第21話 タケシの秘密 混乱するルカ ~体内ブラックホールの攻撃~
――暗闇。何も見えない……。一体、どうしてしまったのだろう? 停電でもしたのだろうか? ――肌を刺す様な冷気、急に空気の質も変わってしまった。……そうか、停電したのではない、私は再びタイムスリップしてしまった様だ。タケシの事務所から、暗くて寒いこの場所へ……。
ここは夜中の屋外だろう、人気がなく電気もない様な寂しい場所。今は真冬なのだろうか? とにかく寒くてたまらない。私は相変わらず半袖に七分丈のズボンといった格好の様だけれど、ダウンジャケットに手袋が欲しい。あと数時間もこのままでいたら、私はきっと凍死してしまうだろう。あまりの寒さに、私の興奮した感情もいつの間にか消えている。全くあの感情は何だったのだろう……消えて良かった。
頭上を見上げると木々の間から満月の姿が見える。満月だけではない、木々の間からはたくさんの星の瞬きも見える。オリオン座、おうし座、冬の大三角……。空気が澄んでいる為か、星は普段見るよりも明るく見える。
私の眼は段々と暗さに慣れてきた。周囲の事物が眼に入る。……この場所は林? それとも山? 私はそんな場所の少し開けた空間に立っている。テニスコート程の空間だろうか? 足下は硬い土の様な感触。……アスファルトではない様だ。
月明かりを頼りに私はその場から歩きだそうとした。すると足下に何かがぶつかった。ぶつかった何かは驚いた様な悲鳴を上げた。
「誰、シン君なの? シン君?」
ルカの声だ、足下からルカの声が聞こえた! ルカは私の足下で寒さに震えていたのだろうか? この場所にタイムスリップしてからルカの存在に全く気付かなかった。
私とルカは暗闇の中で身を寄せ合った。ルカの身体はガタガタと震えている。
「ここは……どこ? お父さんは?」
「暗くて……分からない! でも、俺達のタイムスリップする先に必ずお父さんはいる筈。あの桜木って男と……一緒に!」
――そうだ、桜木! あの男は一体どうなったのだろうか?
「桜木は死んだの? お父さんは……あの男を殺してしまったの?」
「分からない。生きているのか死んでいるのか……。でも、凄い勢いでテーブルに頭をぶつけていたから……もしかしたら……」
私は二の句が継げずに黙ってしまった。
「……あの光は何!」
ルカが大きな声を出して前方を指差した。
ルカの指差した先、開けた空間の向こう側に茂っている真っ黒い木々の間から、ライトの光の様なものがチラチラと見える。
「……お父さんだ」
私はルカの手を握って呟いた。ルカの身体がびくりと震えた。
「ルカ、行ってみよう」
私はルカの手を引っ張った。でも、ルカはその場から動こうとしない。
「嫌……怖いよ……」
「行かなければ駄目だ! 俺とルカはお父さんの行動を見る為にタイムスリップさせられている。最後まで見届けなければ駄目だ! それにお父さんじゃなかったとしても危険はない。どうせ俺達の姿は誰にも見えやしないから」
私はルカの手を強引に引っ張って歩きだした。ルカは黙って付いて来た。
私達は元々いた場所から二メートル以上離れたけれど、今度は元の場所に瞬間移動しない。――「先に進め」という事だろう。人知を超えた何者かの意志を感じずにはいられない。
チラチラと動く光が相変わらず木々の間から見える。「こっちに来い」と呼んでいるのだろうか?
