第11話 ブラックホールの行く先

「星は引力を持っています。小さい星は小さい引力、大きい星は大きい引力を持っています。引力――ものを引っ張る力です。一つ例に取りましょう。ある小さな星が宇宙空間を真っすぐ進んでいると向こうから別の大きな星がやって来ました。小さな星と大きな星は擦れ違います。星には引力があります。従って二つの星は引っ張り合いながら互いの周囲をぐるぐると回ります。小さな星は小さな力で、大きな星は大きな力で互いを引っ張ります。二つの星は最初こそ不規則な軌道を描いていても、やがては決まった周回軌道を描くようになります。この様に星の安定した軌道は、引力によるバランスの上に成り立つのです」

 アオノリは眼を細めて「ニッ」と口角を上げた。

「だからさぁ、それがどうしたって言うの? 俺には全く関係ないし!」

 シンはイライラとした様子でアオノリに食ってかかった。

「まぁ怒らずに最後まで聞いて下さい」

 アオノリはシンの方を全く見ずに、右手の人差し指をくるくると回した。

 シンは再び何か言おうと口を開いたけれど、睨みつけている私に気付いて口を閉じた。

「……さてシン君、この二つの星のうち一つが突然消えてしまったらどうなるでしょう? 残された星は今までの周回軌道を外れて真っすぐに進んでいきます。自分を引っ張るものがなくなってしまいましたからね。さて話しはここからです。この消えてしまった星と同じ事が、コタッツ銀河のブラックホールの様に超巨大な引力を持った天体に起きたらどうなるでしょう? コタッツ銀河の中心に存在するブラックホールの質量は尋常じゃない程大きい。あなた達の住む天の川銀河の中心に存在するブラックホールなんて比べ物にならない。従ってコタッツ銀河のブラックホールが消えてしまったら、全ての星の軌道に大きな影響を与えます。ブラックホールの全てが消えてしまわなくても同じです。質量が半分になるだけでも全ての星の軌道を変える事くらい簡単です。そうするとコタッツ銀河はどうなりますか……?」

「……だから、コタッツ銀河の全ての星が滅茶苦茶な軌道を描き、多くは衝突しただろうね」

 シンは小声でそう答えると口をつぐんだ。

 足を止めていたモノノリが再び周囲を歩き始めた。

「私はブラックホールの質量が半分になった原因を調べた。でも、残念ながら答えは分からなかった。私は原因を探るのを諦めた。しかしブラックホールに観測機器の焦点を合わせ続けておいた。再び異変が起きた際にすぐに気付ける様にね。それから数百年経った頃、ブラックホールの質量がほんの僅かだが減少している事に気付いた。私は必死に原因を探ったが、この原因も分からなかった。しかし、私は大変な発見をした。僅かに減少したブラックホールそのものが、遥か遠くのとある銀河に移動している事が分かった。時空を超えて他の銀河に移動したのだ」

「ブラックホールそのものが?」

 シンは眉間に皺を寄せて睨みつける様にモノノリを見つめている。アオノリは補足をする事もなく手で額を拭っている。

 そんな事ってあるの? どういう理屈でそんな事が起きるの?

「……モノノリ、そのブラックホールの一部はどこに移動したんだ?」

 シンはおそるおそるといった感じに尋ねた。

 モノノリは足を止めるとシンの眼をじっと見つめた。

「この天の川銀河に移動したのだ」

 コタッツ銀河のブラックホールの一部が私達の銀河に移動した? ……あり得ない。そんな事が起きたら、そんな事が起きたら……。

「いやいや、ありえないよ。そんな話しあるわけないだろ! 何かの間違いさ」

 シンは右手をひらひらとさせながら大笑いした。

 モノノリは笑いもせずに、じっとシンを見つめている。

「ブラックホールはそれぞれ固有の電波を発している。我々はそれを、『MTTB電波』と呼んでいるが、私達はこの天の川銀河で、コタッツ銀河のブラックホールと全く同じ型のMTTB電波を観測したのだ」

 モノノリはシンに一歩近づいた。シンは笑うのをやめ、顔を引きつらせた。

「それだけではない。もっと大変な事実が分かった。コタッツ銀河のブラックホールの一部は、天の川銀河の太陽系に属するある惑星で発見された。それは――」

「もういい!」

 シンがモノノリの話しを遮った。すると、シンは再び声を上げて笑い始めた。

「全く面白い話しだな。……えー、何だって? その太陽系のある惑星で、コタッツ銀河のブラックホールの一部が発見されたっていうワケね? なるほど、面白い! 凄い話しだ。しかも、その惑星は何を隠そうこの地球だって言いたいワケだろ? ……凄い!」

 シンはお腹を抱えて笑い始めた。

 アオノリは辞書を胸に抱え、怖いものでも見る様にシンの姿を眺めている。

 モノノリはシンに歩み寄り両手を掴んだ。

「最後まで聞くんだシン君! 私達はコタッツ銀河のブラックホールの一部を地球で発見した……その通りだ。でも、それだけではない。私達はコタッツ銀河のブラックホールの一部を、地球に住んでいる生命体の内部で発見したのだ!」

 生命体の内部? ブラックホールが体内に? まさかその生命体って……。

 シンはわなわなと震えている。

「しっかり聞きなさい!」

 モノノリがシンの両手を上下に振った。

「ブラックホールが宿った生命体とはシン君、君の事だ!」

 シンはモノノリの手を振り払うと、「わぁ!」と叫びながら胸の辺りを掻きむしった。

「なぜだ、一体なぜそんな事が!」

 シンは両腕で頭を抱えてその場に倒れこんでしまった。

「シン、大丈夫よ! 大丈夫!」

 私はシンにそう声をかけた。

 でも、一体何が大丈夫なのだろうか? 危機的な状況だ。……ちょっと待てよ、私は体内にブラックホールを持つ人間の傍に三千年付き従っていた……そういう事になる。これって一体……。何か……私には何か使命があるのだろうか? 

 シンは突然、私の顔を見上げた。

「……分かったぞアナ、俺達がタイムスリップした原因が。俺の体の中にあるブラックホールのせいだ。こいつが時間の流れを滅茶苦茶にしてしまったからだ!」

 シンはそう言うと再び両手で頭を抱えてしまった。

――なるほど、タイムスリップはブラックホールのせいか。それなら説明がつく。

 モノノリがシンの肩に手を置いた。

「体内にブラックホールが宿っているのだ。時間が歪んでしまい、シン君の言うタイムスリップ、私達の言う『時間移動』が繰り返されたのだ」

 シンは顔を上げて私の顔を見た。

「やっぱりそうだアナ。俺達のタイムスリップはブラックホールのせいだ!」

 するとアオノリが不思議そうな顔をしてシンに尋ねた。

「シン君、一つ質問をしても宜しいでしょうか? 地球には姿の見えない人間も存在しているのですか? 先ほどから誰かと話しをしている様ですが私には誰も見えません。さっき私達が黒い生き物からシン君を助けた時も、凄い高さのジャンプをしながら見えない誰かと喋っていましたよね?」

「……アナの事? え、二人には見えていないの? ここにいるけど!」 

 シンは私の事を指差したけれど、アオノリもモノノリも首を傾げている。

 何となくそうかなとは思っていたけれど、モノノリにもアオノリにも私の姿は見えていなかったのだ。宇宙人には私の姿が見えるかもしれないって期待を抱いていたけれど、そんな事はなかった。

 彼らが捜し求めていたのはシンだけ。私はただのオマケ。……何だか、私の存在が始まったばかりの頃を思い出す。私の存在が始まってから数百年、私は今感じているのと同じ孤独感に日々つきまとわれていた。私は誰にも必要とされていないって。

「アナさん?」

 モノノリが私の方を見た。……でも、視線は宙を漂っている。

「アナさん、名前から察するに女性かな? 君は何か特別な能力がある様だね。私達はシン君だけをこの時空移動船に避難させたつもりだったが君も一緒にやって来た。任意の対象以外に私達の力が働く事はない。シン君の傍にいようとする君の強い意志がそうさせたのかもしれないね」

 ……強い意志。そうじゃない。ただ、勝手にそうなっているだけだ。私には何の能力もない。……でも、さっきの大ジャンプ、あれは何? もしかすると私には眠っている力があるのかもしれない。その力を使って世界を変えない様にする使命があるのかしら? 私に聞こえる神らしき者の声も、私にそれを促しているのかも―― 


「協力しなさい。世界を変えてはならぬ」


 ほら、また聞こえた! 唐突に頭の中に響いた! ……神様ね? あなたはきっと神様ね! 今、私の考えは正しいと言ってくれたのよね? 私には世界を変えないようにする使命があるのね? 私は間違った解釈をしてないよね!

「アナ! またあの声が聞こえた!」

 シンは立ち上がりせわしなく辺りを見回している。

 モノノリとアオノリはきょとんとした表情でシンを眺めている。二人に神の声は聞こえていない様子。神様に世界を変えないように命令されているのは私とシンだけみたい。私とシンにはその力があるという事? そうだ、そうなのかもしれない!

 その時、私の身体の中に力がみなぎってきた。黒い生き物から逃げた時の様な凶暴な力ではなく、もっと……清々しい力!

 私は肩にかかる髪の毛を両手で跳ね上げた。黒い髪の毛がサラサラとなびく。まるで澄んだ風に吹かれているかの様に……。

「モノノリ聞こえる? アナよ!」

 私は思い切って、モノノリに向かって声をかけた。……聞こえるだろうか? いや、絶対に聞こえる筈。私には神様が付いている!

「……アナさん? あぁ、聞こえるとも。君の声はしっかりと私に届いている!」

 聞こえた! モノノリに私の声が聞こえた。モノノリは私の方を見てゆっくりと頷いている。アオノリにも聞こえた様だ。私の方を見て眼を丸くしている。

「は……あははは!」

 シンが引きつった表情のまま私の顔を見て笑った。その眼には少し涙が浮かんでいる。

「モノノリ、シンの体内にブラックホールが移動したのは分かった。あなた達はそのブラックホールを何とかする為に来たのよね? で、これからどうしようって言うの?」

「これから……シン君の体内ブラックホールをコタッツ銀河のブラックホールに戻そうと思っている」

 モノノリは私の方を見て眼を細め、口角を「ニッ」と上げた。

 なるほど。シンの体内ブラックホールを元の場所に戻し、これ以上星の軌道を変えない様にするのね。

「その体内ブラックホールっていうのは一体どんなものなのかしら? アオノリ、説明出来る?」

「あ、はい! 出来ます」

 アオノリは飛び上がるように驚いて答えた。案外、間が抜けている。

「えぇと、シン君の体内になぜブラックホールが移動したのかは分かりませんが、それ以外の体内ブラックホールについての詳細は把握しています。シン君の体内ブラックホールは、シン君の誕生から間もなくして体内に宿りました。小さすぎて眼には見えない。あなた達の言う『プランク長』よりも、もっと小さいブラックホールです。されどブラックホールはブラックホールです。憂慮すべき状況です。しかし、一定の期間は人体にも周りの世界にも一切影響しません。体内で大人しくしています。体内ブラックホールは、ある程度栄養を蓄えると体外に飛び出し、急膨張しながらブラックホールとしての活動を開始します。同時にコタッツ銀河のブラックホールは大収縮に転じます。コタッツ銀河のブラックホールがシン君のブラックホールに移動するのです。そうすると天の川銀河、コタッツ銀河ともに消滅し多くの命が失われる事でしょう。シン君の体内ブラックホールは生まれる直前です。時間に歪みが生じ時間移動してしまうのはその為です」

 恐ろしい話しだ。シンは胸の辺りを何度も擦っている。あの黒い生き物達が、「破壊の神」ってシンの事を呼んだのも頷ける。……そう言えば、結局あいつらは何だったのだろう?

 モノノリが咳払いをした。

「体内ブラックホールが栄養を蓄える期間はおよそ三千年。しかし、シン君の寿命は――」

「ちょっと待って! 今、三千年って言った?」

 私は驚いてモノノリの話しの腰を折った。

「あぁ、そうだ。体内ブラックホールが栄養を蓄える期間は三千年」

「いや、モノノリ、私も三千年生きているの! シンのすぐ傍で誰にも見られる事なく三千年! これってただの偶然?」

「何だって、三千年? でもシン君の寿命は二十五年しかない筈。……まさか、アナさんは体内ブラックホールと同じなのか? 体内ブラックホールは、シン君が死んだら生まれた瞬間まで戻り、再度シン君の体内で――」

「――体内ブラックホールも同じなの? 私もそう、シンが死んだら生まれた瞬間まで戻るの! 私はシンの二十五年の人生を百二十回繰り返しているの! 都合三千年!」

 モノノリが両足を投げ出してドスンと地面に座った。アオノリはどうしたら良いか分からないのだろう、おろおろとした様子でモノノリの肩に手を置き立膝を着いた。

 モノノリは両手で頭を押さえた。

「……偶然の一致とは思えない。これは一体どういう事なのだろうか?」

 モノノリはそう呟くと天を仰いだ。シンは訴える様な表情で私を見つめている。

「シン、落ち着いて。大丈夫よ」

 私は自分の胸に手を当てながらシンをなだめた。

「モノノリにもう一つ聞きたい事がある。とっても大事な話し。もし体内ブラックホールをコタッツ銀河に戻す事が出来たら、シンは二十五歳で死ななくても済むのよね?」

 モノノリは私を見上げたまま黙っている。シンが生唾を飲み込む音が聞こえる。

 するとモノノリは顔を伏せて首を振った。

「……いや、それについては分からない」

「どうして? 体内ブラックホールのせいでシンは二十五歳で死んでしまうのでしょ?」

「それは元々のシン君の運命かもしれないし、体内ブラックホールのせいかもしれない。それは体内ブラックホールを消してみなければ分からない」

 シンが「わああ!」と叫びながら暴れ出した! 緊張の糸が切れてしまったみたい!

「シン君、落ち着いて! 体内ブラックホールを消し去れば――」

 アオノリはシンの前に立ち両手で体を押さえようとしたけれど、シンに手で払われて飛んでいった。

 モノノリがよろよろと立ち上がった。

「シン君! 私達は君の寿命に関しても何かしらの手を打つつもりでいる! 私達はあらゆる技術を動員して――」

 その時、白い空間が揺れてぐるぐると回りだした! ――タイムスリップだ! こんな時に! 私達はどこまで不可思議な現象に翻弄されて――

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