第12話 ブラックホールを除去する方法
――ここはどこ? 様々な色が入り乱れている。赤、緑、青、黒……様々な色が混ざりながら、流れたり回ったり膨らんだりしている。巨大な万華鏡の中にいる様な不思議な感覚。
様々な音も微かに聞こえてくる。何の音かは分からない。私はそんな空間をフワフワと漂っている。私のセーラー服は夏服のまま。襟やスカーフもフワフワと浮いている。
……ん? よく見ると一つ一つの色は何かの映像が引き延ばされて変形したものの様だ。山や海、空などの自然の風景。様々な国の様々な時代の様子。様々な人種の人々。動物、天変地異、戦争、天体……。様々な音は一つ一つの映像から聞こえてくる様だ。全てシンの体内ブラックホールの影響? ――そういえばシンはどこ! モノノリとアオノリは!
「アナさん、聞こえるかい!」
これはモノノリの声だ!
「聞こえる! モノノリ、どこにいるの!」
「私とアオノリは高次元の世界に浮かぶ時空移動船の船内だ。君達には真っ白にしか見えなかったあの空間にいる。君達は突然眼の前から消えてしまった。今、君達がいるのは時間と空間が入り乱れた場所だ」
やっぱり普通の空間ではない様ね。これもタイムスリップになるのだろうか?
「アナさん、上を見てごらん」
モノノリに促されて私は頭上を見た。――シンだ! シンがうつ伏せになって浮かんでいる。シンは白いシャツにカーキ色のズボンの格好のまま。どうやら気を失っている様だ。
「モノノリ、なんで別の空間にいるのに私達の姿が見えるの!」
「私達は君達とは違い高次元の世界にも移動出来る。高次元の世界に移動すれば、別の時間、別の空間にシン君が移動してもすぐに居場所が分かる。なぜ、君達だけがその場所に移動してしまったのかは分からないが……」
「ここに移動してくる事は出来ないの? 姿が見えないと話すのに不便」
「それに関してはアオノリに聞いてくれ」
アオノリか……。また難しい話しをするつもりね。
「……移動出来ない事もありません」
アオノリの声が聞こえてきた。
「私達マルクナールの知的生命体は人間よりも多くの点で優れていますから」
「来られるのね? じゃあ来てよ!」
でも、アオノリは返事をしない。
「どうしたの、アオノリ!」
するとアオノリは慌てた様に咳払いをした。
「……えぇと、地球の猫の話しをしましょう」
「猫?」
「そ、そうです。あのぉ、彼らは水を怖がりますよね? 多分、浮いたり沈んだりするのが嫌なのでしょう。今、アナさんは浮いていますよね? 従って、猫はその場所も嫌うでしょう。まるで水の中みたいですから。……ですからまぁ、何と言うか、猫とマルクナール人は全く違う生き物ですが、そのぉ、猫と共通点もある様で――」
「要するに怖いのね! ここは水の中みたいだから来たくないと! あなた達泳げないのね?」
モノノリとアオノリは何も答えない。そうか、この空間に来るのが怖いのね! 全く、はっきりそう言えばいいのに!
「もういい! ねぇモノノリ、シンの体内ブラックホールと私は似た存在だって言ったよね?」
私は尋ねた。私の存在の秘密が分かるかもしれないし、体内ブラックホールをコタッツ銀河に戻す為に必要な情報にもなるだろう。マルクナール人が泳げるか泳げないかの話しはどうでもいい。
「その通りだ。体内ブラックホールが栄養を蓄える期間はおよそ三千年。しかしシン君の寿命は二十五年。体内ブラックホールはシン君が死んでしまうと、シン君の生まれた瞬間まで時間移動をして再び栄養を蓄えていく。体内ブラックホールが蓄えた栄養は時間を遡っても保存されたままだ。成長は止まらない。体内ブラックホールは時間移動を百二十回繰り返している。君も同じだね?」
同じだ。私の存在と同じ。私は栄養を蓄えたりはしないけれど。
「体内ブラックホールの栄養源って何?」
「体内ブラックホールの栄養源は、宿主となった生命体が感じる苦しみだ」
「……苦しみ?」
「そう、苦しいという感情だ。肉体的な苦しみではなく感情的な苦しみだ」
そんなものを栄養源にするなんて……。だとしたら、宿主が幸せだったら死んでしまうって事?
「体内ブラックホールは苦しみという感情を吸収するだけではない。宿主が苦しみを感じる様な状況を自ら作り出せる。体内ブラックホールは宿主の世界に影響を与えられるのだ」
悪魔みたいな奴! そうすると、中学時代の陸上部の顧問だった菊池ハルエ、幼馴染の熊沢ヨウヘイ、そして高校時代の恋人黒須ルカ……。みんなシンの前から消えていった。それも体内ブラックホールのせい? シンに苦しみを与える為に、体内ブラックホールがシンの世界に干渉したの?
周囲の様々な映像の動きが速くなってきた。体が突き上げられたり揺さぶられたりする。シンの体も大きく揺さぶられている。
「モノノリ先生!」
アオノリが叫んだ。
「モノノリ先生、この場所は閉じようとしています! シン君を早く、この場所からあの場所へ移動させないと! 人間がこの場所に長居しては危険です! 私は準備に取り掛かります!」
アオノリは慌てている。何だかただならぬ様子。
「あの場所ってどの場所! モノノリ!」
私は身体を揺らしながらモノノリに向かって叫んだ。
「シン君の高校時代だ! 時間が限られている様なので簡単に説明する! シン君に一番の苦しみを与えたのは黒須ルカとの別れだ。だからシン君には高校時代に時間移動してもらう。そこで黒須ルカとの『過去』を変えてもらう」
過去を変える? それって自分で世界を変えてしまうって事じゃない!
「駄目、そんな事をしたら世界は滅茶苦茶になってしまう筈よ!」
周囲の映像の動きがどんどん速くなっていく。シンは私の十メートル程前方を漂っている。いつの間にかお互いの距離が遠ざかっている!
「人為的に過去を変えたり世界を変えたりしてはいけない! それは分かっている。人為的な変更では悲劇しか起きない。しかしシン君のケースに関しては別だ。シン君の生きてきた世界は体内ブラックホールによって、いわば作り出された世界……要するに本当の世界ではない。だから世界を変えていい……いや、変えなければならない。シン君の本当の世界を取り戻すのだ!」
「協力しなさい。世界を変えてはならぬ」
神様の声だ! また声が聞こえた! シンは気を失ったままだし、モノノリにも声は聞こえていない様子。私だけにしか声は聞こえていない! ……そうか、モノノリの言う様に体内ブラックホールによって作られた世界は変更して構わないのね? そういう意味なのね! 今、神様はそれを私に教えてくれたのね?
「それにだ」
モノノリは語気を強めた。
「体内ブラックホールによって変更させられた世界を変えてしまっても、大事件が起きたり天変地異に見舞われたりはしない! 世界自身が世界自身を矛盾のない形で上手くまとめてしまうから!」
なるほど、それだったら世界を変えても問題は起きない!
――体が激しく突きあげられた! あれ? シンが転がる様に遠ざかっていく!
「モノノリ、シンが遠くに離れていく!」
「それは大丈夫。シン君が何らかの時間移動をしても、私達はどこまでも追っていける。時空移動船の燃料が続く限りどこまでも。……それより心配なのはアナさん、君だ! 君の事は私達も追っていけない。君の存在は私達も把握できていないのだ! ここでシン君と離れたら、君はどこか別の場所に移動してしまうかもしれない! そうしたらシン君とは永遠に離れ離れになる!」
私はシンから離れていってしまうの? いや、そんな事はあり得ない。私の視界からシンが消えると同時にシンの傍に瞬間移動する筈だから。
シンがどんどんスピードを増して離れていく。……シンが見えなくなった。――あれ? おかしい! シンの傍に移動しない!
「モノノリ、シンの姿が見えなくなった!」
私はモノノリに叫んだ。……でもモノノリの声は聞こえない。
「モノノリ! アオノリ!」
私は二人の名前を叫んだ。でも二人に私の声は聞こえない様だ。
私は慌ただしく動く空間の中で独りぼっちになった。生まれて初めてシンと離れ離れになった。
……そういえば、これは私が長く望んでいた事。私はシンと離れて自由になる事をずっと望んでいた。ひょんなことから望み通りになった。どこの世界に行ってしまうか分からないけれど、これから私は自由に主体的に行動出来る。……でも、おかしい。嬉しいとは思えない。何だろうこの気持ち。なぜ? ……シンの傍にいても楽しい事なんて何もないのに。シンに私の存在が見える様になったと思ったら大変な事態に見舞われるし。神様の声、タイムスリップ、三体の黒い生き物、変わってしまった世界、体内ブラックホール……。自分の存在について三千年も苦しんだ挙句にこの状況って……不条理だ! ……でもおかしい、シンから離れたくない自分がいる。
……アナ、どうする? もう時間はない。決めなくちゃいけない。本当の人間の様に右か左か決めなくちゃいけない! シンの傍から離れて自由に存在する? シン、ルカ、シンの家族、ヨウヘイを始めとした友達、担任の菊池、世界が変わり死んでしまった多くの人達、モノノリ、アオノリ、神様……。全部無視する? アナ!
――私は必死で体を動かした! ――シンの傍まで進むぞ! シンの傍に戻ってもロクな事がないのは分かっている。でもシンの傍に戻りたい! 私にはやるべき事がある! ……くっそぉ、その場でジタバタするだけで前にも後ろにも進まない。
「意志だ!」
私は自分に言い聞かせるように叫んだ。
シンと離れないという強い意志! 意志を持てば何とかなる筈!
「シンの傍にいさせて! 三千年も一緒にいて、こんな場所で離れたくない!」
すると私の体がすごい速さで動きだした! シンの方へ向かっているの? 様々な映像がどんどん後ろに流れていく。髪の毛や襟がバサバサとはためく。――見えた、シンだ! 遠くを漂っているシンに向かって私の体は突き進んでいく。――捕まえた! 私はシンの腕を掴んだ! シンの体に触れた! またシンと一緒になれた!
シンの眼が開いた。
「……ありがと、アナ」
シンはそう言って笑顔を見せると、再び気を失ってしまった。
大丈夫だよシン、私が何度でも助けるから!
「モノノリ聞こえる? シンの腕を掴んだ!」
私は叫んだ。……モノノリ、答えて!
「……聞こえるぞ! 良かった、君の姿を危うく見失いそうになっていた。……よし! もうすぐ準備出来る。シン君の高校時代に向かって時間移動を開始する。おそらくアナさん、君もシン君と一緒に移動する!」
私はモノノリの確認できる範囲内に戻れた。……既に周囲の映像は全て混ざり、どろどろとしたスープの様。この中には時間も混ざっているのだろう。激しく体が揺さぶられ、シンの手は今にも離れそう。
「モノノリ、シンの世界を変えるのなら、高校時代じゃなくてブラックホールが宿った瞬間まで戻らないといけなくない? その瞬間からシンの世界を変えていかなくちゃ――」
「その必要はない! シン君の体内ブラックホールが最も活動的になる期間は高校時代、黒須ルカと親密な期間だ。この期間、ルカに不幸が起きない様にして栄養吸収を邪魔してやるのだ。すると、体内ブラックホールは不規則な活動に転じる。体内ブラックホールには一種のバリアがあるのだが、そのバリアが一瞬消失し活動性が鈍る。その時に隙が生まれるのだ。私達はその隙に乗じて体内ブラックホールを捕まえ、コタッツ銀河の中心のブラックホールへ戻す! ブラックホールが元に戻れば、シン君の過去は元々あるべき姿に戻る筈だ!」
「ルカに不幸が起きない様にすれば、菊池ハルエや熊沢ヨウヘイとの過去も変えられるのね?」
「その二人との過去も、体内ブラックホールに作り出されたものと言える。従って、その二人との過去を変えるのも可能だ!」
「……でもブラックホールを捕まえたり出来るの?」
「極めて難しい! 方法も良く分かってはいない! でも、シン君には自分の高校時代に行ってもらうしかない。もう時間がない! ……でも、新たな希望もある。それはアナさん、君の存在だ! 君はシン君の傍に三千年存在していると言ったね? シン君の過去は完璧に把握している筈。シン君はアナさんと協力出来る。これは強力な武器だ!」
私の存在が希望……。この私が……希望。
激しい揺れだ! 駄目だ、もう限界かも。――あぁ、シンの手が離れた! シンがどんどん遠くに離れていく!
「よし、アナさん、準備完了……シン君、アナさん……シン君の高校時代……時間移動を開始……」
モノノリの声が遠くから僅かに聞こえる。
「待って、モノノリ! 私とシンは離れ離れに――」
――空間が白く光った!
大変だ、シンと離れ離れになったままタイムスリップしてしまう! これから私達はどうなるのだろうか――
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