私とルカは身を寄せ合ったまま慎重に歩くと、密集した木々のすぐ眼の前で足を止めた。
すると光が急に消えた。……いや、消えたのではない、チラチラとあちこちを照らすのを止め、任意の一点を照らし始めた様だ。……地面を照らしているのだろうか? 木々の下の方から光が漏れてくる。
「やっぱり怖い、嫌!」
ルカが私の手を振り払った。
「シン君、独りで行って」
ルカはその場から後ずさりし始めた。
「ルカ、戻って来い!」
ルカは首を振りながら後ずさりすると、私から二メートル程離れた場所で消えてしまった。――瞬間、ルカは私のすぐ右側に戻って来てしまった。
「……進むしかないという事?」
わなわなと震えながらルカは呟く。
私はルカの手を握った。
「後戻りは出来ない。進むしかない」
私はルカの手を握ると、枝や草を掻き分けて先に進みだした。
私とルカは手を繋いだまま木々の間を進んだ。開けた空間とは違い、満月の光も中々この場所までは届いて来ない。障害物も多く、寒さの為に身体も動かしづらい。木々の下の方から漏れてくる光はすぐそこなのだけれど、何キロも先の様に感じる。
「シン君、何か音がする……」
ルカが声を潜めて私に言った。私は立ち止り耳をそばだてた。
……暗闇の向こうから地面を掘り返す様な音が聞こえる。眼の前にそびえる太い木の向こう、そこで誰かが土を掘り返している気配がする。――タケシだ。この木を回りこめば、そこにタケシがいる筈。でも、タケシは何をしているのだろうか? 私はルカの手を引いて木の向こう側に向かって歩き始めた。
私達は木の向こう側に回り込んだ。私は身構えながら周囲の様子を窺った。
木々の間に出来た十畳程の開けた空間――。その空間の中央に携帯型のライトが置かれ地面を照らしている。ライトに照らされた地面には、直径一メートル程の大きな穴が空いていて、その脇に誰かが立っている。その穴の脇に立っている人間も、手に持ったライトで穴の中を照らしている。……あの人間がタケシだろうか? でも、タケシはスコップらしき物を持っておらず穴を掘っている様子もない。
不思議な事に、相変わらず土を掘り返す様な音が聞こえる。――穴の中からだ、穴の中から音が聞こえてくる。土を掘り返す様な音だけではない、荒い息遣いの様なものも聞こえてくる。――穴の中にも人間がいる! 人間は一人ではなく二人なのだ!
穴の脇に立っている人間が穴の中を覗き込んだ。
「もうそれくらいで……。もう大丈夫です!」
――中川だ! タケシの事務所の中川の声だ! どうして中川がここに?
穴から人の上半身が出て来た。中川が手を伸ばすと、その人間は中川の手を掴み穴から出て来た。
穴から出て来た人間は、地面に置いてあるライトを手に取ると穴の中を照らした。
「よし、さっさと埋めてしまおう」
――タケシの声だ! 穴から出てきたのはタケシだ!
「お父さん……お父さんだ」
ルカの身体は寒さと恐怖の為か、尋常ではない程震えている。
「埋めるって……何を埋めるの……? お父さんは……何を言っているの?」
ルカは私の腕を痛いくらいに掴んだ。私は……何も答えられなかった。
「社長、私が……」
中川はそう呟くと、穴から数メートル離れた地面の上に置かれた何かをライトで照らした。
私は生唾を飲み込んだ。地面には、ぐるぐる巻きにした毛布が置かれている。毛布は……ちょうど人間一人分くらいの大きさだ。
「まさか……そんな」
毛布の中身に気付いたのだろうか? かすれた声でルカが呟いた。
タケシは腰を屈め毛布に手を置いた。
「……桜木、悪く思うなよ」
ルカの悲鳴が辺りに響いた。
――ぐるぐる巻きにされた毛布の中身は桜木だ! やっぱり桜木はタケシの事務所で頭をぶつけて死んでしまったのだ。――タケシは桜木を殺してしまった!
