3-17
◆
「お、おい! 試練の門が開いとるぞ!」
「ほんとか!?」
来蓮の里の住人のなかでも、里の中心を外れ、森林に囲まれた家で暮らしている荒田助長は息を切らしながら走ってきた。
実直で冷静な荒田も、何が有ろうと硬く閉じられた門戸が開けられている姿を見れば顔色が変わってしまう。
「やっぱ噂はほんとじゃったか……」
「噂って?」
「そりゃ決まっとるじゃろ。
里長を決める試練に二人が乗りだすと言うことじゃよ。まことしやかに流れとったぞ」
「……」
その言葉に全員もれなく合点いくかのように黙る。
この来蓮の里を従えるための里長。その候補の二人がいま諍いを繰り返している。
忍びとしての才を天から授かり、若くして忍びとして比肩する者無しとまで呼ばれていた敷波冬玄。
そしてその対抗馬として半ば無理やりに立てられた菊虎(じゅうかい)輪蔵。
忍びとしての才だけを見れば冬玄だが、里の行く末を預けるに一抹の不安を覚えた里の顔役達が後押しによって輪蔵を里長候補にたてた。
長く続く里長の後継問題に関して今までに小さな諍いはいくつもあったが、ついに白黒決着のつくときがきたことを全員が予感している。
里長候補である二人以外の誰一人として入ることの許されない試練の扉のなかだ。
「ということはあそこを二人が出てきたときにはもう……」
「そうじゃ。決着してるのじゃろう」
里の者は手を止め、どちらが勝つか。そしてどちらがこの里を導くに相応しいか。
各々言葉にせずとも様々なことを想い、それが顔に出る。
「……どちらが勝つのか……」
おもむろに一人の男がそれをこぼす。
里すらも分断しかねない大きな二つの派閥。
「若い者のなかには冬玄様を推す奴が少なくないが、顔役からそれに属する保守派は皆輪蔵を推している」
「改革派と保守派か。どちらが勝って出てこようとも丸く収まる話ではないように思えるがの」
この諍いは里にとって良いことなのか悪いことなのか誰にもはかることはできない。
「しかし、あのなかにある里長だけが受け継ぐ財宝とは一体どんなんじゃろうな?」
「そう言えばそうだな。
先代里長が、今の二人同様に決着をつけるために門のなかへ入った際も、何か持ち帰った様子はなかったし。
歴代はみな何かをあそこから持ち帰った様子はなかった」
全員がおもむろに首を傾げる。里長が代々受け継いでいく財宝。しかし、その正体はいまだ市井には不明瞭なままだ。
「ひょっとしてスゲエ力を授かったとか?」
「無形のものか。有り得る話じゃな」
「それともレイ・ドールの武器とか」
「ふむ」
何の確証もない憶測だけが人々の口を突いて出る。どれも肯定できないが否定もできない内容のものだ。
噂話や確証のない話と言うのは、話している人々の望む方向へと肥大化していくものだ。
──ドンッ──
際限なく広がっていく四方山話を断ち切るがごとく轟音が響く。
「うおっ!」
雷が落ちるかのような音と同時に地響きが辺り一帯を揺らす。
「な、なんじゃ!?」
「あ、あれ……」
脚の底から伝わる衝撃に全員が戸惑いを隠せないなか一人が空を指さす。
つられるかのように全員の視線が一斉に指示した先。広がる深い森林を更に抜け、その奥に鎮座するは岩肌の目立つ灰色の巨大な山。幾多もの峰が連なったその山は、来蓮の里と外界を断つ壁の役割を果たしている。そして里長を決める試練の場としても使われる聖なる場だ。
「き、金色の光じゃ……」
その山の頂上から吹き出ているのは紛れもない一本の黄金だ。
遠目にもわかるほどの黄金の輝きが一本の柱となり雲を裂き天を貫く。
