第3話 不安を感じるアナ

 九月二十三日。午後十二時五十分頃。私は東京と神奈川にまたがる、とある峠の頂上にいる。

 今日は昨日とは違い天気も良く風もほとんどない。いわゆる秋晴れの日だ。杉の木に周囲をぐるりと囲まれた峠の頂上には茶屋や公衆トイレ、駐車場などが設けられている。ところどころにハイキングの格好をした人も見受けられる。

 私がここにいるのは、もちろんシンがここいるから。シンはサイクルウェアに身を包み、ロードバイクに跨ったままハンドルに上体を預け肩で呼吸をしている。顎の先から汗が滴り落ち、顔は上気している。

 シンはこの約四キロに渡る急峻な峠道を、ほとんど腰を上げた状態で今まさに上り切ったところ。この峠道の平均勾配は十パーセント。最大勾配は十八パーセントもある。平均勾配が十パーセントというのは、百メートル進むと高さが十メートル上がるという事。十メートルは建物の三階くらいの高さになる。峠道の路面は舗装されているけれど、自転車で登るのはキツそうに見える。

 シンはロードバイクのフレームに備え付けられたボトルを取り出すと、ヘルメットの上からボトルの中の水をかけた。赤と白の二色のヘルメットと、赤いフレームに黒いレンズのアイウェアは、シンが頭を左右に振る動きに合わせ太陽の光を反射しきらりと光る。

 赤と白の配色が好きなのか、ロードバイクのフレームも赤と白の二色だ。フレームの地面に近い辺りはタイヤが跳ね上げた泥がこびりついている。

 シンの着ている上下のサイクルウェアは汗でびっしょりと濡れている。某海外プロチームのサイクルウェアは、ヘルメットや自転車のフレームとは違い赤と白の配色ではない。濃い紺色の生地に黄緑色のチームロゴが胸、背中、肩、臀部にプリントされている。白い文字で書かれたチーム名もサイクルウェアの各所にプリントされている。落ち着いた色のウェアは日に焼けた腕と足をさらに締まった印象にしている。

 実際締まった身体をしている。身長は百六十八センチ、体重は一昨日の夜で五十三・二キロ、体脂肪率は六・二パーセントだ。

 上着の背中側にはポケットが三つ横に並んで付いている。ポケット全てに必要な物が収納されていて、一番左のポケットからは携帯用のポンプが五センチ程顔を覗かせている。

 因みにロードバイクにある程度乗っているライダーのほとんどは、スネの毛を剃ってしまっている。これは国内外のプロロードレーサーがそうしているのでそれに倣っているみたい。なぜスネの毛を剃るのかはシン自身よく分かってはいないけれど、シンのスネの毛も綺麗に剃られている。私の足みたいにツルツルだ。

 私はもちろん、夏用のセーラー服を着ている。今は外にいる為、黒いローファーを履いている。私の足下は環境に合わせて、「黒いローファー」、「白い靴下」、「裸足」のいずれかに勝手に切り替わる。

 シンが学生だった時は面白い。シンが登校し校舎に入った瞬間、私のローファーは白い上履きに切り替わる。そして校舎から出た瞬間、白い上履きからローファーに切り替わる。よく出来た話しだと思わない? 靴の有無に関しては日本の常識に準じている様だけれど、海外に行ったらどのように切り替わるのかが気になる。

 シンは仕事が休みになると、自分のロードバイクで自称「トレーニング」に出かけることが多い。トレーニングと言っても何かのレースに向けて計画的に動いている訳ではないし、ましてやプロロードレーサーでもない。身体作りとかフィットネスの為にロードバイクに乗っているという理由もあるので、そういうところから「トレーニング」と呼んでいるかと言うとそれもまた違う様だ。今日の様に急峻な峠を登ったり距離も百キロ以上走ったりとする為、「サイクリング」と言うとニュアンス的に違和感がある。そこで妥当な呼び方として、「トレーニング」と呼んでいるのだと思う。実際サイクリングの様に景色を楽しむ事を主眼とはしておらず、走る事自体を主眼にしている様に見える。

 シンがロードバイクに乗り始めたのは二十一歳の夏からだった。ルカの辛い記憶が薄れてきたから乗り始めたのだろうか? いや、記憶が薄れないから乗り始めたのだろうか? どちらだろうか?