桜木を殺害した後、タケシは中川に連絡し事の顛末を告げた。または偶然事務所にやって来た中川が、タケシから事の顛末を知らされた。そして二人で桜木の遺体を遺棄しようと決めた。……大体、こんな様な流れで現在に至っているのだろう。
中川はライトを地面に固定して穴を照らすと、中腰になり両手で毛布を転がし始めた。タケシは手にしたライトで中川の進む先をライトで照らした。毛布を転がす中川の視界を確保してやっているのだろう。
中川は穴の脇まで毛布を転がすと、腰に手を当てその場に佇んだ。
タケシは中川のすぐ横にやって来ると、手に持ったライトで毛布を照らした。
「中川君、悪かったな。君までこいつの件に巻き込んでしまって……」
「……いえ、社長は何も悪くない。こいつは死んで当然の男です」
中川は毛布を蹴飛ばした。何度も何度も蹴飛ばした。
するとタケシが足で毛布を押し始めた。
「やめて、そんな事をしないで!」
ルカが泣き喚いた。でも、タケシにも中川にもその声は聞こえない。
ぐるぐる巻きにされた毛布の端がめくれ、何かが覗いた。先端が尖った靴――桜木のブーツだ! 毛布にくるまれているのは桜木の遺体で間違いない! ……あの男も、まさか自分の一生がこんな形で終わるとは夢にも思っていなかっただろう。
「桜木」
タケシの苦々しく呟く様な声が聞こえた。
「――二度と姿を現すな!」
タケシが毛布を蹴り飛ばすと、毛布は一回転して穴の中に落ちた。
気を失ったのか、ルカが私の身体にもたれかかった。
その時、周囲が真っ白になった――
――燃えている。闇夜の下、家が燃えている。二階建ての家は炎に包まれ、弾ける様な音を立てている。炎は白い煙と共に天に向かって高く伸び、闇夜を赤く染めている。
……あぁ、これは南大川のルカの家だ。母屋だけ見ると誰の家だか分からないけれど、庭のガレージや植えられた木々の様子でルカの家だと分かる。……あの炎の中にはルカがいる。妹のサヤも母のマユミも……。
今日はルカが亡くなった日、二〇〇七年三月三十一日なのだ。私はこの忌まわしき日にタイムスリップしたのだ。まさか私がこの火事を見る事になるなんて……。
ルカが私の右側にいた。このルカは一緒にタイムスリップして来た方のルカだ。ルカは顔をゆらゆらと赤く染め、燃え盛る自分の家を見上げている。首に巻かれた赤いバンダナが痛々しい……。ルカは自分の家だと気づいているだろうか? 呆けた様な表情をして口を開けている。
二〇〇六年二月十四日、タケシは中川と一緒に桜木の遺体を山中に埋めた。タケシは殺人と死体遺棄という罪を犯したけれど、警察にも誰にもバレる事なく普段の生活を送った。でも、罪の意識に苛まれたタケシは精神に異常を来してしまい約一年後の今日、自分の家に火を放って家族全員を殺してしまったのだろう。
タケシが家に火を放ち家族を殺してしまった事件はマスコミの報道で知っている。でも、この事件の裏に別の殺人事件が潜んでいたなんて全く知らなかった。タケシが桜木を殺した事件、これは私がシンの身体に入りこんでしまった為に起きたものではないだろう。おそらく元々あった事件なのだと思う。
ルカが亡くなってから約十年後、二〇一五年九月二十三日にシンは亡くなってしまうけれど、少なくともその時間までタケシによる桜木殺しは世の中に明るみになっていなかった。なぜかは分からない。もしかしたら警察は、タケシが桜木を殺したと疑っていたけれど、何らかの理由で起訴出来なかったのかもしれない。
誰も桜木が死んだ事に気付かなかった、その線も考えられる。あんなどうしようもない男だ。いなくなった事を不審に思う人間なんていなかったのかもしれない。
ひょっとすると、タケシの周りの人間達の中に、タケシの事を疑った人間がいたかもしれない。でも、その人も桜木に恨みを持っていたとしたら警察に訴えたりするだろうか? ……何も語らず、貝の様に黙っていようと思うかもしれない。
一体、この不可思議な殺人事件は何なのだろうか? もしかすると……全て体内ブラックホール、あいつの作戦なのだろうか? タケシが桜木を殺した事実を私の前でルカに突き付ければ大きな苦しみを与えられる。その為に、すぐに白日の下に晒されてしまう様な分かりやすい殺人事件を、世間の人達が知る事のないように操作していたとは考えられないだろうか? 分からない……。でも、とにかく私とルカはタケシが桜木を殺した事実を知ってしまった。いや、体内ブラックホールによって強引に知らされてしまった! きっとそうに違いない!
