3-6


  ◆


「なんかお主のことを話してござらんか?」

「話しなんてどうでも良いんだよ。それよりもこっち側からだとあいつの背中しか見えないぜ。反対側にも覗き穴はねえのかよ?」

 覗き穴に食い入るように見るが、湯煙の中に見えるのはお目当てであるリビアの白い背中だけだ。

「残念でござるが、穴はこちらだけでござるよ」

「使えねえな」

 ヒュウは大きくため息を吐くと、おもむろに視界の邪魔となっているこの柵を見上げた。

 木製の柵は隙間がないほどぴっちりと編まれている立派なものだ。桃源郷はこの柵の向こうだ。それだけに鬱陶しいことこの上ない。

「……この濃い湯煙のなかだったらひょっとして中入ってもバレないんじゃねえか? この柵昇って中に入っちまおうぜ」

「……さすがにバレるでござるよ」

「てめえの忍術があるならそれくらい誤魔化すのも難しくはねえだろ!」

「……それも……そうでござるな」

 ヒュウの悪魔のような誘いに対して輪蔵は鼻の下を露骨に伸ばして柵に手をかける。


 ──いや、むなしいもんだな。


「誰だ!?」

 森が風で揺れるざわめき。その音に運ばれるかのように二人のもとにその声が届く。

「その声は……冬玄!」

 輪蔵の目つきが鋭いものとなる。

 いつぞや遺跡でヒュウと対峙した目つきと同じものだ。敵意だけが視線のなかに光る。

「里長ともあろうものが忍術を覗きに使うなんて実に嘆かわしいな」

「タヌキ?」

 岩場に姿を現したのは一匹の茶褐色のタヌキだ。目の周りは黒く、丸丸と膨らんだ体型はなんとも鈍そうな姿だ。

 声は間違いなくそのタヌキから出ている。さすがのヒュウも目を丸くした。

「こいつがもう一体のレイ・ドールを持ってる奴か……まさかタヌキだったとは。さすがの俺様も思わなんだ」

「馬鹿言うなでござるよ! それは影声の術でござる。本人はどこか近くに居るでござるが、動物から声を出す術でござる」

「へえ。ようは大道芸か。これが出来れば一儲けできそうだな。このタヌキ貰っていって売り飛ばせば結構な金になるし、ちょっとした豪遊くらい出来るだろ」

 ヒュウは文字通り取らぬ狸の皮算用をして笑ってみせた。

「そっちがあいつらから聞いた外から来た奴か」

 タヌキの口の動きに合わせて冬玄の声が出てくる。見慣れればどうってこともないが、初見ではやはり不気味なものだ。

「姿を見せるでござるよ!」

「輪蔵、てめえとも決着をつけないとな」

 タヌキがころんと前に転がって腹を一つ叩くと同時に一陣の風が木の葉が舞い上げる。

「よお」

 どこか垢ぬけた喋りの青年がいつの間にかタヌキの横に立っている。

 輪蔵同様に口元を布で隠し同じ装束を身に纏ったその姿は紛れもなくこの里の住人だ。

「妹をかどわかす真似をして、いけしゃあしゃあと顔を出せたものでござるな」

 さきほどまで覗きに熱意を傾け鼻の下を伸ばしていた輪蔵とはまるで違う。

 顔には怒りだけがただただ現れている。

「怒りで気が狂いそうでござるが、今、素直に謝り拙者の方針に従うと言うならば委細のこと全て水流そうでござる」

「手っ取り早く財宝を手に入れて里長の座を奪おうと小雪ちゃんに乱暴したのはすまなかったな。あそこまで嫌がられるとは計算違いだった。ただ、それ以上は謝る気は毛頭にねえし、ましてや今のてめえの方針に従う気なんてこれっっっっぽっちもねえ。この来蓮の里の今後をてめえに任せるわけにはいかねえ。

 里のじじい共は考えが保守的でいけねえな。見ろ。この里を!」

 そう言って冬玄は深い夜に包まれた来連の里を指さす。古から伝わる来蓮の里の光景そのものだ。

 多くの田園に囲まれ、他国の異文化が殆ど持ち込まれることもなく、人々は日々、助け合いのなかで暮らしている。

「遊び場もなければ、観光箇所すらないつまらない里。あんただってそう思うだろ!」

「確かに」

「ヒュウ殿っ!」

 投げかけられた冬玄の言葉にヒュウは腕を組んで強く頷いてみせた。

 この里は確かに退屈だ。

 人々が生きていくための衣食住こそあれど娯楽と呼べるものなど何一つない。

「ははっ! どうやら外の奴にもわかるらしいな。

 この里の現状を見ろ! 若い奴が生きるには窮屈なんだよ!」

「それでも代々続いてきたこの里の維持こそが里長として選ばれた者の役目!」

「里長を選ぶのはいつだって頭の固えジジババどもだ。だからこそ俺が選ばれた。異文化を取り入れようとする俺が!

 口では言わないけどな若い奴の中に俺を支持する奴らはたくさんいる!

 俺は里の未来を見て動いてんだよ。ジジババ共の顔色ばっか見て過去の姿を維持することだけに精を出すてめえとは和解できねえな」

「そう言われてもおかしくないでござる。しかし拙者が選ばれたのも事実。お互いに支持するものがいるならば、最後は拙者たちの腕でもってどちらが里長に相応しいか直接白黒つけなければならないでござるな」

「確かにそうだな」

 輪蔵が懐からレイ・カードを取り出す。

「さあ、お主も里から授けられた自分のレイ・ドール、角竜を出すでござるよ」

 レイ・カードを構えてみせた輪蔵を前に冬玄は肩をすくめてみせるだけで手持無沙汰のままだ。

「けどなあ輪蔵、お前とは勝負をつけないといけねえとは思ってるが、ここでは戦えねえな」

「なぜでござる!?」

「勝負は三日後の申の刻、財宝を守る扉の前だ」

「今すぐでも拙者は構わんでござるよ」

「そうはいかねえよ」

 一度だけ冬玄は周囲を見渡してみた。

 あまりに暗く鬱蒼とした森と、明かりの消えた里。その二つに一瞥くれてから笑う。

「俺が勝つのはわかってる。けどな里の奴らが見てる前で勝たねえとな。俺が里長に相応しいってことを全員に伝えることができねえからな。

 それに万全じゃないお前を倒したところで、卑怯だなんだ言われて逆に自分の信用を落とすだけだ」

「もう勝った気でいるでござるか?」

「覗きにうつつを抜かしてるような里長に俺が負けるか」

「ぬっ……」

 輪蔵は思わず言葉に詰まる。

「まあ、せいぜい三日後の決闘まで里長として最後の時間を楽しむんだな。行くぜ! 天狸!」

「キュー!」

「うぉっ!」

 冬玄の隣で大人しく構えていたタヌキ、天狸が一つ鳴くと激しい風が再び一陣、山肌を撫でる。

 ──せっかくだから外から来た奴も俺達の決闘を見ていくと良いぜ!

 激しく吹いた風に攫われるようにその声も次第に遠のいていく。

「あれがもう一人の里長候補だった男か」

「そうでござる。この里に他国の文化を取り入れてしまおうと画策してるやつで──」

「お兄様!? こんなところで何をしてらっしゃるのですか?」

「ここ、小雪!?」

「おおかた覗きでもしてたんじゃないの?」

 いつのまにか、着物を身に纏った三人がいた。湯気を頭から立ち上らせたリビアの言葉を前に輪蔵は下手な口笛を吹いてそっぽを向く。その目は泳いでいる。

「それよりも面白い話しがあるぜ。決闘だってよ!」

「ケットウ……決闘!?」

 一瞬ヒュウの言葉理解できなかった小雪はゆっくり一〇秒かけて言葉を理解すると目を丸くしてみせる。


  ◆


「まあそういうわけだとよ」

 ヒュウはおもむろに呟いてみせた。

「見事に説明をはしょったわね」

「なんのことだ?」

「冬玄様と決闘なんて、お兄様、本気ですか?」

「拙者が来蓮の里の里長に選ばれて一年。里の民達もいい加減船頭が多いのも疲れてきたころでござるよ。ここらで決着をつけるのも里のため」

「最後が力でってのがわかりやすくて良いな。んで、どっちが強いんだ?」

 ヒュウはどこから取り出したペンとメモ帳を手に目が輝いてる。

「理想としては五分じゃねえとな」

「君は何の話しをしてるんだ?」

 リンダラッドはヒュウの言葉の意図が掴めず首を傾げる。

「賭けに決まってるだろ! せっかくの大一番みたいだし、この際に旅費も少しは稼がせてもらわないとな」

「呆れた人だね」

 リンダラッドの溜息混じりの声にリビアも力強く頷かす。

「んで、下馬評が気になるところだ。戦うとどっちが勝つと思う?」

 ペンを咥えたままヒュウは小雪に話しを振る。

「えっと、お兄様と冬玄様ですよね」

「だな」

「ど、どうなんでしょうね……」

「俺に振られたって知るかって話しだな」

「拙者はもう寝るでござるよ」

「お、お兄様!」

「あら。当事者の予想も聞きたかったけどな」

 ヒュウの言葉などまるで耳が入ってないように輪蔵は部屋を出てく。

「僕らはどうする?」

「見てけって言われたんだから見せてもらおうじゃねえか。どうせ行くあてのない旅だ」

「まあ確かに。それにしても難儀なもんだね。

 どちらも里の事を思ってるのに争うなんて」

 リンダラッドは表情を曇らせた。

「男って言うのは何とも馬鹿な生き物ですわ」

「ふ、二人とも里のことを考えて争うんです。馬鹿じゃないですよ。何とか皆様で止めることできないですか?」

「それがますます面倒なんだよね。

 どっちも里のことを考えてるし、言い分もあるから僕たち余所者が手伝えることなんて何もないし。

 あとは君たちの言うところの勝負で白黒つけるしかないみたいだし、僕らはそれを眺めることしかできないよ」

「……そ、そうですよね」

 小雪の曇った表情はますます悲哀に満ちていく。

 リンダラッドの言葉通りどちらにも言い分があり、どちらにも里を思う心がある。

 それだけに誰かに助けを求めるのは筋違いであることは小雪自身もよくわかっている。


「お兄様……」

 虫も眠る時刻に障子の前に立った小雪。その影が満月の明かりによって映し出される。

「冬玄様と……」

 返事がないなかで小雪はとつとつと語る。

 それが兄であり、里長である輪蔵に届いているかどうかもわからずに。

「本当に争われるおつもりですか。私はお二人が協力することでより良い里の繁栄があると考えています。どうか決闘の件はお考え直しになっていただけませんか?」

 起きているかどうかもわからないまま小雪はただ言葉を投げかけるが、障子の奥からはうんともすんとも返事は来ない。

「……夜分遅くに失礼しました」

 ぺこりと頭を下げた小雪はその障子の前からゆっくりと踵を返して立ち去る。

「……和解」

 小雪の足音が消え、静まり返った部屋のなかで輪蔵は小さく呟いてみせた。

 かつては同じ釜の飯を食べた仲間。それと争う事など本望のはずがない。しかし、里長としてこれ以上の勝手を見逃すわけにもいかない。

「和解の時期などとうに過ぎてしまったでござるよ」

 布団に入った輪蔵はそのまま手をぎゅっと握った。


  ◆


「待て待てー」

「こっちですわぁ~」

 世の男たちが言葉を失うほど美貌を持つ女性が、これまた世のコレクターが幾ら金を積み上げても手に入らないような酒瓶を持って走りまわる。

 その後ろからヒュウがいやらしく両手を伸ばして追いかける。

 その手や視線の先には、豊かな胸であり、突き出た尻であり、女性たちの手に持たれた酒瓶である。

「捕まえちゃうぞ~~」

「いや~ん。捕まっちゃった」

 積み上げられた金塊の上で美女達をはべらせ、至高の酒を瓶で一気に飲む。

「さあ~て、酒は飲んだし、お次は──でっ!?」

 美女達にヒュウが手を伸ばすと突然頬に鈍い痛みが走る。まるで殴られたような。


「……このやろう」

 痛みに目を覚ましたヒュウは隣で寝ているリンダラッドを見た。着物をはだけさせ彼女のうった寝返りの裏拳が見事にヒュウの頬を直撃している。

「良い夢だったのに起こしやがって。ったく大人しく寝てろってんだ」

「った! ……ぐう……」

 苛立ちのあまりにヒュウは立ち上がると、リンダラッドを蹴飛ばして横に転がしたが、何事もないようにすぐさま穏やかな寝息をたてる。ますます腹立たしいことこのうえない。

「う~さぶ。ションベン……トイレってどこだ?」

 思わず疑問を抱いたが、そう言えばトイレがどこにあるかまるで聞いていなかったことをヒュウは思い出す。

「まあ外でいっか」


「ほ~れ。聖なる水だぞ~。たんと飲め~」

 小便を藪に向かってまき散らしたヒュウは陽気に口笛を吹く。月が輝く夜にその口笛が響く。

 山を撫でる風が吹くたびに森が騒ぐ。

「ふ~。満月の夜に立ちション。悪くねえな。しっかし、どうにもこうにも首を突っ込むわけにはいかねえし、財宝への手の出しようもわかんねえし、どうしたもんかな? せめて儲け話の一つでも転がりこんでこねえかな」

 財宝の前に立ち塞がるはあまりに分厚く頑強な扉だ。

「俺様のゴールド・キングを使ってあの扉を壊すかな……ん? あのガキ、こんな夜更けにどこに行くんだ?」

 一輪の牡丹柄が目立つ着物を身に纏ったのは小雪だが、一度は誘拐された身として、こんな時間に武器一つ持たずに出歩くにはあまりに不用心だ。

「……金の匂いがしそうだな」

 口端を持ち上げて笑ってみせたヒュウは藪の影に隠れながら小雪のあとについていく。

 鼻頭がひくひくと動く。

「なんか面白そうなことになってるね」

「おわっ! お前どっから出てきた!?」

 ひょっこりと藪から顔を出したのは染み一つない銀色の髪をかきあげたリンダラッドだ。

「君が木々に小便まいてるところから」

「……」

 全てが見られていたということらしい。

「まあ、見られて減るもんじゃねえからいいか。そんなことより見失わないようにしねえとな」

「こんな夜中にどこ行くんだろう?」

「そりゃ俺が知りてえよ」

 ゆっくりと道を歩いていく小雪をリンダラッドとヒュウは幽鬼の如く気配を消して追いかける。


「んで、どこまで行くんだか?」

「里も通り過ぎたし、もう家なんてないね」

「財宝のある場所の方向とも違しな」

 里を抜け、鬱蒼とした森のなか小雪は迷わずに進んでいく。

 小雪の後ろ姿を見失えば迷ってしまいかねないほど同じような光景の林が続いている。

「家?」

 月夜の灯りすら届かない夜闇の林のなかにぽつりと建った一軒。他の家同様の茅葺の家。

「家だな」

 まるで明かりのない家に小雪はノックの一つも見せずに入っていく。

「外側からだとなんだかわからないね」

「行くしかねえだろ」

「家のなかに?」

「当たりめえだろ。あんなわざわざ離れた場所に建てられた家だぞ。もしかしたら案外、へそくりの隠し場所かもしれねえぞ」

 下卑た笑みを浮かべた小雪が指先を湿らせ銭感情に熱意を走らせる姿がヒュウの頭のなかにありありと浮かんでくる。

「そんな子には見えないけどね」

「わかんねえぞ。外面の良い奴ほどやべえ中身が俺の教訓だ」

「君のその歪んだ教訓は捨てた方が良いと思うよ。僕は」

「歪んでるか当たってるかなんて中に入ればわかるだろ。さっさと行くぞ」

「うわっ! キモチワル! まるで節足類だ」

 気配を押し殺し地面を這いずりながら家へと素早く迫り寄るその姿は虫そのものだ。

 あまりに不気味にして慣れた動きにリンダラッドは笑顔で後ろを追いかける。

「さあ、家のなかで何をしてるのか?」

 窓に張り付きヒュウは明かりのない家のなかを覗き込む。

「なにが見えるの?」

 窓を覗き込むヒュウの横からリンダラッドが顔をひょっこりと出す。

「顔を出すな。バレる」

「むぎゅっ!」

 無理矢理捻じ込んでくるリンダラッドの顔を抑え込んでヒュウは家の中を覗き込む。

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