――あぁ、何だろうこの不安な気分は。落ち着かない。三千年も生きてきたけれど、こんな気分は初めて。冷静さを装い、峠の頂上の描写やシンの描写、スネの毛についてだったり「トレーニング」についてだったりを述べてみたけれど、こんな事、本当はどうでもいい。心は別のところにある感じ。気分というのは物の見方に大きく影響する。

 シンには申し訳ないけれど、今まではシンが死んでしまう日の峠の頂上が嫌いではなかった。頂上から天を仰ぐと、杉の木に周囲を丸く切り取られた青空が見える。杉の木の黒と、空の青のコントラストが美しい。空を見上げているのだけれど、澄んだ水を湛えた泉を見下ろしている様な不思議な気持ちになる。また、この景色を見ることで、「シンが終わり、再び始まりに戻る」ということを意識させられる。

 でも、景色も意識も今はどうでもいい。昨日の二度目の雷からこっち、これから何が起きるのだろうかという不安で心が占められている。変化に対しての期待ももちろんあるけれど、不安の方がほとんど。今日はこの頂上の景色も圧迫感のあるものにしか見えない。合掌している巨大な手の中に、この空間の全てが閉じ込められている様な重苦しい感じ。 

 気分というのは自分の存在に対して大きな影響を与える。いや、自分の存在が自分の気分に対して大きな影響を与えると言ったほうが良いのだろうか?


 そうだ、話しておかないといけない事がある。通常と違った出来事は、昨夜の二度目の雷だけではなかったの。今日、シンが家を出るところでも通常と違った出来事があった。これが何とも不吉な感じがするので、なおさら変化の期待よりも不安のほうが大きくなってきているのだと思う。

 九月二十三日、玄関の時計で午前十一時四十分二十三秒にシンはこの峠に向かう為に家を出る。庭に出ると柿の木に何かが引っ掛かっていたので、玄関脇にあった園芸用の緑の棒みたいな物で突いて地面に落とす。拾って見てみると近所の公園の道祖神の頭だという事が分かる。――今まで何度も見てきたこの場面だったけれど、今日は違った出来事が起きた。  

 シンが地面に落ちた道祖神の頭を両手で拾い胸の高さまで上げた瞬間、道祖神の頭が左右に割れてしまった。……今まで頭が割れた事なんてないのに! 道祖神の頭を庭の端に置き、そのままロードバイクで出発するというシンの行動は今までと変わらなかったけれど、私は「え!」と声をあげて驚いてしまった。頭がまさか割れてしまうなんて。道祖神と言うのは名前の通り神だ。神の頭が手の上で左右に割れるなんて何とも不吉だ。

 この後、元々道祖神のあった公園の前をロードバイクで通るのだけれど、公園の様子は今までと同じだった。いつもの様に近所の人たちが集まっていて、「胴体は見つかったけれど頭だけ見つからない」「雷で吹き飛んだ」等と話していた。

 他、この頂上に来るまでに通常と違った出来事は起きなかったけれど、また何か違った出来事が起きるのではないかと不安でならなかった。

 私が三千年の沈黙を破って自分の存在についての話しを始めてまだ三日、たった三日で今までに起きなかった出来事が二つも起きた。この二つの出来事はおそらくシンの人生やこの世界に影響することはないと思うけれど、この先そんな出来事が起きるのだろうか? そうなった場合、それは私の存在にも影響してくるのだろうか?