あぁ、体内ブラックホールめ! 何て忌々しいヤツだ! 体内ブラックホールはタケシと桜木のトラブルを、ご丁寧にも時系列で披露してきた。タケシが桜木を殺してしまう場面も、死体を山中に埋めている場面も全て! それも私とルカが一緒にいる時に!
……そうだよね、ルカを巻き込まないと仕方ないよね? だって、ルカの苦しむ姿が私を一番苦しめるのだから。
体内ブラックホールはたっぷりと栄養を吸収出来た筈。醜く丸々と太った事だろう。そろそろシンの体内から抜け出す準備も出来た頃だろうか? 早くシンの身体から抜け出して世界を滅茶苦茶にするがいい! 天の川銀河も、コタッツ銀河も!
「シン君……」
ルカの消え入りそうな声が聞こえた。ルカは私の顔をボンヤリとした表情で見つめている。
「どうした……大丈夫か?」
私は腫れ物にでも触る様にルカの頭を撫でた。……可哀そうに、ルカは病人の様にやつれた顔をしている。
「シン君、言っていたよね? お父さんが家に火を放って私達家族を殺してしまうって……」
ルカは燃え盛る自分の家を見上げたまま私に言った。
私は何も答えずに顔を伏せた。
「今がまさしくその場面だよね? あの炎の中に、私やサヤやお母さんがいるんだよね?」
やっぱり、私は何も答えられなかった。でも、その通りだ。あの炎の中に三人はいる。
「どうしてかは分からないけど、お父さんが私達を殺してしまう事をシン君は予め知っていた。シン君はそれを止めようとして、独り苦しんでいた。……私は何も知らなかった。……ごめんね……シン君」
私は胸が締め付けられる様な思いがした。ルカは何でこんな時にも私の事を、シンの事を考えているのだろうか? 今、一番苦しいのはルカ、あなたでしょ!
誰かが炎に包まれた家の方へ向かってフラフラと歩いて行く。――タケシだ! 白いタンクトップに黒いボクサーブリーフを履いただけのタケシが、両手を前に突き出して歩いて行く。髪の毛は乱れて涎も垂れている。……まるで廃人だ。
タケシは両腕を前に突き出したまま地面に両膝を着いた。タケシは燃え盛る自分の家を仰ぎ見ながら両腕を上げた。
「マユミ! ルカ! サヤ!」
タケシは涙を流しながら家族の名前を叫んだ。開いたままのルカの眼から涙がこぼれた。
その時、空から何かがたくさん舞い落ちてきた。――火の粉だろうか? 違う、桜の花びらだ。そう言えば、確かこの時期は桜が満開に咲いていた。
どこからか風に飛ばされて来たのだろうか、夥しい数の桜の花びらは、燃え盛る家の周りを静かに舞っている。炎の中で終わりを迎えようとしている命を慈しむかの様に優しくゆっくりと……。
不思議な光景。……神様? もしかしてこの無数の桜の花びらを呼び寄せたのは神様?
「協力しなさい。世界を変えてはならぬ」
聞こえた、神様の声だ! 男とも女ともつかない不思議な声!
「今のは……一体、誰の声?」
ルカにも聞こえた様だ。ルカは眼を大きく開いて天を仰いでいる。
すると桜の花びらが私とルカの方へ一斉に流れて来た。桜の花びらは私達の身体を包むと、周囲をぐるぐると回りだした。
淡いピンク色の空間。甘い匂いに全身が包まれる。
「素敵……。何て美しいの」
ルカが呟いた。
強い眠気が襲ってきた。私の意識が遠退いていく――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます