ルカとの別れ

第23話 ルカの想い

――眩しい! 何だ、一体? 眼がくらむ。

 私は薄目を開けて天を仰いだ。青空に白い雲――どうやら今は昼間だ! 日差しが暑い、立っているだけで汗が噴き出る。

 ……ここはどこだ? 幅の広い遊歩道、南フランス風の茶色い建物、倒れた自転車。――あれは私の自転車だ! 私がルカと二人乗りをしていた自転車だ! 自転車の周りには二つのバッグが転がっている。ミリタリー調のショルダーバッグとバスケットの様な茶色いバッグ。――あれは私とルカのバッグ。――そうか、ここは南大川駅だ! 私はタイムスリップして南大川駅に戻って来たのだ! 

「シン君!」

 誰かが私の名を呼ぶ。振り返るとルカの姿があった。

 青いボーダー柄の白いシャツ、足首でロールアップしたデニムのパンツ、赤いデッキシューズ、それに首に巻いた赤いバンダナ――紛れもなくルカの姿だ。ルカも元の世界に戻って来られた! ……怪我も何もしていない、服も破れていない、ボロ雑巾ではない!

 私とルカは抱き合った。

「やったなルカ、俺達はやったぞ! これでルカの家族は皆安心だ!」

「うん、シン君のおかげよ。有難う」

 私の体にルカの柔らかい胸がグッと押し付けられる。股間にはルカの太腿が挟みこまれる。危機を脱した安心感もあるのだろう、私は欲情してしまった。

「ルカ」

 私はルカの唇にキスをしようとした。

「……ちょっと、待って!」

 ルカは私の口を手で塞いだ。……一体何だ? 生殺しだ!

「……シン君、何かヘン。何かヘンよ。見て?」

「へ、ヘン?」

 私は自分の股間を見た。……確かにいつもとは違う。

「違う! そうじゃなくて!」

 ルカは赤面して顔を背けた。

 ルカは私の体を両手でグイッと後ろに向けた。私は鼻息を荒くしたまま周囲を眺めた。

 アウトレット南大川、その先にある南大川駅、イト―ヨークドー、そしてバスのロータリー……。何も変わった所はない。

 私は首を傾げながらルカの方へ向き直った。

「一体どうした、建物は前と同じままだよ? そんな事より――」

「イヤ!」

 ルカは抱きつこうとした私の胸を両手で押した。

「建物はいいの! それに抱きつかなくていいの! そうじゃなくて、何で人の姿が一切見えないの? 周りに誰もいないってオカシクない?」

 私はもう一度後ろを見た。……本当だ、周囲には誰の姿も見えない。今日は二〇〇六年七月二十二日土曜日、学生達も既に夏休みに入っている筈。それなのにこんな風に閑散としているのは確かにオカシイ。

「シン君、この南大川駅の感じ……タイムスリップする前の南大川駅とは様子が違うと思わない? あの赤いバイクが通行人を跳ねた事件もなかった事になっているみたいだし……」

 そうだ、あの赤いバイクが遊歩道を走行し多くの通行人を跳ねていた。でも、遊歩道には全くその痕跡がない。

 ルカの言う通り、タイムスリップの前と後では世界が変わってしまったのかもしれない。私達がタケシを助けた事が原因なのだろうか? いや、でも大丈夫だ、体内ブラックホールによって作られた世界を変えてしまっても、大きな問題は起こらない筈。多少の食い違いは起こるだろうけれど、世界が世界自身を上手くまとめて矛盾のない形に仕上げてしまう。……でも、なぜ周囲に誰の姿も見えないのだろう? 何だか……胸騒ぎがする。

 急に空が暗くなってきた。一雨あるかもしれない。

 ルカと眼が合った。ルカは不安そうな表情をして私の眼を見つめている。

「……ルカ、今日はもう帰ろう。家まで送って行くよ」

「ありがとう。そうした方が良さそう」

 私とルカはお互いの眼を見たまま頷くと、どちらともなく私の自転車に向かって走りだした。


 空はさらに暗くなった。ゴロゴロという雷鳴も聞こえてくる。……一雨あるのだろうか? 世界が良くない方向に変わってしまっている気がする。

 私はルカを自転車の荷台に乗せ、ロータリーへ向かって自転車を走らせた。


「……シン君、まるで私の家の場所を知っているみたいだね?」


 ルカが私の背中で呟いた。

「え?」

 ルカは一体、何を言っているのだろうか? ルカは私の後ろにいる為、表情から意図を窺い知る事は出来ない。

「私の家がどこにあるのか知らないのに、シン君は当たり前の様にこっちに向かって走って来た。私の家は確かにこっち方面だけど……」

 ルカはそこまで話すと黙ってしまった。

 私は何も答えられなかった。私は特に何も考えずにルカの家に向かって自転車を走らせていた。でも、それはルカにとっては疑問が生じる行為だ。今は二〇〇六年七月二十二日、私とルカが付き合う事になった日は七月二十一日、たった一日経っただけ。この時点で、シンがルカの家の場所を知っていたらオカシイのだ。

「シン君は私に起きる全てを知っているのね? だから、お父さんが家に火を放つ事も、私が死んでしまう事も全て知っていた……」

 私は何も言えなかった。何をどう答えたらいいのだろうか?

「……もしかして、シン君は私と出会う前から私の事も知っていたの?」

 全身からじわりと汗が滲み出た。私は自転車を停めた。

 その通りだ……私はルカの事をずっと知っている。何度も何度も知っている……。でも、私は全て内緒にしたままルカと付き合っている。それどころか私はそもそもシンではない、アナだ。

 すると、ルカが荷台から下りて私の正面にやって来た。

「違う、違うの。別に怒ったりしているワケじゃないの!」

 ルカは両手で私の手を握った。

「分かっている、シン君は私を助けようとしてくれているって……。なぜかは分からないけど、シン君は私が火事で死んでしまう事を知ってしまった。でも、シン君はその事を誰にも相談出来ず、独りで全てを抱えていた。……そうだよね?」

 ルカは私の眼をじっと見つめた。私もルカの眼をじっと見つめた。でも、私はルカに何の返事もしなかった。

「シン君は私の事が好き?」

 唐突にルカが尋ねた。ルカの眼は真剣だ。ふざけて聞いているワケではなさそう。

「好きだよ。当たり前じゃん」

 私はルカの眼を見つめたまま答えた。

「……だったら、シン君はなぜ私の未来を知っているのか教えてほしい」

 ルカは私の手をさらに強く握った。

 ぽつぽつと雨が降ってきた。雨粒がルカの額に落ちる。でも、ルカは瞬きすらせず私の眼を見つめている。

「私もシン君を助けたいの……」

 ルカは眼を伏せて呟いた。

「私はシン君を一人で苦しませたくないの。私も一緒に苦しみたいの」

 私はルカの言葉に心を打たれた。

 一緒に苦しむ――こんな考え方があるのか。私はそんな考えをした事もなかった。でも、今イチ私にはどういう意味なのか分からない。……苦しい事も二人で背負えば半減すると言いたいのだろうか? それもあるだろう。でも、ルカはそんな生易しい事を言いたいのではなさそうだ。……苦しみはどうにもならないけれど、少なくとも孤独にはさせないという意味だろうか? いや、それも違う……。

 空は更に暗くなり、大きな雨粒が路面に落ちる。路面のあちこちに丸い染みがたくさん出来る。私の頭や腕にもびしゃっと雨粒が当たる。風も出てきた。

「シン君は私の未来だけじゃなくて他にも何かを知っているよね?」

 ルカは顔を上げて私の眼を見た。

「――もっと大きな、もっと深刻な何かを!」

 ルカは怒った様な顔をして私に詰め寄った。

「私にも教えて! シン君が私を守ってくれている様に、私もシン君を守ってあげたいの!  私達二人はずっと一緒! 私はシン君から絶対に離れないから!」

 私は雷に打たれた様な思いがした。……「私も一緒に苦しみたい」というルカの言葉の意味が分かった。ルカは、「私も一緒に死ぬ」と言いたいのだ。この先、私が死ななければならなくなったとしたら、躊躇せず一緒に命を捨てると言いたいのだ。

 雨脚が強くなった。雨粒が体中を打ちつけ、辺り全体が音を立てて白く煙る。遊歩道も駅もビルも全てが白く煙り、ほとんど視界に入らない。

 私はルカの手を離した。私は自転車をその場に倒してしゃがみこんだ。調度いい……この激しい雨が私の姿を隠してくれるだろう……。私は声を上げて泣き出した。

 一度緊張を緩めてしまったら、堰を切った様に後から後から涙が流れてくる。私ははルカの前で泣きたくない。でも、どうしても我慢出来なかった。

 ルカの考え方は間違っていると思う。私と一緒に死んでも仕方ない。でも、私は……私は嬉しくてたまらなかった。私の思いをルカに分かって貰えた様な気がして嬉しかった。 

 ルカにだったら私の全てを話してもいいのかもしれない。私がアナだという事や、体内ブラック――

――突然空が光った! 地を揺るがす様な雷鳴も轟く! 

 私は驚いて立ち上がった。すると私達の足下に、「ゴン!」と大きな音を立てて何かが落ちてきた。

 ……何だこれは? グレープフルーツ程の大きさをした丸い塊が足下に転がる。丸い塊は人の顔の様にも見える。まさかこれって……。

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