3-7
◆
「……お兄様」
先端に赤い火がぼんやりと灯った蝋燭の突き立てた燭台片手に小雪は部屋のなかを眺めた。
右も本。左も本。壁には異国の絵画や写真が飾られている。
すべては兄であり、現里長である輪蔵の収蔵物だ。
「どうしてこんなことに……」
憂いを隠す事のできない曇った表情のまま小雪は、本棚に挟まれるようにして置かれた写真立てに手を添える。
ガラスに積もった埃を人差し指でさっと拭くと、そこには二人の少年と一人の少女が肩を組み笑顔で映っている。
少年達の満面の笑みに挟まれて少女ははにかんだ笑顔を浮かべている。
「なんだなんだ。宝物でも置いてあるかと思って隠れたけど、あるのは古臭そうな本ばっかだな」
「きゃっ!?」
どこからわき出たものか、着物を羽織ったヒュウが後ろに立っている。
積み上げられた本を一冊持ち上げてみるが、表紙にも平等に埃は厚く積もっている。
「ヒュウ様!? それにリンダラッドさんも! いつから居たんですか!?」
「ごめんね。つけてきちゃった。
でも夜に一人で出歩くなんて不用心だよ」
「そ、そうですよね……御心配おかけしました」
非を認めぺこりと頭をさげた小雪をよそにヒュウは持ち上げた本を一冊一冊見ていく。
「んで、ここの本って高く売れるのか?」
「ん~、どれも珍しい本ではないね。保存状態だって別に良いわけじゃないし。ぱっと見て高く売れるものはないね……もしあったら売るつもりだったの? 誰のものかもわからないのに」
「そりゃ売るよ。こんなところで埃被ってるくらいなら、売り払って世に出したほうが本のためってもんだろ」
「本のためとは言っても、売ったそのお金は……」
「もちろん俺様が全部貰う! わざわざ売る手間をかけるんだ」
ほんとお金のことしか頭にないね。しかし、ここの本って全部旅行記みたいだね」
不意にリンダラッドは積み上げられた本の数々を見た。
ヒース国の隠し図書館にはまるで及ばない冊数だが、個人でこれだけの量を集めるとなれば一手間も二手間もかかるだろう。
「旅行記……高く売れるのか?」
「君にはそれしかないのか? さっきも言ったけど別段珍しい本じゃない」
「なんだ」
どこにでも売られてる本とわかるとヒュウはまるで冷めた目でページを捲ってみせた。
本のなかには様々な旅の記憶が詰め込まれているが、ヒュウからしてみればただの旅話などまるで興味がわいてこない。
「せめて金銀財宝の在処でも示した宝の地図はねえもんかな。ただの旅行記なんて心躍りもしねえな……そう言えば、この家って人が居ないのか?」
かつて人を住んでた気配こそあれど、今は誰一人として生活している気配がない。
それは各所に厚く積もった埃からも察することが出来る。
「ここは、お兄様が里長に選ばれるまで私と二人で暮らしてた家ですよ。もう一年以上も前のことですけど」
「ここに二人で……」
リンダラッドは小雪の言葉を反芻して辺りを見るが、床に散らばった本は二人寝る幅があるようには見えない。
「ってことは、この本とかも全部」
「この本や写真の数々はお兄様にとっては……宝物です」
「宝物……こんな薄汚れた本がか」
「はい」
小雪はこくんと首を頷かせる。ヒュウには理解できない。
金銭的価値以外の価値を見出すことなんぞヒュウからしてみれば狂人のやることだ。
「お兄様は外の世界に強い憧れがあって、昔はよく里の外の話しを私に聞かせてくれました。今でもたまに、こっそりと里を抜け出して外には出てるみたいですけど」
「それが里長やってる、それも里をこれまでの形で維持するなんて言ってよ。とんだ二枚舌やろうじゃねえか。なんか腹に一物抱えてんじゃねのか?」
「僕もそう思うな。やってることと言ってることが少しちぐはぐだよね」
ヒュウは舌をんべっと出す。リンダラッドにも輪蔵のとっている行動が理解できない。
どう考えても輪蔵の行動には合点がいかない。
「今のお兄様は里長としてお兄様です」
「はっ?」
まるで訳のわからない小雪の言葉にヒュウは威圧するような声を漏らす。
「どうぞ。お茶です」
「なあ、一つ良いか?」
差し出された藍色の染みが目立つ陶器の湯呑みをまじまじと見てヒュウは苦い顔を浮かべる。
「はい。なんですか?」
「この家に今は人も住んでないんだろ。このコップって埃が積もってたんじゃないのか?」
「きちんと洗いましたから大丈夫ですよ」
事も無げに小雪は口をつけて茶を飲む。リンダラッドも臆する様子を微塵も見せずに後に続く。
「ほんとに大丈夫かよ……ずっ」
嫌々声を漏らしながらヒュウは湯呑に口をつける。毒だか飲み物だかよくわからない味を前に一層怪訝な表情を浮かべた。
「じゃあ僕からも一つ良い? さっきから大事そうに抱えてるその写真はなに?」
「あ、これですか」
大事そうに手に握っていた写真を小雪は思い出したかのように二人の前へとすっと出す。
満面の笑顔を浮かべた二人の少年に挟まれた少女がはにかんだような笑顔を浮かべた写真だ。
「どっかでこの顔見たことあるな……」
ヒュウがその写真を食い入るかのように見た。襟首に巻かれた赤い布。その見覚えのあるものにヒュウは小骨が喉にひっかかるような感覚を覚える。
唸ってみせても答えが出ないヒュウは悶えるように埃塗れの床を転がってみせる。
「そうだ!! こいつ輪蔵だろ!」
「そうです。こっちがお兄様でこっちが冬玄様。それで真ん中が私になります」
さっきまでどこか憂いを帯びていた小雪の表情は写真のことを語りだした途端、明るいものになる。
「三人とも仲良さそうな写真だね」
今の三人の関係からは想像もつかないほど見事な笑顔だ。
「昔はみんなで良く遊んでました」
「それが今では決闘なんて……ねえ。穏やかな話しじゃないね」
「所詮友情なんて権力とか金の前には吹けば飛ぶ紙切れみたいなもんだ」
茶を飲み終えたヒュウが言葉をこぼす。
「ひゅ、ヒュウ様、そんなことないですよ!」
「どうだか」
小雪は僅かばかり声を荒げてみせたが、すぐにその勢いも消え、語尾の殆どは聞き取れないほどのものとなっていた。
床に置いた写真を再度に手に取った小雪はさきほど同様、憂いを帯びた表情を浮かべてみせた。
ヒュウからしてみれば金以外に大事なもんなんて存在しない。それと友情を天秤にかければ、金の重さによって友情など宇宙の果てまで吹き飛んで行ってしまうだろう。
「でも二人とも里長の座を奪い合ってるよね」
「お兄様は……ほんとう里長などになりたくなかったんです」
小雪は一口茶を啜ってみせた。
歯切れの悪い言葉と今にも消え入りそうな声。見た目こそ幼く、リンダラッドと年齢もさして変わらないが、憂いを帯びた表情は艶めかしいものがある。
「ほんとうのお兄様は外の世界を旅したくてしょうがないんです。ただ、里長候補であった冬玄様の考えが先代の人々に受け入れられず、その方々が別の里長候補としてお兄様を……ですから今のお父様は」
「なんか面倒くせえ話しだな」
ヒュウが切って捨てるように言葉を吐き出す。
やりたいことはやる。やりたくないことはやらないのヒュウからしてみれば、聞けば聞くほど理解できない話だ。
「要は君のお兄さんははやりたいことあるけど、自分を候補にした先代の人たちのために里長として働き、それに納得がいかず里長の座を奪おうとしてるのが相手ってわけだ」
「そうです」
「ふ~ん」
小雪の頷きに対してリンダラッドは深い頷きをみせてみた。
「なんでそんな面倒くせえかな。やりたいことをやりゃ良いじゃねえか」
「君ほどみんな単純じゃないって話しだな」
「そりゃどういうことだよ?」
「言葉通りの意味だよ」
「けっ。くだらねえ話だ」
「ひゅ、ヒュウ様……」
立ち上がったヒュウは不機嫌な顔でそのまま外へと出ていく。
「小便だよ。ったく」
「なんか怒らせてしまったでしょうか?」
「良いんだよ。彼なんてお金握ってるとき以外不機嫌なんだから。それよりもまさかそんな複雑な事情があるとはね。彼じゃないけど、面倒くせえ話し、なんて言っちゃうね」
リンダラッドはヒュウの顔と口調を真似しておどけてみせる。
「皆様は楽しそうですね」
「そう見える? 楽しんでるのは……僕だけな気もするけど」
リンダラッドにとって他の二人がこの旅を楽しんでるようには見えない……こともない。
「まあ、二人とも小雪ちゃんみたいにアレコレ悩むようなことはないだろうし、僕も身一つの旅だから気楽と言えば気楽かな」
あの二人が小雪のように憂いを帯びた表情を浮かべる姿が全く想像できないリンダラッドは思わず笑みをこぼす。
「でもヒュウ様に護ってもらえるなんて……」
「彼が僕のことをぉ?」
小雪のつぶやきに対してリンダラッドは思わず間の抜けた声をこぼす。
「残念だけど、彼に護ってもらったことなんて一度もないよ。むしろ銃口を突き付けられたことだってあるんだから」
「そ、そんなことされたんですか!?」
小雪の中にあるヒュウからはまるで考えられないような行動だ。
多少卑怯で金への執着が強いところもあるが、それでも幾度と小雪自身を救ってくれた。そのヒュウが、小雪自身とさして年齢の変わらないリンダラッドに銃を突きつけるなんて全く考えられない。
「でも生きてるってことは撃たれなかったんですよね?」
「どうにかね」
リンダラッドは飄々とした態度で語ってみせる。まるで笑い話でも語るかのように。
銃を突き付けられた話など小雪からしてみれば悲壮こそあれど、笑顔を交えて話すような内容のことではない。
「どうして一緒に旅されてるんですか?」
「彼がそういう人だからじゃないかな」
「そういう……銃を突きつけるような方ってことですか?」
「そうだね。邪魔があれば容赦しない。それが僕みたいな子供であっても」
「ひゅ、ヒュウ様はそんな酷い人じゃないですよ」
「そうかなあ。僕が見てるとそんなイメージしかないけど」
小雪のなかにあるヒュウへの想像図がリンダラッドの言葉一つ一つで揺らぐ。
「まあ普通に考えればそんな酷い男はいないよね」
リンダラッドが落ち着いた声で笑ってみせた。若干むきになりつつある小雪の言葉をいなすように。
「しかし、夜は冷えるね。帰る?」
「そうですね。そろそろ──」
リンダラッドが一つ身震いをしてみせるとまるでタイミングを図っていたかのように家の扉が遠慮のない音で開かれる。
「ふぁ~。おい、戻るぞ。こんなところで話してても一銭の得にもなりゃしねえ」
「グッドタイミング」
「家へ、お兄様たちのところへ戻りましょうか」
「さっさと戻ろうぜ。夜中に起きたからな。眠くてかなわねえや」
再び口に手を当てたヒュウは大きく欠伸してみせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます