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  ◆


 処刑人を入れる牢獄が並ぶヒース城地下の更に深く。王族が生きてく上で足を踏み入れる必要がまるでない空間。

 誰一人として訪れず、何十年と使われていなかった木製の扉を開ければ錆びついた金具が軋んだ音をたてる。そこには千とも万ともつかない巨大な書庫が構えられている。

 そのあまりに広大な書庫を、リンダラッドは顔を煤と埃塗れにしながら右へ左へと小回りの利いた動きで走り回る。自慢の白い髪も煤で見事に汚れている。

「リンダラッド様。お茶でございます」

「ありがとう」

 軋む扉を開いて部屋に入ってきたのは蒼の甲冑に身を包み整った鼻梁で人の目を引き付ける美男子。このヒース国で最強のライダーとして名高く、護国の盾とも矛とも呼ばれるジール=ストイルだ。

「またこのような人目のつかないところで、そのような恰好をして何を調べてらっしゃるのですか?」

「色々とね」

 小さな体で本を何冊も抱えたリンダラッドは覚束ない足取りでジールの前まで来る。薄汚く汚れたローブに全身を包んだリンダラッドは笑ってみせた。

「こんなところ僕以外来ないし、別に問題ないでしょ」

 蜘蛛の巣がそこらかしこに見受けられる巨大書庫。いまやこの空間に好んで来る者はリンダラッドの言葉通り、自身を除けば誰一人いない。そしてリンダラッドのお気に入りの場所だ。

 長年使われてない部屋ゆえの積もった埃を除けばそこは知識の山であり、とても静かな空間だ。

「しかし、相変わらずの収蔵された本の数ですね」

「ヒース国の王様って代々収集癖のある方が多いみたいだからね。方向性は様々だけど。この書庫もいつ頃だったか。少なくとも十代以上前のヒース国王が設営したものらしいしね」

「それも本でお知りになったのですか?」

「そうだね」

 大量に並べられた本棚。その一つ一つがぎっちりと本が収められている。

 他愛のない日記。議会の内容を書記したもの。更にはこの国の史実や、民間伝承を集めたようなものまでじつに様々な本が収蔵されている。

「それで今日は一体何をお探しにここへ来られたのですか?」

「あの金色のオリジンと他のオリジンだよ」

「他のオリジン……」

 その言葉にジールは僅かに顔を曇らせる。

 遺跡で見つけられた二つ目のオリジン。

「じつは調べてみると君の駆るオリジンとあの金色のオリジン以外にも他のオリジンの情報が出てきてね。

 僕としては、自らこれを確認しないわけにいかないでしょ! もちろん眉唾な話しばっかりだけどね」

 碧眼の双眸を煌々と輝かせたリンダラッドは満面の笑顔だ。

 こうなるとジールにはどうすることも出来ない。

 好事家であり、自分の見たいものはどんなことをしてでも見る。ここ数年、最も傍で付き合っているジールがそれをよく知っている。

「つまりそのオリジンを探す旅に出たいと」

「そういうこと」

「それもあの品性のない男を旅のお供に考えていると」

「御明察!」

 察しの良いジールにリンダラッドは大きく頷いてみせた。ジールの表情はますます曇る。

「その旅のお供にあのような犯罪者紛い、いや、犯罪者と共に歩くのは私は如何なものかと」

「とは言っても犯罪に走る彼の強欲さあって金色のオリジンに認められたんだから万事塞翁が馬ってやつだと僕は思ってるよ」

「あのオリジンは強欲……ですか」

「そういうこと。君が高潔だからちょうど正反対のオリジンってことになるね」

「そんな卑賤たるレイを持つ者が乗るオリジンなど一層眠らせたままの方がよほど世のためかと」

 幸か不幸かライダーは見つかってしまった。それに認められる強欲を持った者が眼前に現れオリジンは遺跡の奥で眼を覚ました。

「僕はあの力を目の前で見ちゃったからね。他人の武器を奪い、操るあの強欲のオリジンの無限にも思える力。旅のお供の戦力としては十分なものだと思ってるよ」

 遺跡でヒュウは確かにオリジンを起動させた。そしてその力は地中深くの遺跡、そして大地を吹き飛ばし天を切り裂いた黄金の柱。戦闘に特化したレイ・ドールでさえあのような真似は出来ないだろう。

「確かにあの力には凄まじいものがあります。だからこそ強欲のオリジンを回収すべきではないのでしょうか? あんな力を持った者が私達と敵対するようなことがあればそれこそどんな被害が及ぶか──」

「そのときはジール。君が彼を止めてくれれば良いよ。もう一人のオリジンのライダーとして」

 リンダラッドは無垢な笑みを浮かべた。

 ジールとしては溜息も吐きたくなる思いだ。

 すっと取り出したレイ・カードのなかでは、高潔のオリジンが蒼白の機体を輝かせている。


  ◆


「んで、俺に用ってなんだ?」

 薄暗い一室でヒュウは目の前の女を見た。

 女の誘うままに路地裏から連れ込まれた一室は安っぽい机と椅子が置かれた倉庫だ。

 女は漂う色香を振りまくように腰まで伸びた赤髪を団子状に巻いてみせてから顔を上げた。

「お酒は飲めるかしら?」

 釣り気味の瞳で女性はヒュウに向けて一本酒瓶を取り出す。

「タダならな」

「そう」

 女性は二つのグラスを机に置くとそこに酒を注ぐ。

「お前から先に飲め。毒でも入れられてたんじゃたまらねえからな」

「ずいぶんと小心者ね」

 桜色の唇をグラスにつけて一つ喉を鳴らした女性はくすりと微笑む。

「恨みは山ほど買ってるんだ。損得関係なし俺を殺したい奴なんて両手じゃきかないからな」

 女性が飲んだのを確認してからヒュウは置かれた酒瓶を掴み、そのまま口をつける。

「違法なことも金額次第でやるって聞いてるわ。命知らずのヒュウ=ロイマン」

「仕事内容と報酬の兼ね合いだな。

 安い仕事を請ける気は毛頭にないんでな」

「そう。なら良かったわ」

 派手な化粧が施された顔がゆっくりと微笑みを浮かべる。

 纏った香水の甘い香りが部屋に充満する。

「そんで肝心の仕事内容は?」

「ある物を盗みたいの。それもヒース城から。それをあなたに協力してほしいの」

「何を盗みたいんだ?」

「それをあなたに知られると横取りされかねないから、内緒」

「ちっ」

 ヒュウは露骨に舌打ちしてみせて女を見た。真意がまるで汲み取れない笑みでただ微笑んでいる。それがヒュウには気に入らなかった。

「まあ良い。幾らの仕事だよ?」

「二万ガルでどう?」

「そんな金、あんたがほんとうに払えるのか?」

 何から何まで怪しい話しだ。これまでに海千山千の者達がヒュウに仕事を依頼してきた。時には罠であり、時には真実もあった。それを理屈抜きに見分けられずに今日まで生き残れなかった。

「信用されないの? 悲しいわ」

 女は露骨に目元を隠すように泣く真似をしてみせるがヒュウからすれば茶番に他ならない。

「報酬は十分だ。だがそれとは別に担保が欲しいな。払われなかった場合の」

「担保?」

 言葉の意味をいまいち汲み取れずに首を傾げる女性の腰に腕を回し抱き寄せる。

「一晩だ」

「一晩」

「俺に付き合え」

 ヒュウの提示した条件に艶めかしく息を吐く桜色の唇が微笑みを浮かべる。

「いいわよ。ただし成功報酬ね」

 腰に回された腕からするりと抜けた女性の微笑みに対してヒュウは歪な笑みを浮かべた。

「よし。その仕事請けたぜ!」


 喉を鳴らして酒を飲んだヒュウは空になった酒瓶を机の上に音をたてて置く。

「強盗や窃盗でずいぶんと色んなところ襲ってきたけど、さすがに城に盗みに入るのは初めてだな。そんで盗むものって大きいのか小さいのか? 何も明かせないって仕事は勘弁してくれよ」

「盗むものは私でも運べるわ。ちなみにこれが城の見取り図」

「こりゃまたずいぶんと準備の良い」

 あまりに準備が良すぎる。とんとん拍子に事が進む場合はどこかがすっぽり抜け落ちるような落とし穴がある。それはヒュウ自身よく知っている。

「この見取り図はちなみに正確なのか? こんな見取り図どこで手に入れた?」

 部屋の隅から取り出した城の見取り図を机の上に広げた。一般的に使われることのない部屋や通路まで全てが手に取るようにわかる。

「あの城に内通者がいるわ。この見取り図は信用してもらって大丈夫よ。そして盗みたいものはここ」

 見取り図には丁寧に赤い〇で囲まれた一室がある。

「それほど複雑な場所じゃないし、自分で盗むなら一体俺に何を頼むんだ?」

「簡単な話しよ。

 あなたは二〇分間だけの囮」

「……なるほど」

 その一言でヒュウは女が何を言わんとしているかはっきりと理解できた。

 安い仕事ではない。報酬額に見合うどころかリスクだけが天井知らずに突き抜けている。

「あら。もしかして怖いの?」

「……正直報酬額に見合わない話だ。賊として入る上に一人で囮なんて二万じゃ足らねえな。おまけに囮となりゃ正体がバレるし、どう転んでもこの国を飛び出さないといけねえ。そのことを考えると二万ガルじゃ路銀で消えちまう」

「働き次第で幾らでも稼ぎになるわよ」

「どういう意味だよ?」

 にこりと微笑んだ女はびっと一点を指さす。

「ここが宝物庫」

「ほうほうほう」

 ヒュウは深い頷きを何度もしてみせてから城の見取り図をじっと見つめた。

 宝物庫。なんと響きの良い言葉だろう。

 それも一国の主の宝物庫ともなれば当然眠るは金銀財宝。想像しただけでヒュウは涎がこぼれてしまう。

「幾ら盗んでも良いけど、あなたには必ず二〇分。二〇分だけ騒ぎの中心になってもらうわ。そしたらあとは自由にどうぞ。逃げるも良し。戦うも良し。」

「二〇分か……どれ」

 ヒュウは小さく頷くとおもむろに右手を伸ばし、形の良い女の乳房を服越し鷲掴みにする。はっきりとわかる柔らかい感触を堪能するヒュウの手を、女は眉一つ動かさずその手を叩き落とす。

 その顔は相変わらずの笑みを浮かべている。

「何の真似?」

「ちとばっかし勘定が合わないけど今ので釣り合いとってやる」

 揉んだ感触を反芻するかのようにヒュウは指先をやらしく動かす。

「命知らずのヒュウ=ロイマン。響き渡ってる悪名くらいの働きは見せてね」

「俺を誰だと思ってやがる!」


  ◆


 夜の帳が降り街が眠りにつく頃、二つの影が路地裏を音もなく走り抜けていく。

 一人は栗色短髪とマントを揺らして。もう一人は赤い髪を流すようにして夜闇の疾駆する。

 静寂に紛れた二つの影は城を囲う巨大な城壁を前にその足を止める。

「忍び込むのにそのマントはどうにかならないものかしら?」

「こいつは俺のポリシーだ。そうやすやすと外せるかよ。お前こそ盗み担当なのにまたそんなドレス姿だなんて、頭のネジが一本すっ飛んでじゃねえのか?」

 黒の闇にまるで忍ぶ気などないスカーレットのドレス。女性の姿もとてもじゃないが、夜に紛れ城に入り込む姿には見えない。

「それじゃあこっからは打ち合わせ通り別行動だな。捕まるんじゃねえぞ。俺が上手くいっても報酬出す奴がいないなんて無駄骨は勘弁してほしいからな」

「そっちこそ捕まるのも死ぬのも勝手だけど約束二〇分はきちんとクリアしてみせてほしいものね」

「クリアってゲームじゃねえんだから」

「さあどうでしょう」

 女はすっと闇に溶けるようにその姿を消す。

 足音一つなく、鮮やかな真紅のドレスは闇のなかへと呑まれる。女の気配が微塵として残らず夜へと消える。

「さてと。俺も王家の財宝ってやつを拝みに行くかな」

 城門前で一つ骨を鳴らしたヒュウは巨大な門を見上げて構える。


「ったく真面目に見張りやがって。少しはサボるってことを覚えろよ。馬鹿みたいに几帳面に同じところをぐるぐると」

 巨大な庭を見張る兵の数は一瞥して両手ではきかないことがわかる。

 その人数がまるで機械のように正確無比に同じ場所を同じ速度で歩いている。

「こんだけ穴がないと普通に入り込もうと思っても無理だろうな」

 噂では聞いたことがある。

 城を護る衛兵。その全てがレイ・ドールを駆る者、ライダーであると。

 囮になれば間違いなく、視界に映る衛兵達から逃げなければならない。そう考えるとヒュウは衛兵の数に頭痛を覚える。

「ともあれまずは財宝だ。

 こんな夜遅くにご苦労さん」

 木陰に隠れたヒュウはそのまま衛兵たちを横目に城とはまるで方向の違う城壁の隅へと行く。

「あの見取り図だと確かこの辺で……あった」

 土を払いのけるようにすると確かに取っ手がある。雨風に晒され錆びついた取っ手を握ると、ヒュウは声を殺して力の限りそれを引く。

──ギギ……

「うへえ。狭い通路だな」

 錆びついた扉を開くと、見取り図の城へと通ずる通路は確かにあるのだが、ヒュウの身長では四つん這いにならないと通れない道だ。

「これも全ては財宝のため! あの女の体!」

 ヒュウは四つん這いになるとふんと鼻を鳴らして犬のように這っていく。

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