第22話 意志の力
――狭い路地。路地の左右にはネオンに彩られた雑居ビルが並ぶ。サラリーマン達が赤い顔をして楽しそうに歩いている……。見覚えのある繁華街だ……。そうだ、ここは七王子駅北口の繁華街、一度来た場所だ! 私は再びこの繁華街にタイムスリップしたみたいだ!
右隣りを見るとルカが立っている。ルカは首を伸ばして路地の先の方を見ている。
「……バスのロータリー、それに帝王プラザホテル……。北口……七王子駅の」
ルカはブツブツと独り言を呟いている。
「あ」
私の存在に気付いたルカは短い声を上げた。
「……ルカ、大丈夫か?」
「……シン君、私……」
「あぁ、どうした?」
私はルカの言葉を待った。でもルカは言葉を発する事なく、両目をぐるりと回転させただけだった。ルカは路地の先の方へ視線を戻すと、再びブツブツと独り言を呟きだした。
……あぁ、明らかにルカの様子はおかしくなってしまっている。……無理もない、父が人を殺す場面や自分の家が燃え盛る場面を見てしまったのだ、精神が崩壊していないだけマシなのかもしれない。
「ルカ……何て言ったらいいのか、その……」
私は気の利いた言葉をかけてルカを慰めようとした。でも呆けた様なルカの横顔を見た私は口をつぐんでしまった。今、ルカの心を癒す言葉なんてこの世には存在しないだろう。
「あははははは!」
ルカが笑い始めた。ルカは「なるほど!」「そういう事ね!」等と騒ぎながら、両手の拳を握ってガッツポーズまでし始めた。
私は全身に鳥肌が立った。やっぱりルカの精神は崩壊してしまっている! このままでは駄目だ! 何とかしてルカをこっちの世界に連れ戻さないと!
私はルカの両肩を正面から掴み強く揺すった。
「ルカ、しっかりしろ! 負けちゃ駄目だ!」
でもルカは私の言葉に反応する事なく、笑みを浮かべたまま身体を揺さぶられるままにしている。
「ルカ……」
私はルカの両肩に手を置いたままうな垂れた。
……駄目だ。ルカの心は固く閉ざされてしまっている。私にはどうする事も出来ない。あんなにキレイで明るかったルカが、まるで別人の様に変わり果ててしまった。私はこれからどうすれば良いのだろうか? こんな風になってしまったルカと一緒に、体内ブラックホールを除去する事など出来るのだろうか?
私の眼から涙が落ちた。すると私の頭を何かが撫でた。私は顔を上げた。
「シン君、大丈夫よ」
ルカは私の頭を撫でたままニヤリと笑った。
私は思わずルカから飛び退いた。一体どうしたというのだろう? ルカは不敵な表情をして笑っている
「……シン君、私達がこの場所に戻って来た理由が分かったわ」
ルカはそう言うと天を仰いだ。
「……きっとそう。あの人が……あの声の人が、再び私達をこの場所に連れて来てくれたのよ!」
ルカは天を仰いだまま両手を上げると大きな声で笑いだした。やっぱりルカの心はおかしくなってしまったのだろうか? 私は何だか恐ろしくなってきた。
ルカは両手を勢い良く下げると、ギラリと私の眼を見据えた。
「シン君にも声が聞こえたよね? 『協力しなさい。世界を変えてはならぬ』って声が」
「あ……あぁ、うん。き、聞こえた」
「……あの声が誰の声なのかは分からない。でも、この場所に戻って来た事と併せて考えると、言葉の意味だけは分かる様な気がするの」
ルカは顔を伏せ一度「うん」と頷くと、再び鋭い眼光で私の眼を見据えた
七王子駅の繁華街へのタイムスリップは、あの声の意図、神様の意図だとルカは思っているらしい。確かに再び七王子駅の繁華街へタイムスリップしたのは、私も神様の意図だと感じる。でも私にはその理由が分からない。……一体、神様にはどんな意図があるって言うのだろう?
「多分、そろそろね」
ルカは呟いた。そしてくるりと身体を反転させると、駅とは反対方向に身体を向けた。
「ほら!」
ルカは右手で前方を指差した。
「やっぱりそうだ、私の思った通りだ!」
ルカは左手でお腹を押さえるとゲラゲラと笑いだした。
「さっきから一体、何を言っている! 一体、何が面白い!」
私は気味が悪くなり、たまらずルカに向かって叫んだ。
ルカは笑うのを止めて背筋を正した。ルカは私の方を向き、私の眼をじっと見つめた。
「シン君、私の指す方を見てみて」
「え?」
私はルカに促されルカの指す方、七王子駅とは反対方向になる路地の先の方に眼を遣った。すると大学生風の若者の集団が歩いて来るのが見えた。――あの時と同じだ。あの時も若者達が私達に向かって歩いて来た! ……だとすると、前にこの繁華街へタイムスリップした時の時刻と、今現在の繁華街の時刻は同じになるという事? ……これは一体どういう事なのだろうか? ……あぁ、おそらく私は答えを掴みかけている!
「シン君、今度はきっと大丈夫よ。今度は前とは違う筈」
ルカは私に笑顔を向けると、若者達に向かって歩きだした。
「おい、ルカ……」
……いや、歩いても仕方ないって。だって二メートルも進むと、ルカは私の隣に瞬間移動――あれ? ルカは瞬間移動しない! ずんずん向こうに歩いて行く!
ルカは若者の集団の前に立った。
「こんばんは! 皆さん楽しそうね!」
ルカは若者達に声をかけた。前回、若者達には私達の姿は見えなかったし声だって聞こえなかった。でも今回は違うの……?
「おぉ、めっちゃカワイイ!」
赤い顔をした茶髪の男の人がルカを見て眼を輝かせている。――ルカの姿が見えるのだ! ルカの声も聞こえている! 「カワイイ!」「大学生?」等と言って他の男の人達もルカの周りに集まって来た。すると女の人達が、「こら、男子!」「私達じゃ不満?」等と言って男の人達を引っ張った。若者達は私の方へ向かって歩いて来た。
「……まさか、私の姿も見えるのかな?」
すると若者達は、道の真ん中に立っている私の事を避けて歩いて行く。――私の姿も見えているのだ!
「……あれ? もしかして君はあのカワイイ子の彼氏?」
集団のしんがりを務めていた男の人が、笑いながら私に声をかけてきた。私は何て答えたら良いのか分からなかったので黙って頷いた。すると男の人は、「イエーイ」と言いながら手の平を私に向けてきた。……ハイタッチを求めているの? 私はあたふたとしながら男の人の手の平をバシッと叩いた。
「いやぁ、羨ましいなぁ。彼女を大事にね!」
男の人はそう言うと七王子駅方面に向かう仲間の方へ走って行った。
――私の姿も人に見える! それだけじゃない、私は人の体に触れられる!
私は思い切ってルカに向かって走ってみた。――二メートル進んでも元の場所に戻らない!
ルカの言う通りだ、「今度は大丈夫」。私達に二メートルの制約はない。他人に私達の姿は見えるし声も聞こえる。……なるほど、答えが見えてきた。神様の声、それにこの七王子駅の繁華街――
「ルカ、俺にもやっとわかったぞ!」
私は走りながらルカに向かって叫んだ。
「俺達が再びこの繁華街にやって来たのは、お父さんと桜木が出会わない様にする為だね!」
私はルカの眼の前で足を止めた。
「桜木と出会わなければお父さんはオカシクならずに済む。そうすれば家に火を放つ事もないし、ルカもサヤもお母さんも死ぬ事はない!」
ルカは力強い眼差しで頷いた。
「うん。……シン君、私達がこの場所に戻って来た理由はそういう事だと思う」
ルカは私の眼を見つめたまま微笑んだ。
「……神様の意図、そういう事か!」
私はルカと同じ様に両手の拳を握ってガッツポーズをした。――見たか、体内ブラックホール! お前の作戦は狂ってしまった様だ! 私達には神様が付いている! タケシと桜木のトラブル、タケシによる殺人、家族全員の死……。皆、全て体内ブラックホール、お前の手によって仕組まれた出来事。でもそんなものは私達が全て防いでやる! もうお前に栄養なんて与えない!
突然、ルカの眼付が鋭くなった。前方を睨みつけたまま凄まじい殺気を醸し出している。……こんなルカの姿を今までに見た事がない。
「……ルカ? ど、どうしたの?」
私はおそるおそるルカに声をかけた。
「……桜木だ」
ルカは一言呟いた。
私はびくりと身体を震わせ、ルカの視線の先を追った。
路地の端で立ち止まり、ライターでタバコに火を点けようとしている男がいる。スキンヘッド、黒革のロングコート――桜木だ! 再びあいつが現れた! あいつはまだタケシとは遭遇していない筈! 手を打つなら今しかない!
心臓の鼓動が激しくなり体が震えてきた。
「ルカ、どうする?」
「シン君はここにいて、私が一人でやるから」
ルカは桜木を睨みつけたまま呟くと、その場から歩き始めた。
「お、おい……。やるって……」
ルカは桜木に向かって一直線に歩いて行く。
私はその場に立ち止まりルカの動きを見守った。――いや、違う……見守るなんて言い方は本当ではない。私は怖くてその場から動けなくなってしまった。
ルカは桜木の真正面で足を止めた。ルカの背中からは殺気が漂っている。
「何だ、姉ちゃん?」
桜木はタバコに火を点けようとしたままルカに視線を向けた。
「見て、あれ」
ルカは桜木の左脇を指差した。桜木は「あ?」と言ってそちらを見た。するとルカは右足で桜木の股間を思い切り蹴りあげた! 桜木は呻き声を上げて膝から崩れた。タバコもライターも手から落ちる。
「てめぇ……何しやがる!」
桜木は両手で股間を押さえながら、苦しそうな表情でルカを見上げている。
「お父さんのカタキ! 家族全員のカタキよ!」
ルカは右手を振りかぶり桜木の頬を平手打ちした。乾いた音が周囲に響く。すごい根性だ、一人で桜木に勝負を挑んだ!
「この野郎! 頭がオカシイのか?」
桜木はふらつきながら立ち上がるとルカの胸倉を掴んだ。
「離して!」
ルカと桜木が揉み合う! 助けないと……でも、怖くて体が動かない! どうしたのアナ!
桜木はルカの髪の毛を掴むと地面に叩きつけ、尖ったブーツの先端でルカのお腹を蹴飛ばした。ルカは倒れたまま身をよじった。ヒューヒューとした呼吸をして苦しそうだ。路地を歩く人達も足を止めてルカの様子を眺めている。でも、桜木が怖いのか誰もルカを助けようとしない。……私も駄目だ、体が固まって動かない! ……ルカ、ごめん。私は駄目だ。何も出来ない! あんなスキンヘッドの怖いヤツに私は向かっていけない!
「アナ! アナ!」
突然、空から私を呼ぶ声が聞こえてきた。――女の子の声。でも、姿は見えない。女の子の声はルカや桜木を始め、路地にいる他の人達にも聞こえていない様子。女の子の声は私にだけしか聞こえていない。
「アナ、俺だよ。……シンだよ!」
再び女の子の声が聞こえた。
……シン? 今、シンって言ったよね? 女の子は確かにシンって言った!
「……あなたはシンなの?」
「そうだよ、シンだよ! やっと君の事をみつけたぞ!」
「……何を言っているの? 下手な嘘をつかないで。そもそも声が全く違うじゃない」
私は周囲の人に怪しまれたくないのでいったん口をつぐんだ。
ルカと桜木は揉み合ったままだ。ルカは必死に桜木に組みつき引こうとしない。……私も桜木に向かって行かないと! 早くしないとルカがどうなってしまうか分からない!
「アナ、聞いてくれ!」
女の子が私に訴えかける。私は手で口元を隠しながら叫んだ。
「あなたの話しなんて聞いている場合じゃないの! どこかへ消えて!」
「俺の話しを聞いてくれ、説明させてくれ!」
女の子は語気を強めた。
「俺はアナとはぐれた後、時間と空間の狭間を漂っていた。すると俺の眼の前にあれが現れた。……あの、時空移動船が俺の眼の前に!」
時空移動船――それは確かモノノリとアオノリが乗っていた宇宙船!
「俺は時空移動船に助けられた! 今も俺は時間と空間の狭間に浮かぶ時空移動船の船内にいる。モノノリとアオノリと一緒に!」
「モノノリとアオノリも一緒に……。まさか……」
なぜだろう? なぜ女の子は時空移動船の事やモノノリ、アオノリの事を知っているのだろう? まさか女の子は本当に――
「でも、今の俺は前とは違った存在になってしまった。俺の姿はアナになってしまった!」
「そんなバカな!」
私は思わず大きな声を上げた。
「だとすると、あなたのその声は私の声なの? 私は自分と喋っているの?」
「そういう事だ! 俺達の身体は入れ替わってしまったみたいだ!」
私は額にじわりと汗をかいた。二人の身体が入れ替わってしまったなんて信じられない。でも、私がシンの体内に入り込んでしまっている事を考えると……。
「信じてくれアナ、俺は本当にシンだよ! 太郎坂で一緒に滝山を追いかけたり、戦場になった七王子駅で一緒に黒い生き物から逃げたりしたシンだ! 俺達はやっと君の事を見つけたんだよ!」
滝山、黒い生き物……。この言葉を知っているという事は、本当にこの女の子は――
「協力しなさい。世界を変えてはならぬ」
神様の声が聞こえた! 私の脳内に直接声が届いた!
「……今の神様の声、あなたにも聞こえた?」
「……え、何が? 何も聞こえなかったけれど」
女の子には神様の声が聞こえていない様だ。私の周囲の人達にも神様の声は聞こえていない様子。神様は私だけに声をかけた様だ。……なぜだろう? なぜこのタイミングで神様は私に……。
――この女の子は本当にシンなのだ! 神様はそれを私に伝えようとしている、きっとそうだ!
「シン、分かった! もう大丈夫、私はあなたを信じる!」
私は空に向かって小声で叫んだ。
「……そうか、良かった」
女の子は――シンは安堵した様に呟いた。
「そうだアナ、俺の姿は今……いや、アナの姿は今、モノノリやアオノリの眼にも見える様になっているぞ!」
シンの声が明るく弾んだ。
「私の姿が……モノノリとアオノリにも見えるの?」
「その通り、君の姿は二人にも見える様になっているよ!」
私の胸に熱いものがこみ上げてきた。透明人間だった私の姿がモノノリとアオノリにも見える様になったなんて――
「いい加減に謝れ、このクソガキ!」
誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。――桜木だ! そうだった、私は今、修羅場に身を置いているのだった!
桜木がルカの髪の毛を掴み頬に平手打ちをしている。
「アナ、ルカを助けてくれ! ルカが危ない!」
女の子が――シンが叫んだ。
桜木は怒鳴り声を上げながらルカの頬に平手打ちを繰り返す。でもルカは悲鳴も上げずに桜木を睨みつけている。
「アナ、早くルカを!」
そうだルカを早く助けないと! ……早く。――でも身体が動かない! 駄目だ、全く身体が言う事を聞かない!
「……シン、ごめんなさい」
私は両手で顔を覆った。
「私にはルカが助けられない! 怖くて体が動かないの!」
私はめそめそと泣きだした。……情けない。私は駄目なヤツだ。もうこのまま死んでしまいたい。
「アナさんなら出来る! 勇気を出しなさい」
――モノノリの声だ! モノノリの声が空から聞こえる!
