を前にため息一つこぼさずその長い青い髪をときおり揺らし筆を動かす。整った顔立ちは老若男女問わずにこの国も民に愛されている。

 眉目秀麗、才色兼備など賛美となる様々な言葉を与えられた彼の一日は決して優雅なものではない。

 国を護るために、周辺国へ斥候として出向いた者たちの情勢を知識として入れ、それを考慮し兵を先導し戦場に立つこともあれば、友好国の難局に自らをもってして立ち向かう。

 更にはその兵達の戦闘能力の把握から、規律の改良。そして最も有名なライダーとして地域の人々との交友も決して欠かさない。

 極めつけは国王であるダライ=ロエスの右腕としての相談役も兼ねている

 政を任されている宰相の頭を飛び越えいち兵士が王の相談役として活躍していることを良く思わない者もいる。しかし、そんな地位や名誉などかまけてる時間などジールには一秒としてない。

「傘下に加わる国がまた増えるのか……」

 ヒース国と言う比類なき規模の大国へ属国として加わる国は少なくない。

 おかげで、国益が豊かになる一方で、ジールの体はつねに国の内外を問わず駆けまわっている状態だ。

「これでは王からの命であるお嬢様を探しに行くのもいつになってしまうか……」

 あの強欲男が城に侵入した日、姫であるリンダラッド=ロエスは好機とばかりにこの城を飛び出した。そしてあの男と共に旅をしている。

 家出の文を見た王は半ば発狂してしまった。今でこそ落ち着いてはいるが、愛娘が見知らぬ異国を歩いていることが不安でならないのは日々の態度に如実に表れている。

「ジール様っ!!!」

 扉を勢いよく開いたのは一人の青年だ。

 金糸の如く美しい髪と同色の瞳を携えた男が入ってくる。鎧の上からでもわかる線の細い体はとてもじゃないが、この大国を護る屈強な兵士の一人には見えない。

「バルド……」

「ジール様っ!!」

 小柄な体を補うかのように大股で部屋に入ってきたバルド=ロー=キリシュはジールの前まで来ると膝を突き、硬く握った拳を絨毯の上に突き、頭を下げる。

 小柄な体が否応なしに更に小さく見える。

「なぜ姫様の行方を追いになられないのですか!? いえ、言わずともわかっております。

 日々の激務のなかでジール様がこの国になくてはならないことも。姫様を追いたくとも追いにいけない苦しみ。心中お察しします!」

 顔を上げたバルドの金色の瞳が強い力を持ってジールを映す。

 少年のように痩身な出で立ちだが、鎧の上からでもわかる左腕には一個師団を纏める者の証、師団長の地位を指す勲章がつけられている。

「どうか我が第三師団に命じていただけないでしょう。姫様を探せと」

「バルド。お前には北の国境線に出没する盗賊の一団の討伐を命じたはずだ──」

「それは既に終わりました」

「……早いな」

 往復する時間を考えれば討伐のみに要した時間はおよそ一日もかかっていないだろう。

 雲隠れが上手く地の利を活かすことに慣れた盗賊ゆえに、単純戦力が上回っていたとしても苦戦を強いられるというジールの予想を見事に覆しバルドは討伐を終え今ここにいる。

「姫様探索の任に関しては私が出れない以上、いずれ誰かに任すことになっただろう」

「それでは!」

 バルトの少年の顔が年齢相応な無垢な喜びに輝く。

「バルド=ロー=キリシュ。並びに第三師団の面々で姫様、リンダラッド=ロエスを探索し保護してこい」

「はいっ! その任、身命を賭してでも果たしてみせます!」

 踵を合わせ敬礼してみせたバルドはそのまま反転して部屋を出ていく。


 若くしてライダーとしての能力をジールに買われ、それに応えるかのごとく詰まることなく師団長の座にまで上り詰めたバルドは今隠すことのできない憤りを覚えていた。

 自分が国境線の任にあたりこの国を離れていた間にヒース国では大事が起きていた。

「ヒース国の英雄、ジール様とあろうものが賊の侵入を許し、あまつさえその賊を取り逃がすとは」

「公にこそなっていないことだが城でその話を知らないものはいないだろう。

 大した英雄様だことで」

 これ見よがしの宰相達の会話にバルドは口を挟めず、ただただ怒りを覚えることしかできない。

 ──この口だけ官僚どもが。

 ジール様がどれだけの努力をもってして今の地位にいるかわからないだろう!

 更に言えば貴様ら木っ端役人などジール様の眼中には映っていない。あの方はただ国のことを誰よりも思っている。

 それを一度のミスで水を得た魚の如く口だけを動かして。貴様らが不甲斐ないからこそ政までジール様が干渉しているんだ。

 隠し切れない苛立ちは歯噛みとなって表れる。

 口だけの官僚にも嫌気を覚えるが、それ以上になによりも……

 ──ヒュウ=ロイマンっ!

 親の仇の如く憎むは、どこの馬の骨ともしれない賊の名だ。

 聞けば、ヒース国の裏路地で生きる、薄汚れた存在だと。悪事に手を染めその日の食い扶持を稼ぐだけのちんけな男。そして完璧にして非の打ち所がないジール=ストロイの名に泥を塗った存在だ。

 ──どれだけ卑怯な手を用いたか知らないが、貴様を正々堂々とこの手で討ち取り、ジール様の名に塗られた泥を私が払拭してみせよう。

 バルドのいなかった夜。この城で起きたことは姫様の家出と賊の侵入。その二つが重なったことは決してまぐれなどではない。

 いくらこの街を探してもヒュウ=ロイマンと言う男の影も形も見つからなかった。そして家出した姫様。

 バルドの直感がこの二つに何らかの接点を感じさせる。

 ──姫様を探すことであの男の手がかりが掴めるのならば、私は地の果てまでも歩いてみせる!


  ◆


「ふぇ……ぶえっくしゅんっ!! どこかで美女が俺様の噂をしてる」

 金貨によって頭蓋の割られた髑髏。シンボルとも言えるそのマークが刻まれたマントを派手に揺らしながらヒュウ=ロイマンはゴールドキングに跨り大きなくしゃみをする。

 栗色の刈りあげた短髪。人を殺しているようにも見える険のある目つき。傍から見れば指名手配犯となんら遜色ない。

「汚いなあ」

「美女よりも恨みを買ってそうでござるな」

「くしゃみするのは良いけど、半径一〇メートルくらい離れてくれないかしら」

「人をばい菌みたいに言いやがって」

「みたいじゃなくて、そのつもりで言ったんだけどね」

 ルビーの宝石の如く赫灼とした輝きを持ち腰まで伸びた長髪を揺らしてリビア=オルバがヒュウを見下す。

 汚いものを見るかのようなリビアの視線に対してヒュウは唾を吐き捨てる。

「けっ。てめえ、そんなこと言ってるとその乳揉むぞ」

「あんたみたいな汚いやつに触らせる体は指一本だってありはしないわよ」

 いやらしく動くヒュウの指先を前にリビアはますます汚いものを見るような目つきとなる。ある種の殺意すらこめられた視線を向けられるヒュウは目の前の女をじっくりと見た。

 ──もったいねえ。

 器量に至っては文句の付けどころもないが、なにぶん性格が凶悪極まりない。

 これで性格が従順なものだったら俺様のハーレムランドに入れてやったのに。

「二人とも喧嘩しない」

 ぱんと手を叩いたとのはヒース国姫のリンダラッドだ。薄汚いローブで体を覆っていても、純真無垢な白髪と中世的に整った顔立ち。市井に溶け込むには容易ではない出で立ちだ。

「だいたい次の街まであとどんだけかかるんだよ」

 歩けど歩けど見えるものは地平線まで草原一色だ。

 多少の丘陵こそあれど、やはり緑一色で風の流れが波紋となっている風景だ。

「次の街まであとね……リビア、地図出して」

「はい、お嬢様」

 隠す場所などどこにもないはずのリビアはまるで手品のごとく身長ほどあろうかと言う巨大な地図を取り出してみせた。

 受け取ったリンダラッドはそのまま草原のうえに地図を広げる。

「飛ばないように左右抑えて」

「了解でござる」

 赤いマフラーをなびかせた輪蔵とリビアが丸く戻ろうとする地図の左右を抑えて、そこをヒュウが覗き込む。

「今、たぶんこの辺歩いてるよ」

 びっとリンダラッドが指さした場所はヒース国の国境からほど近い位置であり、次の街までの距離は倍以上もある。

「まだこんなところまでしか来てないのか!?」

 一度の野宿すら行った行脚にも拘わらず地図で見ればその距離は殆ど進んでいない。

「そりゃ、世界は小さくないからね。

 ちなみに次の目的地はここね。

 日の出る方向へまっすぐ歩いて、およそ十日くらいかな」

「十日でござるか……」

 言葉を失う輪蔵を前にリンダラッドがにこりと微笑む。

「十日も歩き続けるのかよ!? 冗談じゃねえぞ。その間、酒も女もねえのかよ!」

「大丈夫だよ。

 途中、街の一つや二つあるだろうし、歩きっぱなしってわけじゃないとは思うけど」

 地図に描かれているのはどれも世間に名の通った大国ばかりだ。全ての街が地図に刻まれているわけではない。

 名も無く、いまだ統制の取れない街も少なくない。

「来蓮の里だってもとは地図にないしね」

「そう言えばそうでござるな」

 ヒュウ達が最初に訪れ、輪蔵と再び出会った里、来蓮の里の名がいまでこそ地図にはしっかりと書き込まれているが、当初は白紙の山岳地帯だった。

「こうやって地図を埋めていくのも楽しいもんでしょ」

「わかる! その気持ちわかるでござるよ!」

 まだ知らない世界を見るために里を飛び出した輪蔵はリンダラッドの言葉に強く頷くが、ヒュウは不機嫌な表情がまるで隠れない。

「俺はよお、街とかはどうでも良いんだよ。宝が手に入るって言うからお前らと一緒に行動してるだけだぞ」

「わかってるって」

 あからさまに不機嫌なヒュウを前にリンダラッドはもう一度地図を指さす。

 次の目的地となる大国、アガルト。その国の横に小さな円が描かれてる。

 その円はリンダラッドが多種多様な文献を読み漁り宝があると思しき位置とあたりをつけたものだ。

「目標の国についたら宝探しを一緒にしようよ。僕としてはそれも楽しみのうちだからね」

「俺は宝が欲しいだけだ。宝探しもその旅も別に望んじゃいねえよ」

「お嬢様と一緒の旅に何が不満なのかしら」

「何もかもが不満過ぎて言葉にできねえや」

「まあまあ二人とも。君のひねくれ曲がった性格で仲良く旅しようなんてことは僕も考えてないよ。リビアも抑えて」

「お、お嬢様が言うなら……」

 リンダラッドの言葉にリビアは握った拳を解く。


 夜が訪れれば藍色の空にちりばめられた星と宝石の如く輝く月以外に頼れる明かりなど何もない。ただただ広い草原にときおり四人を優しく撫でるような風が吹く。

「今日もこんなところで野宿か……」

 灯った火を囲うようにして座ったヒュウが愚痴をこぼす。

 これで野宿は二日連続だ。

「長い旅でござる。時には野宿もしかたないでござるよ」

「そうそう。まだ道は長いんだし」

「お嬢様、テントを張り終えました」

「ありがとう」

 火を囲っている四人のすぐ横にはテントが一つ設置してある。

 そんな荷物はどこにもなかったはずなのに、気が付けばリビアが組み立てを行っていた。

「……なあ」

「ん?」

「前々から気になってたんだけど、どこにそんな、テントだ、地図だ隠し持ってんだ?」

 リビアの体を覆っているのは露出の大きなドレス。その服装から言ってものを隠すところなど皆無だ。にもかかわらずリビアは、リンダラッドの指示があるたびに荷物を取り出してみせる。

「リビアのレイ・ドールの力だよね」

「そう。私がお嬢様から頂いた大事な力」

 胸の谷間に白魚のような指を入れるとそこからレイ・カードを取り出す。

 それを眺めるリビアはの恍惚とした表情はどこか色気めいたものがある。

「そう言えばリビア殿もライダーでござったな」

「そう。私のレイ・ドール、アルリスの力は倉庫。物をしまうと任意にそれを取り出すことができるの。それもカードのままで。

「戦うことはさておき便利な能力でござるな」

「戦うのに役に立たなきゃいざってとき自分を護れねえだろ」

「どっかの誰かさんみたいに一発撃って打ち止めなんて貧弱な力じゃないの。私のアルリスは」

「俺様の力を馬鹿にしやがるのか!?」

「あら、事実を言ったまででしょ」

「んだとぉ!」

 毎度の口喧嘩に我関せずでリンダラッドと輪蔵は互いに赤い火を見つめた。とおきりパチッと小気味のいい音を鳴らして火の粉が星浮かぶ夜空へと舞い上がる。

「リビア殿とリンダラッド殿は主人と従者の関係でござるか?」

「ん? そう見える?」

 火に光に照らし出されたリンダラッドの顔は幼い笑みだが、真意がまるで読み取ることができない。

「いや、そうは見えないでござるよ。何か友人のような、それに近い関係に──」

「お嬢様と私はただならない絆で結ばれてるの」

 さっきまで口喧嘩していたリビアがおもむろに二人の会話に割って入る。

「夜は長いし、せっかくだしお嬢様と私の語るも涙、聞くも涙の馴れ初めを話してあげる」

「何が語るも涙、聞くも涙だ。どうせくだらねえ話だろ──いでっ!? なにしやがんだ!」

 ヒュウの額を小枝が直撃する。

「あれは今から数年前の話だけど」

 怒鳴るヒュウの声がまるで聞こえないかのようにリビアは語り始める。

 一陣の風が夜の草原を駆け抜けていくなかでリビアは目を閉じ、大国の姫であり、最も愛しき存在のリンダラッドとの出会いと初めて出会った祭りの賑やかな夜を思い出す。

 今でもあのとき街に響いていた祭囃子の音がリビアには鮮明に聞こえてくる。

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