誰一人として一度として見たことのないその光景を前に全員は開いた口が塞がらない。
◆
真っ暗な視界のなかで小雪はゆっくりと目を開く。
なにかが自分に覆いかぶさってるように暑苦しく、呼吸も満足にできない。
幼少期から嗅ぎ慣れた匂いや覚えのある感触。なにかあればいつも自分を護ってくれた存在。
「お、お兄様……?」
ヒュウが放った黄金の輝きから小雪を護るように被さっていたのは輪蔵だった。
「な、なにが起きたでござるか?」
小雪の声に輪蔵も静かに反応する。
あまりに静かだ。
歯車の回る駆動音がゆっくりと消えていく。
頭がまだぼんやりするなかで小雪はゆっくりと一〇秒かけてこれまでのことを思い出す。
ヒュウのレイ・ドールが、その凝縮された黄金の輝きを銃口から射ち、天を穿つ。
その輝きが全てを呑み込んだ。
「ひ、ヒュウ様が銃を……空?」
咄嗟に上を見上げた小雪の双眸を柔らかな陽光がさす。
それは紛れもなくヒュウがゴールドキングの銃によって無理やりにでも穿った穴だ。
穴からは、雲一つない天上がはっきりと見える。
「み、皆様は──」
「宝は!?」
慌てる小雪の声を遮ったヒュウの怒声が部屋に響き、穿った穴から空にまで響き渡る。
「んっ……お嬢様?」
「なにがどうなったの?」
その声が目覚ましとなってリビア。そして冬玄までもが目を覚ます。
巨大な板張りの部屋に角竜。そしてそれを操る冬玄。さらには輪蔵に示然丸。
全てがその部屋で倒れる形で集まっている。
「冬玄、なぜお主がここにいるでござるか?」
ヒュウが銃の引き金をひくまでは、天変地異と言っても差支えの無い世界のなかに輪蔵達はいた。
それは冬玄も同様だ。空から降り注ぐ超重量の岩塊を一人で支え身動きの取れない状態にあった。
「そりゃこっちのセリフだ。必死こいてこっちが岩を支えてる間にお前は一発でもぶち込めたのかよ」
「お、お嬢様は!? 大丈夫ですか!?」
「そうだ! ヒュウ殿は!?」
あの黄金の輝きを放ったレイ・ドール。
あの強欲に塗れ、人を人とも思わない悪辣邪曲、外道畜生のヒュウ=ロイマンの姿がどこにもない。
「た、宝がぁ──!!」
部屋の最奥から響いた悲痛にも満ちたその声に全員が振り向く。
──金銀財宝は俺様のもんだっ!
黄金の輝きのなかヒュウは記憶を頼りに宝へと一直線で向かった。
疲労はとうに限界を超えていた。
多量のレイを体一つから生み出したヒュウの目元には、深刻なレイ欠乏の証となる濃いくまがこれ以上ないほどにできている。瞼は重く一度閉じれば再び動くことはない。
額にはねっとりとした脂汗が浮かびあがる。
四肢を少しでも動かせば痛みにも近い発熱が起きる。
それでも体は喜びを体現するが如く躍動する。
「宝! 宝!! 宝!!!」
犬のように舌を出したヒュウは疲れなど微塵もないかのように嬉々としてゴールドキングを動かす。
ありとあらゆるものを裏切り、利用し、やっとのことで手に入る宝には感慨もひとしおなどと笑みを浮かべていた。
「……宝は……」
黄金の輝きが宙に溶けるように霧散していき視界がじつにはっきりしたものとなったときヒュウは愕然とするしかなかった。
記憶違いでなければそこには確かに宝があるはずだった。
眼も眩むほどの金品。山のように積まれたそれに体を泳がすことだけを目的に駆け抜けたヒュウの先には待っていたものは、レイ・ドールすら容易に呑み込む底の見えない晦冥の穴だ。
「うわぁ……深いね。これに落ちたらただじゃすまないだろうね」
いつの間にか元通りのリンダラッドがヒュウの膝に乗るようにして穴を覗き込む。
底の見えない際限ない闇だけが口を開けて構えているその穴は罠と呼ぶに相応しい、じつに殺意に満ちたものだ。
「宝は……宝はどこだぁぁぁぁーーーーーーっ!!」
常人ならばとうに倒れている疲弊と宝を求める欲求が混じった声でヒュウは叫ぶがその声は穴に響くばかりだ。
「宝は……」
──やべえ……
宝が消えた。その事実がヒュウの頭を満たした瞬間に心地よい浮遊感が全身を包む。
とうに限界を超えていたことに体が気づいてしまった。
否応なく、意識は波に溶けるかのように消え、ゆっくりと瞼は閉じ脱力する。
「ちょ、ちょっと!? 僕がいるのに! 勝手に倒れるなよ!」
「んがっ……」
輝きを失ったゴールドキングも同時に力を失い前のめりにゆっくりと倒れる。暗闇に満たされた穴へと躊躇うことなく。
リンダラッドがいくら叫ぼうとゆすろうともヒュウから返ってくるのは寝息だけ。全く起きようとはしない。
──ダメだ。落ちるな。
暗闇へと続く入口にゴールドキングは既に半身呑まれようとしている。
待ち受けている深い闇。ライダーであるヒュウは意識を失っている。
控え目に見ても『死』と言う未来以外見えないリンダラッドは思わずため息を一つ吐く。
「短い人生だったけどわりと後悔はないなあ」
死と言う未来に抵抗するでもなく諦観した声でため息交じりにリンダラッドは呟く。
「せめてもう少しだけ彼と一緒に世界をまわりたかったなあ」
長く待っていた。
側近であったジールやリビアと違い、自分の欲望の為にならばあらゆる背徳も喜んでできる男と。あえての計算違いがあるとすれば、少々頭が悪いと言うところだ。
リンダラッドの底の無い知識欲を埋めるために良識や常識など歯牙にもかけない人物が必要だった。
「まあ、彼と一緒だといつかこういうことにはなると思ってたけど、意外に早かったなあ」
無茶を承知で行った旅だ。
いつか避けることのできない『死』が訪れることも予期していた。ただ、それが少しだけ早かったこと。それだけがリンダラッドの心残りだ。
「お、お嬢様!」
「とおっ! 大丈夫でござるか!?」
「ったく、ぼーっとしてんじゃねえよ!」
「ヒュウ様! 御無事ですか?」
「……あれ?」
落ちていくはずのゴールドキングは宙にぶらりと浮く形で高度を保っている。
「ったく、敵のこいつをなんで助けなきゃいけないんだよ」
角竜のライダーである冬玄は眉を八の字にして露骨に不機嫌な声で文句をこぼす。
「気を失ったまま死なれても一発殴ったことにはならんでござる。どうせなら起きてるときに思いっきり殴りつけるでござるよ」
二体のレイ・ドールの腕が落下寸前のゴールドキングを引き上げていく。
「ひゃあー。しっかし深い穴だな」
「欲にまみれて宝に手をつければここへと落ちていると言う仕掛けでござるか……」
闇に満たされた穴を覗き込んだ輪蔵と冬玄は更に奥を見つめるように屈む。
「底には……針山でござるか……」
「つまりここから落ちたら幻のなかでお陀仏ってわけだ」
「そうでござるな」
幻の宝に夢中になれば、夢見心地のまま針山へと落下する。
「お嬢様、御無事ですか!?」
「無事だよ。ほら。僕が幽霊に見える。足だってちゃんとあるし」
抱き着いていくるリビアにリンダラッドは片足を持ち上げてみせた。
「いやー、でもさすがに死ぬかと思ったよ」
「お嬢様をこんな危険な目にあわせるなんて。あの穴に落として行っちゃいましょう」
小雪の膝枕の上で寝たまま起きないヒュウを見てリビアは底意地の悪い笑みを浮かべる。
「いやいや。今回のことでますます確信したよ。やっぱり僕の旅には彼がかかせないって」
「……あ、あの男の何をそんな気に入ってるんですか?
一歩間違えればお嬢様は死んでいたのに、そこまであの男が大事なんですか?」
「大事……うーん」
ひきつった笑みを浮かべることが精一杯となったリビアの質問に対して、どうにも適切でない言葉を前にリンダラッドは首を傾げる。
「前にも話たと思うけど、馬鹿でしょ、彼」
「……」
「うむ」
「そうだな」
さっきまで穴を眺めていた輪蔵と冬玄がいつの間にか横から割って入り頷く。
──馬鹿。
リンダラッドがヒュウを表現するうえでこの一言はこれ以上ないほどにしっくりくる。
「お嬢様は馬鹿がお好きなんですか?」
「うーん……並みの馬鹿じゃないよ。
この城の幻をも打ち消す力を持った馬鹿じゃないと。
リビアだってわかるだろ。彼が馬鹿だけど凄いの」
「………………」
リンダラッドに言われるまでもない。
ありとあらゆる罠が張り巡らされたこの巨大にして広大な城を全て一人で駆け抜けてきた男だ。
──馬鹿だが、凄い。
リビアに限らず、輪蔵も示然丸もそれは十分に知っている。
「しかし、宝が罠ってことは本当の財宝ってなんだ? 代々受け継ぐ宝無くして里長を名乗り皆の衆を納得させることはできないぞ」
「それはでござるなあ──」
「友……ですよね。お兄様」
「そうでござるな」
「友だぁ?」
輪蔵と小雪だけが通ずるがように顔を見合わせ頷くが、理解がまるでできない冬玄の頭上には見えないはずのクエスチョンマークが見える。
「友……とも……なるほど! そういうことっ!」
一拍遅れてリンダラッドも何かに気が付いたかのように手を叩いて頷く。
まるで理解できてないのは冬玄とリビアだけだ。
「簡単な話でござるよ。ここには宝も財宝も無かったでござるよ」
「はあ?」
まるで理解できない冬玄が気のない返事をする。
「拙者達は既に宝を持っていたでござる。ここまでの道中でそれに気がつかされただけでござるよ」
「なに言ってんだ? 訳わかんねえ謎かけしてねえで何が宝なのかさっさと話せよ」
「宝はお主でござるよ」
「……お前、どっかで頭強く打ったか? それとも拾い食いでもしたのか?」
輪蔵の言葉に冬玄は正気を疑うような言葉を漏らす。
冬玄からすれば意味がわからない。
里長となるために財宝を奪い合っていたのに、その里長候補の相手から突然、財宝が自身だと言われれば相手の正気も疑いたくなるものだ。
「つまりでござるよ。この城は本来二人でないとここまで到達できないでござるよ。
そして金品に欲を出し仲間を犠牲にしてまで手に入れようとすれば、それは里長の資格無しの烙印を押され穴へと落ちてしまうでござるよ」
冬玄は輪蔵の言葉はゆっくりと噛みしめるように腕を組んでからここまでの道中を思い返す。
「つまりなにか。あの天井を支える仲間が必要で、そいつを犠牲にして金銀に手を出すやつは罠にかかる。
そういう底意地の悪い仕掛けだってのか?」
「そういうことでござるよ。
まあ本来ならばこの城へと入れるのは里に伝わる二体のレイ・ドールだけでござるが、良くも悪くもヒュウ殿が三体目のレイ・ドールでこの城に入ってしまったでござるからな。
これまで代々伝わってきた試練には有り得なかったことも一つっや二つあったでござろう。
なにはともあれ、皆が無事にこの城を抜けられるのであれば最良の結果でござるよ」
輪蔵は莞爾と笑ってみせた。
城の仕掛けには確かに遠回りに感じるものが多々あった。
二体の門番に、超重量の天井。
輪蔵の言葉を聞いてから思い返してみれば、納得はできないが理解はできる……気がした。
「仲間と言う財宝を確認させるための試練。つまり里長とは背を預けられる仲間あってこその里長でござるよ」
ゴールドキングが天井に穿った穴からときおり清涼な風が舞い込んでくる。
城を包むかのように静かに響いていた駆動音がゆっくりと消えていく。
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