「モノノリ、あなたがここに来てルカを助けてあげて!」
私は天を仰ぎながら叫んだ。
「残念ながらそれは出来ない」
モノノリの冷静な声が聞こえた。
「許してくれアナさん。時間と空間が激しく乱れていて……時空移動船の舵を取るだけで精一杯なのだ……」
モノノリはそれっきり黙ってしまった。
「ほらほら、いい加減に謝ったらどうだ!」
桜木の笑い声が聞こえてきた。
ルカは桜木にお腹を殴られたのか身体を折り曲げて呻いている。桜木はニヤニヤと笑ってルカを見下ろしている。
「このケダモノ!」
私は桜木に向かって走って行こうとした。……でも駄目だ! 足が動かない!
「出来ない! ごめんなさい、私には出来ない!」
私は道路にしゃがみこんで泣き喚いた。……どうにもならない、身体が全く動かない。 どうしたらいいの、私は一体どうしたらいいの――
「アナ、よく聞いてくれ」
私はハッとして顔を上げた。
シンの声が聞こえる! 私の――アナの声ではない、シンの声が聞こえる! 今まで聞いてきたシンの声だ! 二十五歳のシンの顔が頭に浮かぶ。
「勇気を出せアナ、君しかルカを助けられない。アナ、思い出せ。凄いジャンプをして黒い生き物から俺を助けた事、時間と空間が入り乱れた世界で離れ離れになりそうになった時、高速移動をして俺を掴まえた事……。アナには特別な力がある! アナには出来る、ルカを助けてくれ! 桜木とルカのお父さんが出会わない様にしてくれ! そして世界を救ってくれ!」
私の眼から涙が溢れてきた。
「アナ! ルカを……ぜ、再び……こんなチャンス……アナ……」
シンの声が壊れたラジオの様に乱れた。
「シン、何? 聞き取れない!」
でも、それっきりシンの声は聞こえなくなってしまった。
私は天を仰いだ。
――私は今、生身の人間。特別な力なんて何もない。でも、シンは生身の人間のままルカを助けた。ルカが七王子駅で不良に絡まれていた時、シンは飛び蹴りをしてルカを助けた。あの時のシンに特別な力なんて何もない。ただ勇気を振り絞っただけ。……だとしたら私も、私も……。
ルカの悲鳴が聞こえた。
桜木がルカの後ろ側から腕を捻じり上げている。
「這いつくばれ!」
桜木はルカのお尻を蹴飛ばした。ルカは路上にうつ伏せに倒れた。。
「こりゃ、ケッサクだ!」
桜木はしゃがみこむと、ルカのお尻をイヤらしく撫でた。
ルカは両手を路面に着いて顔を上げた。ルカの表情が正面に見える。――ルカの眼は死んでいない。何度でも立ち上がりそうな眼をしている。何発も殴られてボロボロになっても、恥ずかしめを受けても戦う気持ちを持っている。……強く、揺るぎない気持ち。
「意志だ」
私は呟いた。
私も意志を持つのだ、何事も恐れない強い意志を。シンだったら迷わず桜木に向かって行く筈。ルカも桜木に向かって行った。だったら次は私の番だ! さあ、桜木をやっつけろ!
私は立ち上がると桜木に向かって全力で走りだした!
「うおおおおおお!」
体の奥から強烈な力が湧いてくる! ぐんぐんスピードが上がっていく!
「桜木いいいい!」
私はあらん限りの声を上げた。桜木は立ち上がると眼を丸くして私を見た。
「シン君!」
ルカが私の姿に気付き叫んだ。
「伏せろ!」
私はルカに向かって叫んだ。ルカは咄嗟に身を伏せた。
「うおおおおおお!」
私はルカの手前で大きくジャンプをした。――ルカの身体が真下に見える。時間の流れが変化したのか全てがスローモーションの様に眼に映る。
私は空中を移動しながら桜木に向かって右足を突き出した。
「ちょ! 待て――」
桜木は眼をつむり両手で顔を守る
私は桜木の両手の間に右足をねじ込んだ。でも、桜木の抵抗する力が強くて右足が前に進んでいかない! すると突然、私の右足が鉛の様に重くなり青い光を放った! ……桜木の両手が左右に弾かれる!