 現在、ハイキングのおばさんの腕時計によると一時〇〇分三十四秒。シンは茶屋の店先にあるベンチに座り、同じように峠を登ってきたロードバイクの中年ライダーと話しをしている。これはいつも通りの出来事。黒いヘルメットをかぶり黒い上下のウェアを着たこのお腹が出たライダーは、「ここは初めて上ったけど、あんまりきついから何度も足を着いちゃったよ」とスネ毛を剃っていない太い足を擦りながら笑っている。

 シンが死んでしまうまでおそらく三十分を切った。


 私はシンの話しをまだほとんどしていない。私の存在について知ってもらうにはシンの事を抜きにしては絶対に語れない。シンと私の関係性については多少話す事が出来た。今度はシン自体について触れないといけない。不安な気分が話しに影響するかもしれないけれど、なるべく冷静に話そうと思うから聞いて欲しい。

 シンは一九九〇年九月九日、午前三時〇七分、父のサトルと母のケイコの長男としてこの世に生まれた。サトルが二十六歳、母のケイコが二十二歳の頃だ。

 シンの家族はサトルとケイコの他、祖父のヒサシと祖母のミネ、弟のユウを加えた六人。

 ヒサシとミネはシンが一歳の頃に亡くなっているので、シンに二人の記憶はほとんどない。

 シンは四歳になると近所の幼稚園に入園した。とにかく足が速く、運動会のリレーでは何人もの園児をごぼう抜きにしたりとしていた。この足の速さは学生時代を通じてずっと続くこととなる。

 六歳の頃に小学校に入学。幼稚園も一緒だった幼馴染の熊沢ヨウヘイとは、以後中学二年生までずっと同じクラスだった。運動神経が良く明るくて周りに慕われるタイプのシンは、運動神経こそ良くなかったけれど、絵が上手く勉強も出来る朗らかなタイプのヨウヘイとは馬が合った。他の友達も含めしょっちゅう一緒に遊んでいた。シンは今と同じ様に小学生の頃も自転車でよく走り回っていた。

 十二歳でシンは、近所の中学校の生徒になった。他の二つの小学校から入学してきた生徒達ともすぐに仲良くなり、相変わらずクラスの人気者だった。

 シンは陸上部に入学し長距離走者として練習に励んだ。初めは短距離走者として頑張りたかったシンだったけれど、陸上部の顧問でもありシンの担任でもある菊池ハルエという三十代半ばの女性教師に長距離走者としての素質を見出され路線変更した。

 菊池の熱心な指導にシンも応えた。その結果、一年生の八月には一五〇〇メートル走の選手として東京都の大会に出場出来るまでに成長した。大会では好成績も残す事が出来たのでシンと菊池は抱き合って喜んだ。

 二年生になってもシンは菊池の指導のもと練習に励んでいた。でも、なぜか成績が伸びずスランプ状態に陥っていた。菊池も悩んでいる様だった。

 六月、突然菊池が教師を辞めてしまった。一年生の時と同じく二年生になっても担任であった菊池の退職の理由はなぜか明かされなかった。菊池は風の様に消えてしまった。

「先生は俺を見捨てたのか?」そう動揺したシンだったけれど、都の大会に向けて練習に励んだ。でも次に顧問として着任した中村ジロウという五十代の教師との折り合いが悪く衝突を繰り返した。その辺りも影響したのか八月に都の大会に出場したものの、結果は去年の記録を大きく下回る散々なものとなってしまった。自分に対する悔しさや、その後の中村の嫌味とも取れる態度の為か、大会以降シンの足は段々と陸上部から遠ざかってしまった。

 シンにとって良くない事はさらに続いた。十一月、何かとシンを心配してくれていた幼馴染の熊沢ヨウヘイが病気にかかった。今すぐ死の危険があるものではないけれど、早急に手を打たないと命に関わるものだという。症例も少ない難病で、治すには専門医がいる北海道の某病院に長期の入院が必要になるとの事だった。

 ヨウヘイはそんな状態でもシンのことを心配していた。「シンちゃん、もう一度陸上やれよ」そう何度も言っていた。でも、ヨウヘイも菊池と同じようにシンの前から風の様に消えてしまった。家族全員で北海道へ引っ越したのだった。

 シンはこの頃から心を閉ざしがちになった。明るく人気者だったシンの変貌にクラスメートや部活の仲間達、担任の教師も皆心配したけれど、シンは取り合おうとはしなかった。家族も心配していたけれどこれも相手にしなかった。

 三年生になったシンは、「このままではいけない」と思ったのだろう。段々と元の自分に戻ろうとしている様に見えた。新しいクラスメートや新しい担任とも話しをすることが多くなり、家族とも下らない話しをする様になった。

 行きたい高校は決まっていなかった様だけれど、多分陸上はやっていきたいと思っていたのだろう。

 四月の終わり、シンは中村の下を尋ねた。「八月の都大会で自分の記録を塗り替えたい」そう中村に訴えた。でも中村は首を縦には振らず、ネチネチとシンの事を責め続けた。「今さら何だ」「恥ずかしくないのか」といった具合に。何も口答えはせずにシンは黙っていた。でも、「菊池先生はよくこんな奴の指導をした」「熊沢もとんだ幼馴染を持ったな」等と言われたシンは我慢できなくなったのか中村の股間を蹴りあげてしまった。

 それでタガが外れたのか、シンは「あー!」と叫びながら倒れた中村を何度も何度も蹴り飛ばした。騒ぎに気付いた他の教師達にシンは別の場所に連れて行かれた。シンは、「菊池先生!」「ヨウヘイ!」と何度も叫んでいた。

 シンは他の教師達に色々と理由について聞かれたけれど、中村とのやり取りについては一切語らなかった。

 シンは次の日、学校から二日間の出席停止を言い渡された。これが処分として軽いのか重いのか分からないけれど、今までの陸上に対しての努力や、菊池やヨウヘイとの別れによる精神的なダメージなんかを考慮した結果の合理的な判断なのだと思う。中村に対しての学校側の評価も加味されているのかもしれない。

 それからのシンは陸上部に戻る事もなく感情もほとんど出さずに卒業を迎えた。

 高校は通うのがラクで、なるべく同じ中学の同級生が受験していないところをわざと選んで入った。特に高校生活に希望している事もなく、夢も持っている様には見えなかった。

 でも、この高校を選択したことはシンにとって良かったと言える。入学してから約三ヶ月後、黒須ルカという女の子とシンは出会えたのだから。……いや、良かったのだろうか? あんな事になるのだったら、出会わなければ良かったのかもしれない……。


 シンについての話しは、自分についての話しよりも難しいかもしれない。シンが生まれてから高校に入るまでの概略しか話していないのに、何だか頭がこんがらがってきた。 

 今現在二十五歳のシンにとっては、小学生や中学生の時の出来事は過去の話しになる為、私は過去形で話しをすすめてきた。でも私にとっては「過去」の話しでもあるけれど、同時に「未来」の話しでもある。そんな事をふっと考えてしまうと思考が停止しそうになる。「過去」「現在」「未来」なんていうものは私にとって存在するのだろうか? いや、そもそもこういう区分自体が本当はおかしいものではないのか? 私にとってだけではなく普通の人間にとっても。

「時間」というものは本来、過去も現在も未来も混ざった流動的なドロリとしたものの様な気がする。このドロリとした「時間」がさらに「存在」という掴みどころのないものと溶け合い、それが私や人間の根源的なものになっているのかもしれない。

 あぁ、何の話しをしているのか自分でも分からなくなってきた。


 既に中年ライダーとの話しを終えたシンはロードバイクに跨り先ほどの上り坂――この頂上側から見ると下り坂に向かって走りだそうとしている。

 シンは頂上まで上ってくる時には着ていなかった青いウインドブレーカーを今は着ている。坂道を下る際に身体が冷えない様に備えているのだ。

 中年ライダーとの話しを終えたシンが、ハンドル中央に取り付けたサイクルコンピューターをいじっていた際、時刻は一時二十分を表示していた。そこから計算すると今は一時二十一分頃。シンが死んでしまうまで十分を切ったというところだろう。

 シンはいつも通りの死を迎えるのだろうか? それとも今までとは違った出来事が起きるのだろうか? もしかしたら死を免れるなんて事が起きたりするのだろうか? そうなったら私の存在についても影響があるのだろうか? 


 シンが急勾配の下り坂に突入した。

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