2-1
◆
ヒース国の城門から外へと出ればそこには肥沃な大地が地平線まで続いている。
複数の小高い丘による丘陵と草が生い茂った光景。そこにぴっと一本の線を引くかのように道が一つ、地平の果てまで続いている。
国境の入り口となる関所からヒース城を繋ぐまでの道。その周囲こそ農地や商店として整地されているが、視界の端にはいまだ未開拓の雑木林が幾つも見受けられる。
「さてと」
人を遠ざけんばかりの鬱蒼とした雑木林を潜った先。日光を遮ぎる背の高い木々が立ち並ぶ空間に突然開けた場所が現れる。
ヒュウ=ロイマンは眼を細め真上にくる太陽を一度見つめると内ポケットからレイ・カードを取り出す。
「こいつが俺のドール……ふふ……はははっ!!」
太陽のもとでヒュウは思わず笑みが浮かんでくる。
抑えようにも喉の奥から笑い声がとめどなく溢れ出てくる。
実に数日のあいだ、ヒュウはそのレイ・カードを見る度に笑いがこみあげてしまう。
レイ・カードの中では巨大な口から牙を突き出したレイ・ドールが静かに佇んでいる。
「ついに……ついに手に入れたぞ!」
自分だけのレイ・ドール。ヒュウが喉から手が出るほど欲しかったものだ。
思わず小躍りしだすヒュウは一度咳払いしてから周囲を一瞥する。
人の気配がまるでない静かな場所だ。
ときおり鬱蒼とした森の奥から流れてくる風が木々に生い茂った葉を揺らし、擦り合わせた音を出す。
「出てきやがれ!」
ヒュウはレイ・カードを翳す。
激しい閃光とともにカードは宙へと舞い上がり、ヒュウの目の前で跪いた形でレイ・ドールが姿を現す。
「俺のレイ・ドール……」
何度見ようともヒュウの顔には再度笑みが浮かび上がる。
赤い機体。特徴的な巨大な口。そこから左右に突き出た牙を持ったレイ・ドール。その辺の量産されているレイ・ドールとは一味も二味も違う。
レイ・ドール製造の足がかかりとなった原初のレイ・ドール『オリジン』だ。その付加価値を前にはヒュウはやはり笑いしか浮かべられない。
「とにかくこいつを使って名声も金も女も全部俺が手に入れてやるんだ」
跪いたレイ・ドールを器用に伝いヒュウは胸元の操縦席へと座ると左右に置かれた水晶に手をのせる。
「あの遺跡のときみたいに動いてくれよ」
頼むような声をこぼすとヒュウの体からゆっくりとレイが吸い出されていく。
赤を基調としたレイ・ドールに僅かに輝きが灯る。
「歩け!」
ヒュウの声と同時にゆっくりと足があがり前へと進む。
一歩、一歩踏みしめるような動きは緩慢なもので、人の歩行速度と大した違いなどない。
「止まれ!」
今度はゆっくりと持ち上げた足を降ろしレイ・ドールは動きを止める。
ここ数日、人知れない森の奥地でヒュウはレイ・ドールを操作してはみるものの、成長の程が伺えるものではない。
とてもではないが、全てを手に入れるには縁遠い動きだ。
「こんなんじゃ世界どころかろくな仕事手に入れ蘭ねえな。
あのおかしな恰好した奴みたいにもっと機敏に動かせるようにならねえと」
ヒュウの脳裏に遺跡の最奥で遭遇した忍者姿のライダーが思い浮かぶ。
こと戦闘に関しては文句の付けどころがないほどにレイ・ドールを自在に駆使していた忍者姿の男。あれに比べれば自分の操作技術など児戯にも劣る代物だ。
「操作するのになんかコツでもあるのか?」
操縦席から外へと足を放り出すように伸ばしたヒュウは溜息交じりで首を傾げる。
「いっそのこと軍隊に入隊でもして使い方を覚えるか?
……いやいや。俺様の才能があればこんなレイ・ドールの動かし方なんぞ朝飯前よ。よっと」
大きく頭(かぶり)を振って見せてから操縦席から飛び降りたヒュウは軽やかに着地するとレイ・ドールをカードへと戻す。
「そう言えば、今更だけど、こいつの名前が決まってなかったな。いつまでもレイ・ドールじゃ締まらねえし……そうだなー……好きなものだと金だしなんかそんな感じの……金キンきん……思いつかねえや」
ヒュウはオリジンをカードに戻すと懐にしまいこむ。
「さてと明日の飯の種でも探しに行くか」
◆
「仕事を俺に紹介しろ!」
ヒュウの怒鳴るような声を前に眼鏡をかけた中年の職員は疲れた顔を持ち上げた。
ヒース国のお膝元で運営されているライダー専用の仕事斡旋所。レイ・ドールを駆るライダー達を頼った者の様々な仕事がこの場所へと流れ込んでくる。
それこそピンからキリまでで、時には危険地での任務もある。
「自分のレイ・ドールはお持ちですか?」
「見ろよ。こいつを」
職員の質問に対してヒュウは意気揚々と内ポケットからレイ・カードを取り出し見せつける。
「では」
職員の機械的な頷きはヒュウは肩透かしをくらったかのように毒気を抜かれる。
「仕事内容は様々ですがどのようなお仕事を御望みで?」
「……」
何も考えず、レイ・ドールが手に入ったと言うだけでヒュウはここまで突っ走ってきたが、職員の言葉にふと我に返る。
歩くことすらまともに出来ない自分がライダーとしてこなせる仕事があるだろうか。護衛や傭兵などもってのほかだ。
「も、儲かる仕事だ!!」
「では仕事一覧でしたらこちらですね。報酬額はこちらに記載されてますので。そちらの席でどうぞご自由に。ではお次の方どうぞ」
職員が差し出してきたのは分厚い一冊の本だ。中を開けば目次から始まり、あとは索引の説明などがあり、あとは全て受注可能な依頼だ。
「どれ」
職員に指示された椅子にどっかりと腰を下ろしたヒュウはその本をゆっくりと読んでいく。
金額として多額ともなればそれなりの技能や能力を求められる。仕事によっては能力を測るテストなども記載されている。
「しっかし仕事の量が多いな」
溜息交じりの声でヒュウは呟く。
仕事の内容から報酬額まで、稼業の何でも屋以上に激しい落差がある。
当然能力を必要とするものほど報酬額は高くなるが、人手をただただ必要とし、ライダーであれば問わないような仕事であれば、ヒュウの稼業である何でも屋の報酬額の一〇分の一にも満たないものだ。
「ん~」
ヒュウが金額として満足行く仕事など一握りのものだ。そしてそれの殆どは技術と経験を要すものばかりだ。
「安い仕事で時間の無駄するくらならレインから仕事貰ってた方がまだマシだな。
こりゃ、当分はライダーとしての仕事は無しだな」
ヒュウは本を勢い良く閉じて立ち上がる。
「なあに。俺様の才能があればちょちょいのちょいよ。
本、返しとくぜ」
「お仕事の方はよろしいのですか?」
「こっちにも色々事情ってもんがあるんだ」
バンと音をたてて本を閉じたヒュウはマントを翻して仲介所を出ていく。
──とうぶんはレインに仕事貰うしかねえな。
あの身長に合わない大きめのコートを羽織り、真意を読み取ることのできない軽薄な笑みを浮かべた男の顔をヒュウは思い浮かべた。
「お前に仕事? 無いに決まってんだろ」
「はっ? なんでだよ!」
普段から軽薄な笑みを絶やす事のない仲介屋レイン=ガイドの表情が珍しく曇っている。あの営業スマイルはどこへやら。
ヒュウを睨み付けるその双眸も据わっている。
いつから飲んでいたのかレインの前には空になった酒瓶が数本並んでいる。
「なんでだよ、っだぁ!? その理由はお前が一番知ってるだろ。自分の胸に手を当てて聞いてみるんだな」
「……もしかしてこの間の仕事か?」
「わかってんじゃねえかよ。そうだよ。手前に紹介した仕事だよ!
依頼人の代理が来たけど、お前、途中で気絶して依頼人送り届けられなかったらしいじゃねえか。おかげで報酬は無し。仲介料も無しだ」
「……そう言えばそうだな」
あの遺跡での戦いの際にぷっつりと意識を失ったヒュウだ。当然送り届けるどころか、依頼人であるあの子供の生死すら確認していない。
レイ・ドールが手に入り完全に舞い上がっていたが、依頼を果たす事ができなかったのはレインのいう通りだ。
「久しぶりの大きな仕事だし、お前なら難なくこなすと思って色々買ったのに、失敗しやがって。おかげでこっちは返品に次ぐ返品をしなきゃならねえ始末よ」
「一回仕事失敗したくらいでネチネチ言いやがって。ケチな野郎だ」
「こちとら依頼達成率十割の仲介屋を目指してんだ。手前のせいでどうにもならない傷がついちまいやがった。
この仕事、信用が第一なんだ。失った信用は金じゃ戻らねえんだよ。手前みたいないい加減な奴に頼む仕事なんてねえよ」
口を開けば矢継ぎ早に文句が飛び出すレインは、喉に溜まっている言葉を酒と一緒に押し流すと深い息を吐く。
仲介業についてはヒュウは全く知らないが、少なくとも、普段から何を言われても怒る事をしないレインがこうして管を巻くほど酒を飲んでいるのだ。よほど失ったものが大きいのだろう。
「信用がなんだよ。どうせんなもん屁みたいなもんだろ」
だからと言ってヒュウが相手を思いやる言葉を吐く真似などするはずがなかった。
「てめえにゃわかんねえよ!」
「へえへえそうかよ。仕事の切れ目は縁の切れ目だな」
互いの利害関係でのみ繋がってただけに、それが無くなれば離れる。それだけだ。
「どっか行け。この強欲野郎!」
「お前だって人のこと言える立場じゃねえだろ」
「うるせえっ!」
「っとお! あばよ!」
握っていたグラスを投げつけられそうになったヒュウは速足に店を飛び出す。
「とは言ってみたもののか……」
これまで何でも屋として開業し食事に困らなかったのはレインからの斡旋による依頼の報酬が大きかった。
何でも屋と名乗るからには、部屋の掃除から近所への買い物。はては違法なことまでこなしていたが、報酬額が満足できるものなどどれも違法な仕事ばかりだ。
その窓口であるレインがあの様子では頼ることも出来ない
「一時的とは言え真面目に働かないとこりゃ食う物にも困るな」
街の大通りは喧騒で包まれている。
商店からの誘うような声や、人々の四方山話で城下町の活気が嫌と言うほどヒュウにも伝わってくる。
「こういう連中に俺も混じって働く……」
エプロンを着け店先で笑顔を浮かべて花を売る自分の姿を想像すると、ヒュウは背筋に寒気を覚える。
一夜を過ごすための金をその日に稼ぎ、毎日がそれの繰り返し。考えるだけで気分が悪くなるヒュウは頭を大きく左右に振る。
「いや。俺にはこいつがある!」
内ポケットからレイ・カードを取り出したヒュウはそれを見つめた。
「こいつさえあればなんだって……それこそ強盗だって──」
「あなたヒュウ=ロイマンね。何でも屋の」
「ん?」
後ろから呼びかけられる声につられるかのようにヒュウが振り向くと長身の女性がいた。
「こいつはまた……」
深いスリットが入った真紅のドレス。
大きく晒した胸元はヒュウだけでなく行き交う男たちの視線を釘付けとするに足る十分過ぎる大きさものだ。
赤髪の女はゆっくりと距離を詰めヒュウに体を寄せる。思わず鼻の下が伸びるヒュウは
女の胸元を凝視する。
「あなたにどうしても頼みたいことがあるの」
艶めかしく言葉を吐く唇と胸の感触にヒュウは生唾を呑み込む。
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