「行けええええ!」
私は鉛の様に重くなった右足で桜木の顔面を踏みつけた。足の裏にズシリとした感触が広がり、何かが折れた様な乾いた音がした。
桜木は凄い勢いで路地の端に吹き飛んだ。――時間の流れが元に戻った!
私はバランスを崩しながらも何とか路面に着地した。私はしゃがんだまま勢い良く顔を上げた。
数メートル前方、桜木が仰向けになって倒れていた。
「ルカ!」
私はルカに駆け寄った。私は路面に膝を着くとルカの上半身を抱き起こした。
「シン君……」
ルカは腫れた眼に涙を溜めて私を見上げた。……痛々しい。シャツも汚れていて所々破れている。まさにボロ雑巾だ。――でも、世界一美しいボロ雑巾だ。ルカはこんなにまでなってもタケシを、父を守りたかったのだ。私の体の奥から熱いものがこみ上げて来た。
「さぁ、行こう。もう大丈夫だ」
私はルカの背中と両膝の下にそれぞれ腕を入れるとルカを抱えて立ち上がった。私はルカを抱えたまま七王子駅とは反対方向へ歩きだした。……人目につかない所で、この勇者の手当てをしよう。
私は夜空を見上げた。オリオン座やおうし座、冬の大三角が煌めいている。
「勝ったぞ」
私は声に出して呟いた。
私は勇気を出してルカを助けた。でも、これは全てシンのおかげだ。彼が私を励ましてくれなかったら私は絶対にルカを助けられなかった。
すると路地で私達と桜木の諍いを見ていた野次馬達が歓声を上げた。ドイツ軍を蹴散らしてパリに入城した連合軍を迎えるフランス市民の様だ。皆が歓声を上げて迎えてくれる。いつの間にか、さっきの若者の集団も野次馬達に混じり歓声を上げている。
「……シン君、まるでヒーローね」
ルカは私の首に腕を回してクスッと笑った。そして――ルカは私の唇にキスをした。
私の体は全身熱を帯びた。唇って何て柔らかいのだろう。とろけてしまいそうなくらい心地いい。私は生まれて初めてキスをした。
再び周りから歓声が湧きあがった。私はさすがに恥ずかしくて俯いてしまった。
「シン君、桜木は……死んではいないよね?」
ルカは不安そうな表情を私に向けた。私は振り返って桜木を見た。桜木は鼻を押さえながら地面の上で身をよじっている。
「体を動かしているし大丈夫だ。暫く鼻をかめそうにないけれど」
ルカは可笑しくなったのか声を上げて笑った。私も声を上げて笑った。
私は野次馬達に眼を向けた。すると、見た事のある男の人の姿が見えた。――タケシだ! 髪の毛はボサボサではないし涎も垂れていない。楽しそうに拍手をしている。タケシは私の抱えている女の子が自分の娘だと気付いていない様子。
「ルカ、お父さんだ」
私は野次馬達の方に向かって顎をしゃくった。
「……本当だ、お父さんだ。……いつものお父さんだ」
ルカもタケシに気付いた様子。ルカは笑いながら声を詰まらせた。
するとタケシは仲間らしき人達と一緒に歓声を上げた。仲間達……部下の丸山や中川、内川だ。三人もタケシと一緒に歓声を上げている。
良かったねタケシ、これであなたは苦しまずに済む。桜木も家族も殺さずに済む。
私とタケシの眼が合った。私はタケシに向かって微笑んだ。
タケシは右手を高く伸ばすと、親指を上に向け二コリと微笑んだ――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます