第30話 アナの夢 そして再会

――私の前に誰かが立つ。……女だろうか? 眩しくてはっきりとは見えない……。でも、あれはおそらく女だ。何となく雰囲気で分かる……若い女だ。

 それにしても、この眩しさは何だ? ……恒星の姿は見えない。それなのに女は眩しいくらいの光を浴びている。そんな馬鹿な事があるだろうか? ……そうか、こう考えれば不思議はない、女自体が光っているのだ。女は陽の光を浴びているのではない。女の身体から光が生まれているのだ。

「お前は一体、何者だ?」

 私は女に尋ねた。

 女は返事もせず、その場に立ったまま微動だにしない。じっと私の様子を窺っている。

 一体、この女は何者だ? それに私はなぜこの場所にいるのだろうか? 

 光に眼が慣れてきた。周囲の様子も見えてきた。ここは一体どこなのだろうか? 光を浴びた白い砂や石が足下に広がる。見えるのはそれだけ。それ以外は漆黒の闇。……ここは大気のない星だろうか? ……何で私はこんな場所に来てしまったのだろうか?

 ん? 私の右手が何かを掴んでいる。……丸く、全体が毛で覆われている。そしてこの丸い物体も、女ほどではないが白く輝いている。

 これは子供の頭だ。私は子供の髪の毛を掴んでいる様だ。光が眩しくてはっきりとは見えないが、雰囲気からして年端の行かぬ男児だろう。

 男児はひどく震えている。男児は私達の前に立つ女に対し、無言で何かを訴えている。……女に助けを求めている様だ。

 女も男児を助けたいと思っている様だ。でも恐怖で身体が動かないらしい。

 女と男児は親子なのだろう。二人の間に流れる空気がそう語っている。親子は絶望的な恐怖の中にいるらしい。そして、その恐怖を親子に感じさせているのは、どうやら私の存在らしい。親子は私に怯えている。親子の命運を私は握っているらしい。

 なぜだろうか? 私は胸が躍るくらい愉快な気分になってきた。なぜ私は男児を拘束しているのか分からないが、親子が怯える姿を見たら愉しくて仕方なくなってきた。

 私は声を上げて笑った。男児の身体がびくりと動いた。すると私の心の中に残忍な感情が芽生えてきた。

 私の心の奥底に暗闇がある。その暗闇に、ギラギラと光った黄色い二つの眼が見える。……その眼は獣の眼だ。情け容赦ない残虐な獣の眼……。この獣は私だ。この残虐な獣が私の正体だ。これが本当の私だ。私の……本当の存在……。

 突然、私の左手が高々と掲げられた。……私の意志とは無関係に左手は動く。……一体どうしたと言うのだろう? すると私の左手は男児に向かって振り下ろされた。――白く輝く女が叫ぶ。……何? 何があったと言うのだ? すると私の右手が重くなり、足下で何かが倒れた。……見ると、白く光っていた男児の体から、赤い血の様な液体が噴き出している。……何だこれは? 私の左足が男児の体を蹴り上げた。……動かない。きっと死んでいるのだろう。

 再び愉快な気分がやってきた! ……あぁ、何て愉しいのだろうか! 私の心の奥底にいる野蛮な獣も、吠える様に喜んでいる!

 ん? 男児の死体には頭がない。……どこに行った? 

 私は重くなった右手を見た。……私の右手、白く輝く男児の頭を掴んでいる。私は首から下のない男児の頭を掴んでいる。 

 首から下は足下に転がり、白い砂を真っ赤な血で染めている。私の左手も真っ赤な血に染まっている。……私の左手は男児の首を刎ねたのだ。

 私はゲラゲラと笑いだした! 可笑しくてたまらない! 見ろ、この男児の顔を! 恐怖に歪んだ男児の顔を! こいつは死んでも怯えたままだ!

 女が泣き叫びながら逃げ出した。女の身体から光が乱れ飛ぶ。……何て愉快なのだろうか! 最高だ! 

 私は女を追いかけて後ろから蹴り飛ばした。――倒れる女。私は女を仰向けにして馬乗りになった。女の顔が恐怖に引き攣る。……これだ、これが欲しいのだ! この顔だ!

 私は左手を高々と掲げた。……左手が勝手に動いている訳ではない、私の意志で動かしている! 女の命を奪う為に私自身が動かしている! 

 私は勢い良く左手を振り下ろした。すると女の腹が縦に割れ、赤く輝いた血が噴き出す! 私の視界は赤一色!

 女は、ぴくりともしなくなった。死んだのだろう。……面白い! 最高に面白い! 苦しむ姿がこんなにも愉しいとは! 心の奥底の獣も牙を剥き出しにして喜んでいる。 

 私は女の割れた腹を左手で左右にこじ開けた。そして右手に持っていた男児の頭を一瞥すると、女の腹の中に男児の頭を突っ込んだ――


――明るい。……とっても明るくて暑い。青空……白い雲……ここはどこ? 月面の様な場所ではないの? 腹を裂かれた女の人は? 首を刎ねられた男の子は?

――夢か! そうか夢だ、さっきの出来事は夢だ! ……またいつもの夢だ。いつもの夢の一部だ! 白く輝く人達を何人も何人も惨殺するいつもの夢……おぞましい! 

 でも、今の夢はいつもの内容と少し違っていた。いつもは体が勝手に動き、嫌々ながら相手を殺してしまう。私が泣き叫ぼうが関係ない、体が勝手に相手を殺す。でも、今の夢、私は自ら喜んで白く輝く二人を殺していた。こんな夢は初めてだ……。

――ところでここはどこ? ……バスのロータリーにイトーヨークドー……。――ここは南大川駅だ! ……どうして? 私は南大川駅で眠っていたの? 

 空は青く入道雲が浮かんでいる。……季節は夏? 私のセーラー服も夏服だ。

――そうだ、私はタイムスリップしたのだ! この場所にタイムスリップして来たのだ! シンはどこ? シンはいない? 

「あ!」

 後ろを振り返った私は思わず声を上げた。

 遊歩道の先、地上から数メートルの場所、そこには、あの巨大な黒い空間が浮かんでいた。黒い空間があの時と同じ様に、帝都大やアウトレット南大川の一部を飲み込んだまま空に浮かんでいる。

 黒い空間が再び私の前に現れた。あの黒い空間の中には――ルカがいる筈!

 南大川駅の周囲には誰一人いない。……あの時と同じだ。私はルカが消えた二〇〇六年七月二十二日にタイムスリップしてしまったのだろうか? 

 いや、それはおかしい。今のこの世界に黒い空間は一切現れない。だから二〇〇六年七月二十二日の南大川駅にタイムスリップしたとしても、そこに黒い空間が現れる訳がない。黒い空間が南大川駅に現れたのは今の世界ではなく、前の世界での話しだ。でも、季節も駅の周囲に人がいないのもあの時と全く同じ。……もしかして、私は時間や空間を移動しただけではない、別の「並行世界」に移動してしまったのかもしれない。 

 タイムスリップではなく「パラレルワールドスリップ」? ……そんな言葉があるのか知らないけれど、私はパラレルワールドスリップしてしまったのかもしれない。

――それにしても暑い! 肌がじりじりと焼ける様だ! 私は気温を感じない体なのに……。私の体が何だかおかしい。

 すると、南大川駅前の柱の陰からふらふらと人が歩いて来た。背広姿、緩めたネクタイ――シンだ! さっきまで部屋のベッドで眠っていた、あのシンだ。靴は履いてなく靴下のままだ。良かった……のかどうか分からないけれどシンも一緒だ。私達は二人揃ってパラレルワールドスリップしたのだ。

 でも、おかしい、さっきまでシンは私の視界に入っていなかった。別の空間にいた。視界にシンが入る位置じゃないと私は存在出来ないのに。私の存在が普通の人間みたいになっている! 暑さも感じるし、シンの傍に瞬間移動もしない!

「ここは一体どこだ? 南大川駅?」

 シンは辺りをキョロキョロと見回している。もしかして、シンに私の姿が見えるかな?

 私はシンの前に立った。……でも、シンは私に気付かない。シンに私の姿は見えないらしい。

 シンは空に浮かぶ黒い空間に気付いた様だ。空を見上げたまま口を開けている。

「何だあれ……何だあれは? ……一体どうして?」

 シンはその場に座り込んでしまった。

 私はシンの横に立ち黒い空間を見上げた。――さぁ神よ、私にこれから何をしろと言うの? 試される時が来たってあなたは言ったわよね? 私の変化を見る――


「君、あの黒いやつは一体何?」


――え? シンが何か言っている。誰かに話しかけている様だ。他にも誰かがいるの? 

 私はシンの顔を見下ろした。シンが私の顔を見上げている……様な気がする。見ている訳ないか……。シンには私の姿は――

「ねぇ、君はこの辺りの学校? ここは南大川駅だよね?」

 私は思わず叫び声を上げてしまった。――見えていたのだ、シンに私の姿が見えていたのだ! 私は驚きのあまりヘナヘナと座りこんでしまった。

「あ、ごめん。びっくりしたよね」

 シンは立ち上がると私に向かって手を差し伸べた。

 私は恐る恐る手を伸ばした。するとシンは私の手を掴み引っ張った。――シンに触る事が出来る!

「あ……ありがとう」

 私は立ち上がるとシンに向かってお礼を言ってみた。……私の声が聞こえるかしら?

「こっちこそ悪かったね。驚かせてしまってごめん」

 シンは私に向かって頭を下げた。――シンに私の声が聞こえる!

「……俺は自分の部屋で寝ていたのに……いきなり周囲がぐるぐる回って……」

 シンは黒い空間を見上げるとぶつぶつと独り言を呟きだした。

 シンに私の姿が見える様になった。声も聞こえるし触る事も出来る。三千年ぶりだ……。これから確実に何かが起きる!

 すると突然、路面に何かが叩きつけられた。何やら白いものがもぞもぞと動いている。

「うぅ……痛い。これは参ったね」

 白いものが喋った! ……どこかで聞いた事があるオジサンみたいな声。

 白いものは二本の足で立ち上がった。

 人間の子供くらいの背丈をした太った猫……。白い布をまとった白い猫……。

 すると、もう一つ路面に転がっていた白いものも立ちあがった。

「……あれれ、私達は一体どうしてしまったのでしょう?」

 この白いものも喋った。若い男性の様な声。そしてこの細い体……。

「ここはどこなのでしょうか? もしかして地球という惑星ではないでしょうか、モノノリ先生?」

――やっぱりだ、モノノリとアオノリだ! モノノリとアオノリが三千年振りに私の前に現れた!

「……誰だ……お前達は?」

 モノノリとアオノリに気付いたシンが恐る恐る尋ねた。

 そうか、シンはモノノリとアオノリを知らないのだ。私達がいた世界にはモノノリとアオノリは存在していない。

「私の名前はモノノリ。コタッツ銀河のマルクナール星に住んでいる」

 モノノリは眼を細めると、シンに向かって「ニッ」と口角を上げて見せた。

 モノノリもシンの事は知らない様だ。……と言う事は、この世界ではコタッツ銀河のブラックホールに異変は起きていないのだろうか?

「……お前達は誰だ? あの空に浮かんだ黒い大きなやつもお前達の仕業か!」

 シンは黒い空間を指差した。アオノリが黒い空間を見上げた。

「……あれは一体何でしょうか? ここは地球ではないのでしょうか? この生命体達はどう見ても地球人の姿なのですが……」

 アオノリは不思議そうな顔をしてモノノリを見ている。

「モノノリ先生、それになぜ私達はこの地球人らしき生命体と会話が出来るのでしょうか? 今、翻訳機能は作動していないのに……」

 アオノリは首を傾げた。モノノリも首を傾げた。

 翻訳機能――何かその言葉を聞いた事があるけれどよく覚えていない。

 とにかく、黒い空間の事を誰も知らないのだ。黒い空間だけじゃない、皆、お互いの事を知らない。私達は全くの他人同士なのだ。

「君は女性だね?」

 モノノリが私に尋ねてきた。

「あなたは、あの黒い大きなものが何か知っていますか? いや、恥ずかしながら私達はここがどの星だか分からないし、なぜこの星にいるのかも分からないのだ」

 モノノリは私の顔を見て「ニッ」と口角を上げて笑った。

 シンとアオノリが私の顔を見つめる。

「知っているよ。私はあの黒い空間を知っている――」

 そこまで話すと私は俯いてしまった。

――私に出来た初めての仲間達。三千年ぶりに再会したのに……皆、何も覚えていない!

 私は段々腹が立ってきた。

「皆、馬鹿なんだから!」

 私は顔を上げて怒鳴った。

「あれは体内ブラックホールが作り出した黒い空間よ! コタッツ銀河のブラックホールの一部がシンの体内に移動したのを忘れた? モノノリとアオノリがそれを教えてくれたのよ? ……皆、ルカの事も忘れてしまったの?」

 私は悲しいというより、悔しくて涙を流した。

 するとシンが後ずさりしだした。

「……どうして、君は俺の名前を知っているの?」

 アオノリはモノノリの後ろに隠れて私の事を覗いている。

「なぜ、私の名前を知っているのですか? 確かに私の名前はアオノリです。でも、私はまだ名前を名乗っていない筈。それなのに一体どうして?」

 すると突然、黒い空間が赤く瞬いた。同時にシン達は頭を押さえたまま呻き声を上げて苦しみ始めた。

「皆、どうしたの? 大丈夫!」

 私はシン達に声をかけたけれど、シン達はそのままバタバタと倒れてしまった。

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